遭遇
将維は、やっぱり面白くなかった。
誕生日を心待ちにしていたのは、こんな出来事を受け止めるためではないのに。それで、もう炎翔が着くと聞いていたが、庭の奥まで分け入って、一人ぶらぶらしていた。
庭に出ることはあっても、ここにまで来る者はあまり居ない。なので、将維は、ここの奥にある小さな池のほとりへ向かって足を運んでいた。別に誰が困ってもいいや。侍女達だって、自分たちが父上に怒られることばかり気にして、我のことなど考えもしていないくせに。
朝から散々じっとしていろとか、甲冑を汚すなとか、そんなことばかり聞かされていた将維は、もううんざりだった。去年までの静かな祝いでよかったものを。来年は父上に言って、大袈裟にしないように頼んでみよう。
将維が池の近くまで来ると、何かの気がするのが分かった。将維はイラッとした。ここは我の場所なのに。
将維はツカツカと傍の木に阻まれたその気の方へ歩いて行くと、大きな葉をバッと除けて、厳しく言った。
「何者ぞ!」
そこに居たのは、小さな子供だった。池の端に膝を付いて座り込んでいる。召使いの誰かの子なのか、着ているものは粗末で、足に履物も無い。女であるのだろう、結い上げた髪にも、一本のかんざしもなかった。
こちらを見てただ怯えているようなので、将維は困った。召使いの子とは話したことはない。正確に言うと、親族以外の子と話したことはない。皇子が召使いの子と話す、それは果たして良かったのだろうかと将維は悩んだが、別にそれで何も言われることはない。自分は王になる身。何をしても何か言われることなどない。
だが、なんと話し掛けたものかと悩んで池を見ると、そこに履物が一つ、浮いていた。その子供の足をもう一度見ると、こちら側の片方は履いていないが、向こう側の片方は履いていた。
そうか、履物が流されたのかと合点がいった将維は、なぜ飛ばぬのかと思ったが、その子供がこちらを見て涙を浮かべ、ただ怯えているのがなんだか不憫で、池の上へ飛んだ。
そして苦も無くその履物を拾うと、その子供に手渡した。
「主のものであろう?」
子供は頷いた。将維はその時気付いた。この子供からは、鳥の気がする。召使いの子供が、この宮で迷子になったのか。そう言えばここの池は、金魚と鯉がいるからと鳥除けのまじないが掛けてあった。だから取りに行けなかったのか。
その子供は、思いっきり頭を下げ、震える声で言った。
「ありがとうございまする。」
その声が思いのほかかわいらしかったので、将維は驚いたが、頷いた。
「主は鳥か?」
相手は恐々頷いた。
「では、このような所へ来てはならぬ。宮へは、あちらの茂みを抜ければ出るゆえ。」
相手は、黙って俯いた。将維は訝しんだ。
「…なんだ。言いたいことがあるのなら言うてみよ。我ははっきりせぬのは好かん。」
何しろ母がはっきりしているのだ。他の女のように、裏でこそこそというのは、将維は嫌いであった。
相手は、キッと顔を上げて言った。
「私は、逃げて参ったのでございまする!もう、あのような所で耐えられませぬゆえ!」
将維は目を丸くした。そうか、逃げたのか。炎翔殿は女好きだと言うし、確かに大きく育たぬうちに逃げ出すのは正解かもしれぬ。しかし…将維は苦笑した。浅はかよの。生き延びられる訳はあるまいて。
将維は自分とさして歳が違わないであろう、その子供に並んで池の端に座った。
「…主な。確かに耐えられぬこともあるだろうが、逃げ出すのなら、もう少し大きくなってからにした方がよい。」
相手は驚いたように、涙を溜めた大きな目で将維を見た。
「…お止めにならないのでございますか?」
将維は頷いた。
「別に主がどう生きようと構わぬではないか。それは主の決めることだ。」と将維は言った。「今は我慢せよ。どうやって生きて行くのか、その知恵もまだないのであろうが。逃げると決めたなら、これから毎日、逃げた後どうやって生きて行くのかじっくり考えればよいのよ。そして機を見て、抜け出せばよい。しかし、この宮からは到底無理だ。結界が強いのでな。鳥の宮から考えればよい。」
相手は頷いた。
「はい…。」と、涙を拭いながら、笑った。「少し、希望が持てましてございます。ありがとうございまする。」
将維は、思ったほどこの子供がみすぼらしくないことに気付いた。服は大層粗末だが、肌は抜けるように白く、大きな目で、そして母のような気の強そうなツンとした口唇であった。確かに年頃になったら、逃げださなければ炎翔殿がどう扱うのか怖い。
なんだか宮の方が騒がしい。そろそろ戻らないと、父上が来てしまいそうで怖かった。将維は立ち上がった。
「もう帰るとよい。我も戻らなければ。」
将維が飛び上がると、相手は慌てて立ち上がった。
「我は、華鈴と申しまする!お名前をお聞かせくださいませ!」
将維はそちらに背を向けながら顔だけ少し振り返り、言った。
「我は将維だ。ではな、華鈴よ!」
将維は急いで飛び去った。維心の気がする。これ以上はヤバい。
華鈴は呆然とそれを見送っていた。
「将維様…。」
将維が広間に戻ると、維心が振り返った。将維は、何か言われるかと覚悟したが、父は何も言わなかった。代わりに母が言った。
「まあ将維。どこに行っていたの?皆の挨拶ばかりで退屈でしょうけれど、母だって着物とかんざしが重いのに頑張ってるのよ。あなたが逃げてどうするの?逃げるなら母も連れて行きなさい。」
将維は苦笑した。
「はい、母上。」
確かに父の隣に座る母は、今日は誰よりもたくさんのかんざしを髪に挿されていた。上に着ている打掛は、きらびやかで見ているだけでもきれいだが、重そうだった。金銀の縫い取りのほかに、色のついた綺麗な石が付けられているのだ。そんな訳で、母は父にもたれ掛かっていた。長く座っているので、腰が疲れて来たらしい。
維心は言った。
「炎翔殿はどうしたのだ。もう到着したと聞いておるのに、まだここまで案内出来ぬのか。」
臣下が頭を下げた。
「只今お仕度中とのことでございまする。先に宴の席へ行っておいてくださいませとの事でございます。」
維心は頷いて立ち上がった。
「では、宴の席へ行こうぞ!隣の広間へ客人を案内せよ。」と維月の手を取った。「さ、維月。立ち上がれるか。」
侍女達が慌てて走り寄って来る。さすがにこの打掛は重いのを知っているので、皆で持ち上げて補佐するのだ。
「本当に維心様ったら、なぜにこのように石がたくさんついておるのをお選びになられたのですか?」
維月は恨みがましい目で見て言った。
「主に似合うと思うたのよ。誰もこのように美しいもの、着てはおらぬぞ。」
維月は侍女たちの掛け声に合わせて立ち上がった。
「…私、いくら美しくても外出には選びませぬわ。一度転んだら起き上がれませぬもの。」
人の世界でいう、ダイヤモンドや翡翠、サファイアなどが、びっしりついているのだ。一つくらい取れて転がっていても、きっとわからないだろう。
侍女達がキレイに裾を折って、両脇と後ろに分かれて打掛を運んでくれる中、維月は維心に手を取られて隣りの広間へ移った。重い…早く終わってほしいと維月は思っていた。
炎翔はイライラと言った。
「なぜに支度にこれほど時間が掛かるのだ。皆宴の間へ移ったぞ。全く女というのは…。」
後ろで気配がしたので、炎翔は振り返った。
「申し訳ございませぬ。」侍女が頭を下げている。「姫様がどうしても、本日お世継ぎの君ににお目通りするのは気が進まぬと申されて…。」
炎翔はついに怒った。今までもこの末の妹のワガママにはほとほと参っておったのに、ことここに至って何を申しておるのか。
「何を申しておるぞ!」炎翔はずかずかと控えの間へ踏み込んだ。「ことは主だけの問題ではないわ!これは父と維心殿の取り決めであるのだぞ!我も主のような気強い女などめとらされる相手が気の毒であるわ!どうしても来ぬと言うのなら、主から維心殿に申し開きせよ!」
炎翔は侍女に怒鳴った。
「輿に乗せてでも連れて参れ。でなければ皆、討ち取ってくれるわ!」
侍女達は震え上がった。確かに王ならしかねない。
「お兄様!酷うございます!」
幼い妹の声など聞く耳も持たず、炎翔は先に立って歩いて行った。侍女達は震える手でベールを掛けた。
「さあ姫様、参りましょう。王は恐ろしいかたでございまする。」
鳥の宮の姫は、仕方なく立ち上がった。世継ぎの君とはどんなにか恐ろしいかたなのだろう。龍の王は大変に強大な力を持つものだと聞いている。その子はきっと、その下でワガママに暮らしておられるに違いない。小さな姫は、震えながら兄の後を従って歩いた。




