それぞれの思惑
蒼は、やっと地上へ出た。
それでもまだその洞窟から離れるまでは安心出来ず、北の領地にある建設中の新しい月の宮へ向かった。そこが一番近かったからだ。
作業の龍達が、蒼に気付いて慌てて駆け寄って来るのが見える。蒼はぜいぜいと肩で息をしながら、肩に担いでいた維心と、十六夜を降ろして地面へ寝かせた。
「早く!早く龍の宮へ使いを出せ!誰でもいいから、迎えに来いと!」
蒼の形相に、慌てて何頭かの龍が龍の宮目指して飛んで行くのが見えた。蒼は十六夜も心配だったが、ピクリとも動かない維心の方が心配だった。蒼は維心の甲冑を緩めて、呼びかけた。
「維心様!維心様、しっかりなさってください!」
龍達が不安そうに見ている。無敵であった王が、このように意識がないのが不安でたまらないのだ。
蒼は維心の胸の音を聞いた。ほんの微かに聞こえる気がする。呼吸はあてにならない。自分で止めることが出来るからだ。どちらかわからないが、とにかく維心の呼吸の方は完全に止まっていた。
「維心様…しっかりなさってください!こんな所で、あなたは死ぬわけには行かないでしょう!」
維心は全く反応しない。あの時、十六夜を助けに行かなければ…!オレが行っていれば、もしかしたらこんなことにはならなかったかも知れないのに!
蒼は後悔で押しつぶされそうだった。緊急時の自分の反応の遅さに腹が立った。維心は、どんな時も反応が早かった。最初に逃げる時も、維心が自分を引いて逃げなければ、あれほど迅速に飛ぶことは出来なかったろう。
十六夜が、横で微かに動いた。蒼はそちらを見て叫んだ。
「十六夜!十六夜、しっかりしろ!」
十六夜は目を瞬かせた。こちらを見て、頭を振っている。
「十六夜…維心様が!」
十六夜は、起き上がったが、まだ頭を振っている。蒼は不安になった。記憶をもらうと言っていた。まさか、何もかも忘れてしまったんじゃ…。
「…蒼」十六夜は言った。「駄目だ、頭の中をいじられて、はっきりしねぇ。何かを持って行かれたと思うが、なんなのかがわからねぇ…だが、あいつが持って行きたがっていたもののいくつかは、守り切れたようなんだが、それが何かも検討つかねぇよ。」
十六夜は混乱しているが、蒼のことは忘れてないようだ。それに、会話も出来る…全部持って行かれることを思えば、まだマシかもしれない。
「十六夜!頭がはっきりしないかもしれないけど、維心様に当たった光がなんだか覚えてる?!気が付かないんだ…まったく反応がない。」
十六夜は維心を見た。また、頭を振っている。
「維心…維心とは、そこの神か?」十六夜は頭を抱えた。「…っ!駄目だ、思い出そうとすると、頭痛がしやがって…。なんでそいつは気を失ってるんだ?」
蒼は絶句した。維心様の記憶がない…。オレのことは、覚えていた。母さんは…?他に何を持って行かれたんだ?
「十六夜!維心様は、友人じゃないか!十六夜を助けようとして、こんなことになったんだよ!思い出せないの?!」
十六夜は驚いたような顔をした。必死で思い出そうと、維心の顔を見ている。
「…駄目だ。持って行かれた記憶の一つは、そいつのことだ。なんでこいつを持って行きやがった。」
十六夜は額を抑えて考え込むように下を向く。蒼は、維心を見た。青い顔をして、今にも心臓が止まるのではないかと気が気ではない。宮から迎えが来るまで、蒼は何度も維心の鼓動を確認した。辛うじて打っているだけでなのには、変わりなかった。
そのうちに、宮の方角から、たくさんの龍達が大挙してこちらへ向かって来るのが見えた。蒼は手を振って急ぐように促した。
「早く!」
しかし、そんなことをすることもなく、龍達は必死で飛んでいた。その中には、輿に乗せられた維月も居た。
「蒼!十六夜!」
「母さん!維心様が…!」
維月は維心に駆け寄った。維心はまだ目を固く閉じたまま、身動きしない。維月は、口をキッと結んで龍達に指示した。
「気の補充を!将維は居る?!」
将維が慌てて前へ出た。
「御前に、母上。」
維月は将維に言った。
「あなた、道を開くのを見たわね?道へ行くまでの空間へは、行けるの?」
蒼はそれを聞いて、思った。そうか、維心様はそこを歩いているのかもしれない!母さんは連れ戻そうと思っているのだ。
「…やったことがございません。父上が、自分が存命のうちは出来ないものの一つとして、それを上げておりました。」
維月は命じた。
「やるのよ!このままでは、父上は死んでしまう。あなたがしないと、誰がやるの!」
将維は頭を下げた。
「ですが母上、我はそこへ行くのを見たこともなければ、やったこともありませぬ。どうすればよいのか、父上以外にはわかりませぬ。」
維月は首を振った。
「私にもわかるわ」将維はびっくりして母を見た。「維心様と何度も心をつないでいるのは私だけ。私には、維心様の出来ることは全てわかるの。教えるから、一緒に行ってちょうだい。私には、それが出来る能力がないのよ。あなたにしか、出来ないのよ!」
将維は、グッと拳を握りしめた。父は青い顔をして横たわっている。自分しか、父の能力を継いでいない。自分がやるしかない!
「母上」将維は言った。「では、宮へ。ここでは道を開くにも不適切です。宮が一番よろしいのです。戻りましょう。」そして皆に命じた。「父上を輿へ!龍の宮へ急ぎ戻る!」
龍達が王を輿へと運んでいる。十六夜が、維月に歩み寄った。
「維月、なんでお前があの神を助けに行く?あの若い神は…お前の子なのか?どうなってる?」
維月は目を丸くした。十六夜は真剣に聞いているようだ。蒼が横から言った。
「十六夜は、記憶を取られたんだ。どの程度取られたのかわからないんだけど、今わかってるのは、維心様の記憶はないんだよ。」
維月は、頷いて十六夜を見た。
「…聞いて。記憶のないあなたには、きっと受け入れられないことかもしれないけれど…維心様は私の夫なの。将維は私と維心様の息子。だから私は、維心様を死なせることは出来ないのよ!」
それだけ言って、輿へ乗り込もうとする維月の腕を、十六夜は掴んだ。
「なんだって?蒼はあの神はオレの友人だと言ったぞ!なんだってその神がお前の夫なんだ!そんなことは許せねぇ!」
蒼が割って入った。
「十六夜、今はそんなことを言ってる場合じゃないんだよ!十六夜は記憶を無くしてるんだ。維心様は十六夜を助けようとしてああなったんだぞ!」
十六夜は首を振った。
「何があったとしても、ヤツを助けることはねぇ!維月を…なんだってオレが維月を他の男の妻にしなきゃならねぇんだ!そんなことは有り得ねぇ!」
維月は悲しそうに下を向いた。確かにそうだ。普通では有りえない状況でいたのだ。今、維心様の全てを忘れている十六夜にとって、絶対に許せないことだろう。
維月は、維心の血の気のない顔を見た。そして、意を決したように十六夜に言った。
「…私は、維心様を愛してるの。十六夜、私は行くわ。」
十六夜は震える手で維月の腕を握ったまま言った。
「オレよりも…なのか。」
維月は、泣きそうな顔をして、十六夜を見た。そして、その手を振り払うと、顔を背けて逃げるように輿へ乗り込んだ。
義心の声が告げる。
「出発!急げ!」
龍達が一斉に飛び上がり、輿も舞い上がった。
十六夜はそれを見上げて、ただ茫然とそこへ立っていた。
蒼は、十六夜に話し掛けた。
「十六夜…何も母さんは、十六夜を愛してないなんて言ってないじゃないか。十六夜は大切なことを忘れてるんだ。母さんは十六夜を愛してる。心の底からね。でも、維心様のことも愛してるんだ。それを許したのは、他でもない、十六夜なんだよ。」
十六夜は背を向けたまま、首を振った。
「…そんなことは有りえねぇ。オレが維月を他の男に渡すなんて、考えらねぇ…どうなってやがる!地の奴は何を持って行きやがった!」十六夜は頭を抱えた。「オレは維月以外は何もいらねぇのに。その維月をなんだってあんな神に嫁がせなきゃならねぇんだ!蒼…オレはヤツを殺してやりてぇぐらいなんだよ。助けるなんて訳がわからねぇ!」
蒼は困って下を向いた。そうだろうな。十六夜にとって、今は維心様は全く見ず知らずの神なんだ。それが母さんの夫だなんて言われたら…それを母さんが必死で助けようとしているなんて見たら、殺してやりたいぐらいつらいだろう。
蒼は、ハッとした。地は、直接手を下さないと言った…なるべくしてなると…。まさか、維心様がこれで死ななくても、十六夜に殺させようと思っているんじゃ…。
「十六夜!」蒼は叫んだ。「駄目だ!流されちゃ駄目だよ!地は、それを望んで十六夜から記憶を奪った。わざと他を残して…十六夜、事実を考えろ!維心様は、十六夜を助けたんだ。自分の命を張ってまで、地の底まで着いて来てくれたんだよ!思い出せなくても、事実を考えるんだ!」
十六夜は唸った。感情と理性の隙間で、維月への愛情と、維心への嫉妬と、いろいろなことが入り混じって、まともに考えることが出来ない。
「維月…」十六夜は呟いた。「オレは…なんでなんだ…わからねぇ…。地のせいか!」
十六夜は、光の玉になった。蒼はそれに向かって叫んだ。
「十六夜!」
十六夜は言った。
《…月に帰って来る》声に力がない。《自分を抑えなきゃやってられねぇ…。》
蒼は、一人残されて、自分も龍の宮へ行こうと飛び立った。
十六夜の事は、母さんと話してなんとかしなければ。とにかくそれにはまず、維心様に助かってもらわなければ!
一向は、龍の宮へ到着していた。
臣下達が真っ青な顔をして出迎える中、維心は奥の寝台へと運ばれた。維月が将維に、道へと続く空間への行き方を説明する中、維心は侍女達に甲冑を脱がされて、身軽な着物姿になっていた。
将維は、心持青い顔をして、緊張して父の枕元に立った。手を翳し、教えられた通りに念じる。果たして自分に父と同じことが出来るのだろうか…。将維は不安でいっぱいだった。
空間を捻るかのような感覚で念を込めていると、将維の前の空間に、亀裂が入った。将維は自分のやったことに驚いた。王にしか出来ないことが、自分に出来た…本当に父は死にかけているのだ…。
維月が将維の手を取った。
「さあ、行くわよ。」
将維は頷いて、その空間へ足を踏み入れた。父の気は、強大だ。間違いなく見つけられるはず!
維心は、その空間がなんなのか知っていた。
ここは、自分が何度も人を助け上げるために訪れた場所…。自分は道に向かっているのだ。
維心は、維月を想った。必ず帰ると約束をしたのに、守れなかった…。維月は、どれほどに悲しむのだろう。維月は月だ。死ぬことはない。自分はもう、維月に会うことは出来ない…。
本当にもう二度と会うことが出来ないのだと思うと、維心は込み上げて来る感情に、抗えなかった。維月に会う前は、いつ死んで良いと思っていた。なのに維月と会ってから、死にたくないと思うようになった。いつまでも共に居たい…。いつもいつもそう願っていた。維月もそれを望んでくれた。触れ合っていると、幸福とはこういうことなのだと感じた。それが、僅か十数年で潰えてしまった。それが、自分と言う神の、運の拙さなのだと、維心は思った。
将維には、ここへ来る方法を教えられないままになってしまった。ここに来るには、自分しか方法は知らなかったのに。確かに、自分も父に教えられた訳ではない。自分で試行錯誤を繰り返し、出来るようになったことの一つなのだ。
つまり、自分を助け上げに来ることなど、誰にも出来ない。維心は、道に向かって、ひたすら歩いた。
目の前に、人影が見えた。目を凝らすと、それは父だった。
「維心よ」張維は言った。「主、ほんによく頑張ったものよの。長かったであろう。」
維心は首を振った。
「我が自ら選んだ道であるので、父上。」維心は答えた。「しかし、我はもっと生きていたかった。」
父は眉を上げた。
「…維月か?」と維心の表情を見、「そうであろうの。あまりに短い間であったからな。それでも、主は精一杯愛したのであろうが。」
維心は頷いた。
「はい。我も愛されて、それは幸せでありました。子もたくさん成して、これ以上のことはないでしょう。」
張維は、同情したように維心を見た。
「本当なら、主にはまだやらねばならぬことがあったのよ」張維は言った。「しかし、地が介入して来おった。あれの思い通りに出来ぬようにするには、主の力が必要であったのに。主がこちらへ来てしまったばっかりに、こちらには蒼しか持ち駒がなくなってしもうた。どうなることかと、皆案じておるわ。」
維心は顔を上げた。
「それは…どういうことでございますか?地と、こちらは対立しているのですか?」
張維は、頷いた。
「こちらというか、人と神であるな」張維は言った。「二つの力が競うておる。地に対抗して、人と神が力を合わせておったのだ。地の持ち駒は月であった。しかし、月はあまりにも人や神に近くなり過ぎた。それで、こちらを削って月を取り返すつもりでおるのだ。我らはこちらからでは力が弱いのでの。主の力が頼りであったに。」
維心は戦慄した。では…我はどうあっても死んではならなかったのに。残された維月や蒼はどうなるのだ。それに、我が子達は…。
「我は…生きなければならなかったのに。」
張維はため息をついた。
「仕方がないのよ。なんでも主に頼って来たこの1500年であったからの。そろそろ休んでも、誰も咎めはせぬ。その力を持って生まれたのは、主のせいではないのに。主は何もかも一人で背負って来たであろうが。もうよいのだ。」
維心は、歩みを止めた。何かの気配がする。張維は驚いたような顔をした。
「なんと」と維心を振り返った。「主、良くぞ跡取りを作っておったものよ!」
遠く、声が聞こえる。
「父上ー!!」
維心は我が目を疑った。向こうから誰かの手を引いて駆けて来るのは、将維であったからだ。
「将維!主、どうやってここへ!」
「母上がご存知であったのです」と将維は手を引く母を見た。「父上と心をつないだ時に何度も見たと。」
維心は思わず飛び出した。もう、二度と見ることは叶わないと思っていたのに…!
「維月!」
「維心様!」
維月は維心に飛びついた。維心はそれを抱き留め、しっかりと抱きしめた。
「主、こんな所にまで…我はもう、会えぬものと…。」
「どうしてもお助けしたかったのです」維月は泣きながら言った。「維心様にもうお会いできぬなど、考えられませんでした。」
維心は、その気の懐かしいような暖かさに酔った。維月の気…。
「おお…我はこれで、主の元へ戻れる。」
「お約束致しましたから」維月は涙を拭って微笑んだ。「必ず帰って頂かなければ。」
それを見ていた張維は呆れたように言った。
「…維心。我は初めて会う孫も紹介してもらえぬのか?」
維心は維月を離さずにそちらを向いた。
「ああ…父上、我の跡取り息子の将維です」と将維を見た。「我の父、主の祖父、張維よ。」
将維は頭を下げた。
「おじい様、将維でございます。」
張維は頷いた。
「おお、傍で見ても維心にそっくりであるな。主はこの年でここへ来られるとは、良くぞ精進しておるものよ。」と維心を見た。「では、後は頼んだぞ。父を、連れ帰るのじゃ。」
将維は頷いた。
「はい。お任せください。」と父と母を見た。「参りましょう。我もそう長くここへは居られませぬゆえ。」
二人は頷いた。
「張維様、維月でございます。その節は蒼がお世話になりました。私は、必ず維心様をお幸せに致しまする。」
張維は頷いた。
「今でも十分幸せなようであるぞ。」張維はからかうように言った。「よろしく頼む。」
維心は張維に頭を下げた。
「父上、我はもう一度生きて、地を平定しまする。」
張維は誇らしげに頷いた。
「頼んだぞ。また長くなるゆえ、無理はせぬようにな。」
維心は頷いて、差し出された将維の手を取った。
「では、戻りまする!」
将維は叫んだ。
維心は自分の体が持ち上げられ、目映い光に飲み込まれるのを感じ、そして気を失った。




