30 二度目の始まり
目が覚めた。
見慣れた天井が見える。
エルフェルト公爵家の屋敷、自室の天井だ。
朝の光が、カーテンの隙間から細く差し込んでいる。
「……」
キャサリンはしばらく、動かなかった。
――最悪の目覚めね。
頭の中を、記憶が流れていく。
王宮の発表会場。
ヴィクターの晴れやかな顔。
リディアの青ざめた横顔。
婚約破棄の言葉。
そして、二度と帰らぬ人となってしまった子供と、それを抱きしめて離さないリディアの姿。
すべてはっきりと覚えていた。
――死なせないわ、絶対に。
体を起こして、窓の外を見る。
王都の朝の空気が、変わらずそこにある。
発表まであと何日が残っているのか。
記憶をたどる。
ソフィアから話を聞いたのが発表の10日前だ。
今の記憶でソフィアにはまだ会っていない。
発表はあと10日以上先のことだ。
「十分ね」
キャサリンは静かに立ち上がった。
窓の外の空は高く、よく晴れていた。
やることは山ほどある。
しかし、順番を間違えてはいけない。
最初にやるべきことは、たった一つだ。
「エマ」
扉を開けると、廊下にはすでにエマが立っていた。
まるで待っていたかのように、自然な立ち位置だ。
「おはようございます、お嬢様」
いつもと変わらない、静かな声。
「……おはよう」
キャサリンはエマの顔を見た。
タイムリープのたびに思うことだが、エマはいつも変わらない。
記憶を持っていないはずなのに、どこか泰然としている。
それがかえって、キャサリンには心強かった。
「今日の予定は断っておいて」
「承知しました」
それだけ告げて、キャサリンは身支度をはじめた。
✿✿✿❀✿✿✿
リディア・ウルペッカの調合室は、王都の中ほどにある。
表通りから少し入った路地に面した、小さな店構えだ。
看板には薬草の絵が描かれており、朝の光を受けて柔らかく輝いている。
キャサリンは馬車を少し手前で止めて、徒歩で近づいた。
「お嬢様、本当によろしいのですか?」
エマが隣で静かに言う。
「何が?」
「お嬢様の話ではセリーヌ様が、接触しているとのこと。突然訪ねていけば、リディア様からお嬢様も警戒されるかと」
「そうかもしれないわね」
キャサリンはあっさりと認める。
「でも、時間をかけて関係を築いている余裕はないの。相手は腕の立つ薬師なのだから、私が来たって不思議じゃないでしょう?」
エマは答えなかった。
それが肯定だということは、キャサリンにはわかっていた。
入り口の前に立つ。
扉は開いていた。
中から薬草の青い香りが漂ってくる。
キャサリンは少し立ち止まって、中の様子をうかがった。
「……」
リディアが調合室の奥で机に向かっている。
薬草を手に取り、状態を確かめているようだった。
その横顔は真剣そのものだ。
――この人は、こうやって7年間ずっと過ごして来たのね。
キャサリンは静かに思った。
そして扉を軽くノックする。
リディアが顔を上げる。
見知らぬ来客に一瞬だけ戸惑いの色が浮かんだ。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか」
薬師としての自然な出迎え。
声は落ち着いている。
仕事に切り替えるのが早いと、キャサリンは思った。
リディアの目が、キャサリンのドレスと立ち振る舞いを素早く読む。
貴族だと、すぐに気づいたはずだった。
「エルフェルト公爵家のキャサリンと申します」
リディアの表情がわずかに動く。
エルフェルトという名前は、社交界では知らぬ者のない名だ。
ましてや、数か月前の婚約破棄劇のことは、王都中に知れ渡っている。
「キャサリン公爵令嬢が、なぜ私のところへ」
キャサリンは真っすぐにリディアを見た。
「少し、お時間をいただけますか? あなたに、お伝えしたいことがございます」
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