第一話 転生
「今日から『お仕事』だねっ!」
鈴を転がしたような、無邪気で可愛らしい声がすぐ隣で弾けた。
その声にハッと意識を引き戻され、彼女はまるで深い水の底から浮上したかのように瞬きを繰り返した。ついさっきまで、大好きなソーシャルゲームの大型アップデート当日で、スマホの画面を見つめながら浮き足立って横断歩道を渡っていたはずなのに。けたたましいクラクションの音と衝撃の記憶を最後に、ぷつりと途切れていた意識が今、見知らぬ場所で再び繋がったのだ。
恐る恐る声がした方へと視線を向けると、そこには人間ではなく、愛らしい不思議な生き物がふよふよと宙に浮いていた。
雪のように真っ白でふわふわとした毛並みを持つ、小さな子熊のような姿。その背中には、光を反射してきらめく純白の天使の羽がちょこんと生えており、首元には水色のリボンと星型のチャームが揺れている。うるうるとした澄んだ水色の瞳が、期待に満ちた輝きを放ちながらこちらを見つめていた。
——え……っ、この子、知ってる……!
彼女は息を呑んだ。目の前の存在に、強烈な見覚えがあったからだ。
それは、前世の彼女が生活のすべてを捧げるほど愛してやまなかった魔法少女もののソーシャルゲーム『Fleur Ange』——そのメインヒロインの相棒として登場する使い魔の『ララ』に他ならなかった。
「……? ルル、どうしたの?」
固まったまま動かない彼女の様子を不思議に思ったのか、ララはこてん、と音がしそうなほど愛らしく首を傾げた。
『ルル』。その名前で呼ばれた瞬間、彼女の背筋に電流のような衝撃が走る。まさかと思いながら、彼女はおずおずと視線を下ろし、胸の前に掲げた自分の『手』を見つめた。
そこにあったのは、見慣れた人間の白い指先ではなかった。艶やかな漆黒の毛並みに覆われた、小さな前足。ぷにぷにとした桜色の肉球。驚きに目を見開きながら自分の身体を確かめると、首元には首輪と赤い宝石が飾られており、背中からは悪魔や蝙蝠を思わせる小さな黒い羽が生えて、ぱたぱたと勝手に羽ばたいていた。近くの水たまりや光の反射を待つまでもなく、自分がどんな姿をしているのか、彼女には一目で理解できた。
赤い瞳を持つ雌の黒猫にして、ララとは対になる悪役マスコット風の造形をした使い魔、『ルル』。
そして何より——彼女が前世で最も愛し、ガチャが更新されるたびに課金を惜しまなかった最推しヒロイン『天海 牡丹』と契約を結ぶことになる、担当使い魔の姿そのものだった。
——わ、私、ルルに転生してる……!? これってつまり……これから私、合法的に最推しの牡丹ちゃんに会うってこと!? 使い魔としてそばにずっといられるってこと!? 過酷な運命を背負うあの子を、一番近くで全力で甘やかして守ってあげられるってこと……!?
頭の中でパニックと歓喜が同時に爆発する。
あまりにも予想外すぎる状況に目を白黒させ、小さな黒猫の身体を震わせて動揺する彼女だったが、隣にいるララはその様子を見てふわりと穏やかに微笑んだ。
「ルル、キンチョーしてる? ダイジョーブだよ、僕もすぐに行くからね!」
ララは優しく声をかけると、ルルの小さな黒い前足をそっと自分の白い手で包み込み、先へと導くように引っ張った。ふよふよと宙を漂いながら連れて行かれた先には、異世界と人間界とを繋ぐ、荘厳で大きな扉がそびえ立っていた。扉の向こう側には、光り輝く渦が広がっている。どうやらここから、人間のいる世界へと移動するらしい。
扉の前に立ち止まったララは、繋いでいた手をそっと離すと、ルルに向かって元気に小さな手を振った。「また向こうでね」とでも言うような、太陽みたいに眩しくて優しい笑顔。
ルルは少しだけ照れくさくなりながらも、肉球のある小さな前足を胸の前で控えめに振り返した。そして、扉の向こう側で待っているはずの愛おしい『最推し』の姿を思い描きながら、小さな黒い羽を羽ばたかせ、光り輝く大きな扉をくぐり抜けるのだった。
つづく
最推しとヤンデレに挟まれる主人公のお話です。
よろしくお願いします。




