第一章:水の壁 エピソード1「水の壁:渇いた都市の紫煙」
喉の渇きで目が覚めた。蛇口を捻っても、出てくるのは錆の混じった空気の抜けるような音だけだ。今日もこの街の「配分」は終わったらしい。俺は溜息をつき、最後の一杯分だけ残っていた貴重なミネラルウォーターをコーヒーメーカーに注いだ。
俺の名前は雨宮海人。環境科学者という肩書きを持ってはいるが、実態は「AIがどれだけ人間から資源を奪っているか」を数えるだけの、虚しい計算係だ。
職場である環境調査局に向かう道中、巨大な「水の壁」が視界を遮るようにそびえ立っている。それはAI管理企業が水源を独占するために築いた、文字通りの障壁だ。壁の向こう側からは、絶え間なく轟々という「水の流れる音」**が響いてくる。データセンターの膨大な熱を冷却するために、何千トンもの水が、俺たちの喉を潤すはずだった水が、ただ機械を冷やすためだけに浪費されているのだ。
「また難しい顔をしてるね、雨宮くん」
局に戻ると、上司の佐々木課長がぬるい茶をすすりながら声をかけてきた。いつもの通り、やる気があるのかないのか分からない「昼行燈」の風情だ。
「課長、最新のデータです。AIセンターの消費電力と水の使用量がさらに5%上昇しました。このままでは、市民の生活用水は来月には今の半分になります」
「まあまあ、熱くなりなさんな。相手は『人類の進歩に不可欠だ』という一点張りなんだから」
佐々木課長はひらひらと手を振って俺をいなす。彼はいつもこうだ。俺がどれだけ危機感を募らせても、のらりくらりと躱される。俺は苛立ちを紛らわすため、屋上の喫煙所へと向かった。
このご時世、空気清浄リソースを無駄に食う「喫煙」なんて、絶滅危惧種の道楽だ。それでも、この紫煙を燻らす時間だけが、AIの冷徹な論理から自分を切り離してくれる気がした。
「……煙たいです」
不意に、細い声がした。 振り返ると、そこには見慣れない女が立っていた。 色素の薄い髪、どこか世捨て人のような静かな瞳。彼女は不快そうに眉をひそめながらも、手元にある水筒から丁寧に淹れられた紅茶の香りを漂わせていた。
「悪い。今時珍しいだろ、喫煙者なんて」
「珍しいというより、非効率です。あなたの肺も、この街の空気も」
彼女は淡々と、しかし拒絶するように言った。その首元には、AI管理企業の最上級エンジニアであることを示すIDタグが揺れていた。
「俺は雨宮。ここの環境科学者だ」
「……東雲あかり。そこの『壁』の向こうで、物理演算の最適化をしています」
東雲あかり。彼女こそが、この資源奪い合いの元凶である**「フィジカルAI」**を司る天才エンジニアの一人だった。
「あんたたちのAIが、市民の水を飲み干している。その効率的な計算の結果が、この乾燥した大地か?」
俺の言葉に、彼女は紅茶のカップを見つめたまま、感情の欠落した声で答えた。
「AIの判断は、常に長期的な最適解を導き出しています。人間の感情的な反発こそが、進歩を遅らせるノイズに過ぎません」
俺と彼女の間を、冷たい風が吹き抜ける。 壁の向こう側で唸りを上げる冷却水の音と、俺が吐き出した煙草の煙。 **「電力の闇」**が支配するこの街で、俺たちは決定的に異なる「論理」を抱えたまま、出会ってしまった。
だが、この時の俺はまだ知らなかった。 彼女が抱いている内向的な孤独も、そして俺たちが40年後に訪れる「ウラン枯渇」という破滅を回避するために、月面という名の巨大な博打に打って出ることになる未来も。
俺は飲みかけの冷めたコーヒーを飲み干し、壁の向こう側を睨みつけた。 そこには、冷却水が作り出す巨大な「水の鏡」が、傲慢な光を放ちながら空を映していた。
寝かしてたネタどころの騒ぎじゃないことが世間で進行中で頭痛が痛い。




