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体験学習 5日目①


 「あたしが、稚愛ちゃんとしゃべってたのにっ!」

 「私も、稚愛ちゃんと……遊びたい……!」

 

 二人の女子が、『稚愛《つぐひと》』を挟《はさ》んでケンカしている。

 

 「おいおい、落ち着けよ。仲良くしろ」

 

 別に、継人が受け入れられたわけじゃない。

 春崎稚愛は、元々好かれていたのだ。さくら学級の後輩たちから、三年生のお姉さんとして、慕《した》われていたのだ。

 

 「ぬり絵、見てっ! 稚愛ちゃんっ!」

 「上手いな。センス抜群《ばつぐん》だよ」

 

 ヤマアラシも。

 

 「次。稚愛ちゃんの……番……」

 「うわっ、蝉丸《せみまる》が出た。まだ序盤なのに」


 ぽちゃメガネも。


 「せっかくだし、次は三人で遊ぼうぜ。トランプとか置いてないのかな、この教室」

  

 普通の女子とは違う。

 言動、行動、性格、外見……あるいは別の何か、か。逸脱《いつだつ》してる物を持ってるから、普通の女子の輪には入れなかった。そんな子しかいないのが、このさくら学級。


 「あははっ。なんだよそれっ」


 しかし、さくら学級は、今の『稚愛《つぐひと》』にとって、どこよりも居心地《いごこち》が良かった。

 後輩の二人から、クラスの中心人物として扱われて、気分がいい。そして後輩の二人は、体が小さくて弱そうなやつらなので、ビビッたり気《き》を遣《つか》ったりするような相手じゃない。『稚愛《つぐひと》』本人でさえ、良くない優越感《ゆうえつかん》に浸《ひた》っていることは分かっていたが、それらが間違いなく、居心地の良さを感じる原因なのだ。

 

 「次の時間、お前らは体育なのか。がんばってこいよ」

 「うん、がんばる……!」「行ってきまーすっ!」

 

 3年2組で、ヤンチャな男子たちやオシャレな女子たちに囲《かこ》まれて過ごすよりも、ここがいい。向こうに行っても、どうせ「稚愛ちゃん、大丈夫?」と、変に気を遣われて、あとはジロジロ見られるだけだから。


 「ふぅ……」

  

 2日、3日、4日と。日が経つごとに、『稚愛《つぐひと》』の気持ちはそういう風に変わっていった。


 *


 「お……俺が、魔法の国の、お姫様……!?」


 この学校では、11月の初めに演劇《えんげき》発表会《はっぴょうかい》(学芸会《がくげいかい》)がある。今は10月の終わり頃なので、各クラスはその日に向けて、各教室で大道具や小道具を作ったり、体育館で演劇の練習をしたりしている。

 さくら学級では、ひまわり学級との合同で、「魔法の国の冒険」という、オリジナルの冒険活劇をやることに決まっている。そして、その劇のダブル主人公が、ひまわり学級とさくら学級の三年生の男女……すなわち、春崎稚愛というわけだ。


 (いや、そんなの聞いてないぞっ!?)


 ライトブルーに輝くお姫様ドレスと、魔法のステッキを手渡されて、受け取ったはいいが、『稚愛《つぐひと》』は困惑していた。

 まず、セーラー服を着て外をうろつくことさえも、『稚愛《つぐひと》』にとっては慣れない女装《じょそう》なので、とても恥ずかしいのだ。ただ、特別注目を浴びることはないので、女子生徒Aになりきって、恥ずかしさを殺してきた。

 しかし、派手なお姫様ドレスを着て、舞台に上がるとなると、大きく話が変わってくる。練習の時間とはいえ、羞恥《しゅうち》に耐えるための心の準備が必要だ。

 

 「良かったですね、稚愛さん。着たかった衣装が届いて」

 「い……いや、先生……。俺は、その……」

 「それでは、更衣室に行きましょう。先生が着替えを手伝いますからね」

 「あの……」

 

 体育館を使える時間が限られているらしく、担任の先生からは、一刻《いっこく》も早く体育館に行きたいという意志が伝わってくる。『稚愛《つぐひと》』は文句を言う間もなく、更衣室に押し込まれ、手早く着替えさせられた。


 「はい、できました。よく似合ってますよ」

 「いや……うーん……」


 一目見て、継人は確信した。稚愛の身体に、このドレスは似合っていない、と。

 外国のお姫様が着るようなドレスと、稚愛の純《じゅん》和風《わふう》な薄い顔が、なんとも不釣り合い。

 

 「じゃあ……さくら組のみんな、行きますよっ! 体育館っ!」

 「えぇっ!? ちょっと、待っ……」

  

 見ている。

 みんなが、見ている。

 廊下を歩いている、お姫様を。

 

 「……!」


 すれ違う人から、ジロジロと。

 通り過ぎようとした教室からも、ジロジロと。

 魔法の国から来たお姫様が、廊下《ろうか》を歩いているのだから、当然みんなが注目する。


 (ヤバい、ヤバいっ……!! めちゃくちゃ見られてるっ!!)


 『稚愛《つぐひと》』は、顔を伏《ふ》せながら、小走りで体育館まで走り抜けた。

 舞踏会から去るシンデレラのように、スカートの裾《すそ》を、そっと持ち上げて。

  

 *


 ひまわり組。さくら組と同じく、特別な学級。

 6人が所属するクラスで、全員が男子である。中三が1人と、中二が3人と、中一が2人。


 (あれが……)


 体育館のステージ上では、ひまわり組の男子たちが、先に練習をしていた。

 一方、『稚愛《つぐひと》』とさくら組の女子たちは、次に練習をするので、観客席のパイプ椅子に座って待機《たいき》していた。そして、後輩たちと楽しくおしゃべりをしながら順番を待っていると、さくら組の担任の先生が、『稚愛《つぐひと》』の近くまでやってきた。

  

 「稚愛さん、準備はできてますか?」

 「え……あ、はい。いつでも」

 「じゃあ、ひまわり組の男子たちがステージを降りたら、ステージの上にさくら組の女子を連れてきてください」

 「ん……? 練習、男子たちと一緒にやらないんですか?」

 「えっ?」

 「本番は、ひまわりのやつらと一緒にやるんですよね? どうして、練習は一緒にやらないんですか?」

 「うん……? んー……まあ、そうですね……」


 当然の疑問。それに対して、先生は答えに困っていた。

 何か言いにくい事情があるのだろうが、それを隠そうとしている。


 「合同練習もしますけど、今はまだ早いです。もう少し、仕上《しあ》がってからにしましょう、という判断で……ですね。稚愛さん」


 ウソだ。思いついたばかりのウソ。先生なのに、この人は今、ウソをついた。

 ただ、『稚愛《つぐひと》』にはウソを暴《あば》いてやろうという熱い気持ちが特になかったので、冷静に「そうですか……」と話を流した。

  

 「じゃあ、私は大道具を運んできますね。後輩たちの引率《いんそつ》、よろしくお願いします」


 そう言って、先生は逃げるように『稚愛』から離れた。

 そして、先生がステージの裏に回ったあたりで、キンコーンとチャイムが鳴った。すると、ひまわり組の男子たちは練習を終えて、ぞろぞろとステージから降りてきた。


 「……よし。じゃあ、行くぞ。俺たちの番だ」

 

 春崎稚愛は、さくら組のリーダーだ。もちろん『稚愛《つぐひと》』もそれを意識して、後輩たちに声をかけ、女子三人でガタッと立ち上がった。

 ちょうどその時、『稚愛《つぐひと》』は後ろから声をかけられた。


 「うわ、稚愛だ」「女子たちじゃん」「何しに来たの?」 

  

 振り返ると、そこにはひまわり組の中二男子たちがいた。


 「あ……?」


 そいつらと目が合った瞬間、『稚愛《つぐひと》』は何故か、猛烈《もうれつ》に不愉快《ふゆかい》になった。

 「何しに」って、劇の練習に決まってる。こっちはこっちで、今から後輩たちと結束を高めようとしてたんだ。部外者《ぶがいしゃ》のクセに、ダルい絡み方してくるな。

 ……という気持ちで、『稚愛《つぐひと》』は自分でもびっくりするくらいキレていた。まだ悪口を言われたわけでもないのに、もう言われた後のようにイライラしていた。 

 

 「稚愛が変な衣装着てるっ!」「ほんとだ、ドレスだ」「作ったの? 買ったの?」


 普通に答えてやればいい。

 ただの質問なのだから。


 「うるせーなぁ……。どっか、行けよ……」

 

 恥ずかしさもあった。冷やかされてるように感じていた。

 そのせいか、どうにも上手く、返答ができない。

  

 「稚愛? 今うるせーって言った?」「ちょっと待てよ! どこ行くんだっ!」「こっち来て、衣装見せろよっ!」


 離れよう。遠くに行こう。『稚愛《つぐひと》』は、そう自分に言い聞かせた。

 嫌悪《けんお》の感情が、抑《おさ》えきれなくなる前に。

 

 「おい無視《むし》すんなっ!!」

 「……っ!!?」

    

 いきなり肩を掴まれ、強い力でグイッと引っ張られた。

 『稚愛《つぐひと》』はとっさに振りほどき、掴んできたやつを弾き飛ばした。理不尽な暴力を受け、ガマンしていた怒りは、頂点に達してしまった。


 (やめろっ……!!)

  

 と、叫ぼうとした。

 なんなら、一発殴ってやろうとも考えていた。


 (……?)

  

 声が、出ない。

 精神的にではなく、物理的に。

  

 「ギリリッ、ギリゴリッ……」

    

 やっと出せたのは、声ではなく音。

 すりこぎのようにゴリゴリと響く、食い縛った歯の音。

  

 「ギリ、リ……」 

 

 頭が熱い。怒りの火はある。

 しかし、身体が全く動かない。ぐーっと全身に力は入っているのに、パンチを打つどころか、ずっと棒立ちだ。


 「しーっ……!! しーっ……!!」

  

 歯の隙間《すきま》から、ものすごい量の息と、唾液《だえき》が漏れる。まぶたにも過剰に力が入り、ギョロリと瞳が大きく開く。

 腕にも、足にも。度を越えた凄まじい力が入っているのに、入りすぎているせいで、直立して相手をガン見したまま、何もできない。

     

 「……!」

 

 普通の人間なら、少し落ち着いて、力を抜こうとするのだが、今の『稚愛《つぐひと》』は、それができない。力がどんどん入るだけで、全く抜けていかない。

  

 「しぃっ……! しぃっ……!」

  

 怒りのピークは超えた。今はもう、困惑《こんわく》の方が強い。このおかしな状態が、どうすれば解除されるだろうかと、心の中では本当に焦っている。

 でも、顔はギョロ目と歯ぎしりのまま。表情すらも変えられない。

  

 そして、この全身ガチガチ状態は、さらなる事態を引き起こした。

  

 「しぃっ……!?」


 プゥッ、プリプリッ。

 とってもマヌケな、おならの音。『稚愛《つぐひと》』はみんなが見ている前で動けなくなり、そのまま放屁《ほうひ》までした。いや、それだけなら、まだしも……。


 (ヤバいっ、出るっ……!!) 

 

 腹筋《ふっきん》に力が入っているので、出そうなものは全部出てしまう。昼に食べたものや、飲んだものが、下半身から。

   

 「しぃっ……!! しぃっ……!!」

  

 助けてくれと、言った。

 誰でもいいから早く来てくれと、大声で叫んだ。

 『稚愛《つぐひと》』は言葉を発せなかったが、「稚愛ちゃんの様子がおかしい」と、周り人間が異変《いへん》に気付き始めた。


 「先生、こっち来てっ! 早くっ!!」「稚愛さんっ!? 稚愛さんっ!!」「お、俺っ、何もやってないぞ!?」「ぼ、ぼくも、知らない!」「勝手になったんだ!」


 人が集まってきた気配がする。でも、『稚愛《つぐひと》』は首が左右に動かないので、何人集まってきたのかは分からない。

 少なくとも、担任の先生は目の前にいる。ひどく慌てて、聞いたことのない強い口調で、周りにいる人に指示を出している。

  

 「稚愛さん大丈夫!? 稚愛さんっ!!」

  

 懸命《けんめい》に、助けようとしてくれている。

 しかし、もう……こちらはガマンの限界だった。


 (うっ……。あ……あっ……)

  

 今度はもう、おならじゃない。

 下着の中には、重みと、湿《しめ》り気《け》。

 

 (あぁ……ダメだ……。出てる……)


 ここは、トイレじゃないのに。

 幼い子どもじゃなく、中学三年生なのに。

 演劇で使うドレスは、汚しちゃダメなのに。

 みんなが見ている前なのに。


 「とにかく向こうで寝かせましょう。誰か手伝って!」

  

 一人に両脇の下を、もう一人に両足を持たれ、『稚愛《つぐひと》』は運ばれることになった。

 身体が持ち上げられた時、「うわっ、水《みず》溜《た》まりできてるじゃん」という、中二の男子の声が上がった。何もできず、醜態《しゅうたい》だけ晒した自分に対して、『稚愛《つぐひと》』はとても悔しくなった。


 *


 運悪く、保健室の先生が不在なので、近くの病院に搬送《はんそう》されることになった。

 今は体育館のすみっこに仰向《あおむ》けで寝かされ、担任の先生と一緒に、救急車の到着を待っている。


 「しぃっ……。しぃっ……」

 

 身体はまだ、ガチガチに固まったまま。

 まずは魔法のドレスを脱がされ、汚れたパンツを脱がされ、替えのパンツを穿かされた。


 「まさか、稚愛さんがおむつをはいてない日に限って、ガチン症が出るなんて。かわいそうだけど、まだパンツは早かったということかしら……」


 そう言いながら、先生は『稚愛《つぐひと》』のスクールバッグの中から、大きめの「スティックのり」のような円柱状の物体を取り出した。


 「使わせてもらいますね。ちょっとだけ、ガマンしてください」

 

 ガマン。……何に対する、ガマン?

 先生が、くるくるとスティックのりのキャップを外すと、その答えが分かった。

 

 (なっ……!? 注射《ちゅうしゃ》針《ばり》っ!?)


 そのスティックのりの正体は、特殊な注射器だった。

 今からチクっと痛みがするけどガマンしろと、先生は言っている。


 「しぃっ!?」


 『稚愛《つぐひと》』は動けないので、容赦なく腕を刺された。

 しかし、思った以上に、痛い。できれば刺してほしくなかったと、思うほどに。この痛みは、腕に力が入っているせいか、それとも先生が医療従事者じゃない素人だからか。


 「しぃ……。しぃ……。あ……」

 

 大胆な注射から10分。だんだんと、全身に入っていた力が抜けていき、『稚愛《つぐひと》』の口はパカッと開くようになった。

 しかし、今度は口が閉じない。アゴのネジが緩《ゆる》んだまま、直らない。硬直の次は、極端な脱力が始まった。


 「そろそろですね。揉《も》みほぐしマッサージをしますよ、稚愛さん」

 

 どんなマッサージかは知らないが、拒否も抵抗もできない。

 『稚愛《つぐひと》』は、全てを受け入れるしかなかった。


 「ふぁ……」

  

 まず、肩から腕にかけてを、優しく揉まれた。

 すると、一瞬、脳がビリッと痺《しび》れるほどの快感《かいかん》が、『稚愛《つぐひと》』の全身を貫いた。


 「あ……。はっ……あぁっ……」


 それから揉まれるたびに、鼻から抜けるような声が、何度も口から出ていった。

 本来、男が出したら気持ち悪いと言われるくらい艶《なま》めかしい声だが、快感が強すぎて、自力で止めることができない。


 「身体も、しっかり揉みほぐしますからね。弛緩《しかん》剤《ざい》が全身に巡《めぐ》るように。ゆっくりと、優しく……」

 「ぁ……。あっ……、あぁっ……」


 『稚愛《つぐひと》』の声が、大きくなっていく。

 もっと抑えたい。でも、止められない。

    

 「あれ、誰?」「ん?」「稚愛じゃね」「稚愛ちゃんだ」「また倒れたのかよ」


 さっきとは違う、男女入り混じった衆人《しゅうじん》の声。

 少し離れているのに、耳が拾えた理由は、それが聞き覚えのある3年2組の生徒たちの声だからだ。クラス演劇の練習をしに、この体育館にやってきたのだ。


 「はぁっ……はぁっ……」

 

 見られたくないし、聞かれたくないのに、あいつらはこっちを見て、聞いている。


 「お、18禁やってる」「18禁って?」「小学校の時、みんなそう呼んでたんだ」「あはは、誰が言い出したんだよ」「男子さぁ……」「え? でもヤバくない?」

 

 こっちを見て嘲笑《あざわら》っているのは、同年代の男女。かつては、継人も向こう側にいる男子だったのに、女子となった今は違う。

 惨めで、苦しくて、とても恥ずかしい。


 「ああぁっ……! はぁっ、はぁっ……あああぁっ……!」


 聞こえてくる言葉を、自分の声でかき消すかのように。心が耐えられないほどの痛みを、声に変えて発散するかのように。溢《あふ》れるヨダレを口からこぼしながら、『稚愛《つぐひと》』は叫んだ。


 「っ……」


 そして、頭の中が真っ白になり、『稚愛《つぐひと》』の意識はそこでプツンと途切れた。

 

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