第13章 第2話「ノアンは、六」
霜月初旬の三日目の朝の鐘五つは、サヴリーニュ村の中央広場の、低い鐘の塔から、鳴った。
村長の家の客間で、8名は、装備を、整えた。
虹月の初旬と、同じ客間。
ただし、人数が、ふたつ、増え、装備の量も、ひとつ、増えていた。
ヴァルニエ教授は、手帳を、上着の内ポケットに、収めた。
ヴァサール教官は、短剣を、革のシースに、納めた。
ロッタ老師は、薬瓶のベルトを、もう一度、腰に、巻いた。
ライナル先輩は、地形図を、四つ折りにして、革袋に、入れた。
ジルは、白い小石の束と、銅の細い線の束を、革帯に、結びつけた。
カマール教官は、革の工具袋を、肩から、提げ直した。
工具袋の中には、鉄の細い棒が、十二本、長さの順に、並んでいた。
「外周の十二石は、こちらだ」
「ジル、内周は、お前の銅で、いい」
「……了解、しました、教官」
モローニュ老師は、首の鈴を、軽く、押さえた。
藍の祭服の袖の中から、小さな籠を、取り出した。
籠の中には、灰色の毛玉のような契約獣が、ひとつ、静かに、丸まっていた。
「今日は、まず、見せます」
「契約は、明日です」
テレーズ先輩は、戦術陣の小杭を、五本、革袋から、もう一度、確かめた。
「今日は、位置の確認だけ、ですね」
「そうだ」
ヴァサール教官が、頷いた。
私は、新しい実験ノートを、旅の鞄の中に、収めた。
旅の鞄の、小さな仕切りには、麻布の包みが、横向きに、寝ていた。
仕切りの蓋を、閉じた。
「全員、揃ったか」
ヴァサール教官の声で、8名は、客間の中央に、集まった。
「……揃いました」
「よし。出る」
村の入口で、村長が、待っていた。
革のジャケットの襟元を、朝の冷気で、押さえながら。
「……お早い、お戻りで、ございました」
「前回から、一ヶ月、経ちました」
ヴァルニエ教授が、答えた。
「村は、変わりませんでしたか」
村長は、しばらく、沈黙してから、答えた。
「……変わりはございません」
「ただ、夜の、青い光が、わずかに、強くなっておりました」
「村の老人たちが、口々に、申しております」
ヴァルニエ教授は、頷いた。
「それも、含めて、今日、確かめます」
「お手数を、おかけします」
「……いえ、教授」
ヴァサール教官が、列を、組んだ。
「先頭は、ライナル。次に、テレーズ、ジル、テオ、カマール、ロッタ、モローニュ。教授と、私が、最後尾」
「この順を、変えるな」
「何か、感じたら、即座に、止まれ」
8名は、村の入口を、出た。
丘の南斜面の細い道は、虹月の初旬と、同じ道だった。
ただ、足元の苔の、湿り方が、わずかに、違った。
虹月の初旬は、夏の終わりの、乾いた苔。
霜月の初旬は、晩秋の、わずかに、湿った苔。
私は、ジルの背中の、右肩の少し上の位置を、目印に、歩いた。
ジルの腰の右側の、白い小石の束と、革の工具袋の鉄の棒は、ジルの歩幅と同じ速さで、わずかに、揺れていた。
ライナル先輩は、先頭で、ときどき、足を、止めた。
止めるたびに、足元の岩の苔の、湿り気を、指の腹で、確かめた。
「前回と、同じ場所で、ねじれている」
「ねじれの、強さは」
ヴァルニエ教授が、最後尾から、問うた。
ライナルは、しばらく、苔を、確かめてから、答えた。
「……指の幅ぶん、強くなっている」
「前回より、強い」
「……はい、教授」
ヴァサール教官が、頷いた。
「周りを、見ろ」
「何か、変わっている、ものは、ないか」
ライナルは、丘の南斜面の、細い道の周りを、見渡した。
足元の岩、放牧地の草、低い茂みの枝、空の薄い雲。
しばらく、見渡してから、答えた。
「茂みの、枝の、湿気が、村の井戸の方向に、わずかに、寄っている」
「前回は、南東の縁に、寄っていた」
「今回は、村の方向に、戻っている」
カマール教官が、列の中ほどから、声を、出した。
「地脈の気の、抜け道が、移動した、ということか」
「……そう、見えます」
「それなら、屈折点が、ある、ということだな」
「……はい、教官」
カマール教官の言葉に、私は、内側で、頷いた。
屈折点。
虹月の初旬には、ライナルの「地表の、もう少し、下で、横に、抜けている」という観察と、ロッタの「石の上面に、寄っている」という観察が、内側で、繋がらなかった。
それが、屈折点という、ひとつの言葉で、繋がる、可能性がある。
丘陵中腹の窪地に、8名は、四十分で、着いた。
前回より、十分、遅かった。
新しい三人の装備が、加わったためだった。
窪地の中央の、倒壊した祠の跡は、虹月の初旬と、同じ場所に、あった。
ただし、崩落が、進んでいた。
石灰岩の白い壁は、虹月の初旬には、半分が、内側に、倒れていた。
霜月の初旬には、半分を超えて、内側に、倒れていた。
倒れた壁の隙間から、三段の石組みの、最下段の内側面が、ほぼ、全面、露出していた。
ロッタ老師が、最初に、祠の跡の脇に、近付いた。
崩れた壁の石片を、ひとつ、拾い上げた。
石片を、首の拡大鏡で、覗いた。
「ふぅむ」
ロッタの声は、いつもの工房の調子から、呼吸ひとつぶん、落ちていた。
「結晶の、組み変わりは、進んでいる」
「前回は、上面に、わずかに、寄っていた」
「今回は、上面の、中央に、集中している」
ロッタは、石片を、もう一度、拡大鏡で、覗いた。
「屈折点が、ここに、ある」
「石の中心が、屈折点だ」
カマール教官が、ロッタ老師の隣に、来た。
石片を、軽く、受け取って、自分の指の腹で、表面を、なぞった。
「結晶の、向きが、放射状か」
「……はい、教官」
「それなら、石の中心が、装置の心臓、ということになる」
ヴァルニエ教授は、手帳を、開いた。
ロッタとカマールの言葉を、ゆっくり、写した。
「屈折点は、最下段の石組みの、中央の窪み、と仮定する」
「確証は、テオの、真理の眼で、補完する」
「……はい、教授」
ジルが、窪地の中央の、祠の跡の手前で、足を、止めた。
「陣を、組む位置、前回と、同じでいいか」
カマール教官が、頷いた。
「前回の位置で、いい。内周は、銅、外周は、鉄、で、二重に、組む」
「了解しました、教官」
ジルは、革帯から、白い小石の束を、外した。
革で巻いた束を、自分の足元の、平らな苔の上に、広げた。
それから、革の上の小石を、ひとつずつ、地面に、並べていった。
並べ方は、前回と、同じ、円形だった。
直径は、私の身長と、ほぼ、同じ。
円の上の小石は、十二個。
ジルが、内周の小石を、並べ終えると、カマール教官が、自分の工具袋から、鉄の細い棒を、十二本、取り出した。
鉄の棒は、白い小石の十二の位置よりも、外側の、もう一回り、大きな円の上に、十二の位置に、刺していった。
外周の十二鉄棒の、円の直径は、内周の白い小石の円の、約二倍だった。
二重の陣の中央に、ジルが、しゃがんだ。
腰の革袋から、銅の細い線を、一巻き、取り出した。
銅線の端を、内周の北の位置の小石に、軽く、巻きつけて、固定した。
それから、銅線を、円の中央まで、引いて、中央で、結び目を、作った。
カマール教官は、自分の工具袋から、鉄の細い線を、もう一巻き、取り出した。
鉄線の端を、外周の北の位置の鉄棒に、軽く、巻きつけて、固定した。
それから、鉄線を、円の中央まで、引いて、内周の銅線の結び目の、半歩、外側で、別の結び目を、作った。
「二重に、組んだ」
カマール教官が、言った。
「内周は、観察用の、薄い陣。外周は、観察強度を、半呼吸ぶん、上げる、補強の陣」
「テオ、内周の中央に、入れ」
私は、内周の北の小石を、跨いだ。
跨ぐ時、足の裏に、わずかに、銅線の張りを、感じた。
跨いだ先で、もう一度、外周の鉄線を、跨ぐかどうか、ジルの方を、見た。
ジルは、頷いた。
「入れ」
私は、円の中央の、銅線の結び目の、半歩、手前で、止まった。
「深呼吸を、三つ」
ジルが、円の外から、声を、かけた。
私は、深呼吸を、三つ、した。
胸の中の、空気が、虹月の初旬よりも、わずかに、重く、入ってきた。
陣が、二重に、なったぶん。
観察の解像度が、上がっている、ということだった。
私は、真理の眼を、意図的に、発動した。
祠の跡の、三段の石組みの上に、淡い、線が、重ね合わせとして、見えた。
虹月の初旬には、薄かった線が、今回は、はっきりと、見えた。
三段の石組みの中央に、青い気の、残りが、立ち上っていた。
立ち上りは、ロッタ老師が、虹月の初旬に、観察した「下から、上に」と、同じ方向だった。
ただし、上に、抜けきっていなかった。
最下段の、中央の窪みで、わずかに、横に、引かれていた。
横に、引かれた先で、南東の縁の、地表下に、続いていた。
屈折点。
ライナル先輩の「横に、抜けている」と、ロッタ老師の「下から、上に」が、ここで、繋がった。
最下段の石組みの中央の窪みが、屈折点だった。
私は、目を、もう少し、深く、開けた。
最下段の石組みの、内側の面に、刻まれた文字が、淡く、浮き上がった。
虹月の初旬には、文字列の、中央しか、見えなかった。
今回は、左側も、右側も、見えた。
文字列は、左から右へ、続いていた。
「ノアン・モルテ・ファルナ」
私は、文字列を、心の中で、もう一度、なぞった。
完全記憶は、文字列の、すべての字形を、即座に、保存した。
虹月の初旬に保存した「ノ・◯◯・エ・ファルナ」の、欠けた位置に、今回、すべての字形が、嵌った。
そして、完全記憶は、私が、問わなくても、別の場所を、勝手に、呼び出してきた。
呼び出されたのは、麻布の包みの中の、祖父の三枚目の、中ほどの連鎖だった。
ノアン・モルテ・ファルナ・エ・イシュタル・コーレ・ノ・テラム。
二つの並びが、頭の中で、重なった。
ノアン。
モルテ。
ファルナ。
三語の、字形が、同じだった。
長音記号の傾き。
母音の連なり。
線の終わりの跳ね。
すべて、同じ。
「……繋がった」
声には、出さなかった。
内側で、一度だけ、確かめた。
陣の中央で、ジルの声を、待った。
「テオ、何か、見えたか」
「……見えました」
「屈折点は、最下段の石組みの、中央の窪み、です」
「銘文の、完全形は、ノアン・モルテ・ファルナ、でした」
「そうか」
「それでいい。出ろ」
私は、内周の南の小石を、跨いで、陣の外に、出た。
外周の鉄線も、跨いだ。
二重の陣の外で、私は、もう一度、深呼吸を、ひとつ、した。
ジルとカマール教官が、陣を、巻き戻し始めた。
私は、ヴァルニエ教授の前に、立った。
「教授」
「……どうした」
「銘文の、完全形は、ノアン・モルテ・ファルナ、でした」
「家の手紙の、第三層の、中ほどに、同じ三語の、連鎖が、あります」
「完全記憶で、字形を、照合しました。一致、しました」
ヴァルニエ教授は、手帳を、開いた。
ペンを、構えた。
「それで、対訳は」
「……ノアンは、父の索引から、六、と確定しています」
「モルテは、まだ、読めません」
「ファルナは、母の便箋から、在る、または、存す、と確定しています」
教授は、手帳に、三語を、ゆっくり、写した。
それから、ロッタ老師の方を、見た。
「ロッタ老師」
「ふぅむ、何だ」
「ファルナ、という古語に、心当たりは」
ロッタは、しばらく、沈黙した。
それから、薬瓶のベルトの中から、小さな革表紙の手帳を、取り出した。
手帳の頁を、めくった。
「……ある」
「北嶺ドイチェの、古い金属文献に、似た語が、出てくる」
「鉄の、結晶が、長く、保たれた状態を、ファルナ、と呼ぶ用例だ」
ロッタは、自分の手帳の、ある頁を、指で、押さえた。
「鉄の、結晶が、保たれていれば、それは、在る」
「結晶が、崩れていれば、それは、もはや、ない」
「ファルナは、ただの『ある』、ではない」
「保たれて、ある、という意の、古語だ」
ヴァルニエ教授は、頷いた。
手帳に、ロッタの言葉を、写した。
「老師、ひとつ、確かめても、いいですか」
「ふぅむ、何だ、教授」
「北嶺ドイチェの古語と、レヴァンタ語は、別系統と、見ていいですか」
ロッタは、しばらく、自分の手帳の頁を、指で、押さえたまま、答えた。
「……別系統だ」
「北嶺は、東の山脈を、越えて、北の海から、来た言葉」
「レヴァンタは、南の海から、上ってきた言葉」
「祖語は、千年より、もう一段、古い」
「同じ語が、独立に、似た意味で、残るのは、偶然では、ない」
教授は、もう一度、頷いた。
「……別系統からの、独立した、確認、と、見ます」
「母上の、便箋の、レヴァンタ語の falla と、ロッタ老師の、北嶺の文献が、揃った」
「ファルナの、対訳は、確定する」
「保たれて、ある、または、存す」
教授は、続けた。
「それなら、銘文の、暫定意訳は」
「六・◯◯・保たれて、ある」
「モルテが、読めれば、全体が、見える」
「だが、モルテは、今日は、保留する」
私は、頷いた。
「……はい、教授」
モローニュ老師が、列の中ほどから、こちらに、近付いてきた。
藍の祭服の袖から、小さな籠を、もう一度、取り出した。
「教授、ひとつ、申し上げます」
「……どうぞ、老師」
モローニュ老師は、籠の中の、灰色の毛玉のような契約獣を、軽く、撫でた。
それから、祠の中央の、最下段の石組みの方を、見た。
「この、青い気の、残りは」
「装置の、起動準備状態、と、私には、見えます」
ヴァサール教官が、最後尾から、近付いてきた。
「起動準備、とは」
「装置が、千年の眠りから、覚めようと、している、その、息」
「完全に、覚めていない」
「だが、眠ったままでも、ない」
ヴァルニエ教授は、しばらく、沈黙してから、答えた。
「老師、それは、契約獣の、観察として、見えているのですか」
「……はい、教授」
「わたくしの籠の、霧の鼠が、青い気の方向に、わずかに、向き直しております」
「契約は、対等な、約束です」
「装置を、敵と、扱わないこと」
「眠っているものを、もう一度、眠らせる、というのが、正しい言い方だと思います」
ヴァルニエ教授は、頷いた。
「「再封ぜよ」とは、つまり、「もう一度、眠らせよ」、ということ、ですか」
「……はい、教授」
「敵を、倒す、のとは、違う」
「眠っている、何かを、もう一度、深く、眠らせる」
教授は、手帳に、モローニュ老師の言葉を、写した。
それから、最後に、私の方を、見た。
「それで、君はどう思う?」
「……銘文の、暫定意訳は、『六なる手によりて、再び在らしむ』、と訳せます」
「ただし、確証は、ありません」
「家系の手紙の、傾向と、現場の銘文の、意味が、たまたま、似ているだけ、かも、しれません」
教授は、頷いた。
「慎重で、いい」
「だが、八つの手が、揃って、再封印を、試す価値は、十分に、ある」
「ヴァサール」
「……はい、教授」
「午後、村の客間で、手順を、組む」
「全員、降りる」
8名は、丘の南斜面の細い道を、ゆっくり、降りた。
来た時より、ゆっくり、降りた。
私は、降りる途中で、後ろを、振り返らなかった。
虹月の初旬の、ヴァサール教官の「振り返るのは、止まった時だけだ」が、内側で、続いていた。
旅の鞄の中の麻布の包みは、来た時より、わずかに、重く、感じた。
包みの重さは、麻布と、羊皮紙の重さで、行きと、変わらないはずだった。
ただ、私の感じる、重さが、変わっていた。
「……繋がった、と、書く前に」
私は、内側で、確かめた。
「もう一度、確かめてから、書く」
村の入口に、戻ったのは、午後の鐘三つの、少し前だった。
村長が、村の入口で、待っていた。
「……お早い、お戻りで」
「今日は、午後、客間で、手順を、組みます」
「明日、もう一度、登ります」
「……承知、しました」
午後の客間で、ヴァルニエ教授は、机の上に、大きな紙を、広げた。
紙の上に、矢印を、ひとつ、書いた。
矢印の先は、祠の中央の窪みを、指していた。
「屈折点が、ここだ」
「屈折点を、もう一度、深く、眠らせる」
「そのために、五つの手順を、踏む」
教授は、矢印の周りに、五つの円を、書いた。
円の中に、それぞれ、文字を、書き込んだ。
「ひとつ。観察陣の、再構築。ジルと、カマール、が、担当」
「ふたつ。物理的固定の、準備。ヴァサールと、テレーズ、が、担当」
「みっつ。契約による、拘束の、準備。モローニュ老師、が、担当」
「よっつ。テオの、解析。陣の、中央で」
「いつつ。銘文照合と、再封印の、宣言。私が、担当」
教授は、矢印の先を、もう一度、押さえた。
「手順の、各段で、テオの解析が、必要に、なる」
「だから、テオは、陣の中央で、ひとつの手順から、もうひとつの手順への、繋ぎの、合図を、出す」
「……テオ、それで、いいか」
「……はい、教授」
「ただ、ひとつ、聞いても、いいですか」
「何だ」
「……モルテが、読めなくても、再封印は、できますか」
教授は、しばらく、沈黙してから、答えた。
「できる」
「ただし、完璧には、ならない」
「モルテが、読めれば、もう一段、深く、眠らせられる、はずだ」
「今回は、半分の深さで、眠らせる」
「残りの半分は、後の、誰かに、託す」
私は、頷いた。
「……はい、教授」
午後の客間の窓の外は、晩秋の薄い陽が、わずかに、傾き始めていた。
机の上の、五つの円と、ひとつの矢印は、紙の上で、静かに、待っていた。
明日、朝の鐘五つに、もう一度、丘陵中腹の窪地に、登る。




