許嫁
将維は、中庭を歩いていた。本当は部屋へ帰りたかったのだが、部屋には侍女達が居る。将維は侍女に、なんやかやと世話をされるのが面倒だった。考え事をしたいのに、やれ飲み物が菓子だと聞いて来るのがうっとうしい。もちろん断れば皆下がるのだが、呼ばれたら行こうと構えている気配が外にして、それがまた嫌だった。確かに父上と母上は、こんな中にいらっしゃるのは慣れているかもしれないけど…。
将維もそんなものだと思って育ったのだ。しかし、蒼の居る月の宮へ行った時、そうではないと知った。月の宮では、人と同じ生活をする。食事というものは龍の侍女が作っていたが、着替えたり手水をしたり、全てが自分の意思で、自分の決めた時間にするのだ。侍女が何かを持って来たからするのではなく、自分のことは自分の責任の上でする。それがとても新鮮だった。
将維も宮の中はどこへ行くのも一人だったし、別段止められることもなかった。困ったら蒼や十六夜が助けてくれたし、本当の自由というものをあそこで知った。
母は人であったという。蒼も、覚醒するまでは人の世で人として育てられたのだと聞いた。
それが今、こんな中に入れられて、どれほどに不自由なのだろうと将維は思いを馳せた。
自分は、自分の決めた妃と末永く添い遂げるものだと思っていた。人の世では、例外を除いて皆相手は一人なのだというし、将維も父を見てそれでいいと思っていた。まだ自分は幼いから、そんな話はもっと先のことだと思っていたのに…生まれる前から決まっていたなんて。
和平のためだと言われれば、仕方がないのだろう。父が今までそんな話を受けずに済んだのは、あの力のおかげだったのだ。相手も死ぬとわかっていて縁組などとは言って来ないからだ。
我にも、あんな力があればいいのに。
将維はため息をついた。
ふと見ると、母が中庭の花を見ている。明日の宴に飾る花を見ているのだろうか。辺りには父も居ない。将維はこんな好機はない、と母に駆け寄った。
「母上!」
母は将維を見た。将維はこの母がとても好きだった。人であったというが、将維にとって母ほど美しい人はいないと思っていた。その白い手はいつも将維を優しく抱き留めて、将維の気持ちを落ち着かせてくれるのだ。
「まあ将維。どうしたの?そんなに急いで。」
将維は辺りを見回した。
「おひとりでいらっしゃいまするか?」
母は頷いた。
「ええ。誰かに用だったの?」
将維は首を振った。
「母上とお話ししたいことがあるのです。」
母は微笑んで、奥のベンチを示した。
「では、あそこで話しましょう。」
将維は先に立ってそこへ向かった。この宮で、小さいながら王に次ぐ地位にいる将維は、人の後ろを歩くことはなかったので、先に歩くことしか知らなかった。自分が歩かなければ、誰も歩かないのだ。ただ、父の前を歩いてはいけないのは知っていた。
ベンチに腰かけると、将維は何から話していいか悩んだ。母は人だったし、神の間のように用件だけ言うというのも気が引ける。迷っていると、母が言った。
「鳥の宮の姫のことかしら?」
将維はびっくりしたが、頷いた。やはり母は知っていたのだ。
「はい。我は…とても驚いています。何も知らされておりませんでしたので。」
母は頷いた。
「それはそうでしょう。驚かない方がおかしいわ。父上のお考えは、もっと大きくなって、王の責務を知ってから知らせると良いとのことだったのよ。だから宮の誰も、あなたにそれを言わなかったの。だけど今回炎翔様がお祝いに来られるとのことで…あちらの姫をお連れすると言うので、仕方なく告げられたの。」
そうだったのか。将維は思った。父上は父上なりに考えていらっしゃったのだ。だが王であるので、子の都合だけで黙っているわけには行かなかった。王というのは、いつも心ならずも一族のためを考えて行動しなければならないものなのだ。
「我は、父上の命には従いまする。ただ、その姫を大切に出来るかと言われると、わかりませぬ。」
将維は正直に言った。もしもワガママな姫だったら?もしも我が王になるからというだけで妃になることを納得しているだけだったら?我の理想は、父上と母上のように、誰も文句の言えないぐらい仲睦まじい夫婦であるのに。
「まあ将維、まだ会ってもいないのに」母は言った。「そうね、では蒼に話を聞いてみてはどう?」
将維はためらった。どうして蒼なのか。
「蒼はそういうことをよく知っておるのですか?」
母は笑った。
「あの子も、維心様から打診を受けて、瑤姫と一度きりしか会って居なかったけど、婚約したのよ。人として育ったのだから、きっと抵抗はあったと思うのに。今では、とても仲がいいでしょう、あの二人。」
初めて聞くことだった。そういえば、あの二人がどうして結婚したのか知らずにいた。
「はい、一度聞いてみます。それに我がもし妃を娶るとしても、まだ200年ほどあとの事であるでしょうから。」
母は頷いた。
「その通りよ。その時にならなければわからないこともあるのだから。あまり思い詰めないでいらっしゃい。」
母の笑顔に、将維はホッとした。母は月だ。きっと200年経っても、こうして我の話を聞いてくれるはずだ。ふと将維は言った。
「…母上。」
維月は眉を上げた。「なあに?」
「母上は年を取らないのでありますね。」
維月は頷いた。
「ええ。月だから不死なのですって。」
「では」と将維は身を乗り出した。「我が母上を娶ることは出来ますか?」
母は確かに驚いたようだ。手にしていた扇を落とし、慌ててそれを拾った。
しばらく絶句した後、母は言った。
「…将維、それは出来ないわね。時間的には可能よ。母はきっとあなたが維心様のようになっても、この姿のままだから。でも、あなたを生んだ実の母である私が、あなたの子を生めないでしょう。それに十六夜が絶対に許さないわよ。」とため息をつき、「今はね、まだ母親が恋しい歳なのよ、将維。大きくなるにつれて、いろんな人を知って、母はやっぱり母でしかなくなるわ。安心なさい。」
将維は頷いた。
「母上は、父上を思っていらっしゃるのですか?」
母はまた驚いたようだが、今度は扇を落とさなかった。
「まあ同じことを日に二度も聞かれるなんて。」と呆れたようにあちらを向いた。「私はとても維心様を愛しているわ。だからこうやってここに居て、こんなにたくさん子も生んだのよ。でも、あなたの言いたいことはわかるの。十六夜でしょ?」
将維は大きく頷いた。
「そうね、十六夜のことは、母がまだ人であった幼い頃から愛して来たの。十六夜はなんでも受け入れてくれて、どんな時でも一緒にいて守ってくれたわ。だから、どこで何をしていても、忘れることはないの。これは真実よ。」そして長い溜息をつくと空を見上げた。「ずっと未来永劫そのままだと思っていたのに…維心様に出逢ってしまった。最初は愛してはいけないと思っていたのよ…でも、とても愛してしまったの。それを維心様に知らせず去ろうと思っていたのに、知られてしまって…十六夜は元より私の気持ちを優先してくれるから、ここに残ればいいと言ってくれたの。母にはどちらも選べないわ。将維、あなたには理解できないかもしれないけど。でも、あなたは年の割にとても頭がいいから。話しておくわね。」
将維には複雑すぎてわからなかったが、母がとても父を愛していると言うのだから、いいと思った。そして立ち上がった。父の姿が、中庭の入り口辺りに見えたのだ。
「母上、では失礼します。蒼にはまた話しを聞きに参りますので。」
維月は返礼した。将維は維心にもすれ違い様に立ち止まって頭を下げ、中庭から出て行った。
維心が、まだベンチに座っている維月の元へ歩いて来た。
「遅いので、様子を見に来たのだ。」
維月はめ!というような顔をした。
「本当に維心様ったら…大丈夫ですわ。少しぐらい私が目の届かない所に居ても。」
維心は将維の座っていた所へ腰かけた。
「穏やかではないではないか。あやつは主を娶るとか言っておらなんだか?」
維月は目を丸くして扇で口を押えた。
「まあ聞いてらしたのね!」と下を向き、「子というものは、幼い時は母に焦がれるのですわ。そしてそこから成長してまいりますの。蒼だって母さん母さん小さい時からべったりだったのに、大きくなると近寄りもしなかったのですから。そんなものです。」
維月は足をぶらぶらとさせて空を見た。維心は維月の肩を抱いた。
「我も主を愛しておる」と耳元で言った。「ゆえに、あの時我に主の心を知られなければよかったなどど思わないでくれ。」
維月は、困ったように微笑んだ。
「維心様…困ったこと。全部聞いてらしたのね。」
維心は構わず言った。
「さあ、明日の為の準備は侍女達に任せると良い。そろそろ主は夕食を取る時間ではないか?まいろうぞ。」
維心に手を取られ、維月は食堂へ向かった。
食堂では、蒼達家族がもう食事を始めていた。蒼がこちらに気付いて言う。
「母さん!維心様も。先に頂いてます。」
維心が機嫌よく頷いた。
「良い。主らは食べる習慣を残しておるのだからな。しっかり食べるとよい。」
今日は瑤姫は食べていないようだった。子達の口にきちんと食べ物がこぼさず入るように、そればかりを気にしている。蒼は箸を口に運びながら言った。
「明日は炎翔様も来られるんでしたっけ?長くなりそうですね。」
維心は手を振った。
「小さき子も共に連れて来るゆえな。さすがの炎翔もそれほど長居は出来まい。あれはまだ若い王ゆえ、心配せずとも我の所に父も伴わず長居する度胸はまだない。」
蒼は笑った。
「若いって、いくつでいらっしゃいますか?」
維心は答えた。
「そうよの、まだ300年は経っておらんだろう。炎嘉もあれで、妃ばかり多くてなかなか子に恵まれず、最初の男子が出来たのがそれぐらいであったゆえ。」
蒼は人の感覚で計算してみた。だいたい800年が通常の龍と鳥の寿命らしい。話の感じからすると、維心様感覚では、100年が人で言う10年ぐらいのような感じなので、炎翔は今、まだ30歳にもならないぐらい、ということなのだろう。
「…お若くて王になられたのですね。」
維心は頷いた。
「まあだいたいそれぐらいであるがな。我は200年ほどで王座についたが。」
蒼は仰天した。それって二十歳?!
「大変でしたね!」
あまりに蒼が驚くので、維心は苦笑した。
「そうじゃな、大変だ。王とは良いものではないからの。」
維月はさくさく自分の食事をさばいている。母さん食べるのあんなに遅かったのに、早くなったな。毎回維心様がこうして待ってるんじゃ、早くもなるか。
蒼はなんだか自分も食べるのが早くなる思いだった。蒼がそう思って見ていると、母は箸を置いた。
「維心様、お待たせしました。」
維心は首を振った。
「そんなに急がずとも良いのに。我は待っておるぞ。茶でも飲むか?ああそう言えば、この前洪が人の世でコーヒーと言うものを買って来ておったぞ。主が好きであるらしいと聞いたと。」
蒼はそれを聞きながら思った。それを教えたのはオレだ。この間月の宮へ遊びに来た時、町へ連れて行くと、王に手土産をと言うので、維心様なら母さんの喜ぶものならなんでもいいだろうと思って、コーヒー豆を買って帰らせたのだ。思った通り、母は目を輝かせた。
「まあ!とても久しぶりですわ。こちらでは決して飲めなかったので、月の宮に帰った時は必ず飲んでおりましたの…。」
維心は思いのほか維月が喜んだので、満足げに笑った。
「そんなに好きであったか。言えばよいであろう、すぐに手に入れさせたものを。」と侍女に言った。「洪の土産の、あの茶を持て。」
あれはお茶の一種だと思っているらしい。侍女は頭を下げて下がった。維月は立ち上がった。
「維心様、では居間へ運ばせてくださいませ。朝からずっと立ち働いておりましたので、少しゆっくりしとうございます。」
維心は頷いて立ち上がった。
「では、我の居間へ持て。」そして維月の手を取った。「では戻ろうぞ。」
維月は蒼を見た。
「ああ蒼、近いうちに将維が、あなたに話を聞きたいと言って来ると思うけど、よろしくね。」
蒼は何事かと訝しんだ。
「…オレに?何を?」
維月はフフッと笑った。
「許嫁のことよ。ちょっと悩んでるみたいだから、また聞いてあげて。」
蒼は察して頷いた。
「ま、出来るだけのことはするよ。」
明日は、将維の6歳の誕生祝いの宴であった。




