29 予定外の決意
セリーヌの動きは速かった。
あらかじめ根回しをしていたのだろう。
王宮の関係者が、深刻な顔で別の者へと話しかけ、その輪は瞬く間に広がっていく。
ほどなくして会場の空気が変わる。
「……」
ヴィクターのもとにも関係者が近づき、何かを告げていた。
困惑へと変わる表情。
その視線はリディアへと向けられる。
リディアは立ち上がり、何かを伝えようとしているが、すでにその言葉は届かない。
セリーヌが用意した書類が、様々な者の手に渡ってしまっていた。
改竄された証拠。
整えられた証言。
――鮮やかな手並みね。
エマが集めた情報は手元にあるが、それを公の場で突きつけるためには、まだ一手足りていない。
「お嬢様?」
エマがキャサリンに問う。
その声には、わずかに非難の色があった。
端的に何もしないのかと、キャサリンを責めているようだった。
「わかっているわ……」
キャサリンは唇を引き結ぶ。
同じ頃にヴィクターも、ため息混じりに口を開いていた。
「……リディア。証拠は揃っているんだ」
その声は、決して冷たくはない。
静かな失望であり、ある意味では、かえって残酷だった。
「努力家だと思っていたが……まさか、こんな形で名前を残そうとするとは思っていなかったぞ」
「違うわ! 話を聞いて」
リディアの声が震える。
会場の視線が一斉に彼女を向く。
思わず出ていきたい衝動に駆られたが、拳を強く握りこむことで、キャサリンは自制した。
――じれったいわね。
もう少し時間があれば、タイムリープをせずとも覆せたかもしれない。
だからこそ、もどかしい。
これほど悔しい思いをしたのは、久しぶりだった。
「さよならだ、リディア。君との婚約も考えなおさせてくれ……」
ヴィクターの言葉が会場に落ちていく。
リディアが一瞬だけ動きを止める。
その横顔から、何か大事なものが抜け落ちていくのが見えた気がした。
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会場が落ち着きを取り戻しはじめた頃、リディアは静かに会場をあとにした。
キャサリンはその背中を目で追いながらも、立ち上がることまではしない。
今はまだ、我慢だ。
辛抱強く、情報をつかもう。
「エマ。医師たちの会話を拾えるだけ拾っておいて。薬の投与について、何か方針が出ているかもしれない」
副作用についての問題は未解決だが、それ自体がリディアの一件でうやむやにされてしまった。
――もしも、最悪の想定をするなら――。
副作用の存在自体がなかったことにされているのかもしれない。
「……」
エマが会場の端をゆっくりと歩きながら、医師たちのそばを通り過ぎていく。
その足取りは自然で、だれも彼女が情報を集めていることに気づかない。
「お嬢様」
数分後、エマが戻って来る。
その足が、いつもより少しだけ速い。
態度から異常を知らせていた。
「……。どういう方針だったかしら?」
「それ以前の問題かもしれません」
「どういうこと?」
エマがキャサリンの耳元に顔を近づける。
「投与がすでに始められています。それも、王宮からではなく侯爵家の判断で、承認前から」
キャサリンの思考が一瞬止まる。
――なんてこと……。もう使われていたなんて。
「しかも、衰弱の著しい患者が出ているという話が、医師たちの間で出ていました。場所は王都外れの診療所だと」
診療所という言葉が、キャサリンの胸を冷たく貫いていた。
そこはリディアが毎日通っている診療所にほかならない。
――まずいわね。情報を集めているどころの騒ぎじゃないわ。
悠長なことはしていられない。
「急ぐわよ、エマ!」
キャサリンは立ち上がり、会場を出た。
足を速める。
廊下を駆けるように抜け、王宮の外へ。
馬車に乗り込んだキャサリンは、短く行先を告げる。
「診療所へ」
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その知らせはリディアのもとにも届いていた。
そんなはずはないと思った。
今朝までは元気だったのだ。まさか、自分の知らない間に投薬が開始されているなんて、ありえない。
それなのに、自分の腕の中にいるカイムは、今朝とは打って変わって弱々しい姿になってしまっていた。
「ごめんな、姉ちゃん……。せっかく姉ちゃんを手伝えると思ったのに……全然ダメだった。薬が俺のせいで台無しになっちゃったな……。ごめんなさい……ごめんなさ……」
カイムの体から急速に力が抜けた。
リディアが反応のなくなった子供の体をきつく抱きしめる。
「誰がやったの……。誰がこの子に薬をあげていいと許可を出したの!」
リディアの怒声に答える者はいない。
その答えはリディアもわかっていた。
ヴィクターだ。
彼がうまいことカイムを誘導したのだろう。ひょっとしたら、君の体で薬が完璧だと証明してみせようなどと、言ったのかもしれない。
副作用を軽視した。
あれだけ自分が何度も伝えたのに、結局、ヴィクターにリディアの言葉は響いていなかったのだ。
キャサリンが診療所に到着したのは、それからすぐのことだった。
何が起こったのかは一目で理解した。
子供を抱いたまま動かないリディアの姿を見て、キャサリンは自分の不明さを呪った。
声をかけることなどできるはずがなかった。
――許して、リディア嬢。
絶対にヴィクターには相応の報いを受けさせる。
それだけを心に、キャサリンの意識は闇へと落ちていった。
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