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5 フィツエリのルーナ(弟子と師匠2)

○月×日

匿名X:俺、第五ですけど、今回、あの腰ぎんちゃく、間近で見て、なるほどと納得しました。・・・怒らせなきゃいい奴じゃねえすか。うちの部隊長もあれで気に入ってるっぽい感じですよね。


匿名A:怒らせたら、その考えも変わる。骨を何ヶ所も折られてみろよ。冬になる度、痛むんだぜ。

匿名B:Aについては自業自得だろ。俺、第三だけど、いい人だと思う。そんなことよりも、あの王都の猫かぶり殺人狂をどうにかしてくれ。あっちの方がどんな盗賊より怖えよ。

匿名C:はぁっ? B、あの人のどこがいい人なんですか。うちを放ったらかして、どこまでもついていくおかげで、こっちはずっと待ちぼうけなんですよっ。

匿名D:Cも寂しいならそう本人に言ってみろよ。・・・そうしたら、お前も連れてってくれるかもしれんぞ?

匿名E:で、それは誰のことなんだ?


 トレストとエルセットが立ち去った後、カロンは一人、月を見上げた。


(あの人が亡くなり、あの人のいないこの屋敷が存在することすら許せない日々もあった。それでも月日は流れていく。俺の心だけを過去に留めたまま・・・)


 彼女の年をとっくに追い抜き、更に人生を重ね、今になって分かることも出てきた。その時のカロンでは理解出来なかったことも、今では理解出来るようになった。

同時に若ければこそ感覚で分かっていたことが、年を重ねることで見えにくくもなった。

 トレストとエルセットには順序立てて話してやったものの、それでも言葉で表現しきれなかった感情がある。

 

(けれどもそれこそが俺だけのもの、俺だけの想いなのだろう)


 かつてケリスエ将軍がサフィヨールに語った、「私の思いは私だけのものだ」という言葉を思い出す。


(それでも俺はあなたの思いすら共有したかったと、そう思うんです。それが不可能だと知っていても)


 きっとケリスエ将軍がそんなカロンの気持ちを聞こうものなら呆れた顔になるのだろう。それでもいい。どんなみっともない姿も今更だ。どうせ最初から最後まで格好悪い姿しかさらしていないのだから。

 カロンは、無言で懐かしい日々を思い返した。






 その後、何が変わるというわけではなかった。ただ、ある程度はカロンをケリスエ将軍も見てくれるようになり、カロンも変わらず乱暴な口調を使いはするものの、その勢いがさほどではなくなったという程度だった。

 それでもカロンが発していた荒んだ空気が落ち着いたのは、何となく誰もが察したのだろう。かえって、それまでの喧嘩っ早い行動とそれとのギャップで、一気に「お前、実は面白い奴だったんだな」「ケリスエ将軍さえ関わんなきゃ、お前も安全な奴だしな」と、親しげな人間が増えたりもした。主にロメスとか、セイランドとか。・・・・・・単に類は友を呼んだだけかもしれない。


(考えてみれば、男ってのは拳で語り合う生き物だからな)


 自分の出身が出身だけに耐えていたのだが、もしかしたらもっと早く暴れていたら親しい友人も沢山出来ていたのかもしれない。

そんな風にカロンも少しだけ反省した。あくまで少しだけ。


「どうした、何かあったのか?」

「あ、ケイス第六部隊長」


 そんなある日、カロンは馬に乗って城壁外の見回りに出ていた。単に気晴らしに出ただけである。そこで門番達が何やら困った様子で集まっている所に行き当たった。

 そこには門番達に囲まれて、涙を流している少年がいた。


「いえ。実は捨て子でして・・・」

「捨て子?」


 カロンが問い返すと、門番達が次々に説明してくる。


「はあ。ちょうど一昨日やってきて昨日出て行った夫婦だと思うんですけど、ロームの親戚宅を頼りにやってきた筈なんですが、その親戚がもう亡くなっていたらしいんですよね」

「それで俺達にも子供が奉公できるような所はないかとか訊いてきたので覚えてたんですが、今朝、気づいたら門の外にこの子だけ置き去りにされていまして・・・」

「むごいことをしやがるもんですよ。門の外なんて、それこそ夜中に何があるかも分からないってのに」

「ですが、このままじゃどうしようもないですからね。正直、この子を引き取ってくれるような商人とか農家とかがあればいいんですが、・・・このままじゃ人買いに連れて行かれるのがオチです」

「孤児院に連れて行くしかありません、さすがに」

「俺達だって引き取る余裕はありませんから、可哀想ですけど」


 カロンはその少年を黙って観察した。あくまで静かに泣いている少年は己の運命を受け入れているらしい。媚びるのではなく、あくまで従容(しょうよう)として運命を受け入れる表情だった。


「少年。名前は?」

「・・・ヨイネ。ヨイネ・カユロです」


 何度も同じことを尋ねられたのか、少年はぼそぼそと戸惑わずに答えてきた。金の髪に青い瞳をしている。色合いは珍しくないが、顔立ちは異国の人間らしく小づくりだった。

 自分が戦場で拾われた時よりも少し小さいぐらいだろうか。

 カロンは門番達に言った。


「孤児院は最終手段でいいだろう。この少年を連れて行っていいか?」


 すると門番達の顔にも喜色が走った。働ける場所があるのだと分かったからだ。ロームで孤児院に入るくらいなら、浮浪者になる方がまだマシだと言われている。


「勿論です」「良かったな、坊主」「泣くな、親が全てじゃないさ」「そうだ、ちゃんと真面目に働けばどうにかなる」「ありがとうございます。俺達もさすがに不憫だと思ってたんです」


 そんな門番達に、カロンは小さく微笑んだ。

 そうやって小さく弱い者を思いやれる人達がいる。だからまだ人は悪いものじゃないと思える。


「来い、ヨイネ」


 少年はおずおずと近づいてきた。大柄なカロンが怖いのだろう。びくびくと怯えている。


「馬に乗ったことはあるか?」

「・・・ないです」

「じゃあ、初めての体験だな。ちゃんと落とさないようにしてやるから、まず乗ってみろ」


 そう言って、カロンはヨイネを先に馬に乗せ、それからその後ろに自分も飛び乗った。


「ヨイネ。親がいなくても人は生きていける。俺だって親はいなかったがそうやって育った。・・・もう泣くな」

「・・・はい」


 あの頃、どんな思いでケリスエ将軍は自分を拾ってくれたのだろう。そう思いながら、カロンは門番達一人一人の顔を見渡して、告げた。


「この少年次第だが、孤児院に入れる前にちょっとうちで下働きをさせてみよう。・・・勤まるようならそのまま引き取る」


 そうしてカロンはヨイネを連れ帰り、ケリスエ将軍の了解をもらってから、家政婦のフィオナと騎士見習いのリールスに引き合わせ、ヨイネを従者としたのだった。


(俺の従者ということで軍に連れて行き、サフィヨール様の下働きをさせておけばいいだろう。少しお体が辛そうだしな。リールスも悪くないんだが、どうしても騎士見習いのプライドがある。人に見られて恥ずかしい雑用はあまりしたくないようだ。その点、ヨイネなら気軽にサフィヨール様も使えるだろう)


 思った通り、苦労してきたらしいヨイネは、サフィヨールやフィオナの手伝いもよくする少年だった。

まさか自分が引き取られた先が将軍のような偉い人の屋敷だったとはと、最初は目を白黒させていたが、肝心のケリスエ将軍は自分のことは自分でする人の上、カロンも自分で全てをしてしまう人間である。

ヨイネは、自分に求められているのはサフィヨールやフィオナの手伝いなのだとすぐに察し、リールスの反感を買わぬようそちらの手伝いもこなしながら、すぐに自分の居場所を確保した。


「僕、カロン様に引き取られて良かったです」

「別に俺は何もしてないさ。ここはケリスエ将軍の屋敷で、俺とて住まわせてもらってるだけだからな。・・・ただ、決してケリスエ将軍の使っている片翼には立ち入るな」

「はい、分かりました」


 今ではカロンもどうしてケリスエ将軍が自分の使っている片翼に人が立ち入るのを嫌うのか知っている。自分のテリトリーに他人の気配があるだけで落ち着かないからだ。

ケリスエ将軍の不在時にフィオナが掃除するのは許されているが、基本的に立ち入れる人間はカロンだけだ。

そしてカロンもあまりそれをケリスエ将軍が好まないと知っている為、まず立ち入らない。

以前に一度、ケリスエ将軍とカロンが二人暮らしと知って入り込んだ盗賊達がいたのだが、朝になってから彼らは血まみれで庭に転がっているのが発見された。どうやら屋敷の二階から突き落とされたらしかったが、落下速度だけではない力も加わっていたようだった。

問題はそれをケリスエ将軍が覚えていなかったことにある。ケリスエ将軍は起きていたり出先で寝ていたりするのであればさほど危険ではないが、屋敷で安心しきって寝ている場合は無意識で行動してしまうようだった。


「状況から見て私がやったんだろうとは思うんだが、・・・昨日は熟睡してたしな。私も寝ていたら勝手に体が動く。剣で殺さず突き落としたのは、部屋を汚さないようにと考えたのだろうが」


 こんな調子である。起きていたり眠りが浅かったりするなら手加減もできるが、無意識だと殺してしまうとはどこまで危険な将軍なのか。この噂は瞬く間に広がった。今では玄関の扉を開けっ放しでも入ってくる泥棒はいない有り様だ。

 さすがにリールスとヨイネの死体を見たくないカロンも、その辺りはきっちりしっかり説明していた。






 ケリスエ将軍とサフィヨールを含めた部隊長達、合計八人の会議はどこまでも情報交換が活発である。

他の軍と違い、ケリスエ将軍は一方的に部下達に命令を下すのではなく、それなりに自由な発言を許すからだ。それでも乱雑さがなく礼儀がなっているのは、同時にケリスエ将軍の、近寄りにくい雰囲気があるからなのだろう。


「今度の西南方面の国境での戦だが、・・・地図は?」

「さっき、たしか・・・。ああ、王都騎士団に貸しっ放しだ。返してもらってきます」


 カロンが部屋から出て行くと、待っている間、残された七人も雑談という雰囲気になった。


「どうなることかと思いましたが、カロンも落ち着きが出てきましたな。さすがにうちでは最年少の部隊長とあって距離をおかれているが、近衛騎士団や王都騎士団の人間とは友人も出来ているようだ」

と、クネライ第一部隊長が、小さく口角を上げて言う。


「元々面倒見がいいタイプなんでしょうな。報告が上がっておりましたが、ガラの悪い奴らがうろつく辺りを、よくカロンが散策している為、被害が激減したとか」

と、カリスフ第三部隊長も、部下からの報告を交えてそれに加わる。

二人にしてみれば、問題行動ばかり起こす兵士達もいる中で、カロンのそれは自分で立ち直ったこともあり、今となってはかなり好意的に評価していた。

だが、そこで苦笑せずにはいられないのが、ソメノ第四部隊長である。面白そうに、聞いたばかりの噂を披露した。


「そうとばかりも言えますまい。・・・ちょうど二日前、ええ、下卑た噂をしていた奴らがいたらしいのですが、なぜかいきなり川に放り込まれたらしいですぞ。ええ、どんな噂をしていたのか語りたがらず、犯人についても黙り込んでいるのですがね」

「それはともかくとして、将軍ももう少しだけカロンに優しくしてくださると助かるのですがね。鉄は熱いうちに打てと申しますが、何でもかんでも叩けば良いというものではない。カロンはその優しさすら強さにしていける人間だと思いますぞ」


 ソメノ第四部隊長から問いかけられるような視線を向けられたサフィヨールは、知ったことかと言わんばかりに、話をケリスエ将軍へとまわした。

 そうなると、やはり先日からそれなりに悩んでいたケリスエ将軍も、吐露するものがある。


「・・・サフィヨール殿はカロンを買いかぶり過ぎているのではないかと思うのだが。正直、私は子育てを失敗したのではないかと思っている」


 そこで全員が沈黙した。

言うまでもないが、ケリスエ将軍とカロンは少なくとも子育てという程の年の差などない。ついでに言わせてもらうのであれば鍛え上げはしても育ててはいないだろう、この将軍は。

育てたと言い張るなら、それこそ育児放棄の間違いだろうと言いたくもあった。

 ソチエト第五部隊長が口を開いた。


「失敗、ですか。あの小僧はかなりの成功例だと思いますがね。将軍はどこがご不満だと?」

「思ったように育たなかったことだな」

「ほう。具体的にはどんな所が?」

「体と技能は良しとしよう。問題は精神力だ。すぐに泣くし、どこまでも弱い」


 二人の会話を聞いていた人間は、(いや、かなり精神力はしぶといだろう)と、思った。普通ならとっくに(くじ)けている。あれが弱いというのであれば、この軍に精神力が強い人間は将軍しか残らない。


「それから全くもって言うことをきかないことだな。私を殺すようにあれ程言い聞かせたのに、『じゃあそれは数十年後に』と、全くもって私の目指す所を理解しようともしなければ、あえて無視する」


 部隊長達とサフィヨールは、(誰だって理解できねえよ)と、思った。それどころか、よくぞこの将軍を相手にそこまで持っていったものだと思う。あいつは頑張った。心から褒めてやりたい。


「何より親離れできていないことだ。独り立ちすべき年になっても、その兆候すらない」


 誰もが、(親だなんて思ってねえだろが)と、本気で思った。あれは誰がどう見ても、好きな女に執着しているだけだ。この将軍の強さと危なさを知った上で惚れているのだから、十分に一人前だろう。


「将軍はかなり点が辛くていらっしゃるが、客観的に見させていただくのであれば、あれはいい男だと思いますぞ、将軍。・・・ま、本人には言ってなどやりませんがね」

「第五部隊長も子育てに失敗してみれば、私の気持ちが分かると思うのだが・・・」


 駄目だこりゃと首を横に振ったソチエトに対し、ケリスエ将軍は小さく溜め息をついた。

それなりに子育てを終わらせている人間に自分の気持ちは分からないのだろう。これでもかなり悩んでいる。・・・ここまで順調にきて、どうして最近は肝心の本人が本人の為にならないようにばかり動くのか。


「私から見れば、将軍もカロンもまだまだお若い。それに将軍、あなたの愛弟子は、どこまでも強く優しい男だと思いますぞ」

「サフィヨール殿はそうやってカロンを過大評価していらっしゃるが、私としてはもう少し非情さを身につけてほしいところだ」

「結構なことではないですか。・・・私は、あなたが仕込んだだけあって、かなりの出来だと思っておりますよ」


 そこへカロンが戻ってくる。一斉にカロンへと視線が集中した。


「ちょうど返しにきてくれた所に行き当たったので、・・・・・・何か?」

「いや、何でもない。説明を始める。広げろ。今回は第一と第二、そして第三が出るからな、そちらの前へ」


 そうして雑談は中断され、会議は続けられたのだった。






 国境近くに、ある小さな村がある。そこはカスクレ村と呼ばれていた。

 そのカスクレ村から二つ程村を挟むと、砦があるのだが、ケリスエ将軍はソチエトが率いる第五大隊とカロンを連れて、カスクレ村へとやってきていた。

 戦いというよりは集団的な闇討ちに近かったが、カスクレ村に巣食っていた他国の兵士達も片付け終わり、ケリスエ将軍は一人、湖で魚を捕まえる為に網を投げていた。


「兎がいました。ここで(さば)いて食べていきましょう。残ったら兵達の煮炊き用にまわします。・・・ああ、けっこう魚も獲れたんですね」


 そう言って数羽の兎をぶら下げたカロンが戻ってくる。

「あなたが見回りなんてしてたって何の役にも立ちません。そんなに暇なら、手伝ってくださいよ」

と、カロンに巻き込まれたケリスエ将軍だったが、特に断る理由もなかったので、小魚を捕まえては枝で突き刺して、焚き火で炙っていた。

 慣れ親しんだ手順のせいだろう、カロンはさっさと兎を捌いては肉の塊にしていく。それを見ながら、ケリスエ将軍も最初はおっかなびっくりだった少年もかなり手際が良くなったものだと感じていた。


「亀も獲れたが、それも煮炊き用にまわしてやればいい。こっちはその兎と魚で十分だ」

「野営地と違う方角のせいか、こっちに獣も逃げてきているようですね。明日からこっちで狩りをした方がいいかもしれません」

「とはいえ、狩りつくすわけにもいかん。なるべく早めに撤収しよう」

 

 兎の肉が焼けるまでの間に、二人で焼けた魚を食べていった。何かとケリスエ将軍に反抗的なカロンだが、こういった時は手分けして無駄なく進めていく。

 カロンにしても、誰もいない状況でケリスエ将軍と作業をする時はそれなりに会話もしてくれるし、色々と教えてくれたりもするので、昔からこういう時間が好きだった。

 人前ならもう少し乱暴な口調のままなのだが、二人きりならばカロンも昔からのように丁寧に話さずにはいられない。様々な場所で、様々な時間を、こうして二人だけで過ごした。・・・ただし、将軍は無言のことが多かったが。

 ケリスエ将軍が食べながら自分を見ていることに気づき、カロンが「何か?」と目で尋ねる。


「いや、大きくなったものだなと思ってな」

「そりゃ誰だって成長ぐらいしますよ。あなたは全く変わりませんが」

「成長期は終わってるからな」


 カロンの全く変わらないという言葉は、本心ではなかった。カロンにしてみれば、初めて会った時は自分よりも大きな女剣士でしかなかったからだ。やがて自分の背が追いつき、そうして自分の方が大きくなり、今では見下ろすことすらできる。

この人が小さくなったのではなく自分が大きくなったのだと分かっていても、まるで自分の成長に合わせて自分よりも小さな姿へと落ち着いてくれたような気すらしていた。

全く変わらないどころか、年月と共に、目の前の人は自分にとってどこまでも特別な存在へと変化していく。

 そしてそれでも自分がこの人を眩しく思う気持ちだけは変わらない。

 恥ずかしくて伝えようとも思わない、そんな気持ちをカロンは静かに飲み下した。


「ところでカロン」

「はい」

「何でお前は何かというと私に同行するんだ」

「いけませんか?」

「おかげで名実共におまえが私の副官として認識されてしまってるだろうが」

「何か問題でも?」

「鬱陶しい」

「・・・別にいいじゃないですか。俺に将軍の座を狙えと言ったんだから、今のうちにその仕事を把握しておくのも大事なことでしょう」

「ほう。で、いつ狙うんだ?」

「・・・ロメス殿が将軍になる頃にでもどうでしょう」

「何十年後だ、それは」


 どこまでも理解できないことをぬかしてくれる弟子である。

ケリスエ将軍は馬鹿らしくなった。どうしてこんな奴の為に、自分は色々と考えてやらねばならないのだろう。やはり育て方を失敗したのではないだろうか。


「どうでもいいじゃないですか、そんなこと。それより兎も焼けましたよ。・・・それに、俺が軍にとって用無しになったら一緒に逃げてくれるんでしょう?」

「その前に自分の立ち位置を確立させろと言ってる」

「はあ。まあ、その内に」


 二人とも食べるのは早い。のらりくらりとカロンが言を左右にして(かわ)している間に、食べ終えてしまった。それなりに腹も膨れている。


「せっかくだから私はここで水浴びしていくが、お前は?」

「そうですね。俺もここで体を洗っていきます。お先にどうぞ」

「ああ」


 泳げない人間は多いが、二人とも泳ぐのは得意である。だが体を洗うのが目的な為、ケリスエ将軍はちょうど小川が湖へと流れ込んでいる辺りの浅い部分へと移動すると、服を脱いで洗い、水浴びを始めた。

 他の兵士達がいる所ではケリスエ将軍が女性であることを実感させてしまう為、そういった行動も慎むようにしていた。しかしカロンはこういった時は見ないように心がけるし、ケリスエ将軍が仕込んだだけあって、阿吽(あうん)の呼吸で動ける。

 ケリスエ将軍にしてみれば、カロンは女性として気をつける必要もなく、そして一緒にいても苦にならない弟子だった。


(そういう意味ではかなり悪くない男に育ったと思うんだが、生まれたての雛鳥のように私の後をついてくるのだけはどうにかならないものか)


 弟子との年が近い場合は、特にきちんと距離を置いておくことも大事だと教わった。だから、それなりに距離を置いて育てたつもりなのだが、どうもその辺りが失敗しているように感じられてならない。それ以外は悪くないと思うのだが・・・。


(やはりさっさと嫁をとらせるか。そうすれば落ち着くかもしれん)


 そんなことを思いながら、ケリスエ将軍は湖の底に溜まった泥を使って体の汚れを落としていった。


「けっこう乾燥してくれてて助かったな。これなら燃えやすい」


 一方、カロンは枯れ枝を拾ってきては焚き火の傍に置いていっていた。


(服を乾かすとしてこの程度あればいけるか。上の枝に服を掛ければ乾きやすい筈だ。・・・大体、鬱陶しいとか言うけど、俺以外に誰があの人のこういうことをするっていうんだか)


 そりゃ将軍も自分で出来てしまう人だから問題ないのだろうが、いくら無敵の将軍でも服を脱いだ姿はどこまでも女性だ。誰も見張りがない中で、いつか問題が起きたら、・・・・・・その場合、殺されるのは襲った方だろうが。あの人は素手でも人を殺せる。いや、そういう問題ではない。

 自分の身にも問題が生じてしまう為、見ないようにはしているのだが、ちらりと視線を向けると、ケリスエ将軍はこちらに背を向けて髪を洗っていた。

 焦げ茶色のまっすぐな髪が、その小麦色の肌の上を滑っていく。


(どうせ見られたところで恥じらってもくれないのは分かってるけどな)


 頑張ってその背中から視線を外す。この男所帯で、天幕へ運べる水も限りがあった。きっちり洗っておきたいのだろう。その気持ちは分からなくもない。


(なら俺もさっさと水浴びするか。俺はこっちの岸で構わないし)


 自分は髪も短いし、時間もかからない。野営地の近くにも川はあるし、煮炊きしている教会にも井戸はあるが、どうしても限度というものがあった。

 カロンはシャツを洗って先に焚き火の上に干すと、そのまま湖に入る。できれば体の火照りも鎮めておきたかった。


(どこまでも不毛なんだな、俺って)


 それでも水の中に潜りながら手巾で体を(こす)っていくと、そちらに集中できた。泥を(すく)って擦れば更に汚れ落ちも良いのは分かっていたが、さすがにそこまでしようとは思わない。

 自分が手早く終わってしまうと、ケリスエ将軍もそれに合わせるだけだろう。そう思い、のんびりと潜ったりしながら、カロンは久しぶりに泳ぎを楽しんだ。


(将軍にスパルタで教え込まれた時は恨んだけど、やっぱり泳げて困ることはないよな。気持ちいいし)


 やがて岸に上がると、湖に背を向けてケリスエ将軍が服を乾かしながら、髪を手で梳いていた。

 手巾を絞ってから自分の全身を拭くと、カロンも岸に置いてあったズボンだけ身につける。シャツはもうすぐしたら乾くだろう。


「そこに小さなブラシを出していませんでしたか?」

「ああ。だが、別にそこまでする程でもないしな。放っておけば乾く」

「・・・・・・」


 ケリスエ将軍が髪を伸ばしているのは、あくまで首という急所を保護する為だけだ。その為、不揃いであろうと気にしない上、もつれたら切ればいいという認識しか持っていない。

それでも本人の覇気溢れる容姿は得なもので、それすら本人の野性的な魅力を引き出していた。・・・女性にもててどうするのかとは思うが。

 カロンは黙ってブラシを取ると、将軍の背後でその焦げ茶色の髪を梳かしだした。どうして髪の短い自分がこんなものを持ち歩く羽目になっているのか、きっとこの人は理解する気もないのだろう。


「別にそんなことまでしなくていい」

「俺がしたいんです」

「ならお前も伸ばせばいいだろう」

「・・・・・・」


 最近、ケリスエ将軍の髪がきちんと切り揃えられているのは、ひとえにカロンの努力によるものだ。

髪の先から順に梳かしていき、その合間に手巾で水気を取り、その度に手巾を絞っていく。最後に香りのついた軟膏を少し手に取り、濡れて黒みを帯びた髪に馴染ませた。手荒れに効く軟膏なのだが、髪に艶を出す効果もある。


「これで髪も梳かし終わりましたし、いいかげん、服を着てください」

「今、乾かし始めたばかりだ。乾くまでまだ時間がかかる。お前は先に帰れ」

「・・・・・・」


 カロンとしては何も身につけていない将軍の前には行きたくない。かといって将軍の背後でずっと湖を見ているのも間抜けだ。

 将軍の方を見ないようにして、ほとんど乾いている自分のシャツを枝から外すと、それを将軍の顔に向けて投げた。その程度、さっと手で絡め取る将軍だと分かってはいたが。


「お前な・・・」

「それ、服が乾くまで着ててください。俺だって男なんです」

「気になるなら帰れというのに」


 ぶつぶつと文句を言いながら、ケリスエ将軍がシャツを羽織る。

 ケリスエ将軍はカロンのことを基本的に放置しまくりな人だが、それでもカロンが主張したらある程度は折れてくれることもあると、絡みまくった結果、カロンは学習していた。

 炎を眺めながら、ケリスエ将軍が静かに呟いた。


「いささか暴れ足りない人間の不満があるようだ」

「はあ」

「少し発散させておく必要がある。・・・武器無しでの勝ち抜き戦でもしてみるか」

「褒美は何に?」

「そうだな。一位から三位までは、フィツエリにおけるその娼館のナンバーワンからスリーまでというのはどうだ?」

「やる気が出そうですね。さて、乾くまで少し寝ておいてください」

「何故?」

「別に俺と話すこともさほどないでしょう。その話は第五部隊長に伝えておきます。乾いたら起こしますから」

「そうか。じゃあ、適当な所で起こせ」

「はい」


 そう言うと、ケリスエ将軍はそのまま横になって寝てしまった。

 二人だけの野宿というのであればともかく、雑多な空気が入り混じる大勢での野営時、ケリスエ将軍は休んでいても意識の一部を常に覚醒させ続けている。

 その程度がこたえる人ではないと分かっていても、せっかくなら休ませておきたかった。


(そういう意味では信頼されているのか、何なのか・・・。いや、どうせ自分を殺せとまで言った相手だからどうでもいいとでも思ってるだけなんだろうな。そうだよ、この人にだけは期待したら馬鹿を見るんだ・・・)


 それでもこの人が自分の安全を任せて寝てくれるのはカロンの前だけだと思えるから。だからもうそれでいい。それだけでいい。

そう思って、カロンは必死にシャツから出ている形のいい脚を見ないようそっぽを向き続けたのだった。

 





 風変りな文化を持つ、フィツエリ男爵が治めるフィツエリ領は、かなり温暖な南に位置している。

 カスクレ村での一仕事を終えたケリスエ将軍達は、帰り道にあるフィツエリに立ち寄り、そこの蒸し風呂などを楽しんでからロームに帰還する予定だった。

 

「フィツエリ男爵への挨拶はしないわけにはいかないだろう。だが軍勢を見せるのは脅しだと思われかねない。威嚇ととられぬよう、少人数で挨拶に行き、離れた郊外に野営する」

「何人ぐらいにしておきますかな。十人程度でよろしいか」

「ですが第五部隊長。言っておきますが、かなり将軍と第五部隊長だけでも存在感ありますよ。小隊長達を含めて十人もいたら、誰もがビビるんじゃないですかねえ」


 のほほんと、カロンは他人事のように言う。カロンは、鬼の居ぬ間に洗濯とばかりに、その間に城下町を見に行くつもりだった。なかなか風変わりで楽しそうな地域だと思う。それに、・・・人違いかもしれないが、どこかで見たような顔も見かけていたのだ。


「おい、小僧。何で自分をそこで抜かしてるんだ?」

「え? 俺、そういう堅苦しい挨拶とかは苦手なんですよ。ほら、俺、おまけで来た人間ですし。・・・俺は留守番でもさせておいてくださいよ、ね、将軍?」


 愛想よく言ってみたつもりだったが、ケリスエ将軍とソチエト第五部隊長には何の感慨も呼び起こさなかったようだ。カロンの発言は戯言(たわごと)として却下された。


「私と第五部隊長、第六部隊長は行くに決まっているだろう。この三人は絶対だ。別にこの三人だけでも構わないのだが、・・・さすがにそれは少なすぎるか」

「そうですな。じゃあ、我々三人に、あと三人の合計六人にしておきますか」

「分かった。残り三人の人選はソチエト殿に任せる」


 ケリスエ将軍とソチエトとカロンの話し合いでそう決め、まずはフィツエリ男爵の所へ挨拶しに出向いた。

先頭を行くケリスエ将軍の後を、ソチエトと並んで付き従いながら、カロンはケリスエ将軍から発散されている気迫を強く感じていた。


(相変わらず凄い気迫だよな。それこそ戦を仕掛けに行っているかのようだ)


 だが、それだけの覇気を発している将軍なればこそ、それに付き従う自分達もお遊びの軍勢とは看做されずに済むのだ。ケリスエ将軍に付き従う部隊長達は無口だと言われるが、この存在が何を考えているのかそっちの方が気になって、他はどうでもよくなるだけだ。

 男女の区別も肩書きの順序もない状態ならば、その場で誰よりも強い存在だと自分達は知っている。何よりほとんど不敗の将軍である。実績が全てだ。そこまで部下を心酔させられるトップを戴くからこそ、ローム国騎士団は他よりも一丸となれる。


「この度は、逗留を快く許してくださいましたことを感謝申し上げます。将軍職を拝命しておりますケリスエでございます。また、付き従っておりますのは、第五部隊長のトル・ソチエト、第六部隊長のカロン・ケイスにございます」


 フィツエリ男爵の後ろにいる若い男、それが長男のロカーン・フィツエリだろう。ロカーンはケリスエ将軍の姿に目を丸くしていた。どうやらロカーンはかなり剣もたしなむようだ。手を見れば分かる。

 ロカーンはケリスエ将軍から全く目を離さなかった。

ケリスエ将軍の覇気は、人を怯えさせるか惹きつけるかのどっちかだ。ロカーン・フィツエリは僅かな後者かもしれない。

カロンは、そんなことをちらりと思った。

 

「丁寧な挨拶、恐縮である。将軍の顔を王都で見かけることはあっても、こうして親しく言葉を交わせる機会などなかなか無く、立ち寄ってくださったことを嬉しく思う。この度はかなりの戦果を挙げられたとのこと、お喜び申し上げる。お疲れでもあろう。簡単にこちらの挨拶をさせていただこう。そして後ほどはゆっくりとお話をお聞かせ願いたい」


 互いの挨拶が終わると、そのまま宴へと案内された。壁側に沿って一人一人にベンチが用意され、そのベンチの前にはご馳走が並んでいる。

 なぜベンチなのか。それは両側に美女を侍らせることができるように、だ。

 空いた広間の中心では、もてなしの為の舞などが披露されるらしい。

 カロンは小さな声でソチエト第五部隊長にぼやいた。


「だから逃げたかったんですよ。俺、こういうの、ガラじゃないんです」

「泣き言を言うな、小僧。将軍を見習え」

「そりゃ将軍はいいですよ。お互いに安全牌(あんぜんぱい)だから楽しく仲良くいちゃいちゃしてりゃいいんですから。俺らなんて、まさに喰われる側としてロックオンされるだけじゃないですか」

「最高じゃないか。男なら楽しめ」


 カロンにしてみれば、同じ部屋にケリスエ将軍がいるというのに鼻の下を伸ばせるものではない。しかし酌女達はプロである。男をその気にさせる為の仕草も何もかもが手馴れている。さりげなくこちらの肩や胸、腹や太腿などに触れてこられて、自分の体が反応せずにいられるだろうか。


(あー、一番下座に行きたかった。・・・俺の身代わり役を頼んで俺が従者役をすればよかったのか。いや、将軍が許してくれるわきゃないけどさ)


 そんな宴席だったが、カロンはフィツエリ男爵の隣に場違いな若い娘が同席しているのにも気づいていた。

現在、カロンの酌をしてくれている女性はかなりの美女だったが、さすがに玄人だけあって、カロンがあまり迫られるのを好きではなさそうだと判断したらしく、おかげでカロンも落ち着いて飲める。


「あの男爵の横にいるお嬢さんはご令嬢ですか?」

「まあ。私共に敬語をお使いになる必要はございませんわ。・・・ええ、ルーナ姫様です。お可愛らしい方でいらっしゃいますでしょう?」

「いえ、あまりに場違いだと感じたものですから、無理矢理に連れてこられたのかと思っただけだったのです。それにすみません、どうしても女性には礼を尽くすよう教え込まれておりまして。あなたに向かって丁寧に話してしまうのは、どうかお許しいただきたい」


 聞き出したいことを聞いたら、あとは情報提供者に丁寧に対応すべきだけである。

 カロンとて、宴席にふさわしくない女性が同席しているというのは、何らかの理由があると分かっている。これが敗戦した相手がしてきたのであれば大抵が貢ぎ物としてである。勝利した側であればそれだけの高位にある者として立ち会っていることになる。そして対等な立場となれば・・・・・・。


(これでケリスエ将軍が男であれば、そういうことだっただろうが)


 性別の問題だけはどうしようもない。が、そうなると。


「そうなんですの? 剣を取る殿方にしてはお珍しいことでございますこと」

「両親を亡くした俺を育ててくれたのは少し年上の女性で、更にそこで家事を手伝いに来てくれていた高齢の女性に面倒をみてもらいました。・・・そう言えば納得していただけますか?」

「まあ、そうでしたの」


 ほほほと酌女が笑う。

 その笑顔の裏で、こういった仕事に就く女性をも貴婦人のように扱う男に対し、純粋な好意を抱いた。先程からタイプの違う美女が交代でこの男についていたのだが、どれに対しても男は嫌そうな顔になっていた上、しかも自分を気に入った様子なのは触ってこないからという理由らしい。

 かえってこのフィツエリのどの重臣よりも清廉潔白な男ではなかろうか。

 人柄はかなり良いと報告しておこう。


(場違い、ね。・・・たしかにその通りだわ。だけどこの男、そのルーナ姫が自分の縁談相手って知らないのかしら。全く興味ない様子だけど。誘惑するように言いつけられていたこちらも軒並み全滅したし)


 やがて時間が立って場もほぐれると、フィツエリ男爵がルーナを連れてケリスエ将軍の所へと移動した。


「ルーナ・フィツエリと申します。お目にかかれて光栄です、将軍様」

「美しい姫君でいらっしゃる。ケリスエでございます」


 ケリスエ将軍がルーナのベールに口づける様子を、カロンは苦々しい思いで見ていた。

何だかとても嫌な予感がする。自分は仮病を使ってでもこの場に来るべきではなかったんじゃないのかと、思わずにはいられない。


「姫君に剣舞を捧げたいが、お許し願えますか?」

「まあ。・・・喜んで」

「カロン、剣舞の相手を」

「・・・・・・はっ」


 そこで嫌だと言えたらどんなに良かっただろう。しかし、フィツエリ男爵の前で醜態を見せるわけにはいかない。

 ケリスエ将軍の席にルーナが座り、ケリスエ将軍とカロンの二人が広間の中心に出る。

 楽団にケリスエ将軍が耳打ちすると、ケリスエ将軍との剣舞に使っていた曲が流れ始めた。


(やってられっか。・・・だけど、ここで無様な真似をしたらこの人が馬鹿にされる。・・・こんな余興で出すようなもんじゃないってのに)


 初見で覚えられるものではないと分かってはいたが、それでもカロンにとっては二人だけで練習し続けた大切で特別な剣舞だ。かなりムカつきながらも、カロンはそれでも集中して臨んだ。なぜなら自分の前にいるのがケリスエ将軍だからだ。


(ああ、こうして向かい合うのは久しぶりかも。やっぱりこの人の動きはしなやかで綺麗だ)


 向かい合い、互いの存在に集中すれば、やはり幸せだと思えた。曲に合わせて作られたが為に、本来の型を更に速めたりゆっくりとさせたりした動きは、まさに舞いと呼ぶものだったが、それでもやはり剣の型である。

 舞姫達よりも、剣をとる者の方が見入っているのをカロンは感じた。


(あ、第五部隊長も見てる。・・・そういえば、あの人は知ってたっけ、この剣舞。だけど俺も、あの頃よりもうまくなったと思うんだが)


 久しぶりなのに、呼吸はぴったりだった。互いの剣先の位置までもしっくりと合っている。その黒い瞳を見れば、それだけで打ち合わせも出来た。


(言わなくても分かる、あの人の言葉が)


 互いの身長差を考えながらどちらが上手(かみて)に行くのか下手(しもて)に行くのか、互いに独楽(こま)のようにクルクルと回りながらも、その合間に剣を響かせ合うタイミングすら、二人は瞳で合図する。


(元はと言えば、これは神に捧げるものだ。だから見る人に美しいと思わせる動きなんだな)


 周囲の息をのむ様子を感じ取りつつ、カロンはそう思った。

 ゆっくりと動かす時にはその剣先に僅かなブレもおこらぬように、速く動かす時には、その軌跡すら綺麗なものであるように。


(なんか見た時から気に食わねえ感じだったが仕方ない)


 最後にケリスエ将軍とカロンの剣が、音を立てて同時に交差し、ルーナに差し出された。


「ありがとうございます。お二人とも。とても素晴らしい剣舞を見せていただきました。きっと私、一生忘れません」


 割れんばかりの拍手の中、ルーナがそう頬を赤らめてケリスエ将軍に言った。

カロンは本気で、ここにはケリスエ将軍こそ仮病でも何でも使って来させるべきではなかったと、思わずにはいられなかった。

 やがてカロンとルーナも互いに挨拶を交わす。


(てか、こいつなんだろうな。あの縁談の一人とやらって。・・・だが、将軍の傍に置いておくよりはマシか? いや、そういう問題じゃない)


 結局、何が悲しくてか、カロンとルーナは同じベンチに座る羽目となったのである。

 だが人というのは会った瞬間にピンときてしまう関係というのがある。カロンとルーナは、お互いをその時点で「気に食わない奴」認定していた。見た途端に、分かったのだ。お互いに好意などないこと、そして自分達がライバルであることに・・・。

だが、周囲はそれに気づいていなかった。


「ねえ、カロン様。ケリスエ将軍はどんな食べ物がお好きなのかしら?」

「さぁ。何でも食べますから」

「なら、何を作って差し上げたら喜ばれると思います?」

「はっきり申し上げまして、深窓の姫君が作る料理なんて食えたもんじゃないです」


 二人の会話はどこまでも弾んでいた、違う方向に。


「将軍はお菓子って召し上がるのかしら?」

「出されたら食べますね。ところで、姫君はもしかして将軍に気があるのでしょうか?」

「まあ、はしたないことをおっしゃいますのね」

「いやいや。あなた程はしたない女性は存在しません」

「そういえば、将軍の養い子でいらっしゃるとか?」

「ええ、そうです。ですから、もう家族は不要なんですよ、ええ」

「じゃあ、私のことを『お母様』って呼んでくださっても構わなくてよ」

「ざけんな、小娘」


 それは笑顔でどこまで相手を攻撃できるか、・・・そういった舌戦になっていた。


「ねえ、カロン様。考えてみた方がよろしくてよ。だっていつまでも子供は親にくっついているものではありませんもの。お若い将軍もお気の毒ですわ」


 そんな会話が始まる前から、ルーナの視線がケリスエ将軍に熱く向けられていることに、カロンが気づいていない筈がなかった。そしてターゲットをロックオンしたルーナも、誰が一番の障壁なのかを見事な勘で嗅ぎ分けていた。


「子ネズミ如きに心配されるようなことは何一つありませんよ、お気遣いなく。ま、少なくとも初対面から目をつけて夜這いしかねないようなアバズレなんぞ、うちの将軍に近づける気もありませんがね」

「まあ。育ててもらった恩を返すどころか、まだまだご自分に縛りつけようなんて考えているようなロクデナシなんかよりも、そういう積極的な女性の方が将軍もお幸せに暮らせるのではないかしら」


 育った環境が環境なのでアバズレという言葉の意味が分からないルーナだったが、言葉というのは単語が分からなくても前後の流れで分かるものなのだ。

 これで人の目がなければ取っ組み合いになったのかもしれないが、二人とも同じ広間にケリスエ将軍がいるとなったら、礼儀正しくしているように見えるようにしておく程度の理性はしっかり働いていた。

 互いに、フフフ、ハハハと笑いあっている様子は、きっと周囲からも落ち着きのある振る舞いに見えているだろうと思う程度には。


「それを男爵の目の前でおっしゃってみてはどうでしょうかね。それこそ育ててくれた親が卒倒しそうなお話ですね」

「ほほ、恋におちたら親など用無しですわ。ところで私、のどが渇きましたの。『お母様、どうぞ』と言って果汁を運んできてくださってもよろしくてよ」

「ご冗談を。そちらこそ俺に酌の一つもすべき立場じゃないですかね。そりゃ酒も飲めないお子様に酌なぞされても興ざめですけどね」


 会話は他のベンチからは聞き取りにくい。ましてや周囲の喧騒もあり、二人だけが聞き取れる声となったら尚更である。

 離れてみている人達からは、「ほう。なかなか気も合っていらっしゃるようだ」「お似合いかもしれませんな」という言葉も出ていたが、肝心の二人が笑顔で交わしている会話内容はどこまでも不毛だった。






 宴も無事に終わり、カロンとしては早く立ち去りたいと思わずにいられないフィツエリだった。

しかし兵士達も家族への土産などを買いたいだろうし、楽しみも与えてやりたい。

 そういった思惑もあって、離れた場所で野営している兵士達にも、フィツエリ城下の人達に恐怖を与えないよう礼儀正しく、同時に一気に押し寄せないように交代制でと、そういった条件をつけた上で楽しませてやれとケリスエ将軍は伝えていた。


(どうして俺に対しては無頓着なのに、有象無象(うぞうむぞう)の兵士達には優しいんだろう、この人)


 それでも兵士達が乱暴な真似をしないようにと、散策がてら見回ってしまうカロンだった。

南国だけあって色鮮やかな薄い布地も多く、女性が喜びそうな小物も多い。兵士達も残してきた恋人や家族への土産を喜んで買い求めていた。


「え。またフィツエリ城に行くんですか。いや、もういいんじゃないですかねぇ」

「娼館や市場が儲かっているのはフィツエリも大歓迎だろうが、軍は軍だからな。私が挨拶に行っていれば、あちらも不要な警戒心を抱かずに済むだろう。まあ、一種の人質みたいなものか」


 ケリスエ将軍がまた城に行くと聞いて嫌な顔になったカロンだった。なるべく自然に見えるようにと、小さく欠伸しながらもボリボリと頭を掻いてみせる。


「小僧が知らんのは無理ないが、ローム国騎士団は手段を選ばず勝つことでも有名だからな。王都で将軍に絡むのは何も分かってない落ちこぼれだけだ。フィツエリにしても警戒しているだろう」

「いえ、第五部隊長。俺が言いたいのはですね、そっちではなく・・・。別に将軍じゃなくても第五部隊長と俺だけで行けばいいんじゃないですか。そうさせてくださいよ」

「ああ、そういえばルーナ姫とは気も合っていたようだな。なんだ、気に入ったのか、小僧」

「ご冗談。どっちかってっと池に投げ込んでやりたいぐらいに気に入らないですよ、ええ」


 そんなカロンにソチエト第五部隊長が訳知り顔で説明してきたが、カロンの顔はどこまでも苦虫を噛み潰している。

 いつもなら察しの良いソチエト第五部隊長だが、フィツエリの蒸し風呂などが気に入ったらしく、ほくほくと機嫌がいい。人間、機嫌が良い時には色々と見逃しがちになるものなのである。


「別に照れなくてもいいだろう、カロン。お前は娼館でも大人びたタイプを選ぶことが多いが、結婚するならああいう可愛いタイプの方がいいんじゃないのか。お前が一気に副官見習いにしてしまったリールスにしても、従者にしているヨイネにしても、お前が実際に家に連れ込んできたのは素直で可愛いタイプが多い。自分の好みは自分で分かっていないだけだろう」

「いや、将軍。・・・アナタ、何を楽しそうにっていうか、得意げに言ってるのか知りませんがね、ここで一番この状況を理解しているのは俺だけだと確信しましたよ、今」


 それはソチエト第五部隊長だけでもなかった。ケリスエ将軍にしてみれば、見た時からルーナは可愛らしいタイプだと思っていたし、やはり若い者の恋愛は応援してやりたいものである。

 ましてやそれが自分の弟子となれば尚更のこと。しかもルーナはローム宮廷にとっても疎かにできないフィツエリの男爵令嬢である。

弟子の微笑ましくも幸せな結婚生活の為に、一肌どころか二肌も三肌も脱ぐつもりであった。


「安心しろ。男爵もお前を気に入ったらしい」

「すっげえ迷惑です。てか、言っときますけど、将軍。策に溺れすぎて、今何も見えてないですよ、あなた」


 やはり自分をあの小娘と結婚させようと思っていたらしい将軍に、カロンは脱力した。まあ、そちらはあの小娘が、何が何でも阻止するだろう。

普段はきちんと周囲を見ている将軍が、どうして今回は肝心のルーナを見ていなかったのか。


(男爵とその長男が将軍と話しこんでいたから、なんだろうな)


 どうやら男爵はケリスエ将軍を気に入ったらしく、宴の時も剣舞が終わってからずっと話し込んでいたのだ。その内容は他領の文化や考え方などといったものが多かったようだが、その長男はケリスエ将軍の剣技と指導力に興味があったらしい。

 無口な将軍だが、必要とあれば滑らかに口を動かすこともできる。今までの自分達とは違った視野と意見に、二人はかなり新鮮さと好奇心を感じたらしく、それこそ城にずっと泊まらせようとしつこかったぐらいだ。さすがにそれは固辞した将軍だったが。

 ともあれ宴席で二人の父子を侍らしていたケリスエ将軍は、結果としてフィツエリの重臣達にも囲まれてしまっていたわけで、カロンとルーナの様子を視界に入れる余裕はなかった。


「何が言いたいのか分からんが、私が行かないわけにはいかないだろう。ちゃんとお前も連れてってやるから用意しろ」

「本気でお互いの思惑が擦れ違っていることだけは分かりますよ。俺がついて行きたい理由は全く違いますがね」


 そうしてフィツエリ城までソチエトとカロン、そして適当にそこにいた人間を供代わりに連れて行ったケリスエ将軍は、上機嫌で迎えたフィツエリ男爵に挨拶をすると、見知った重臣とも挨拶を交わしていたのである。


「お父様。ケリスエ将軍様がおいでになっていると聞きましたの」

「なんだ、ルーナ。年頃の娘が軽々しく出てくるものではないぞ。・・・まあ、せっかくケリスエ将軍と他の方々もおいでなのだから許してやるが」

「ケリスエ様。先日は楽しい時間をありがとうございました。宴席なんて初めてでしたけど、ケリスエ様のおかげで私、とても夢のようでしたわ」

「初々しい姫君がいらしてくれる宴ほど、皆に夢を見させる時間はございませんよ。こうして日中にお目にかかれば、太陽のようにこの場に輝きをもたらしてくださる。本日はお父上にご用事でいらっしゃいましたか?」

「いいえ。ケリスエ様がおいでだと聞いて、一目でもお会いしたくて参りましたの。一緒にお話しなどしたいと申し上げたら、私のこと、我が儘だとお思いになります?」

「いいえ、全く。・・・フィツエリ男爵がお許しくださるのでしたら喜んで」


 笑顔で近寄ってくるルーナの姿は、ケリスエ将軍にとっても可愛らしいものだった。相手が貴族令嬢でなければ、そのまま頭を撫でてやっていたかもしれない。

 しかし場所が場所、ましてやここはフィツエリで、彼女は貴族令嬢である。

 ルーナに対して全てを決められるのは父であるフィツエリ男爵であると、そこはきちんとしておくべきだった。


「お父様。お願い」

「・・・仕方のない奴だ。申し訳ないのだが、将軍も少しばかり話し相手になってくださるだろうか」

「はい。ではルーナ姫。お手をどうぞ。そこの続き部屋でしたら皆様の目も行き届いておりますし、問題ありませんでしょう。」

「ええ、ケリスエ様」


 扉が開け放された続き部屋にある椅子にルーナを腰掛けさせ、深窓の姫君ならば知りたいであろうロームの華やかな文化をケリスエ将軍は話題にすることにした。

 しかし普段のルーナを知る兄・ロカーンにしてみれば、(何が「私のこと、我が儘だとお思いになります?」だ。お前が我が儘でなかった試しがあるか)である。


「父上。ルーナはどうしたんでしょう。・・・何、猫かぶってんですかね、あいつ」

「将軍の傍には、カロン・ケイスがいるからな。ルーナもまずは義理の親に気に入られようとしているのだろう。実際、今もカロン・ケイスは傍にいるではないか。さすがにいくら気に入った婚約者候補の一人といえど、男に姫が自分から近寄るわけにもいくまい」

「はあ。まあ、ああやってこちらから見える位置にいてくださる様子といい、どこまでも配慮の行き届いた将軍ですね」

「同時に見てみろ。部屋のあちこちで佇んでいるような部下達も、どこまでも周囲の警戒を怠っていない。強い筈だな。とはいえ、あれでもうちの姫だ。カロン・ケイスとあまり親しげになられてもみっともない。ロカーン、お前も隣の部屋に行って同席しておけ」

「はい」


 この際だからと、ルーナの兄でもあるロカーンは、将軍近くに控えていたソチエト第五部隊長に話しかけた。歴戦の勇者と言わんばかりのがっしりした男だったが、人生経験に裏打ちされた深みを感じさせる。


「ソチエト殿は、将軍とも長く?」

「そうですな。長いと言えば長く、短いと言えば短い。・・・入れ替わりも激しいですからな、我らは」

「将軍はかなり迫力がおありですが、やはりお強い?」

「勿論です。ただ、手合わせを申し込むならばせめて私には勝てないとなりませんぞ?」

「・・・うーん。それでは一生手合わせはしてもらえそうにないですね」


 そんな穏やかな会話をしていると、近くで話しているルーナ達の声も聞こえてくる。最初は女の会話などどうでもいいと思っていたロカーンだが、ふと気づくとその内容はなかなかに興味深いものだった。


「カロンはたしかに養い子ですが、私の家を継ぐ者として利用する気はありません。もしも姫がカロンの元に嫁がれましても、私に気兼ねする必要は全くございませんよ」


 ロカーンはケリスエ将軍への好意を更に上方修正した。なんて素晴らしい人なんだろう。


「違いますわ。ケイス殿なんてどうでもいいのです。私はあなたをお慕い申し上げております。ケリスエ将軍様」


 この時点で、ロカーンは自分の耳を疑った。・・・おかしい、今日の自分は疲れているようだ。


「姫。いささか誤解があるようですが、私は男性ではないのですが」

「そんなこと、見れば分かりますわ。私は男性か女性かどうかなんてどうでもいいのです。あなたが女性でもいいのです。いいえ、女性だからこそかもしれません。私はあなたを一人の人間として美しいと思ったのです。体に刻まれた傷も、鍛え上げられた肉体も、あなたが困ったように微笑む時のしぐさも、全てをお慕い申し上げております。どうか私をお連れくださいませ」


 ロカーンだけではなく、向かい合っていたソチエト第五部隊長の動作も停止した。


(ちょっと待てーっ、ルーナッ!)


 聞いてしまった内容を全否定したい気持ちで、ぎこちない動きでルーナ達の方向を見たロカーンの目に入ったのは、妹がケリスエ将軍の胸に縋りついて腕をその背中にまわしている姿だった。


(はいぃーっ!? おまっ、お前っ、お前って奴はぁーっっ!)


 将軍の手が宙に浮いているのが救いだろうか。これで抱き締め合っていたら立ち直れなかったかもしれない。

 そんな二人にいち早く反応したのは、カロンだった。無理やり二人を引き離す。


(良くやった、カロン・ケイスッ。ついでにルーナの目を将軍から自分へと向けさせてくれっ、頼むっ)


 だが、ロカーンの思いはどこまでも通じていなかった。妹にもその婚約者候補の男にも。


「よりによって、この人に色仕掛けなんざすんじゃねぇよ。クソガキが。将軍に近づきたきゃ、まずは俺を倒してからにすんだな」

「いいかげんに親離れなさったらいかが? そこまで図体もでかくなる程に育ててもらったならもう十分でしょ。お世話になった将軍に、この後は幸せな人生を送らせてあげようと思わないの?」

「余計なお世話だ。少なくとも将軍の幸せな人生に、色気づいた子供が入りこむ隙なんざねぇよ」

「しょうがないわね。将軍様との相思相愛な日々を送る為、まずは害虫駆除をして差し上げてよ」

「はっ。その鼻っ柱、叩き潰してやるよ」


 ロカーンの頭の中は真っ白になった。一体、妹は何を言っているのだろう。


(どんな悪い夢だ、これは・・・)


 室内にいたケリスエ将軍の部下達は、腹を抱えて笑っている。悪意がない笑いなのが救いだが、これではどこまでも収集がつかない。


(駄目だ。カロン・ケイスに期待は出来ん)


 ロカーンは、全てを諦めた。そう、人に期待などすべきではない。動く時は自分で動かねばならないのだ。ロカーンは妹を叱りつけた。


「いいかげんにしろ、ルーナ。ケリスエ将軍にもお詫び申し上げる。妹は、まだ憧れと恋との区別もつかぬ子供でして・・・」

「いえ。光栄でございます」


 ここで頼りになるのはケリスエ将軍だけだ。ロカーンに向かって微かに頷いた仕草はどこまでも男前だった。きっと妹の言動を子供ならではの戯言(たわごと)として収めてくれるだろう。

 ケリスエ将軍は膝をつくと、ルーナの手を取った。


「武人として、姫にそのような寿ぎをいただける程嬉しいことはございません。もしも、姫が縁ありまして、我が息子の元に来てくださる時には、この身を姫の為に賭すことをお誓い申し上げましょう」


 ロカーンはケリスエ将軍に感動した。先ほどの告白を寿ぎとするとは。決してルーナに恥をかかせない素晴らしい人だ。しかもちゃんとカロン・ケイスとの話に持っていってくれている。

 何という得難(えがた)き聡明な人なのだろう。


「まあ。息子さんではなくあなたですわ。私が向かう先は。私もあなたの為に命を賭しましょう。ですからあなたも私にあなたをくださりませ」

「まだ言うか、この小娘」

「いいかげんにしろ、ルーナ。もう下がれ」


 その将軍の配慮をどこまでも無視するルーナに、二人が怒気を抱いたのは無理ないことだった。


「いいえ、お兄様。お父様にもお願い申し上げます。私は、ケリスエ将軍様をお慕いしているのです」


 騒ぎに気づいてやってきた男爵も呆然としている。事情を把握した上で鎮静化させようとしているロカーンとケリスエ将軍の思惑を乗り越えて、全ては混乱の渦を巻いていた。主にルーナのせいで。


「そのしつこさに免じて相手してやるよ。表に出な、小娘。引導を渡してやる」

「いいでしょう。吠え面かかせてやりますわ。私が勝ったら『お母様』とお呼びなさい」


 顔に垂れ下がってきた髪を手で払い、ルーナはどこまでも受けて立とうとする気満々だ。

 ロカーンはがっくりと膝をついた。


(何でこうなるんだ・・・)


 父親の、(お前がついていてどういうことだ)と、無言で責める表情がかなり辛かった。




 尚、言うまでもないが、ルーナではカロンの相手になる以前の問題だった。

それでもロカーンよりも女性に甘いらしいカロンはあくまでルーナの剣を叩き落とすことだけに終始していた為、ルーナに全く怪我はなく、結局ルーナが疲れて座り込むまでカロンは相手をし続けた。


「うちの娘が申し訳ない、ケリスエ将軍」

「いいえ、男爵。ルーナ姫もかなり体力はおありのようですね。カロンが怪我をさせては申し訳ないと思って兵も配置しておりましたが、杞憂にすんで何よりでございました」

「全く妹のおかげで不愉快な目に遭わせてしまい、申し訳ございません」

「そんなことはございません、ロカーン殿。私が男でしたら、かなり嬉しく思うところでございました。それにご安心いただきたいのですが、ソチエト第五部隊長も口の堅い人間でございます」

「ご安心ください。既にこちらでは口止めをしております。ルーナ姫の噂など出しはいたしませぬ」

「どちらかというと、噂が漏れるのはうちからでしょう、父上」

「そうだな。・・・どこまでも頭の痛いことだ」


 カロンが決してルーナを傷つけないと確信した時点で、フィツエリ男爵父子とケリスエ将軍、ソチエトの四人は、テーブルを囲んで茶を飲んでいた。

 そこへ不貞腐れた表情のカロンとルーナがやってくる。


「お父様。私にもお茶を頂戴。のどが渇いたの」

「その前にまずお詫びを申し上げろ、ルーナ。お前の醜態でどこまで城が混乱していると思っている」

「そうね。もっと強くなってからまたやるから。お兄様、あとで特訓してね」

「ルーナッ!」


 どれほど男爵に怒られようと、ルーナは引く気配がなかった。そのまま卓上の空いているカップを取り、自分で注いで飲んでいる。

 そんなルーナにロカーンは実力行使で対応した。つまり兵士と侍女たちを呼んで強制的に連れて行かせたのである。


「ちょっとお兄様っ」

「うるさいっ。そのバカ娘をきちんと部屋に閉じ込めておけ。絶対に出すなっ」

「はっ」


 ルーナが去ると、さすがに息子を(ねぎら)ってやろうと思ったのか、ケリスエ将軍も卓上のカップに茶を淹れてカロンに差し出した。ロカーンも、「どうぞこちらへ」と、自ら椅子を勧める。


「恐縮です」


 ロカーンに礼を述べる様子は落ち着いていて、ルーナとあれ程の口喧嘩を繰り広げた男とは思えなかった。


「カロン、お前がここに来る前に言っていたことは、つまりこういうことか」

「だから言ったでしょう」

「もっと分かりやすく言え」

「訊かなかったのはあなたです」


 ケリスエ将軍とカロンのその会話で、カロンはルーナの気持ちを知っていたのかと全員が気づく。


「ちょっと待ってください、カロン殿。うちの妹のそれをいつから知っていらしたんですっ。いつの間にっ。どこでお会いになってたんですっ? まさか逢引きなんてしてたんじゃないでしょうねっ!?」

「えっ!? 逢引きっ!? いやっ、落ち着いてください、ロカーン殿っ。・・・それこそ最初に会った時から、です。宴で同じベンチに座らされたのはいいんですが、ルーナ姫が訊いてきたことなんて、将軍は何色が好きか、将軍はどんな食べ物が好きか、将軍の趣味は何か、将軍の休日は何をしているのか、将軍はどんな人が好きか、将軍はどんな衣服を好むのか、そんなことばかりでしたからね。更には、将軍の所に自分が嫁いだら邪魔な息子は出て行けとか、そんな話しかしていません。・・・誰でも分かると思います」

「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・・・・」「・・・・・・」


 フィツエリ男爵父子はがっくりと項垂れた。


「父上。もうこの醜聞、フィツエリで収拾つくんでしょうか」

「・・・将軍は女性でルーナとの結婚など論外。ましてや本来の縁談相手の一人であるカロン殿ともこうなっては、相性は最悪だ。ここはルーナをひとまず王都の邸に移し、噂の鎮静化をはかるしかなかろう。もう、このフィツエリでルーナはまともな結婚などできまい」

「そうですね。・・・ロームまでの馬車を仕立てましょう。侍女と警護の兵士もつけなくては」

「お前が一緒に行け、ロカーン。ルーナだけでは道中が心配だ」

「えっ、ですがまだ仕事が・・・」


 そこでケリスエ将軍が口を開いた。


「こちらもこれからロームに戻りますし、姫を王都のフィツエリ男爵邸に送り届けるだけでしたらいたしましょうか? ただ、どうしてもこちらは軍勢を率いておりますので、馬車は無理です。もし馬での移動ができるのであれば、となりますが」


 そこでロカーンが顔を上げる。


「ルーナも馬には乗れますので、そこは大丈夫ですっ。もしも出来るのでしたら是非っ」

「いくら護衛の兵士をつけていても、姫だけとなるとご心配でしょう。うちの一大隊であればさすがに姫君にも危害は加えられますまい」


 ケリスエ将軍も、そういった街道で旅人が襲われることが珍しくないのは知っている。ましてやどう見ても姫君と供しかいない一行となれば、宿屋ですらどんなことが起こるか分からない。

 そんな会話をカロンは不機嫌そうに茶を飲みながら聞いていた。


「そうであれば何よりだ。それにもしかしたらその道中でカロン殿とルーナが仲良くなることもあるかもしれん。・・・どうかよろしく頼む。皆には、カロン殿とルーナの相性も良さそうなのでロームに同行したということにしておこう。どうせ時間がたってしまえば、ルーナが違う相手と結婚していたとしても、フィツエリで暮らすのでなければどうとでもなる」


 そんなフィツエリ男爵の言葉により、誰もが思惑を外してしまったことを実感せずにはいられない茶会は終了した。

 【弟子と師匠2】


 我らが神よ。どの地にあって、どの名を名乗り、どのものに帰属しようとも、我らは常にあなたと共にある・・・。






 今日は湖に来ていた。


「リスエル、今日は泳ぎの訓練か?」

「はっずれー。駄目ねぇ、サーラ。あなたは柔軟性が足りないのよ。ちゃんと私という姉弟子がいるんだから身につけなさい」


 そう言って、猫のようにリスエルードはサーライナに擦り寄ってくる。しなやかに動く腕はまるで誘惑するかのようにサーライナの体へと触れてきた。

 勿論、自分に対してリスエルードにそんな気がないのはサーライナも分かっている。


「身につけろと言われても・・・」

「思考と行動には柔軟性も大事よ。あなたのそのぶっきらぼうなのは師匠譲りとしても、それだけじゃ駄目よ。女である以上、女の性質を生かしなさい。今日から言葉づかいも私のようにして。振る舞いも同じように。きちんと身につけられるまでよ」

「分かりました、リスエル」


 互いに名前で呼び合ってても、サーライナにとってリスエルードは姉弟子であり、師匠が去った今、第二の師匠でもある。言われたら逆らえない。

 まさに女を活かしきっているようなリスエルードだが、女としての自分に溺れてはいない。それこそ表面的なこの女性らしい仕草と口調を取り外した本質は、全く違うものだろうとサーライナは見ていた。


「駄目よ。『分かったわ、リスエル。よろしくね』」

「分かったわ、リスエル。あなただけが頼りなの、よろしくね」


 指先をしならせて、サーライナの頬をペシペシと叩いてくるリスエルードだ。


「まあ、ぎりぎり合格ね。もう少し、言葉に抑揚を持たせて、それから色気を漂わせなさい」

「・・・色気だなんてどうしろと言うのよ、私に」

「私相手に頑張りなさい。師匠ですら、私を使ってしっかり身につけていったわよ」

「そういうことだったのね」


 なるほどと納得する。師匠であるケリスロードは様々な相手と恋に落ちては一緒に暮らしていたが、相手は男ばかりだった。

なのに一時期、女であるリスエルードを己の伴侶として扱ったことがあったのだ。別にそれ自体はどうでもよかったので、そうかと思っただけだったし、その伴侶期間が終了しても、特にしこりも何もないようだったが、お互いに始まりも終わりも納得ずくだったらしい。


「そうなると師匠は、リスエルの技も身につけていかれたのね」

「そうなるわね。・・・今回も、本当に惚れた男について行っただけじゃないのかもしれないけど、師匠には師匠のお考えがあるんでしょ」

「そうね。・・・じゃあ、リスエルのそれも教えてくれるの?」

「ええ、サーラ。まずは水の中でね」


 人は水の中では呼吸できない。しかも泳げない人間は多いのだ。

 だから人は本能的に深さのある水を恐れる。それでも水の中に誘き寄せる手段があるとしたら、それは色仕掛けだ。そして、そういった油断のある人間の隙を見つけるのはたやすい。


「相手の頭を抑えつけて水に沈めるのは力が必要よ。だけど、自分から先に水に沈めば相手も追ってくる。・・・さ、やってみましょうか。サーラ?」

「服を身につけてでは溺れるだけだと思うわ、リスエル」

「だから特訓するのよ。そして相手を惹きつける表情もね。ふふ、水の中での口づけだなんて、自分に自信のある男なら引っかかってくるに決まってるじゃない」


 リスエルードはケリスロードの前に違う師匠を持ったこともある。リスエルードはサーライナよりも腕力が劣るが、前の師匠により暗殺的な技術を身につけていた。

 役立つ日が来るかどうかはともかく、その日からサーライナは女性らしい仕草と表情、そして言葉づかいを徹底的に身につけさせられることになる。






 目の前で溺れそうになっている弟子を見ながら、ケリスエ将軍はそんな日々を思い出していた。

 泳ぎならば湖での練習からだろう。川だと流れがあるので、まずはこういう湖がいい。ここはさほど藻が生えている訳でもないし、練習にはもってこいである。


(そうなると、カロンにもそういったことを教えた方がいいのだろうか。だが、カロンは男だ。男を誘う仕草を教え込まれたとして、・・・それこそ役立つ日がくるんだろうか)


 さすがにこのまま沈んだら死んでしまうだろうと思い、バシャバシャと動き回っている腕をさっと掴み、岸へと引き上げてやる。


(骨格からして大柄に育ちそうなカロンが男を誘えるようになったとして、・・・役立つかもしれないが、どうなんだろうな。しかし役立つかどうかではなく、身につけておくことに意味があるだろう。だが、しかし・・・)


 少し水を飲んでしまったらしくゲホゲホとむせていた弟子だったが、鼻にも水が入ったらしく、湖に顔を向けて鼻をかんでいる。


「カロン」

「は、はい」


 ケリスエ将軍は本人の意思を尊重することにした。


「お前、男と一緒に愛を語りたいと思うか?」

「・・・・・・・・・あ、の?」


 カロンは、その質問の意味がとっさには理解できなかった。

 ケリスエ将軍は、理解していないようだと判断して言い換える。


「つまり、男と一緒に寝台に入りたいか?」

「・・・!!! いいえっ、いいえっ、絶対に嫌ですっ」


 カロンの脳裏に、売られていく少年達といったものが浮かんだ。

 よくあるのだ、そういうことは。それこそ人買いに攫われて売られていく少年達の行く末など、そういう過酷な人生だ。


(も、もしかして・・・将軍は俺を・・・?)


 役立たずだからと、もしくは誰かへの貢ぎ物にしようと、自分を男に売り渡そうとする将軍の姿がカロンの脳裏にまざまざと浮かんだ。

 絶対に嫌だ、そんな人生。


(ふむ。・・・そうなると、カロンは男に興味があるわけじゃないのか)


 ケリスエ将軍はケリスエ将軍で、自分の育った環境的に、異性同士でも同性同士でも伴侶にはなれるという考え方の持ち主である。

この国では、同性同士でのそういった関係は一般的ではないようだが、それでもそういった傾向のある人間が存在していることも知っていた。

 というよりも、軍なんてそんなのばかりではないか。同時に貴族にも。わざわざ見目の良い従者を連れている人間がいたら、それと思って間違いない。


(もしもカロンが男の方が、もしくは男も女も好きだというのであれば教えておいてやっても良かったが・・・)


 けれども鳥肌を立てて蒼白になっている様子を見れば、同性は受け付けられないタイプなのだろう。別にそれならそれで構わない。

 ケリスエ将軍は本人の意思を重んじる人間でもあった。

 せっかくの技を教えてやれないのは残念だが無理することでもあるまいと、カロンにそういった男を誘う色仕掛け的なあれこれを教えるのは諦める。


(ど、どうして・・・どうして・・・、どうして泳げなかったら男に売られてしまうんだよっ!?)


 だが、将軍の考えていることが、カロンには全く理解できない。将軍は時と場合を選ばない、無神経なところがあったからだ。

カロンは思わずにはいられなかった。この人は自分を憎んでいるのだろうか、と。

 余計なお世話だったが、カロンがいつか男を口説きたくなった時の為に教えてやっておくべきかと、そんなことを考えていただけの将軍の気持ちに気づくこともなく、カロンは男に売られないが為に泳ぎをマスターしなくてはと、悲壮な決意を固めていた。




 驚異的な集中力と努力で泳ぎをマスターした弟子に、ケリスエ将軍は満足していた。

 以前から思っていたが、カロンはなかなか努力家らしい。良いことだ。

 そんな師匠ご自慢のカロンはかなりへばっていた。泳ぎとは全身の筋肉を使うものなのだ。普段の稽古とは違う疲れがあった。


「今日は食堂に行こう。お前の好きな物にしていい」


 たまにはご褒美をあげないと意欲が続かないものだと、リスエルードは言っていた。それを思い返し、だからケリスエ将軍はカロンの好きな物を食べさせてやろうと思ったのだ。


「い、いえ、いいです。本当にいいです」


 だが、ぷるぷるとカロンは首を振る。売られていく子供が、最後に美味しい食事を与えられるのだなんて、お決まりの儀式だ。


「おっ、俺はっ、ずっとお屋敷の方でっ」


 ずっと屋敷に置いてください。

 そう言いたかったカロンだが、言葉がうまく出ない。

 そんなカロンにケリスエ将軍は首を傾げた。泳ぎを頑張ったご褒美に好きな物を食べさせてやろうと思ったのだが、カロンは外食が嫌なタイプなのだろうか。


「お前が屋敷でいいなら、屋敷でいいが・・・」

「は、はいっ」


 湖に来ていたので宿屋に泊まるつもりだったのだが、なぜかカロンは屋敷がいいらしい。まあ、馬を飛ばせば帰ることはできるが・・・。今日の夕食はいらないとフィオナには伝えてある。


(しょうがないから適当にあるもので夕食は作るか。・・・仕方ない、ご褒美には何か服か物かをやることにしよう)


 どこまでも意思の疎通が出来ていないことに気づかず、ケリスエ将軍は何をあげようかと頭の中で考え始めた。




 そして後日。


「何だ、これ?」


 カロンは自分の部屋に、少し仕立ての良いマントが置かれているのに気づいた。どう見ても裕福な家庭の人間が着るものである。

 綺麗な刺繍も入っているし、手触りもいい。


(やっぱりよく分からない人だ)


 こうしてこっそり置かれている物に関しては、あまり礼を言われたがらないようだとカロンは気づいていた。だから黙ってもらっておいていいのだろう。


(もしかして、今度は裕福な人間に化けて出掛けるのかな?)


 時々カロンを連れて、ケリスエ将軍はあちこちの地方へと出掛けていた。その時その時で、二人の関係と身の上は適当に作り上げる。目的があるわけじゃなく、ただ巡るだけの旅だ。

 それでも自分の為に誂えてくれたのが嬉しくて。

 きちんと仕舞い直しながらも、カロンに小さな微笑が浮かんだ。






 大きな湖の近くに野営しているのだが、やはり離れた所にも小さな湖があった。


(最近、なるべく部隊長達にやらせるようにしているからな。暇だ・・・)


 カロンと結婚してからは、特に部下達に任せる割合が多くした。自分がいなくなったからといって弱くなられてはたまらない。きちんと部下を成長させておくのも上司の役目だろう。

 風に混じる湿度や木々の成長を見ながら馬を歩かせていたら、小さな湖というべきか、大きな泉というべきか、そんなものを発見したのだ。


(だが、しっかりついてきているあいつは何なんだろう)


 それなら一緒に来ればいいものを、どうして自分の後ばかりついて来ようとするのか、あの弟子は。

 けれども他についてきている人間がいないのは確認済みだ。

 ケリスエ将軍は馬を木に繋ぎ、身につけていたものを脱いで洗うと木の枝に干した。どうせ着替えは持ってきている。今、乾かなくても問題ない。

 そうしてそのまま泳ぎ始めた。




 カロンは何とも言えない気持ちで脱力していた。


(どうして先に焚き火の用意もせずに泳ぐんだろう、あの人)


 文句を言えば「別に必要ない」と言われるだけだろう。分かっているので、もう諦めている。適当に枯れ枝を集め、火を熾した。

 どうせ自分の行動は分かっている筈だ。気が済んだら上がってくるだろう。


「なあ、カロン」

「何ですか?」

「お前も泳ぐか?」

「俺は、・・・いいです。のんびりしている時間もなさそうですし」

「ふーん」


 カロンの近くに泳いで戻ってきたケリスエ将軍が声を掛けてきたが、まさか二人して髪を濡らした状態で戻るのもナニだろう。将軍一人なら何てことはないが。

それこそお前達は二人で何をしてきたんだと思われるのがオチだ。どうせ戦は終わっているし、時間はあるのだが、そういう言葉でカロンは断った。


「それよりも上がるのならちゃんと・・・」


 そう言って振り返ったカロンは、岸に片腕の指先だけをつけ、肩まで水に浸かった状態でまた湖の中心へと行こうとしている将軍に気づいた。

 ぱしっ。

 つい、その腕を捕まえてしまう。

 泳ぎに行こうとしていた将軍が振り返り、驚いたかのような表情で見上げてきた。

 

「え、いや、あの・・・」


 戸惑いを浮かべながらも、それでも信頼していると言わんばかりの可愛らしい微笑みを浮かべ、(どうかしたの?)と、その表情だけで語りかけてくる。そんな将軍の笑顔が、とても愛らしく見えて、カロンは赤くなった。

どうしたのか。この人がまるで・・・・・・。

 わざと言葉を出さずに表情だけで気を持たせるやり方を仕掛けられたことに、その時、カロンは気づいていなかった。

 

「すっ、すみませんっ」


 謝りながらも、その腕を離さずにもう片方の腕で将軍の体を引き上げると、カロンはその唇を強引に奪った。


(うーむ・・・。本来は、あそこで腕を取り返してそのまま水の中に引きこむ筈だったんだが)


 溺れてくれる相手ならそれでよし、泳げる相手なら水の中での口づけに持ち込んで空気を吐き出させてから水に沈めるのだ。着衣の相手なら更に良し、である。

 勿論、カロン相手に本気でやるつもりはなかったが、あまりにも昔のことすぎて、たまには復習しておくべきかと思ったものの・・・・・・。途中までであろうが何であろうが、土壇場でカロンを害することなどできない自分に気づいただけだった。


(お前は分かっていないだろう、カロン。たとえ誰を殺しても、私がお前だけは殺せないというこの事実を)


 仮に水の中での口づけに持ち込んでも、相手がカロンでは意味がなかったかもしれないと、そうも思うが。それこそケリスエ将軍の息を心配して、先に水の上へと共に上がりかねない男だ。

  

(こうなるとな・・・。復習も何も、他の人間相手にやるわけにもいかんしな)


 他の男で試そうにも、自分達は伴侶を定めている間は浮気をしない。他の男相手となると単なる誘惑程度で済むはずもなく、浮気しない為には殺してしまわねばならない。さすがにそれはまずいだろう。

 せっかく教わった技なのに、死蔵するしかないのだろうか。


(まあ、いいか)


 それでも自分を好きだと伝えてくる弟子の感情が、この身を満たしていく。それは決して不快なものではなかった。

 問題は、いささか密着度が激しくなっているばかりか、体勢がどんどん変わりつつあるのと、その手がよからぬ動きに変化しつつあることだろう。


「ところでカロン」

「はい」

「その手を離せ」

「え。いや、この状況で・・・」


 カロンにしてみれば、誰よりも大切な妻が腕の中にいて、しかも彼女は何も身につけていない。

 そこで身を離す人間がいるだろうか、いや、いる筈がない。

 が、しかし。


「は・な・せ」

「はい」


 それでも将軍には逆らえない。惚れた弱みとは辛いものだ。そりゃ、いきなりキスした自分も悪かった・・・・・・いや、ちょっと待て。


(おかしくないか? そもそも、この人があの程度で戸惑う人か?)


 けれども落ち着いて考えてみると、さっきのアレって・・・。


「自分から誘っておいて・・・・・・」


 そうブツブツと文句を言う声を無視しながら、ケリスエ将軍はさっさと体を拭いて着替えを身につけた。


「なあ、カロン」

「はい?」

「今もやっぱり男を誘惑する方法は知りたくないのか?」

「・・・・・・絶対に知りたくありませんっ」


 今もどころか、過去も未来もありえない。やっぱりと言われても、大体がそんなことを尋ねられた覚えもない。

一体この人は何を言い出すのか。どうして最愛の妻に、夫が男を誘惑する方法を教わらねばならないのか。


(何をどうやったらそういうことを考えつくんだろう)


 そんなカロンの心情に気づくこともなく、(やはりこの技は伝えられずに終わるらしい)と、ケリスエ将軍は思っていた。


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