体験学習 2日目
翌朝。
6時00分にアラー厶セットされたスマホが、音楽と共にブブブと震える。
『稚愛』はスマホのアラームを止め、布団をバサッとめくって起き上がった。
「……」
ほのかな藺草の香り。畳の上で自分が眠っていたことを、思い出させてくれる。昨日、和室に布団を敷いて横になるまでに、何があったのかを思い出させてくれる。
(そうだ……。昨日から、俺は春崎稚愛として、ここで生活することになったんだ……)
チラッと、左隣を見る。
そこに立っているのは、扇風機。羽根は回っていない。というより、そもそも涼風が欲しくて置いたものではない。
(一応、俺たちは中学生の男女だし……布団をくっつけて隣で寝るのは、マズいよな)
そう思って、布団・扇風機・布団の自然な並びになるように、そこに置いたのだ。
つまり、扇風機の向こう側に、もう一人が眠っている。
(こうして見ると、俺って……けっこう大きいんだな)
そこにいるのは、継人になった春崎稚愛。入れ替わった相手だ。こちらに背中を向けて、グーグーと眠っている。
相変わらず、両手はズボンの中に突っ込まれている。できればやめてもらいたいクセだが、『稚愛』も女体を借りている立場であり、生活の中でデリケートな部分に触れることもあるので、「触るな」と注意もしづらい。
「まあ、人前でやらなければ、別にいいんだけど……。よし、そろそろ準備しよう」
伸びをして、意識をはっきりとさせる。
準備とは、学校にいく準備のことだ。
*
ズボンの中に手を入れるクセ。
その対策は容易だった。
「おむつ……?」
「そうだ。外に出るときは、穿いてほしい」
パステルピンク色の、大人女性用おむつ。テープでバリッと開帳するのではなく、ポンッと穿かせるタイプのやつだ。前面と背面には、可愛いハートマークと、瞳がキラキラしたヒツジのキャラクターがプリントされている。正直、幼い女の子が穿くようなものを、Lサイズにしただけ、というようなデザイン。
稚愛が幼い頃から愛用してるものらしいが、男子になった今も、引き続き穿いてもらうことにした。
「トイレ、は?」
「行かなくていいよ。それを穿いてれば、漏らしても大丈夫。学校から帰ってきたら、俺が替えてやるから」
「ふぅーん……」
「クセ」の対策は、ベルトを強く締めるだけ。こうすれば、ズボンに隙間がなくなり、手を入れられなくなる。ただ、これをやると、『継人』がズボンを脱げない=排泄ができなくなるので、おむつを穿かせて補完するという作戦だ。
「これを穿かせて……と。よし、できた」
「なんか、変な感じ……」
「まあ、たしかに変……だよな……」
変というより、変態だ。
可愛いおむつを穿いた伊佐川継人なんて、変態でしかない。継人の友達がこの姿を見たら、「あいつ、受験のストレスで頭がおかしくなったのか」と思うだろう。
「でも、決してズボンを脱がなければ、問題ない。ベルトをぎゅっと締めて……と」
「うぅ……。キツい、かも」
「ごめん。でも、ガマンしてくれ。学校にいる間だけでいいから」
あとは、学ランを着せてやれば、男子中学生の完成。脱がなければ、おむつもバレない。
次は『稚愛』だ。女子中学生を、完成させなければ。
「つーくん」
「ん?」
「わ、わたしが……やる?」
「気持ちはありがたいけど、別にいいよ。制服くらい、自分でなんとかするさ」
中学校の制服。初めてのセーラー服。もちろん、着方はさっぱり分からない。
ただ、女物とはいえ、所詮は服。袖に手を通し、襟から頭を出すのがセオリーだ。鏡を見ながらでも、スマホで検索しながらでもやれば、なんとかなる……はず。
「ヤバいっ、そろそろ出る時間だな」
「わたし、先に行く……」
「いや、待てっ! 稚愛ちゃんは、まだ俺の学校の場所を知らないだろっ!?」
「うん……。じゃあ、待ってる」
ドタバタした着替えのなかで、『稚愛』はタンスの中にある下着のうちから、なるべく特徴のない白いパンツを選び、それを穿いた。
つまり、自分はピンクのおむつを穿かなかった。入れ替わり生活中とは言え、中三男子としてのプライドが、そんな恥ずかしいものを穿いて外に出ることを許さないのだ。
*
この体験学習は「極秘」。口外は禁止。
継人もそれは分かっていたが、やはり協力者がいないと、この生活は難しいと思った。だから、一番信頼できる女友達にだけこっそり話し、協力を依頼した。
「あ、来た! おーい、継人くーん!」
それが、名木舞白だ。
舞白は継人が野球部だったころのマネージャーで、互いに引退した後も、クラスメイトとしてよく話している。
「遅れてごめん、舞白っ! ちょっと時間かかって……!」
「え? 誰?」
「俺が継人だよっ! 体験学習で、春崎稚愛と入れ替わるって話をしただろ!?」
「あ、あー……。ほんとに、そうなったんだ。ごめん、あんまり信じてなかったよ。それにしても、継人くん……」
「あ? なんだよ」
「ちっちゃくなったねぇ! 私よりちっちゃい女子じゃん!」
「うるせー! とにかく、本題だっ!」
朝8時。
待ち合わせ場所は、病院の近くにある児童公園。今日から二週間、舞白にはここで『継人』を拾ってから、中学校へ行ってもらう。
『稚愛』は、ここまで引っ張ってきた男子生徒を、舞白の前に突き出した。
「こいつを頼むっ! この生活に慣れるまで、面倒を見てやってくれ!」
「こいつって……継人くんだよね」
「見た目はそうだけど、中身は違う。春崎稚愛が、俺の身体に入ってるんだ」
「ってことは、本当は女の子なの? へー」
『稚愛』は、ぼーっとしていた『継人』の両肩をポンポンと叩き、舞白へのあいさつを促した。
「あっ! えっと、えと……」
「名木舞白です。よろしくね、稚愛ちゃん」
「え……あ、あの……は、春崎稚愛、です。中学三年生です。えっと、ママはお医者さんです……」
「ママ、お医者さんなの? すごいねっ。そういう話、あとでいっぱい聞かせてね」
「ん……うんっ……!」
舞白は口調を少し変え、まるで優しいお姉さんのように、相手に寄り添っている。そして『継人』も、「優しそうな人だ」と安心したのか、いきなり笑みを浮かべている。
さすが舞白。頼りになる友達だ。……と、『稚愛』は少しだけ誇らしげになった。
「でさー、継人くん?」
「ああ、分かってるよ。協力してくれたお礼は、必ずする」
「じゃあ、ウィンドウショッピングに付き合ってもらおうかな。今週の日曜日でどう?」
「今週の日曜!? 別にいいけど……俺、この姿だぞ!?」
「だから、でしょ。女子二人でお出かけするの」
「わ……分かった」
思わぬ予定が入った。しかし、対価としては安いものだ。
この体験学習が無事に終わって、身体が元に戻ったら、継人はもっと舞白にお礼をするつもりでいる。
「それとね、継人くん」
「うん?」
「スカーフ。ちゃんと結べてないよ」
「え……? うわっ、ほんとだ!」
「あと、襟も折れてる。君のガサツな性格が、セーラー服に表れてるよ」
「うるさいな……! こんな制服なんて初めてだし、時間もなかったんだよ」
「ってか、まずスカート短くない? それ、服装点検で引っかかるやつ」
「いや、長さの基準とか知らないって……。あっ! ヤバいっ、脱げそう……」
「もー全然ダメじゃん。貸してみなさい、女子中学生ビギナーくん」
自分では上手く着られたと思っていたが、プロの女子から見たら、全然ダメらしい。スカートの丈を調整するために、腰をグイグイと引っ張られながら、『稚愛』は少し惨めな気持ちになった。
そして最後に、「ヘアピンとか持ってる?」と聞かれたので、『稚愛』はポケットから使い込まれたヘアクリップを取り出し、舞白に手渡した。
「はい、おデコちゃん完成。身だしなみくらい自分で整えられないと、めちゃモテ愛され女子になれないよ」
「そんなもん、別になりたくねーよ……!」
*
本日の登校は、初回ということで特別に『継人』を舞白のところまで連れて行ったが、明日以降はそうしない。
なぜなら、『稚愛』の方も、急いで学校に行かないといけないからだ。春崎稚愛として、彼女が通う中学校に。
「え……? 車で送ってくれるんですか?」
「ええそうよ。私の車でね」
「マジですか。そりゃあ、ありがたいですけど……」
「気にしないで。病院から中学校までは、かなり距離があって、徒歩だと時間がかかるのよ。道のりも複雑だから、多分、稚愛も登校ルートを覚えてないと思うわ」
というわけで、『稚愛』はゆず子の車で登下校することになった。
後部座席に座って、しばらくぼんやりしてるだけで、学校に着くので、まあ楽ちんではある。
(ふぅ。身だしなみ……か)
舞白の前では、「整える時間がなかったんだよ」と、言い訳をした。
しかし、ちゃんとセーラー服を着られなかった理由は、実はもう一つある。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。継人くん」
車から降り、ゆず子と別れて、『稚愛』はまず中学校の下駄箱に向かった。
「あっ……」
下駄箱から上履きを出したが、それをボトッと落としてしまった。
もう一つの理由とは、まさに今のようなことだ。
(指先が……上手く動かせない……!)
錆びついたロボットのように。指に力が入らず、手のひらの開閉が上手くいかない。
だから、箸を使って物を運ぶ、スカーフをしっかり結ぶ、といった複雑な指の動きを要する動作に、かなり時間がかかってしまう。春崎稚愛という少女は、おそらく産まれてからずっと、「こう」なのだ。
(分かってはいたけどさ。普通の人の生活とは、違うって)
不自由な身体で、知らない中学校に、たった一人で飛び込んでいく。
不安は大いにあるが、今さら引き返すわけにもいかない。
「……よし! やるぞ! あと二週間っ!」
足を踏み入れ、気合いを入れ直し、まずは春崎稚愛が所属しているクラスへと向かうことにした。
「3年2組」と「さくら学級」の二つがあるが、後者がメインの所属だと聞いている。
「お……おはよう、ございます……」
「ウィ~~ヒヒヒっ!! 稚愛ちゃん、おっはよっ!!」
「うおぉっ!?」
さくら学級の扉を開けた瞬間、ヤマアラシみたいなボサボサ大毛量の女子と目が合い、そいつがドドドっと駆け寄ってきた。
『稚愛』がのけぞっても、そいつは顔をどんどん寄せてくる。
「稚愛ちゃん、来たっ! 嬉しっ! 嬉しっ!」
出会って数秒だが、『稚愛』は早くも理解した。
このヤマアラシが、通常の学級にいないタイプの女子だと。
「お……落ち着いて、くれっ……」
「ぬり絵、見てっ! ぬり絵っ!」
「ぬり絵……?」
「さっき描いたっ! ぬり絵っ!」
たしかに、そいつは異常な細腕の先に、アニメキャラクターのぬり絵を持っている。
バッと広げて、こちらに見せつけている。というか、めちゃくちゃ近づけてくる。
「う、上手い……ね……」
「ウィッヒヒヒっ!! 嬉しっ! 稚愛ちゃんもやろっ! ぬり絵っ! こっちでっ!」
「分かった、行くから……! ちょっと待てって!! スクールバッグ、置かないとっ!」
「ぬり絵っ! ぬり絵っ!」
さくら学級の教室内には、『稚愛』とヤマアラシの他に、もう一人いた。
ぽっちゃりしたメガネ女子。着席して、ことわざの本を静かに読んでいる。こんなにうるさくしてるのに、こちらの方を一度も見ず、集中している。
席は三つ。春崎稚愛と、ヤマアラシと、読書中の三つだけ。しかも、このクラスにいるのは女子だけだ。継人が今まで所属してきた中学校のクラスとは、何もかもが、まるで違う。
(ここで、二週間……。二週間、かぁ……)
ぬり絵をやらされながら、『稚愛』はそう思った。
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福祉介護体験学習レポート
主体験者 伊佐川継人
共同体験者 春崎稚愛
2日目 愛証記念病院地下2階 和室
◆今日の出来事
今日から登校。筆者は、稚愛さんが通う古黄第一中学校へ。
さくら学級では、国語と数学の授業を受けた。授業の内容は超初歩的で、プリントも基礎レベルのものだった。やたらと褒められるのは嬉しかったが、受験を見据えた勉強ができないのは、正直不安でもあった。また、さくら学級内で、クラスメートと話す機会があり、稚愛さんだけが中学三年生で、あとは二年生と一年生だということを知った。
3年2組では、理科や社会科などの授業を受けた。こちらは、筆者がこれまで受けていた授業内容とそれほど変わらず、受験対策プリントの練習問題を解く時間もあった。また、「稚愛ちゃん大丈夫?」と、近くの席の女子が声をかけてくれる場面もあった。ちなみに、3年2組の男子は22人で、女子は18人。
休み時間になると、3年2組の方では誰からも声をかけられなくなった。さくら学級の方に行くと、積極的に声をかけてくる子がいるので、筆者はさくら学級で過ごしていた。
◆生活の様子や気づいたことなど
稚愛(元 継人)
・おむつをやめ、パンツを穿いて1日を過ごした。女子としての排泄は初めてだったが、大きな問題はなかったので、明日からもこれを続けていく。
・3年2組での授業中、頭がクラクラとすることが何度かあった。乗り物酔いのような感覚に近い。長くは続かず、すぐに回復するが、原因は不明。
・手先の不器用さと、微熱のような感覚は、昨日と変わらず。
継人(元 稚愛)
・筆者の学校へ行っていた。具体的にどう過ごしたのかは分からないが、学校はどうだったかと尋ねると「舞白ちゃん(クラスメート)が優しかった」という感想を述べた。「明日も学校、がんばってみる」という前向きな言葉も聞けた。
・今日は、おむつを穿かせて学校に行かせた。そして帰宅後、尿をした形跡があったので、筆者が処理し、一緒にシャワーを浴びて身体を洗った。明日もおむつを穿いてくれと伝えると、「う~ん……。いい、けど……」と、返事をした。
・夕食後、押し入れの中に「病院すごろく」というボードゲームがあったので、二人で遊んでみた。「薬カードをもらう」「入院ゾーンに入る」などの特殊なマスがあり、やってみると意外と面白かった。




