第二十二話 下見旅行(三) 先生は花より団子
最近、いかにもこれから旅行に行きますってグループを見かける機会が増えました。世間は春休みですからね。
その中に、ハイキングに行く人はどれくらいいるんだろう。お昼に食べるお弁当はおいしいんだろうなあ。とか、花より団子なことを考えながら、今回の話を書きました。
第二十二話 下見旅行(三) 先生は花より団子
浴場から出ると、マッサージチェアに座りながら、まゆが教科書を熱心に読みふけっていた。
「ずいぶん長い間お風呂に入っていたのね。のぼせていない?」
よっぽど集中しているのか、俺と話している時も、教科書から目線を上げようとしない。
「旅行先でまで勉強か? さすが学年一の秀才と言いたいところだけど、旅行先くらい、もっと羽を伸ばしたらどうだ?」
「うん。切りのいいところまでやったらね」
切りが良いところまでと言いつつ、中断する気はないようだ。
「何もこんなところで勉強することもないんじゃないのか? 学校の授業で教えることなんて、覚えたところで役に立つとも思えないし」
「そんなことないよ。学校の成績が良ければ優等生でいられるし、先生の見る目も違ってくるし。結構便利なんだよ、優等生のポジション。今回だって岩見君との旅行をごり押しで決めることが出来たし」
そのために、旅行先でも勉強をしているわけか。全く。まゆの努力には頭が下がる。
「女湯、覗いてこなかったね」
「気づいていたのか……」
まゆなら、穴の一つ、すぐに見つけそうなので、大して驚くこともなかった。
「覗いてほしかった?」
「まさか! 私はこそこそと物陰から覗いてくるような人のことが嫌いだから。もし優司君が覗いて来たら、どうしようって思いながらお風呂に浸かっていたわ」
考えようによっては、このまままゆの中で高ポイントを維持するより、入浴を覗いて嫌われた方が良かったと思えなくもない。
「穴の存在は先生から聞いていたのか? お前もグルだったと考えていいのか?」
「? 何の話?」
覗き穴のことを知っていたようなので、先生と共謀して、俺を騙そうとしていたと思ったのだが、まゆは何も知らないようで不思議そうな顔で見てくるだけだった。
「ひょっとして知らなかったのか?」
「何を?」
本当に知らないようなので、今あったことを説明した。話を聞き終えると、「先生もやるねえ♪」と笑顔で評した。
「おいおい! 勝手に実験台にされた俺の身にもなってくれよ。もっと生徒をいたわれって話だ。まあ、あの先生には無理そうだけど」
「ひどい言われようだな。林間学校が無事に終わるために断腸の思いでやったことだぞ」
一足遅く先生が男湯から出てきた。
「断腸の思いの割には楽しそうでしたね。でも、俺はそういうのに興味ないんで、期待には添えませんよ」
先生が罠を仕掛けていると宣言した以上、尚更引っかかる気はしない。
「そうらしいな! 私としてはすんなりと欲望の赴くままに覗きに走って水まみれになる展開を期待していただけに残念だ。最初からこれでは、この後、別の罠にかけようとしても不発に終わる可能性が高い。不本意ながら、岩見に罠を仕掛けるのは諦めるしかなさそうだ。当日、練習なしでいきなり本番を迎えるしかない……」
これ以外にも罠を用意していたのか。もう仕掛けないと言っているから、この後は安心だろうが、当日は引っかかった男子の阿鼻叫喚があちこちで上がりそうだ。ホイケルなんて真っ先に引っかかりそうだし。
「だが、そんな岩見に惚れた豊嶋のチョイスに間違いがないということは確信できた。男を見る目は確かなようだな!」
「はい!」
何の迷いもなく気持ちの良い受け答えだ。ツッコミどころだらけだが。
まず、ここで豊嶋が俺のことを好きだという事実を話していいのだろうか。先生の中では、豊嶋は俺のことが好きだが、俺はその事実は知らないという設定になっているはずだ。こんなところで暴露されては、もう告白に進むしかないではないか。もっとも先生の勘違いの設定だから、俺もまゆも落ち着き払っているけど。
「それは良いとして、何で風呂から上がった後みたいになっているんですか? 全身から湯気が立ってますよ」
「風呂に入ったからに決まっているだろ。今夜はお前しか男の客がいないからな。お前が出ていった時点で、他の男が入ってくる可能性はゼロだ。前々から男湯には入ってみたかったし、水で冷やした体を温めることにしたのさ」
いくら入ってこないと確信していても、男湯に入れるものではないだろう。この先生にはもっと羞恥の感情が必要だ。
この後、また何か起こるのではないかと危惧していたが、これ以降ハプニングが追加されることもなく、おかげで平穏な夜を堪能することが出来た。
翌日、林間学校で通ることになるハイキングコースを実際に回って、危険がないか確認することになった。当日は、夜にキャンプファイアーもやるらしいが、今回は人数の関係でカットになった。三人でキャンプファイアーなどトラウマになるだけなので、特に異論はない。
ハイキングコースは人気もなく、土産物屋もまばらだったが、代わりに景色が最高だった。緑に包まれた山々。合間から見える川の流れ。時折聞こえてくる鳥のさえずり。
「良いなあ……」
感想が自然と口から出る。
「本当……。心が浄化されるようだわ」
まゆもご満悦のようだ。他の話題はともかく、自然についてはとことん話が合いそうだ。
電脳オタクの早智なら、「自然なんて興味がない。都会が良い!」とか言いそうだが、俺はこういうの好きだな。
「何か俺達だけで自然を独占している気分になりますね」
「まあな」
先生にも話しかけたが、向こうはどこ吹く風で曖昧な返事をするだけだった。
「あっ! 見てみて! リスがいる。こっちをつぶらな目で見つめているよ! ああ、かわいい❤ 東京に持ち帰りたいよ~」
かわいいものに目がないのか、リスを見つけてからのまゆのはしゃぎようが凄い。
「向こうに鹿もいるぞ。むっ! 俺たちを見て逃げやがった!」
「人間に慣れていないんだね。でも、鹿さんもかわいかったな~」
まゆからすれば野生動物でさえあれば、ゴリラでもかわいいと言いそうだ。もし機会があるのなら。動物園に連れて行って反応を見てみたい。そういえば陽菜もかわいい系に弱そうだな。よし、決めた! 今度、陽菜を動物園に連れて行こう。どんな反応をするか、楽しみだ。
先生はというと、辺りをキョロキョロ見回している。
「先生も野生動物を探しているんですか?」
「いや、私は花より団子だからな。動物も良いが、今は飯を売ってそうなところを探している。でも、全然見つからないんだ。これだから田舎は……」
「生徒の前なんですから、そういう発言は控えてもらえますかね?」
せっかく景色を楽しんでいるというのに、ぶち壊しにするような一言を平然と吐きやがる。とても見過ごせず、苦言を呈してしまう。何かを察したまゆが続けて質問した。
「お昼を用意してないんですか?」
「まあな……」
マジかよ。
「じゃあ、当日は家から弁当持参ですか?」
「大丈夫。当日はちゃんと弁当が用意される予定だ」
どうせなら、今日も用意してほしかった。仕方がないので、動物探索を中止し、空腹で鳴きっぱなしのお腹をさすりながら、定食屋探しに頭を切り替える。
俺はなかなか見つけられなかったが、飯処を探す才能は先生の方が上回っていた。俺より先に、食べ物が売ってそうな店を見つけていた。
「おお! 丁度良いところに店がある。おにぎりやサンドイッチも売っているみたいだから買っていこう」
その提案に異論があろうはずがない。先を争って店の中に入った。中には期待通り、おにぎりやサンドイッチが売られていた。これで昼飯抜きの危機を脱することが出来た。
「一時はどうなるかと思ったぞ」
「コンビニもなかなか見つからなかったですからね」
ここを通り過ぎていたら、次に食べ物を売っている店が見つけるのはいつになっていたかと思うと、ゾッとする。
ホッと胸を撫で下ろし、買い物かごに食べ物を詰め込んでいると、まゆが顔をしかめた。
「ねえ、アレ……」
まゆの指差した先には、「魔法聖天使マリカ!」と銘打たれた、ご当地限定グッズの数々が所狭しと並べられていた。昨日早智が電話で言っていたこの地が舞台になっているアニメで間違いない。販売コーナーの前には、いかにもオタクと言った風貌の青年たちが陣取っていた。
「すごいな……」
さすがの先生も言葉を失う。そりゃそうだ。大自然の中に、アニメショップ。あまりにもミスマッチな組み合わせだ。
「あれって深夜アニメのグッズよね。限定とか書かれているわ……」
「あそこだけ異様に色彩が豊かだな。赤や紫が多くて、ずっと見ていると、自然に慣れた目が拒否反応を起こしそうだ」
オタク達にはともかく、俺たちの反応は芳しいものではなかった。長く見ていたくなかったので、おにぎりを買って早急に店を出ようとしていたら、まゆがぼそっと呟いた。
「鹿内さんとか好きそう」
大正解! 何を隠そう、昨日も電話でマリカへの愛を語られたしな! 終いにはグッズのお土産までせがまれる始末だし。
「案外お土産としてグッズを買ってこいと頼まれているんじゃないのか? 夜中にこっそり宿泊所を抜け出して、買ってきてって」
「はははははは……」
先生に細部まで言い当てられてしまったので、もう高笑いで誤魔化すしかなかった。ていうか、早智は、俺に夜中この店に来いと言っていたのか。明かりもない中、山道を結構歩かなければ、この店には来れない。迂闊に買っていくと約束しなくて良かったと胸を撫で下ろした。
腹も満たされ、気分を一新して、ハイキングコースを歩いていくと、今度は大きな川に差し掛かった。
「すごく大きな川ですね。流れも急だし、うっかり落ちたら助からないかも……」
「そうか? よっぽどぼんやりしていなければ落ちないと思うよ。まあ、ふざけて仲間を押す奴はいそうだけどな」
渓流釣りの好きな人は好んで流れの中に入っていきそうな気はした。
「おいおい! これくらいでビビられたら困るな。今日はやらないけど、当日はカヌーで川も下るんだぞ。風邪だけは引くなよ」
「今日はやらないんですか? 私、カヌーとか乗ってみたい!」
さっきまで、川の流れを見て不安そうにしていたのに、川下りと聞いた途端、まゆは目を輝かせた。この感情の変化には、素直に恐れ入る。
「気持ちは分かるが、当日まで我慢だ! 心配しなくても川下りは逃げない。川はここにあるんだからな!」
何の説明にもなっていないことを、声高らかに述べた。まゆは何故か納得しているので、何も突っ込まないけど。
当日は川下りをした後で、今歩いてきたばかりのハイキングコースを通って、ホテルに戻るらしい。ということで、俺達もホテルに戻ることになった。
「あ、そうだ。岩見」
戻っている途中、先生が俺に折り重なってきて、そっと耳打ちした。いきなりだったので、バランスを崩して、転びそうになったが、何とか耐えた。
「昨日は覗きの実験台にして悪かったな。この埋め合わせは今夜、夕食の後にするから心待ちにしていろよ」
何を企んでいるのか知らないが、心待ちには出来そうにない。本当に悪いと思っているのなら、何もしないで放っておいてほしいというのが、正直な気持ちだ。
それから数時間後、日が傾いて暗くなり出す頃に、俺たちはハイキングを終えて、宿泊しているホテルに戻った。
「夕食はどうするんです? またおにぎりは勘弁ですよ」
どうせ昨日の不味くない旅館食だと思ったが、念のため聞いておく。
「心配するな。ちゃんとキャンプ場の方に用意されている。メニューはズバリ、私たちの愛情たっぷりのカレーだ!」
大げさに言っているが、そんなに心は躍らない。ていうか、私たちの愛情がたっぷりと言うくらいだから、これから自分たちで作ることになるのだろう。ハイキングで疲れているのに、勘弁してくれ。これだったら、二食連続でおにぎりの方が良かった。
横でまゆが愛情と言う言葉に反応しているのがよく分かった。あまり力を入れすぎて悪い方向に空回りしないことを祈るばかりだ。
今は昨日食べた、あの不味くない旅館食が無性に恋しい。




