悟り
「…だから、彎を送って来たのさ。」
十六夜は蒼に話し終わった。蒼は眉を寄せた。
「十六夜が同情したのはわかるけど、あれだけのことやっといて…でも、ほんとに十六夜って神なんだね。最近、特にそう思うんだけど。」
十六夜は両眉を上げた。
「どういう意味だ?オレは月だ。神じゃねぇ。」
蒼はその、神嫌いな所はやっぱり直ってないんだなあと思いつつ、言った。
「違うよ。人だった時のオレのイメージしてた神様ってさ、十六夜みたいな感じだったんだ。きちんと本質を見てて、どんな行動を取ってても、理解して許してくれる。でも、ほんとの神様は結構人っぽかったから、びっくりしてたんだけどね。十六夜って、本当に大きな感じがするんだよなあ…。」
十六夜は眉を寄せた。
「まあ本体はあれだから、どの神よりもデカいがな。」
と月を指した。そういう意味じゃないってのに。
「違うんだよ。気持ちの大きささ。懐が深いっていうの?」どう説明したらわかるんだろう。「だいたいあれだけ好きな母さんを、維心様に預けるって言った時もたいがい驚いたけど。それも維心様の1700年を知ったからなんだろ?相手を理解して、それを受け入れるって、簡単なようで、なかなか出来ないことだと思うな。母さんだって、そんな十六夜だから、触れることも出来なかった頃に、他の男を好きになれなくて、十六夜だけを思ってたんじゃないかなあ。」
十六夜は遠くを見るような目をした。
「あれはな、別に維心の生き方を見たからだけじゃねぇんだよ。前にも言ったがオレは維心が嫌いじゃねぇ。あいつはオレに似てるからな。もしオレがあいつだったら、きっと苦しいと思ったんだ。まかり間違えばオレがあいつの立場だったかもしれねぇし…それに、あいつには寿命がある。未来永劫こんなことやってる訳じゃねぇしな。維月が嫌でないなら、これでいいって今も思ってるさ。オレは元々、体の繋がりとかに執着してなかっただろうが。心がつながってりゃ、どこに居ても、心配することはないんだよ。もちろん、他の男には指一本触れさせないが、オレが頑張らなくても、それは維心がやってくれるしよ。楽なんだよな、その辺は。」
蒼は苦笑した。
「確かにね」蒼はため息をついた。「でもオレにはその心境までたどり着くのはまだまだかなあ。維心様でさえ、まだダメなんだもの。十六夜が近付いた時のあの気には、ハラハラする時ある…。」
十六夜は声を立てて笑った。
「あいつはオレにかなわないと思ってやがるからな。せっかく一緒に居て自分に寄って来てる気持ちがまた引き戻されるように思うんじゃねぇか。だがな」と真剣な表情になった。「オレと維月はそんなもんじゃねぇのさ。あいつの心のベースになってるのはオレだと思ってるからな。維心は維月と心をつないでそれを読んでるから、ああなるんだ。しかし、やっぱり維月は維心のことも想ってるんだと思うぜ。もっと信用すれば、あんな思いをしなくて済むのによ。」
十六夜はあくびをした。そういえばもう夜中だ。
「じゃあ、オレも部屋へ帰って寝るとするよ。ここにまでオレの部屋が出来たんだぞ。維月の部屋とはめちゃくちゃ離れてるがな。」
蒼は苦笑した。十六夜は笑って立ち上がり、蒼の部屋を後にした。
将維の誕生日が近付き、宮では祝いの宴の準備をしていた。鳥の宮からも炎翔が、将維の許嫁の、炎嘉の末の娘を連れてやって来るのだという。
維心は、ついに話さなければならない時が来たと思った。
「維月」維心は、庭で宴の席に飾る花を選んでいる維月に話し掛けた。「話しがある。」
維月は頷いて侍女に指示をし、維心について庭の奥へと歩いて行った。小さな川が流れる所まで来ると、維心が口を開いた。
「将維に許嫁が居るのは知っておるだろう。」
維月は頷いた。
「鳥の宮の、炎嘉様が亡くなられてから生まれた一つ違いの姫でしたわね。」
維心は続けた。
「明日、祝いに炎翔が、その姫を連れて参ると知らせて来たのよ。」
維月は少し困った顔をした。
「…将維はまだ何も知りませんわね。」
「話さねばならぬな。」維心はため息をついた。「なんでも向こうでは、生まれた時からこちらの宮の正妃としてふさわしくあるようにと、ずっと本人に言い聞かせて育てて来たらしい。その意識の違いで、何かあっては困るのでな。」
維月は頷いた。
「将維は賢い子ですわ。わかってくれると思います。ただ…あの子、妃は一人と決めているようなので…。自分で選べないとなると、とても悩むかもしれませんわね。父上のように、というのが、あの子の望みなのです。」
維心は苦笑した。
「我などを目指してもなあ。我はここまで1700年掛かっておるに。」
維月は微笑んだ。
「それでも、ご自分の意に沿わない妃はお迎えにならなかったくせに。」
いたずらっぽくクスクス笑う維月を見て、維心は維月を引き寄せた。
「待った甲斐があったわ。」
維心は抱きしめて口付けた。将維はこの幸せを感じられるのだろうか…。
「お呼びでしょうか。」
将維が維心の居間の入り口に立っていた。維心は入るよう手招きした。
「ここへ。」
将維は前の椅子に座った。維心は話し始めた。
「将維よ、明日の宴には、鳥の宮よりも祝いの客が来る。炎翔殿は知っておるな?」
将維は頷いた。
「我が生まれたぐらいに王になられたかたですね。」
維心はゆっくり頷いた。
「そうだ。その前の王は父の長くの友であったが、亡くなったのよ。亡くなる前に、妃の一人の腹には子がおってな。お前に一年遅れて生まれた。」
将維はなぜ父がそんな話をするのか分からなかった。が、返事をした。
「はい。」
「鳥と龍の戦があったことは聞いたか?」
将維は記憶をたどった。
「…義心が言っておりましたね。」
「その時、我らは和解をしようと話し合ったのよ。炎嘉がまだ生きて居るときで、その子と、我の子との縁組みをする事になった。その時は我の子は、維月の腹に居った主だけであったので、主は跡取りでもあるし、正妃に迎えることで合意し、和解した。」
将維は驚いて、しかし頭の中を整理しようとした。つまり、我には生まれる前から、妃が決められていたということか? 維心は続けた。
「明日、その姫を連れて来ると、炎翔殿より連絡があった。主より一つ下の五歳であるが、向こうでは生まれた頃より主の妃になるためにと育て上げたらしい。なので、こちらのことはよく知っておると思う。」
将維は考えがまとまらなかった。父上はご自分の妃はご自分で決められたのに…我には最初から、決まっていたということなのか?
「我は…自分で妃を決められないのですか?」
維心は首を振った。
「そうではない。年頃になり、迎えたい者が出来れば迎えれば良いであろう。何も一人と決まっている訳ではないゆえな。」
将維は立ち上がった。
「でも父上は母上お一人です。」
維心はため息をついた。
「父は特殊なのだ。気が強すぎて相手が死する可能性があっての。稀にしか受けられる女は居ない。だから臣下も、1700年も強く言わなかったのだ。母はその数少ない中に奇跡的に入って、しかも父の愛せた女であったのだ。」
将維は混乱していた。自分は皇子の中でも特に大切にされる。跡取りだからだ。その義務を果たさなければと、剣の稽古をしたり頑張っていたが、まさかその義務の中に、妃をめとることまで入ってたなんて!
「…それは、私の義務なのですね。」
維心はまだ六歳にしかならないのに、最強と言われた父の跡を背負う覚悟をしている我が子を見た。
「…そうだ。明維でも晃維でも亮維でもなく、主でなければならぬのよ。次の王は、主であるからな。」
将維は黙っていた。王族の結婚は、臣下が決めるのだと聞いたことがある。確か祖父にもたくさんの妃があり、しかし祖父自身が選んだのは、父維心の母だけだったという。その父維心は、気が強すぎて臣下が勝手に決める訳にはいかず、またあまりに力が強すぎた為、誰も逆らえなかった。そういう事なのだ。自分は父ほどの力はない。決められるのは必然だろう。
「わかりました。」将維はやっと言った。「では、明日は失礼のないように致します。」
維心はあえてそれ以上は言わなかった。
「では、もう下がって良い。」
将維は立ち上がって、頭を下げると出て行った。維月が奥の部屋から出て来た。
「…ショックを受けておりましたわね。心配だこと。」
維心は振り返った。
「いつかは知らねばならぬことよ。本来我ら王族の結婚は、臣下が決めること。発言力はないのだ。父の時には、気が付けば妃が増えていて、その妃自分の通う部屋を言われて行くと、見知らぬ女が居たことがあったと言っておった。」
維月は感覚について行けなかった。
「…それはまた…私は人で一般人であったので、理解出来ませんわ。結婚は愛する人とするもので、共に居るのも愛しているからこそ。私なら、相手が王でも嫌なら逃げます。まして複数のうちの一人だなんて、女をなんだと思っているのかと思ってしまいますわね。」
心なしか憤っている維月を見て、維心は苦笑した。
「主は怖いの。心配せずとも、我に次の妃をと言えるものなどこの宮に今居らぬ。これほど子を生んだ主の勘気を被るなど、恐ろしくて誰にも出来ぬわ。」
維月はしまったという顔をした。
「申し訳ありません、維心様。私やっぱり人の考え方が抜けないのね…。」
そのまま部屋を出ようとする維月を、維心は腕を取って止めた。
「良い。我は正直である方が分かりやすくて良いのよ。何も言わぬ女など、腹で何を考えておるのかと信用ならぬわ。それより」と腕の中へ抱き留め、「主が逃げぬということは、嫌ではないのであるな、維月。」
維月は眉を寄せた。
「今更何をおっしゃってるのかしら。愛していなければ、私もこんなに悩んだりしません!月の宮に帰って、部屋を封じて誰も入れませんわ。心をつないで見てらっしゃるくせに、まだお疑いだったなんて。」
維月は腕の中でプンプン怒っている。維心は笑った。
「すまぬ。怒るでない。ただ確認したかっただけよ。我ばかりが主を想って、損な気がする時があるゆえな。」
「それがわかっていらっしゃらないと申すのですわ。もう!」
維月は維心の腕から出ようとした。維心はしっかり抱き留めて離さなかった。
「どこへ行くのだ。我は許可しておらぬぞ。」
まだこの宮に十六夜が居るので、維心は警戒していた。自分に怒ったままあちらへ行くことだけは避けたい。そんな自分の焦りに、維心は心の中で自嘲的に笑った。こんな風だから、維月が怒るのだ。
維月はそれを知ってか知らずか、ため息をついた。
「維心様、大丈夫ですわ。私は将維の話を聞いてやりたいのです。きっと私に話したいはずですから。話しかけやすいように、あの子の傍へ行ってやります。」と背伸びをして軽く維心に口付けた。「少しは信じてくださいませ。」
維心は頷いて維月を抱きしめた。そしてそれを離すと、維月は微笑んで居間を出て行った。
維心は人知れずため息をついた。あれしか要らぬのに、それが手の中に留まらぬ。十六夜のように、大きな心を持てれば…。
維心はひとり、居間でまた物思いに沈んだ。




