王女様の想い人
グレーセル家の敷地内。
広い中庭で、この国でもっとも美しい女性が大きく深呼吸をする。
「うーん! 空気が美味しい。ここへ来るのも久しぶりね」
「そうでもないだろう? つい一か月前にも遊びに来たじゃないか」
「一か月なら十分久しぶりよ? 子供の頃は毎日のように遊びに来ていたんだから」
「十年以上前の話だ。今はお互いに忙しいからな」
中庭のテラスに座り、親し気に会話をする二人を私は一歩下がって見守る。
テーブルの上には紅茶とお菓子が用意されている。
姫様は紅茶を一口飲むと、瞳をキラキラさせて言う。
「美味しい。この紅茶はイレイナさんが淹れてくれたの?」
「はい」
「凄いわ。王城で出される紅茶より美味しい。何かコツがあるのかしら?」
「紅茶の味の違いは使う材料は同じでも、淹れ方が違えば生まれます。私なりに一番味がよく出る淹れ方でご用意いたしました」
侍女の仕事の一つは、屋敷での家事全般。
掃除や片づけはもちろん、お料理もできなければ話にならない。
前世では縁のなかった私だけど、今世ではしっかり勉強して、大抵の料理は作れるようになっている。
テーブルに出されているお菓子も私が作ったものだ。
「素敵ね。私なんてお茶の淹れ方も知らないわ」
「私は仕事ですので」
「それでも凄いことよ。元は貴族として生まれ、境遇にいろいろあったとしても、腐ることなく自分の居場所を自分で見つけていた。誰にもできることじゃないもの。見習わないとね」
「……もったないお言葉でございます」
私は頭を下げる。
調子が乱れる。
私が連想する王族は、もっと高圧的で恐ろしく、こんなに柔らかく笑わない。
少なくとも女王だった私とは違う。
「せっかくなら、イレイナさんも一緒にお茶しましょう」
「いえ、私は侍女ですので」
「お堅いこと言わないの。今の私はアスノトの友人として遊びに来ているのよ」
「そう言われましても……」
困ってしまう。
さすがに王女様になめた態度はとれない。
もしこの発言が罠で、私の本性を暴き出そうとしているなら……とか。
変に疑ってしまうのは過去の経験からだ。
私は基本的に、他人を信用していない。
戸惑う私を見ながら、姫様は小さく笑って言う。
「じゃあ何か聞きたいことはないかしら? 美味しい紅茶を淹れてくれたお礼に、なんでも答えてあげるわよ」
「なんでも……」
「そう、なんでも。その代わり私もいろいろ聞いちゃうと思うから、あなたも答えられることには答えてね?」
「かしこまりました。では一つ、お二人は婚約の話が上がっていると聞いております。なぜ保留のままにされているのですか?」
私はずっと気になっていたことを尋ねた。
二人が婚約を保留にしているのは、互いに望んでいないからだと思っていた。
けれど実際は、二人はとても仲睦まじい。
地位を越えて、友人として垣根なく接している。
ここまでのやりとりを観察する限り、互いに好意的な感情は抱いている……と思った。
私は続ける。
「お二人は幼いころからの友人とお聞きしました。とてもお似合いだと思います」
「ふふっ、ありがとう。私たちはお似合いだそうよ?」
「ははっ、よく言われるよ。聞き飽きるほどに聞いたからな」
二人は笑う。
アスノトは呆れたように、姫様は楽しそうに。
やっぱり二人は……。
「周りにどう見えているかは知っているわ。けど、私たちにそういう感情はないの」
「ああ、好意はあるが友人としてのものだ」
「そうね。小さいころから一緒に遊んでいるし、兄妹みたいに思っているのは少しあるわね。アスノトは手のかかる弟だわ」
「俺が兄じゃないのか?」
「弟でしょ? 歳はそっちのほうが上だけど」
姫様はクスクスと笑いながらアスノトと話す。
私にはまだわからなかった。
一国の王女と騎士が、地位の垣根を越えてただの友人になれるのだろうか。
友人同士というのは、皆こんなにも仲が良く見えるのだろうか。
思い返せば私には……友人という存在はいなかった。
「それにね? 私には小さい頃から、ずっと好きな人がいるのよ」
「――! 王女様の……」
想い人?
私はアスノトに視線を向ける。
「俺じゃないぞ? 俺もよく知る人ではあるけど。ララ姫は昔から、あの人一筋だからな」
「当然よ。ずっと好きだもの」
「……どんなお方か、お聞きしてもよろしいでしょうか」
私は気になった。
王女様が気にかけている人物が誰なのか。
アスノトではなく、彼女が好意を抱く相手にどうしようもなく興味が湧く。
「そうだな。ちょうど今の俺と君に近い関係だ」
「アスノト様と私に? それは、身分差があるということでしょうか」
「ああ。けれどずっと近くにいる。あの人は俺たちにとっての先生だからな」
「先生?」
まだ思い当たらない。
王城で働いている使用人の誰か、だろうか。
ますます興味が湧いてくる。
いつか会ってみたい。
そんなことを考えていたのが顔に出ていたらしい。
「もうすぐ会えるわ」
「え?」
「そろそろ私のことを探しに、ほら、音がする」
私は耳を澄ませる。
誰かがこちらに向かって走っている音が聞こえた。
一人、とても慌てている。
私は音のする方へと視線を向けた。
「姫様! やっぱりここにいらしていたんですね!」
「――遅かったわね。ロベルト」
「遅かったじゃありませんよ。まったく、勝手に王城を抜け出して……外出されたいのであれば一言おっしゃってください」
「それだとお父様の許可が必要でしょう? 時間がかかって面倒なのよ」
ぷいっと顔を背ける姫様。
まるで子供みたいな反応を見せる彼女に、ロベルトと呼ばれていた男性はため息をこぼす。
高身長で優しそうな人。
アスノトに比べて華奢で、メガネをかけている。
若そうだけど、この人も二人にとって友人のような人……なのかしら?
「いらっしゃいませ。ロベルト先生」
「ああ、お邪魔するよ、アスノト君。いつもすまないね」
「いえ、お気になさらずに。姫様と先生なら、グレーセル家はいつでも歓迎いたします」
「アスノトもそう言っているし、ロベルトも一緒にお茶しましょう? とっても美味しい紅茶を淹れてもらったのよ」
姫様はマイペースに紅茶を飲む。
そんな彼女にロベルトは苦言を呈する。
「姫様! 勝手に抜け出されてはいけません。何かあったら僕が陛下に叱られてしまいます」
「大丈夫よ。もし怒られたら、私がお父様に言ってあげるわ」
「そういう問題ではありませんよ」
「心配性ね。そんなに私のことが大切なの?」
「当然です。姫様はこの国の宝です。私には姫様をお守りする義務と責任がございます」
「そこは愛しているから、って言ってほしかったわ!」
プンと可愛らしく姫様は不機嫌になる。
今の発言を聞いてハッキリした。
この人こそ、さっきまで彼女たちが話していた人物。
姫様の想い人なのだと。
私はロベルトさんと視線が合う。
「初めてお会いする方もいらしたとは、これは失礼いたしました。僕は――」
「ロベルト・カイマン! 私の未来の旦那様よ!」
彼の自己紹介を乗っ取って、姫様が代わりに話し出す。
姫様は彼の腕に抱き着いて、自分のものだと言わんばかりにアピールする。
ロベルトさんは困った顔をしながら言う。
「ちょっ、姫様! 御冗談はおやめになってください。私は姫様の護衛兼教育係です!」
「もう、またそうやって逃げる。ロベルトは私のこと……嫌いなの?」
「っ……そんなわけないじゃないですか」
「じゃあ愛してる?」
「ぅ……ですからぁ……」
姫様の猛アピールに戸惑うロベルトさん。
私はアスノトに視線を向ける。
この状況を説明してほしかった。
意図を察してくれたのか、アスノトが口を開く。
「王族には幼い頃から必ず一人、教育係がつく。学問、政治、武芸など。あらゆる面に精通した人物が選ばれる。ロベルトさんは姫様の教育係を五歳の頃から務めているんだ」
「そうよ! ロベルトは凄いの! 何でも知っているし、何でもできちゃうの!」
彼のことを話しているのが聞こえたのか、姫様が勢いよく会話に入って来た。
ロベルトさんはやれやれと首を振っている。
「俺も小さい頃にいろいろ教わった。剣術以外は苦手だったが、先生のおかげで苦手も克服できたよ」
「アスノト君は覚えがよかったですからね。ただこうだと思い込むとなかなか抜け出せないことがあったので、そこは改善が必要です」
「ははっ、肝に銘じておきます」
頑固なところは昔からで、あまり改善されていないようね。
姫様にとってだけではなく、アスノトにとっても先生のような人。
ということは、見た目の割に年齢もそれなりなのかしら?
二人が幼い頃から教育係をしているというと、少なくともその時点で成人年齢は超えているはず。
つまり、少なくとも一回り以上年上?
全然そうは見えないわね……。
「あの頃から、姫様は先生と結婚すると口癖のように言っていたな」
「その気持ちは今も変わらないわ。私はロベルトが好き、大好きだわ」
「姫様……私は教育係です」
「知っているわよ。今の身分のままじゃ、私たちは永遠に結ばれることはない。わかっているの……」
王女様と教育係。
騎士王様と侍女も同じ。
本来ならば永遠に、絶対に結ばれることのない恋。
姫様も理解している。
理解した上で、諦めずにいる。
「それでも私は諦めない。必ず、あなたと結婚するわ」
姫様とアスノトは、どこか似ている。
そんな気がした。






