第184話 追えるだけでいい。全部に番号はいらない
朝、入口はいつも通り暗く、灯り二基も低いままだった。返却棚には三箱。一番、二番、三番とも異常0で、物理箱3、穴札12、朝値変更0。
昨日は、井戸滑車の軸一本に見つかった亀裂から、同型・同時期に作られた十二本まで対象を絞り込んだ。その結果、四本に同じ場所の亀裂を発見し、事故になる前に使用を止められた。
それができたのは、軸一本一本に番号が刻まれていたからではない。
購入帳に製造元と納入時期が残っていた。工房印もあった。それだけで十二本まで追えた。
にもかかわらず、今朝の市場には小さな金槌と数字の刻印棒が大量に並んでいた。
「……嫌な売り場だな」
フィンが足を止める。
長机の上には、一、二、三、四と数字が刻まれた鉄棒。その横にはさらに文字用の刻印まで並び、壁には大きな紙が一枚。
《全修理部品・製造番号刻印義務案》
ミナが最後まで読み、静かに紙を戻した。
「ねじ一本まで」
「本当に書いてある?」
「書いてある」
ゼフは隣の見積書を確認している。
「刻印器具、管理帳、番号割当簿。三つセット」
ユハは入口の方を一度見ただけで、「通路正常」と短く報告した。
そして、今日も革帯の男は元気だった。
「昨日の件で証明されたはずだ! 不良品を追跡できれば事故を防げる。なら今後は、すべての部品に固有番号を刻む!」
レイナは机の上にある小さなねじを一本持ち上げた。
「これも?」
「当然だ!」
「何本ある?」
革帯の男が答えるより先に、ブラントが昨日確認した備品帳を開いた。
「補修班で常時扱う同程度のねじだけなら、およそ四百本です。領内の工房や村在庫まで含めれば数千では済まないと思います」
フィンがねじを一本摘まみ、目を細めた。
「ここに番号どうやって入れるの?」
細身の商人が待ってましたとばかりに別の小さな刻印器具を出す。
「極小刻印だ。番号を二面に分ければ入る」
「読む道具は?」
「拡大鏡も販売する」
「仕事増えてるなあ」
「追跡には必要な費用だ!」
話だけ聞けば筋は通っている。
何かが壊れた。番号を見る。同じ時期の製品を探す。同じ番号帯へ連絡する。
しかし、そのためには番号を付ける前の仕事が増える。
誰が番号を発行するのか。同じ番号が重ならないよう誰が管理するのか。製造者が違う場合、番号体系をどう分けるのか。廃棄した番号を再利用するのか。刻印が潰れたらどうするのか。二つの部品を組み合わせた製品はどちらの番号で追うのか。
ミナが紙の余白に項目を並べ始めたところで、革帯の男が顔をしかめた。
「そこまで複雑にする必要はない。工房ごとに番号を振ればいい!」
「工房番号は誰が付ける?」
「領主府が――」
全員の視線が集まる。
男は一度止まり、それでも続けた。
「……工房名でいい!」
「同じ名前」
ブラントがすぐに答える。
「あります。北側に《赤炉鍛冶》が二軒」
「村名を付ける!」
「移転したら?」
「その時直す!」
フィンが小さく笑った。
「番号を追うための番号が要りそう」
革帯の男は笑わなかった。
まず、本当に追跡が必要な物を見てみる。
昨日の井戸滑車軸。一本が折れれば、巻き上げ中の桶が落ちる。人が巻き取り機に手を掛けていれば怪我にもつながる。
製造元は分かった。納入時期も分かった。その二つだけで対象十二本まで絞れた。
「十二本から四本見つけた」
レイナが言う。
ブラントが頷いた。
「はい」
「番号なくて困った?」
「今回については0です」
革帯の男がすぐに反論した。
「今回はだ! 購入帳がなくなっていたらどうする!」
「その時困る」
「だから番号を――」
「番号帳なくしたら?」
男が止まる。
刻んだ数字だけあっても、その数字が何を意味するか分からなければ追えない。
番号1234。
どこの工房か。いつ作ったのか。何と同じ製造分なのか。
結局、番号と帳面を結ぶ情報が必要になる。
「番号そのものに意味はない」
ミナが言った。
「必要なのは、同じ原因がありそうな物へ辿れること」
昨日なら、製造元と納入時期。それで足りた。
別の商品なら、材料の仕入れ単位かもしれない。炉を使った日かもしれない。木材を切り出した場所かもしれない。
全部が同じ追い方ではない。
そこへ鍛冶工房主がやって来た。手には大きな吊り金具が二つある。
「これなら刻んどいてもいいぞ」
フィンが見る。
「番号?」
「俺は製造月と工房印を入れてる」
金具の裏側に、小さな印が二つあった。
工房印。
その横に、月を示す簡単な線。
「何で?」
「人を吊ることがある金具だからだ。割れた時、同じ頃に作ったやつを見たい」
革帯の男が勢いを取り戻す。
「ほら! 刻印は必要だ!」
鍛冶工房主は首を振った。
「この金具にはな」
そう言いながら、今度は普通の棚金具を一つ出した。
「こっちは何も入れてない」
「同じ金具だろう!」
「壊れても棚が傾くくらいだ」
「棚の中身が落ちたら!」
「何百個もある棚金具に全部番号を打つ手間の方が高い」
フィンが頷いた。
「危ない物だけ追いやすくしてる」
「そういうことだ」
細身の商人が割って入る。
「では危険部品一覧を作るべきだ!」
今度はフィンだけでなく、鍛冶工房主まで先に言った。
「0」
細身の商人が目を見開く。
「お前まで!」
「俺の金具と木工の部品じゃ危なさ違うだろ」
木工房職人も横から口を挟む。
「同じ木の棒でも、棚板を支える棒と橋の支柱じゃ違うしな」
分類表を中央で作るより、作る人間と使う人間の方が何が危険か知っている。
ただし、本当に危険な物を「知らなかった」で終わらせるのも弱い。
レイナはブラントへ聞いた。
「今、領主府で追跡必要って決めてる物ある?」
「備品規則上では、荷重を支える吊り具、橋の主要固定部品、井戸巻上げの主要軸などは、製造元が追える状態を推奨しています。ただし固有番号までは要求していません」
フィンが少し驚く。
「もうあるんだ」
「既存で足りてる」
レイナが答える。
また専用制度を作る必要はなかった。
午前。
今度は実際の問題が一つ持ち込まれる。
馬具工房。
大型荷馬車用の連結金具。
同じ金具が二つ並んでいる。
片方。
端に細い亀裂。
もう片方。
異常0。
馬具工房主が説明した。
「三日前に入れた新品だ。昨日の夜に亀裂へ気づいた」
製造番号。
0。
工房印。
あり。
購入帳。
あり。
仕入れ先。
南鍛冶。
納入日。
四日前。
同日納入。
八個。
現在使用。
五。
在庫。
三。
レイナ 「追える?」
ブラント 「8まで」
「十分」
革帯の男 「番号があれば一発だ!」
フィン 「今も一発で8まで行ったぞ」
八個。
確認。
在庫三。
異常0。
使用中五。
二台は城下。
一台は近隣村。
二台は街道運送中。
城下二。
即確認。
一つ。
異常0。
もう一つ。
亀裂1。
近隣村。
定期便で確認依頼。
街道中二。
戻り予定。
今日夕方と明日。
ただし。
壊れた場合。
荷車連結が外れる。
影響大。
女商人が表情を変えた。
「私のところの荷車にも同じ型、ありません?」
馬具工房主が見る。
「ある」
「いつ買ったかは?」
「先月だから別」
「ならいい」
ここで女商人は、自分の荷車を止めなかった。
同じ型。
だけ。
では広げない。
同じ製造元。
同じ納入分。
そこまで。
近隣村から返答。
異常0。
夕方に戻った街道荷車。
亀裂0。
残り一。
明日。
現時点。
確認七。
亀裂2。
未確認1。
事故0。
細身の商人が帳面を覗き込みながら言った。
「やはり同一納入分が分かることは重要だ」
「うん」
レイナが答える。
「なら今後すべての納入分へロット番号を!」
フィンが額を押さえた。
「言うと思った」
ただ。
今の例で使ったのは。
納入日。
仕入れ先。
工房印。
それだけ。
わざわざ新しい番号を作らなくても、既存情報の組み合わせで追えた。
もし一日に同じ工房から何百個も入り、さらに製造条件が途中で変わるなら、その時は工房側が炉ごと、材料ごと、製造回ごとに印を付ける意味がある。
でも。
それは工房の品質管理。
領主府がねじ一本まで番号を配る話ではない。
「追えない時だけ印増やす」
レイナが言う。
革帯の男が眉を寄せた。
「事後か?」
「事前」
「何が違う」
「作ってる人が、混ざると困る物に付ける」
鍛冶工房主が頷く。
「俺も炉を分けた時は炭で棚に印付けるぞ」
「製品に刻まないのか?」
「出荷まで分かればいい物もある」
ここでも。
刻印。
必須ではない。
棚。
紐。
包み紙。
工房帳。
工房印。
納入日。
必要な期間だけ追えればいい場合もある。
番号を永遠に残すことが目的ではない。
午後。
市場では早くも番号刻印商売が縮小していた。
《全修理部品番号刻印セット》
売上0。
その隣。
《工房印・製造月刻印 二本組》
売上7。
フィンが数字を見て笑う。
「小さくした方は売れてる」
女商人が一組持っている。
「私は荷車の重要金具だけ仕入れ元を分かるようにしてほしいので、これくらいなら便利です」
細身の商人が悔しそうに言った。
「固有番号の方が高機能だ!」
「高機能でも、読む帳面を増やしたくありません」
「番号管理も代行する!」
「月額ですか?」
「銀貨――」
「いりません」
終了。
夕方。
領主へ報告。
領主は昨日の井戸軸と、今日の連結金具の二件を並べて見た。
「どちらも番号なしで追えたのか」
ブラントが頷く。
「井戸軸は製造元と納入時期。連結金具は工房印、仕入れ先、納入日です」
「では番号は不要」
領主が言い切りかけて、自分で止まった。
「……全部には、だな」
レイナ 「正解」
フィン 「強い」
領主 「今日は自分で止まれた」
ミナ 「番号が有効な物もある」
「高価な物か?」
「それだけじゃない」
ゼフが連結金具を指した。
「同じ原因で複数壊れると危険な物」
領主は頷いた。
「つまり、番号を付けることが目的ではなく、問題が出た時に仲間を探せればいい」
レイナ 「満点」
領主 「よし」
ブラントが帳面へ今日の数字を記す。
全修理部品固有番号義務。
0。
中央番号発行。
0。
工房番号登録。
0。
ねじ単位刻印。
0。
危険部品一覧新設。
0。
既存備品規則。
継続。
井戸軸追跡。
既存購入帳で成立。
連結金具。
対象8。
確認7。
亀裂2。
未確認1。
事故0。
工房印。
有効。
納入日。
有効。
固有番号。
不要。
民間刻印販売。
自由。
そこで領主が、金具の工房印をもう一度見た。
「ところで、この印があれば製造元が分かるのだな」
「はい」
ブラントが答える。
「同じ印を他の工房が使ったら?」
静かになった。
フィン 「次だ」
ミナ 「工房印の重複」
ゼフ 「偽装もできる」
ブラント 「実は市場からすでに要望があります」
レイナ 「読む」
「《製造者印・領主府登録制度》。同じ印の使用を禁止し、登録された工房印だけを正式な製造者証明として扱ってほしい、と」
フィン 「番号を0にしたら、今度は印を登録しに来た」
領主 「印自体は追跡に役立ったのだろう?」
レイナ 「うん」
領主 「なら、これは少し考える必要があるな」
レイナ 「明日見る」
夜。入口は暗いまま、灯り二基も低い。返却棚の三箱にも異常はない。
本日。
全修理部品製造番号義務1。
成立0。
中央番号発行0。
番号台帳0。
番号更新管理0。
ねじ単位刻印0。
既存購入記録利用2。
工房印利用1。
納入時期利用2。
連結金具対象8。
確認7。
亀裂2。
使用停止2。
未確認1。
事故0。
民間固有番号使用。
自由。
工房印・製造月刻印販売7。
領主府指定刻印0。
追加専任者0。
穴札12。
朝値変更0。
補修班許可段+1。
追える。
それが必要。
番号が。
必要とは限らない。
工房が分かる。
時期が分かる。
同じ炉が分かる。
同じ材料が分かる。
同じ納入分が分かる。
問題が起きた時。
同じ原因を持ちそうな物へ。
辿れればいい。
ねじ一本まで。
一生使う番号を刻む必要はない。
逆に。
今の情報では混ざる。
危ない物が追えない。
その時は。
作る側が印を増やす。
必要な分だけ。
レイナ 「今日も一つ」
フィン 「番号を0にした」
ミナ 「全部への番号を0」
ゼフ 「追跡は残した」
ユハ 「事故0」
ブラント 「次は工房印です」
フィン 「同じ印が二軒あったら困る?」
ブラント 「今回のような追跡では困る可能性があります」
ミナ 「でも全部の職人を登録し始めると」
フィン 「また席が増える」
レイナ 「明日見る」
俺は板へ一行だけ残した。
全修理部品への固有番号義務を0とし、既存の工房印・仕入れ先・納入時期だけで連結金具8まで追跡、確認7のうち亀裂2を使用停止して事故0。番号を管理するのではなく、同じ原因を持つ物まで辿れる情報だけ残して閉じた。次は、その追跡に役立った「工房印」を領主府へ全部登録する必要があるかを見る。




