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4 カロンの苦悩(寝言と魔法)

○月×日

匿名X:狼にボロクソやられました。誰か、あれを殺してください。


匿名A:飼い主に文句言ってみたらどうだ? ただし、ボロクソやられた理由を言えるならな。

匿名B:アホだな。狼に聞こえない所で言えば良かったのに。

匿名C:適当な理由をつけて飼い主にこらしめてもらったらどうだ? だけど、あの飼い主、以前、貴族共を殺しても王から無罪放免勝ち取ったって話だけどな。・・・狼でまだ良かったんじゃねえの? 生きてられるんだからさ。

匿名D:狼で良かったじゃねえか、まだ飼い主が絡まない限り暴れねえんだから。俺なんて見回りの時、狂犬が暴れまくっている所に行き当たったおかげで、ひでえ目に遭ったんだぞ。あいつなんて理由ガン無視の殺人狂じゃねえか。

匿名E:このロームに狼など出る筈がないだろう。お前は犬と狼の区別もつかんのか?


 カロンは思った。自分は(もてあそ)ばれているのではないだろうか、と。


「あの、・・・サフィヨール様。本当にこの嫌がらせ、やめてください」

「何が嫌がらせだよ。ほら、頑張れよ、ケイス第六部隊長」

「それが嫌がらせでなくて何だと言うんです。・・・ジルド殿も、サフィヨール様に何か言って差し上げてください」


 しばらくは「円滑な引き継ぎって大事だからな」と、どこにでもカロンを同行させていたサフィヨールだったが、今度は何とカロンを第六部隊長にして、自分は今までのカロンの地位、つまり副官になってしまったのだ。


「副官に様付けはないだろ、ケイス部隊長?」

「・・・サフィヨール部隊長って呼んだら怒るから、せめてもの様付けなんです。これ以上は譲れませんっ」

「あと、私もジルドって呼び捨てにしてくれていいんですけど。ほら、私もカロン・ケイス第六部隊長の副官になるわけですし」

「お願いですっ、ジルド殿っ。それだけは勘弁してくださいっ」


 カロンにしてみれば、どこまで自分で遊ぶ気なのだろうと、泣きが入らずにはいられない。・・・この人達は、一体何を考えているのだろう。自分で遊ぶ為だけに一大隊の役職を交換だなんて、何を考えているのか。本気で信じられない。

 それでも真面目なカロンは、自分の副官に様付けと殿付けで呼ぶことで、どうにか耐えていたのだった。

 そんな第六部隊の様子は、他の部隊にとっても前代未聞だった。


「お宅ばっかり楽しくて狡くないか、サフィヨール殿?」

と、クネライ第一部隊長も呆れ顔だ。

「羨ましいだろ、クネライ殿? 後にも先にもこんな代替わり、うちぐらいだぜ」

と、サフィヨールは、へへんと笑ってみせる。


「それ以前に、どこに部隊長を辞めてそのまま新部隊長の副官になる人がいるんですか。普通、プライド的にありえないと思いますけどね」

「ソメノ殿は真面目すぎんだな、ちゃんとここにいるじゃねえか。こういうのは楽しんだ者勝ちなんだよ」

と、ソメノ第四部隊長に対してもサフィヨールは開き直って楽しむスタンスをとっていた。


「ここまで部隊長よりも副官が偉そうな部隊はないだろうな。・・・ケイス新第六部隊長も、少しは副官に教育的指導を与えておくといいぞ」

「お願いです、ハイゲル第二部隊長。そうやってサフィヨール様を刺激しないでください。俺、もうこれ以上遊ばれるのに耐えられないです」


 本来はケリスエ将軍と第一から第六部隊長の七人で行われる会議も、まだカロンが慣れない内はということで、サフィヨールが一緒に出席していた。その為、最近は八人で行われるのが恒例となっている。

 そこで、ソチエト第五部隊長がケリスエ将軍に尋ねた。

 

「そういえば、将軍はそれについて何も仰有(おっしゃ)られないが、どうお考えですかな?」

「別にどうも。それで第六部隊に混乱がないのであれば構わない。・・・第六部隊に問題は起きているか、新第六部隊長?」

「いえ、起きてはおりませんが、・・・俺の心は問題だらけです」

「自分の心は自分で処理しろ。諸君らに任せてある部隊のことは諸君らによって管理されるもの。たしかに前代未聞かもしれないが、それでうまくいっているのであれば、こちらが口を出すことではない」

「ですが、将軍が手元にお引き取りになった少年が、この短期間に立派な青年へと成長して今や部隊長となったのです。やはり本人の努力を認めてさしあげてはいかがでしょうか」


 そうカリスフ第三部隊長が水を向ける。ケリスエ将軍は(わず)かに首を傾げた。

 

「カロンを成長させ、更に部隊長に据えたのはサフィヨール殿だろう。私は関係ない」

「そうでもありませんぞ、将軍。将軍が引き取らねばカロンの今日はなかったのです。だからこそ、カロンも将軍に感謝しているわけですし、やはり将軍もカロンに期待するものがおありでしょう。宙ぶらりんはあまりにも気の毒ではないかと思います。もう少し、お認めになってやっては?」


 そうサフィヨールが言葉を重ねた。誰もがカロンには同情するものがあったのだ。


「私にカロンの何を認めろと?」

「・・・いや、ほら、たとえば強くなったな、とか。よく育ったな、とか。今まで頑張ったな、とか」


 ケリスエ将軍にストレートに尋ねられ、サフィヨールが戸惑ったように答える。まさか何を認めればいいのかと、質問されるとは思わなかったのだ。


(前途多難だな、カロンも・・・)


 しかしケリスエ将軍はその言葉に少し俯いて考え込む。しばらくして顔を上げた。


「カロン」

「はい」

「出会った日のことを覚えているか?」

「あ、はい」

「あの時、私はお前に言ったな。私と共に来い、と」

「はい」


 そこで珍しくケリスエ将軍は小さな笑みを浮かべた。


「そして言った筈だ。私と共に来て強くなり、いつか私を殺して見事に父の仇を討て、と。それまでは私に従い、私をお前の父と思って孝養を尽くせ、と」

「・・・・・・」

「カロン。お前は既にこのローム国騎士団の部隊長までになった。後はもう少し力をつけ、そしていつか私を殺し、今度はこの将軍位を自分のものにしてみせろ」

「・・・・・・」

「それが私の、お前に望む全てだ」


 さすがにその場がしーんとなった。(何言っちゃってんの、この人?)というものである。

周囲の反応など全く気にせず、ケリスエ将軍は言葉を続ける。


「お前には既に私の息子として、私の死後は屋敷も財産もお前に譲るよう手配済みだ。後は私を殺せるくらいに強くなれ。・・・諸君らも、もしもカロンが私を殺す日が来たとしても、その時はそれこそが私の本意として、カロンを将軍として認めていただこう。強さで私は将軍の位に就いた。ならばその後継にも強さを要求すべきだ。勿論、他の人間でも私に立ち向かって来るのであれば相手をしよう」


 当事者であるカロンも、最初は頭が理解を拒否せずにはいられなかった。

まさか、遠い日のあのことをここで持ち出されるとは思わなかったというのもある


(どうして、そんなことをこの人は言い出したんだろう)


 それに、どうしてケリスエ将軍はそんなひどい言葉を楽しそうに言うのか。カロンは必死に何度も聞いた言葉を脳内で繰り返す。聞き間違いだと思いたかったからだ。

 何度も口を開こうとして言葉にならず、口を閉じてはまた開こうとすることを繰り返し、カロンはやっと言葉を織り出した。


「今の俺では将軍を殺す腕はありません。・・・それに、俺がそれは嫌だと言ったら、どうなりますか?」


 カロンの声は、震えていた。

 これは悪い夢なのだろうか。自分の耳は一体何を聞いて、自分の口は何を言っているのだろう。

 そんな思いが、ぐるぐるとカロンの中で渦巻いていた。

自分はただ、いつか将軍に喜んでほしかっただけなのだ。

 将軍に役立つぐらいの強さを身につけ、そして、・・・誰よりも必要とされたかっただけ。


「恩返しがしたいのだろう? 私の望みは、私よりも強い人間を作り上げることだ。ならば私の願いを叶えてもらおうか」


 その揶揄するような冷たい言葉に、ついにカロンの感情が(ほとばし)った。

 そんな無茶苦茶な望みや願いだなんてあるものなのか。そしてどうしてそんな傷つけるような言い方をこの人はわざわざするのか。

 水を浴びせられたなどというものではない。

 サフィヨールが認めてくれたように、実はケリスエ将軍にも認めてもらえるのではないかと、内心ではちょっと期待していたカロンである。一気に崖下に突き落とされた気分でもあった。


「俺はっ、・・・俺はっ、ただあなたにっ、あなただけにっ。・・・あんた、どこまで人の思いを無視する人間なんだよっ!」

「思いだなんて、そんな目に見えないものをどうやって見ろというんだ」


 ケリスエ将軍が、かなり人の心に疎いのではないかというのは、先日も思ったことだった。それでもここまでとは思わなかった。


(そりゃ・・・。そりゃ、思いなんて見えないけど)


 ぐっとカロンは言葉に詰まった。真面目なカロンは、質問されればきちんと考えるからである。


(たしかに人の心は目に見えないけど・・・。だけど、それでも分かろうって思う心を人は持てるじゃないか。だから、・・・だからお互いに、手を取り合えるんだろうって思えるんじゃないか)


 カロンの褐色の瞳に溢れたものが、少しその視界を歪ませる。結局、自分の心は何一つ、この人には届いていなかったのだろうか。


「見えなくても分かるだろうっ! あんたの為じゃなかったら俺だってこんなクソみたいな生活、耐えたりなんかしなかったってっ」

「知るか、そんなこと。カロン、お前は私に依存しすぎだ。これからは屋敷内でも挨拶以上は私と接触するな。お前は少し頭を冷やす必要がある」

「頭を冷やせって、・・・俺が一時の感情だけで物を言ってるとでもっ!? あんた、今まで俺の何を見てたんだよっ!」

「お前の体が十分に出来上がっているのは見ていたつもりだが? 今のお前は十分に成長し、様々なものを身につけている。後は自分の鍛錬だけで強くなれる筈だ。・・・カロン、お前が私を斃せる日を楽しみにしていよう」


 どこまでも興奮していくカロンの怒声と、あくまで自分の意思だけを伝えるケリスエ将軍の冷ややかな声はあまりにも対照的で、同席していた部隊長達も、こうなるとカロンの不敬を(とが)める気にもなれなかった。


(というより、ケリスエ将軍はあまりにもぶっ飛び過ぎだ・・・)


 それが他の六人の(いつわ)らざる気持ちだった。

 どこに自分を殺させる為に、少年を拾って青年にまで育て、強くする人間がいるというのだろう。しかもとっくに自分の財産はその青年に譲る手配も終わっているという。


(何だ、そりゃ? ・・・一体、この人、何考えて生きてんだ?)


 大なり小なり、その場に集った全員の、それが本音だっただろう。上司に対して言えないから黙っていただけだ。

 正直、こうなるとこんな人間と一つ屋根の下で暮らしてきたカロンに心の底から同情する。

 カロンだっていい(つら)(かわ)だ。


「やっと・・・、やっと俺に向かって長い会話をしてくれると思ったら、それは俺にあんたを殺せって言うだけか? 今までの俺の思いは全くあんたに届いてなかったのか? あんたにとって、俺はそれだけの存在だったのか? 何も言わずにあんたに従い、あんたの言うままに剣を振るうだけの存在だったのかよっ」

「別にお前に何も言うなと命じた覚えはないが? 言いたいことがあれば言えばいいだろう」


 そこでカロンを始めとする七人は、(そんな無茶な)と思わずにはいられなかった。

普段からケリスエ将軍に軽口を叩ける雰囲気はない。言いたいことを言おうものなら斬られそうな空気しか出していない。


「言わせる空気なんてなかったじゃないかって言っても無駄なんだよな、あんたには」


 だが、既にカロンはブチ切れていた。はっきり言えば自棄(やけ)になっていた。

 ケリスエ将軍を殺すくらいなら自分が殺された方がマシだ。


「なら言えばいいんだろう。これからは何でも言うよ。それでいいんだろうっ」

「お前の行動などお前が決めればいいことだろう。私に一々訊くな、言うな、鬱陶しい」

「本当にあんただけは人の心が分からない人間だってのはよく分かったよっ。・・・それじゃ、今日はもう何もなさそうなので、俺はお先に失礼します」


 そう言って、カロンは部屋を出て行った。それでも最後にきちんと挨拶をしてしまうのが、真面目なカロンである。さすがにサフィヨールも止めようとは思わなかった。

 しばらく居心地の悪い空気が漂っていたが、クネライ第一部隊長が口を開く。


「将軍。さすがに今のは・・・・・・。そりゃ最後には敬語も何もなくなっておりましたのは、第六部隊長に後で注意しておくべきことではありますが」

「別に構わない。敬語など、相手を敬う気持ちがないのなら意味はないだろう。それは咎め立てするに及ばない」

「そうですか。ではそれは良しとしまして、さすがに今のは彼が気の毒すぎませんかな。まさか、育てた人間を殺せと言われたら、誰もがショックを受けるでしょう」

「だが、第一部隊長。いつだったか息子殿が反抗しまくってくるが、それもこれも親を乗り越えて強くなろうとする大人への道だと話していたではないか」

「はあ。ですが、それとこれとは」

「同じだろう。第一部隊長にとっての親を乗り越えるのがどういうことを指すのかは知らんが、私にとっては文字通りその屍を越えていくということだ」

「・・・・・・」


 聞いていた人間は、(何かが違う・・・。大体、それは普通、ただの比喩だ)と、全員そう思った。


「ですが親を乗り越える為に親を殺していたら、この世に祖父母は存在しなくなるだけですぞ。もう少し、将軍も気軽にお考えになってはいかがか?」

「第五部隊長。別に私は孫の顔を見たいとは思わない。気にするに及ばない」

「・・・・・・いや、そういう意味ではなくてですな」


 ソチエト第五部隊長の言葉も空振りした。

 誰もがカロンがどう出るのかと思いつつ、この将軍相手には暖簾に腕押しではないかとも案じた。

それからカロンは、ケリスエ将軍にだけ反抗的な態度をとるようになり、それまでの物静かな態度が嘘のように、誰からであっても売られた喧嘩は倍の値段で買う男となった。






 目抜き通りから少し離れた歓楽街。そこには娼館や、昼間からでも酒を出す店が並んでいる。

 歓楽街と言っても、何ヶ所かに分かれている。その中でも、城に近い側にある歓楽街ならば値段も質も高めだ。しかし城より離れた所にあるそれは、庶民が通うだけあって、猥雑で雑然とした、そして安っぽい空気が満ちていた。

 そんな一軒の店で、少しかぎ裂きやほつれのある服を着て髪もぼさぼさにしたカロンは、一人で酒を飲んでいた。

 普段ならそんな格好はしていないが、良くも悪くもケリスエ将軍に様々な地域の色々な場所へと連れまわされたカロンである。どういう場所ではどういう格好が浮かないか、十分に叩き込まれていた。


「さっきからいい飲みっぷりじゃねえか。・・・俺にも(おご)ってくれねえか、兄ちゃんよぉ」


 だが、そういう場所では、そういったタカリもいるものだ。


「金があるわけじゃねえよ。・・・全てを失っただけさ」

「おいおい。まさか失ったって、・・・明日の飯代も注ぎこんで飲んでんじゃねえだろうな」

「ほっといてくれ。飲みてえんだ」


 その店は、一杯ごとに金は前払いのシステムだ。カロンがぐでんぐでんに酔っているらしいと思ってカモにしようと近づいてきた男だが、「何でい、文無しかよ」と、吐き捨てて去って行く。

 どれ程に酔い潰れたくても、酔えない時がある。こんなガラの悪い所で飲まなくても、酒を買って帰って屋敷で飲めば安上がりだっただろう。ケリスエ将軍も、カロンの部屋がある片翼の方に来ることはまずない。それでもカロンは一人になりたくなかった。

 誰と一緒に飲みたくもないが、それでも人の姿を視界に入れておきたかった。

カロンは背中を壁に預け、目立たぬよう片隅で安くて強い酒を飲んでいた。


「ねぇ、お兄さん。あたし、買ってくれない?」


 男を追い払ったのを見ていた筈なのに、反対方向から一人の女が近づいてくる。


「悪いが、女が欲しいわけじゃねえんでな」


 顔も上げず、カロンはその誘いを断った。しかし、女は笑って言った。


「嘘よ。だってさっきから凄い飲みっぷりじゃない。・・・忘れたいことがあるんでしょ? ね。お酒じゃなく、私とのひとときで忘れてみない?」


 よくある誘い文句だ。こういった酒場の女は体を売る為に給仕している。普段のカロンなら紳士的に断っていただろう。けれども、荒んでいたカロンの心に、優しさを含んだその言葉はじんわりと沁み込んだ。

 カロンが顔を上げると、そこには褐色の髪に褐色の瞳をした女が微笑んでいた。髪を婀娜(あだ)っぽく結い上げて、少し着崩したドレスを纏っている。


「あら。間近で見たらかなり若いのね。・・・ふふ、こんな女に誘われて幻滅した?」

「・・・いや。年上の女は好みだ」


 化粧をして優しい色合いに仕上げているが、その肌は荒れているのが分かった。それでも似た髪の色は、こんな場所では名前を挙げたくない人を思い出させる。そしてどこかきつめの顔立ちも。


「幾らだ?」

「上の部屋で、・・・そうね。そのお酒十杯分よ。六杯分を店に、四杯分が私」

「分かった。先に店の主人に渡してきてくれ。あんたの分は、部屋で渡す。心配しなくても、そこでやり逃げはしない」


 カロンは銅貨六枚を彼女に渡した。


「そんな心配はしていないわ。・・・だって、実はかなり生真面目な人でしょ、あなた。私と会話を始めた途端、丁寧な話し方になったじゃない」


 くすくすと笑ってカロンの耳元で囁くと、彼女は店の主人に銅貨を渡しに行き、それからカロンの手を引いて、二階へ続く階段へと案内した。


「ヒューヒュー。兄ちゃん、昼間っからいい御身分じゃねえか」

「いいねえ、エマ。サービスしてやれよっ」


 酔っぱらった男達の声を二人は無視して、そのまま二階の一番奥の部屋へと入る。


「昼間だからどこの部屋も空いてるのよ。・・・この部屋が一番、音も外に聞こえにくいの」

「エマって名前なのか?」

「こんな所で名乗る名前だもの。何でもいいのよ。私がここで働くのと入れ替わりで辞めていった女がエマって呼ばれてたの。私はその名前を引き継いだだけ。・・・あなたが呼びたい名前で呼んでいいのよ?」


 カロンは銀貨を一枚取り出して、エマに渡した。


「多すぎるわよ、お釣りがいる?」

「いや。そのまま取っておいてくれ」

「・・・もしかして、あなたの大事な人に、私、似ていたのかしら?」


 その質問にカロンは答えなかった。


「・・・忘れたいことを忘れさせてくれるんだろう?」

「何か希望はある? どういうのが好きとか」

「いや。あんたはあんたのままでいい」


 こうなるとカロンも自覚せずにはいられなかった。

今まで娼館にも行ったことがないわけではない。だが、周囲から変な勘繰りをされたくなくて、大抵は淡い色に近い髪の色や、明るい瞳の色をした女を選んでいた。

 それでもここならカロンを知る人はいない。だから、エマと名乗る彼女の、その誘いに乗らずにはいられなかった。


「・・・馬鹿ね。そんなに好きな人なの? いいわ、今だけその人と思って?」


 カロンの表情に、エマは何を読み取ったのだろう。細くしなやかな指がカロンの顔へと伸ばされてくる。少しきつい花の香りは、こういう場所ならではの香りでもあった。


「・・・好きなんだ」

「私もよ」


 カロンの小さく掠れた声に、エマは微笑んで言葉を返す。


「ずっと、俺は・・・」

「ええ。辛かったわね。・・・・・・大丈夫よ、あなただけを愛してるわ」


 エマの柔らかな体に手を伸ばせば、心の真ん中にいる人では決して言ってくれないであろう優しい言葉の数々がかけられる。


「好きよ。あなただけ・・・」


 エマの結い上げられていた髪からピンを引き抜けば、さらりとまっすぐな髪が落ちていく。

 淡い色をしたカロンの髪とは違う色だ。けれども、ずっとその色の髪に顔を埋めたかった。


「ずっと愛してるわ」

「・・・俺もだ」


 その時だけは、エマの腕の中で、カロンは僅かな眠りを手に入れることが出来た。






「真面目な男がキレるとヤバくなるだけなんだなぁ・・・。そう思わないか、ジルド?」

「サフィヨール様。あなたが(あお)ったのが原因でしょうに」

「そりゃそうだが、いつかは訪れた日だろうが。・・・だが、どうなるのかねえ。あいつ、狂ったように誰とでもやり合ってるからな。肉弾戦もかなり強くなってやがる。知ってるか? あいつ、暴れ狼だなんて一部で言われてるんだぜ」

「仮に将軍より強くなったところで、惚れた女を傷つけられる男がいるわけないでしょうが」

「その女が望んでるんだぜ、自分を殺せって。いや、あの『私を斃せる日を楽しみにしている』と言った時の顔なんて、あの将軍があんな色っぽい顔ができるなんてと、皆が見入ったぐらいだ」

「既に異常すぎてついていけません」


 そんなサフィヨールとジルドだったが、ある日、ジルドは暴走した馬に蹴られるという事故に遭い、亡くなった。

まさか自分に長年仕えてくれたジルドが、年上の自分よりも先に逝くことになるとはと、サフィヨールは男泣きに泣いていた。


「なあ、カロン。俺はな、ジルドにお前を支えてくれるようにって約束してもらってたんだぜ」

「はい・・・」

「なのに俺より先に逝くってのはどういうことだよ」

「はい・・・」


 昨日まで和やかな時間を過ごしていた人との永遠の別れ。カロンにとっても大きな喪失感があった。

 それはジルドが、自分へ心からの笑顔を向けてくれる数少ない人の一人だったからなのだろう。


(もしも俺がケリスエ将軍を仮に殺せたとして、・・・俺はその後、どうなるのだろう)


 たとえカロンが殺すのでなくても、ケリスエ将軍を失ったならどうなるのかと考えると、カロンは急に恐ろしくなった。


(これが依存ということなのか? だから将軍はその弱さを克服しろと言ったのか? だけど俺は・・・)


 その恐怖を打ち消そうとするかのように、カロンは何かと更にケリスエ将軍に絡むようになった。わざと乱暴な口をきき、騒々しいことを嫌う将軍の前で何かと騒いだ。

 何かと因縁をつけるように絡んでは、間近で見るその顔と瞳に、生きている輝きを見つけてはほっとする。それは、かなり痛みを伴う歓喜でもあっただろう。


「ちょっ・・・、おいカロンッ、ちょっと来いっ」


 どこぞの破落戸(ごろつき)かと言わんばかりのそれに驚き、サフィヨールもカロンを部屋に引っ張り込んで二人だけで向かい合った。


「おい、大丈夫か、カロン。・・・お前、ちょっと暴走しすぎてやしないか? いくら何でも、将軍にあれはないだろうっ」

「サフィヨール様っ。・・・俺は怖い。今まで俺は、戦以外で人が死ぬだなんて思ったことがなかったんです。そんな簡単なこと、誰もが分かっている筈なのに」


 さすがのサフィヨールもカロンを(たしな)めると、カロンはそのままサフィヨールに縋りついてきた。そのまま膝を床について、サフィヨールの腰にしがみついてくる。

今のカロンに、相談できるのはサフィヨールしかいなかった。

サフィヨールも、兄に対する弟のように、ジルドへと心を許していたカロンを知っている。カロンが隠れて号泣していたことも。


「落ち着け。あの将軍は仮に馬が暴走して向かってきても馬を斬り殺す人だ」

「それでも俺は耐えられない。あの人を怒らせて、やっとそれで、まだあの人が生きてるって安心できる。・・・止められないんですっ。俺はいつも夢に見る、あの人に無理矢理剣を持たされて、そしてあの人を殺せと迫られる夢をっ」

「カロン・・・」

「あの人が血まみれになる夢をっ。・・・どうして俺はっ」

「カロン・・・」


 サフィヨールが痛ましげに顔を歪めた。

カロンにとって、ケリスエ将軍は特別な存在だ。その相手に要求された言葉は、真面目なカロンの心をどこまでも引き裂いていた。


(将軍も酷なことをしやがる。・・・こんなにも自分を慕っている人間を)


 カロンのケリスエ将軍に対する反抗的な態度はあまりにもひどすぎると、一部では眉を(ひそ)められていたが、それに至った事情を知っている各部隊長達は、あえてカロンを注意しようとしなかった。


「サフィヨール殿。それでも限度はわきまえさせておいた方が・・・」

「カリスフ第三部隊長。そりゃそうなんですがね・・・。初恋で、しかも現在進行形で惚れてる女、更に命の恩人って存在に自分を殺せと迫られて、毎晩のように悪夢を見て魘されている相手に、何て言って窘めたもんですかな」

「・・・全てにおいて将軍が悪いですな」


 こっそりとサフィヨールに話しかけたカリスフ第三部隊長も、すぐにその意見をひっこめた。

薄々気づいてはいたが、誰よりもカロンを知っているであろうサフィヨールが、はっきりとカロンの恋心を明言したのだ。そういう事情ならば、誰だってカロンは悪くないと言うだろう。

そうとなればカリスフとてあんな気の毒すぎる要求を押しつけられたカロンに、その将軍に対して礼をとれと要求する程、人としての情がないわけではない。いや、将軍自身に人としての情がなさすぎる。

そう思ったからだ。


「だが、ちょっとカロンもやり過ぎじゃないかとも思うんだがな。第五部隊長はどう思われる?」

「いやいや、第一部隊長。ここは静観すべきでしょう。何と言っても、義理とは言え、親子喧嘩のようなもの。それに、・・・こちらとてみすみす将軍をカロンに殺させたいわけではない。ここはあの小僧の若さならではの暴走に期待してみたいと思ってますぞ、私は。第四部隊長はいかがか?」

「カロンの真似をして将軍を侮る人間が出てはと案じておりましたが、そういう奴らはカロン自らが叩きのめしておりますしな。それに、あれは将軍が悪いと思います」


 そして、そのカロンの反抗的な態度によってケリスエ将軍の表情が、たとえ怒りの方向であっても豊かになったのが、理由の一つでもあっただろう。

 これに関してだけは、どの部隊長達も、上司である将軍よりカロンの味方だった。






 トレストとエルセットの瞳は、少しばかり潤んでいた。心が痛い、痛すぎる・・・。


「ごめんね、お父さん。サーラお母さん、ひどい人で」

「いや、それ、お前がケイス将軍に謝るのって何かおかしくないか、エルセット?」

「けど僕のお母さんだし」

「そうかもしれないけど、・・・いや、なんていうか、凄まじい人だったんだな、お前の母上って」

「僕なら耐えられない」

「俺も。きっと自棄(やけ)になる前に、灰になって燃え尽きる」


 そんな少年達の感想に。カロンも(あの頃は本当に辛かったな、心が)と、思った。

 その日から訓練もしてくれなくなった将軍を、どれ程恨んだことだっただろう。

 どんなに恨んでも、それでもその姿を目で追いかけずにはいられなかった。自分とは時間をずらして鍛錬するケリスエ将軍の姿を、建物の中から見ていた。

 さすがにそれを、今、エルセット達に言おうものなら、泣かれそうだ。


「ですがケイス将軍の反抗的な行動って想像できないですね。いつも落ち着いていらっしゃるし、物腰も穏やかですし」

「言われてみれば。だってお父さん、ルーナお母さんに何を言われても、黙ってることが多いよね」


 そんな感想に若かりし頃を思い出すと苦笑いせずにはいられない。


「そうでもなかったな。本当に自棄になっていたんだ。おかげで、『父親と思えって言ったんだから、親父って呼ぶからなっ』って言っても、将軍は『そうか』で、本当に親父って呼んでも怒らなかった。こっちは怒らせたかったってのに」

「うわぁ。怒らせたくてやってるのにスルーですか。最強ですね、ケリスエ将軍って」


 トレストが、ハハハと乾いた笑顔になる。


「そうだな。で、いいかげんに独り立ちさせようと思ったらしく、『屋敷から出て行け』と言われたりもしたんだが、『俺に敵討(かたきう)ちさせたいのに、なんでここから追い出すんだよ』と反論したら、『勝手にしろ』で諦めたりもしていたんだが、・・・後から思うと、本当にあの人って言いにくい雰囲気があるだけで、こっちが我が儘を言えば折れてくれる人だったんだ」

「・・・え。いや、お父さん、それはないと思う。だって、あそこまでぶった切る人だよ、お父さんの認識も、それ、おかしいよ。大体、全然折れてくれてないよ、それ。最初から最後まで『自分の死体を越えていけ』だよ」

「待て、エルセット。考えてもみろ、ケイス将軍はそれでもそんなケリスエ将軍を口説き落とした男だぞ、お前が産まれてるんだから。その程度で怯むような男じゃなかったってだけだ」

「え。・・・お父さん、だけどちょっとお父さんも普通じゃないと思う」


 そう言われてしまうと、カロンも返す言葉がない。


「そうなんだろうが、俺もあの頃はかなり捨て鉢になっていてな。もう嫌われてもいいやと思って、部隊長の地位にあることを良いことに、無理矢理にケリスエ将軍の副官に納まったんだ。ケリスエ将軍は自分のことは自分でやる人だったし、仕事は自分で各部隊長に割り振っていたから副官を置いていなかったんだが、・・・そこを強行突破した」

「俺、ますますケイス将軍を尊敬します。俺ならきっとそのままケリスエ将軍の前から姿を消したと思います」

「僕も異動願いを出したと思う。うん、無理」

「そうだな。それも考えなかったわけじゃないが、・・・・・・それでもあの人の傍にいたかったんだ」


 そう、自分の気持ちなんてそんな単純なものだった。

 

(道を歩いていても、暴走した馬に蹴られて死ぬんだ。それこそ人生、何が起こるかなんて分からない。俺は本気で怖かったんだ)


 そんな自分の思いは、同じ経験をしたことのない少年達では理解できるものでもないだろう。だからその程度の説明に留める。


(どんなに周囲に馬鹿にされてもいい。それでもあの人の傍にいたい。だからどこまでもあの人の傍にいようとした。時には命令違反をしてまでも)


 思い返すと、つくづく恥ずかしい過去ではある。よくぞ他の部隊長達も黙認してくれたものだ。

 あの見事なまでのカロンの玉砕ぶりと将軍の非情っぷりに立ち会ってしまったからなのだろうが。


「どこまでも俺がみっともない人間だったってだけだ。若いってのはそれだけで愚かになる」


 カロンは少年達に穏やかに言った。






 かつての上司であるサフィヨールを副官に、カロンは部隊長として仕事をこなす。

といっても、副官を様付けで呼び、副官にはどこまでも拝み倒し、お願いしまくって呼び捨ててもらっていた部隊長だったが。

 どんなにカロンがケリスエ将軍に反抗していても、そういった謙虚さがあるので、他の部隊長もお目こぼししてくれていたのかもしれない。

 ある時、カロンは新人で入ってきた見習いの一人を、サフィヨールがよく見ていることに気づいた。そこでちょっと話題に挙げてみた。


「あの少年、かなりいい目ですね。動きにこそついていけてませんが、それでも相手の動きは分かっている。反射的に体を動かせるようになったら、もっと伸びそうです」

「そうか? いや、もしかして俺が見ていたのがバレたか? あれはな、俺の姉の息子なんだ」


 そう言って、サフィヨールは姉夫婦が亡くなって自分の所に引き取ったことを教えてくる。


「うちに住まわせてはいるが、贔屓だの何だのと思われたくはないしな。あえて他人を装ってるんだ。姓も違うからそうそうバレないとは思ったんだが、・・・お前は目敏いな」


 そこでふと思いついて、カロンは帰宅してからケリスエ将軍に尋ねた。


「もし、俺の騎士見習いをここに住まわせたいと言ったら?」

「好きにしろ。但し、私の片翼には近寄らせるな」

「はい」


 ケリスエ将軍とカロンが不在にすれば、夜は無人になる屋敷だ。あまりにも不用心だった。何よりもカロンも出世しすぎて、フィオナの手伝いがあまり出来ていなかったこともある。


「サフィヨール様。あのですね、ケリスエ将軍の屋敷に、甥御殿を引き取りたいのですがどうでしょう? 俺の騎士見習いってのはどうですか? サフィヨール様と同じ屋敷ならいつかはバレますが、俺の所ならバレないでしょう。その上で、直々にあなたが育ててやればいいと思うんです。俺の見習いなら、副官をしているあなたが指導に当たっても不思議じゃありませんし」

「え? 本当か? 将軍はいいって言ったか?」

「はい。但し、将軍の住む片翼にだけは立ち入らないようにとのことでしたが」


 そういうわけで、カロンはサフィヨールの甥にあたるリールス・グルイトを引き取り、カロンと同じ片翼の一室を与えた。

 勿論、カロンとて下心がなかったわけではない。

 というのも、カロンがどこまでもケリスエ将軍についていこうとしたら、第六部隊のことを監督しきれないのだ。

ゆえにサフィヨール元第六部隊長だけは手放せない。なぜならカロンがいなくても第六部隊を監督できる人間だからだ。

 そのサフィヨール第六部隊長に更に長く勤めてもらうにはどうするべきか。

 ・・・そういうことだったのである。


「だけどお前もリールスの稽古をたまにつけてくれてるってな。ありがとうな、カロン」

「鍛錬のついでです。それにリールスのおかげで家政婦のフィオナも助かってますし」

「ああ。たまに手伝いとかしてるって言ってたな。・・・あいつも母親を亡くしてる。そのフィオナさんに母親を重ねてるんだろう。どうしてもうちの女房じゃ遠慮しちまうようだが、他人だからこそ甘えられるってのはあるんだろうな」


 誰にとってもWin-Winな関係であった。




 そんなある日、サフィヨールは思い立ってケリスエ将軍の執務室を訪ねた。


「珍しいな、一人で来るとは」

「はは。いつもカロンと一緒ですからな。たまには年寄りと二人でお話というのはお嫌ですかな、将軍?」

「いや。どうせ仕事も一段落している。まあ、どうだ?」

「いただきましょう」


 ケリスエ将軍に勧められた酒の入ったカップをサフィヨール元第六部隊長は有り難く受け取った。


「甥を引き受けてくださいましたことに、まずお礼申し上げます」

「ああ、リールスか。素直だし、フィオナの手伝いも進んでやってくれている。いい甥御さんだな」

「ありがとうございます。ご迷惑ではありませんでしたか?」

「いや? どうせあの屋敷はカロンに譲るつもりだからな、あいつの好きにさせている」


 そこでサフィヨールは、面白そうに笑った。


「本当にあなたは面白い人ですな、将軍。何でも裏の泉で泳いではそのまま地面で寝ていたとお聞きしましたぞ。おかげでカロンが泡食って、私にいい岩を扱っている業者を知らないかと尋ねてきました」

「ああ。この間、岩だの木だのを運び入れてたな。・・・あいつ、造園に興味が出たのかね。変な奴」

「・・・・・・私が思うに、カロンは、泉で泳いではそのまま寝るあなたに何かがあってはならないと、同時にあなたの姿を覗かれないようにと考えたのだと思いますよ、将軍?」

「私が裏庭にいる時、ちょくちょくとカロンが見ているのは知っているが、泳いでいる時は見ないようにしてるぞ、カロンは」

「・・・気づいてたんですか」

「周囲の確認は基本だからな。あの裏庭の土は人が近づいてきたらすぐ分かるよう砂利も含ませてある。カロンにもそういったことは教え込んであるし、やはり造園に興味が出ただけじゃないのか?」


 サフィヨールは考え過ぎだと呆れているらしいケリスエ将軍だが、サフィヨールとしてはもっと呆れずにいられない。


(どこまで面白い人なんだろうな、この将軍。いや、カロンのことを考えると哀れなんだが)


 どこまでもカロンの想いは将軍に届いていない。今まで毎夕相手をしてくれていた将軍がしてくれなくなったので切なくカロンが裏庭を見ている内に、そういった夜間の将軍の水浴び行動に気づいたのだと、どうして察してやれないのだろう。

カップを口に運んで唇を湿らせると、サフィヨールは再び口を開いた。


「一度、あなたにお伺いしたかった。どうしてカロンを私に預けられたのです? あれはあなたが唯一育てた愛弟子でしょう。手元に置いておくつもりはなかったのですかな?」

「手元に置いて教えるべきことは教えていた。その上で別のことも学ばせ、成長させ、そして立場を確立させる必要があった。だからサフィヨール第六部隊長に渡すのが良いと判断しただけだ」

「その理由をお尋ねしても?」

「あなたもカロンと同じだからだ」

「・・・・・・どういう意味か、お尋ねしても?」

「どうしても敵の国の人間と聞けば、人はまず警戒心が反射的に顔に出る。だが、一人だけ出ない人間がいた。・・・まるで、敵国の人間であってもこのローム国の人間になれるのだと自らの体験でもって知っているかのように。・・・それが答えだ。それでいいか?」


 サフィヨールは低く静かな声になった。それこそケリスエ将軍にしか聞こえない声量に。


「おっしゃる通りです。私はかつてカロンと同じ国の人間でした。どさくさでこの国に紛れこみ、そして軍に入り、ここまで過ごしてきた。・・・見事な慧眼でいらっしゃる」


 だが、ケリスエ将軍にとって、その褒め言葉はどうでもいいものらしかった。


「サフィヨール第六部隊長ならカロンに対し、偏見も何もない状態で見てくれるだろうと考えた。そして、サフィヨール殿は私の期待を上回る実績でもってカロンを育て上げてくれた。・・・なあ、サフィヨール殿。カロンを育てるのは楽しかっただろう? あなたはとても生き生きとしていた」

「そうですな。なかなか素直で成長も早かった。・・・楽しゅうございましたな。ですが、私ですら忘れているようなことすら見抜くあなたが、どうしてカロンのことだけはお分かりにならないのでしょうな」

「カロンのことならちゃんと見てるつもりだが? 病気したりした時には、ちゃんと食事に薬草も混ぜ込んで無理矢理食べさせている。不味(まず)そうな顔はしてるが、ちゃんと食べてるぞ」

「いや、そういう意味じゃなく・・・。将軍、あなたは何かというとカロンを無視なさっている。我らや他の人間の表情はかなり把握し、常に動きを読んでいるというのに、カロンに関しては何もしないどころか、滅多に視界に入れようともなさらない。それはなぜか、お伺いしても?」

「・・・今日はかなり突っ込んでくるのだな、サフィヨール殿」


 さすがに、疲れたような声音が混じるケリスエ将軍だった。

いつもは面白がってはそれで済ませるサフィヨールだが、今日はきちんと聞かせてもらいたいという決意を目に浮かべている。その本気を感じ取り、ケリスエ将軍も相手をしていたのだが。


「これでも、あれは息子のようにすら思えておりますのでね。それに、あなたはカロンにご自分を殺させるおつもりなのでしょう? ならば生きておいでの内に訊いておかねばなりません」

「・・・カロンを殺さない為だ。私は相手の動きを事細かく読むクセがついている。鍛錬の動きは鍛錬のものだからいいが、普段の動きまで私が読み取ってしまったら、この体はカロンが私に剣を向けてかかってきた時点で、反射的にカロンを殺すかもしれない。なるべくカロンの普段の動きを知らないようにしておく必要があった」

「・・・それは。考え過ぎでは?」

「いや。私はいきなりうちの部隊長達が斬りかかってきたとして、反射的に殺せる自信はあるぞ」

「あなたがそう仰有るなら、そうなんでしょうな。ですが、そこまでカロンを大事に思いながら、それがカロンに通じていなくてもいいと?」

「私の思いは私だけのものだ。カロンが知る必要などない。結局、私はそういう人間だ。見込んだ以上、育てずにはいられなかった。・・・だがサフィヨール殿に預けて良かったと、思っている」

「有り難き幸せでしたな。・・・なのに、その誰よりも慈しんだ愛弟子にご自分を殺せと仰有(おっしゃ)る」


 そこで、ふっとケリスエ将軍が小さく笑った。


「師匠を乗り越えてこそ、だ。自分よりも弟子が優れることなど許せない人間もいるだろう。同時に弟子だからこそ、自分よりも優れた結果を出せないのでは許せないという人間もいる。それだけのことだ」


 その時間帯、窓側から入口の廊下側へと風が吹いているのは確認済みだった。だからサフィヨールはケリスエ将軍の所へ来たのだ。

 その廊下側の壁の向こうで、カロンはただ下を向いていた。

 どこまでもケリスエ将軍がカロンに望むのは将軍を殺すことだと、それを突きつけられて・・・。


(それだけがあなたの望みだというのなら・・・・・・)


 それでも自分を大事に思ってくれていたのだと知ることができたから、・・・耐えていける、きっと耐えられる。カロンはそう思い込もうとした。そう、思い込みたかった。






 いつも後ろ姿を見ていた。たとえあの人が振り向いてくれないのだとしても。


(そもそも裏庭にいるあの人を屋敷から見ていたことに気づいてたなら、こういうのもバレてたんだよな。それでも無視って、一体何なわけ? 大体、俺が剣を向けたら反射的に殺しそうだから無視っていうのも、・・・・・・どうして俺があの人を殺そうとすることが前提なんだ?)


落ち着いて考えれば考える程、カロンは理解できなくなった。


(俺があの人に剣を向けたとして反射的に殺しそうなら殺せばいいだけだろうが。別に俺だってそういう理由なら殺されたって恨まねえよ。なのに自分はそこまでしといて、俺にはあの人を殺せってどーゆーことだよ)


あの人にはあの人なりに、弟子なら師匠を追い抜いていけというポリシーがあるのは分かった。だからといって、それで殺し合いってあるものだろうか。初めて聞いたというより、教官が剣技を教える度に生徒と殺し合っていたら、いくら人がいても足りなくなるだろう。


(どこの師弟関係だって、殺し合いなんてしてねえだろうが。あの人、実はおかしいんじゃないのか。かなり変じゃないのか)


だけど、それでもその変人こそが、自分の師匠ということになるのだからどうしようもない。ふざけんなと言って家出したくもなるが、傍を離れたくないのだからそれも出来ない。

カロンとしては八方塞がりだった。

そして、その変人な師匠は、この所、王城の裏にある山の中腹、そこの神殿跡に毎晩出かけているのであった。


(これってそういう意味なんだよな。俺を呼んでるわけなんだよな)


カロンは悩むのにも疲れ果てていた。朝も昼も夜も、ずっと考え続けていた。それでも結局どうしようもできなくて、人前では乱暴な口調でケリスエ将軍に絡みながらも、遠く離れた場所からはずっと見ていた。


(もう、疲れた。それよりいっそ俺を殺してくれ)


だからもう投げやりな気持ちで、将軍の無言の呼び出しにカロンは応えたのだ。それはかなりやさぐれた心境だった。




山の中腹にある神殿跡。それは白い石で造られていた為、夜目にも他の場所より明るかった。ましてや満月となれば余計に。

カロンはもう、殺されてしまおうと覚悟を決めていた。


(そうすればこの悪夢からも解放される。俺があの人を殺す夢から)


そんなカロンの気持ちなど将軍には分からないのだろう。やっと覚悟を決めたのかというかのように、抜き身の剣を提げたカロンを見て、将軍は「来るがいい」と言い放った。

これが最後の稽古になるのだろうか。

カロンもまた剣を振り上げた。せめて最後まであの人を感じていたい。そう思った。

何度も切り結ぶ内、ふと将軍の体が揺れたように感じた。そこで更に力を入れて将軍の剣を弾き、とっさにカロンはその腹部を蹴り倒した。慣れた動作だ、その上に馬乗りになって首の横にある地面に剣を突き立てた。


(初めてだな。反対の状況になったことは多々あったけど)


そのことに嬉しいとも悲しいとも感じなかった。


「やれ」


カロンは今までのどんな時よりも近くにある黒い瞳を見下ろしていた。ずっとその瞳を見ていたかった。けれども、それはこんな形じゃなかった。自分が見たかったのは・・・。


「ハハ、やってらんねぇよ」


 自分の望みは何だったのだろう。こんなことをする為に、生きてきたとでもいうのか。

 カロンはもう全てが嫌になった。


「殺せ、カロン。お前にはそう教えたはずだ」

「知ってるよ、そんなこと」


剣を持って戦ったなら、常にとどめは刺すようにと教え込まれた。情けは自分の命を奪うだけだからと。何度も何度も練習させられた。


(なら、俺に情けをかけ続けているあんたは何なんだよ)


拾い物だと言ってカロンを保護し、やってみるかと言ってカロンに生き抜く術を教え込み、その裏には簡単には分からない愛情をどこまでも詰め込んで、そして自分の心をこんなにも奪っておきながらそれに全く気づこうともしない、誰よりも優しく誰よりも冷たい、カロンの救い主。


「殺せと言うなら、どうして俺を育てたっ」


 それでも自分に対する思いがあるというのなら、サフィヨールに話すのではなく自分にこそ話してほしかった。・・・話してもらったところで納得できるものではないが、それでも自分にこそ向かい合ってほしかった。

どうして将軍と自分のことなのに、自分には何も話してくれない。

どうして、自分だけを見てくれない。


「・・・気まぐれだ」

「はは、・・・ホント、あんたって最低だ」


 どこまで自分の言葉も心も拒絶し続けるのだろう。サフィヨールには説明できても、カロンには出来ないとでも言うのか。

 カロンの姿ばかりでなく心をも無視し続ける残酷さ。

 同時に存在する、カロンに対する無償の愛。


(別に動きを全て見切られようとも、それで殺されようとも俺は構わなかったのに・・・。ちゃんとあなたが俺を見てくれるというのなら、俺はそれで良かったんだ)


 カロンが手の力を抜いたことで、床石と床石の間に刺してあった剣がカランと音を立てて倒れた。

それこそ剣を手放した自分をそのまま殺せばいい。他の誰でもなく、あなたがそう俺に教えた。隙があればその時を逃すな、と。

だが、将軍はそんなカロンを殺さなかった。ただ、カロンの頬を流れる涙を指で拭ってきた。


(あなたこそ、どこまで俺を・・・)


カロンは上半身を起こしてきた将軍の肩に自分の顔を埋めた。

このまま殺してくれれば幸せなのにと思いながら。

この人なら一瞬でその剣を使って自分の首を刎ねることができる。

せめて将軍の温もりを感じたまま、死にたかった。




 自分の肩に顔を伏せているカロンに、ケリスエ将軍も困り果てていた。顔には出さなかったが。


(どうしたものか。・・・何故、こんなことになっているんだろう)


 カロンの体も鍛えられているが、将軍もそれは同じことである。無駄に重い体が自分の上にあっても潰されはしないのだが、どこまでカロンは泣き続ける気なのか。


「カロン。いいかげん泣き()め。・・・本当にお前はどうしていつも泣いているんだ。大体、なぜ泣くんだ」


 何も答えないカロンに、しょうがないと思ったのだろう、ケリスエ将軍は左手をカロンの背中にまわし、右手でカロンの頭を撫でてきた。


「もう泣くな。男だろう」

「・・・将軍」

「何だ」

「俺を殺してください」

「断る」

「・・・・・・」


 カロンの涙がそこで引っ込んだ。


(断るって、・・・・・・そんなの出来るのかよっ)


 なら自分だって将軍を殺せと言われても断りたかった。それこそ、「何だよ、それ」である。


「泣き止んだなら、今日はもういい。次回はちゃんとやれよ」

「それこそ俺もお断りです」

「カロン。お前な・・・」


 まるで駄々をこねる子供に対するかのような呆れを含んだ声だった。ケリスエ将軍にとっては、自分のこの気持ちも、そのようにしか感じていないのだろうか。

 どうして、こんなにもこの人は・・・。

 カロンは強くケリスエ将軍を抱きしめた。


「なんでっ、なんで俺があんたを殺さなきゃいけないんだよっ。・・・そりゃあ、これがたとえば致命傷を受けてて、苦しまずに殺せっていうのなら俺だって他の誰かになんて任せやしないさっ、この手であんたを殺すよっ。それでも殺せと言い続けるならあんたが俺を殺せばいいだろうっ。どうせっ、どうせあんたが救った命だったんだからっ」


 よく鍛え上げられたケリスエ将軍の体はしなやかなラインを描いてはいたが、柔らかさなどカケラもなく固かった。女性の体ではないだろう。それでも自分は・・・。


「自分が教え込んだ人間を殺す阿呆(あほう)はいない。お前は何があろうとも私が生かす相手だ。変なことを言ってないで、お前はちゃんと私を踏み台にして高みを目指せ」

「・・・それを言うなら、自分に教え込んでくれた相手を殺すような人間もいねえよ」

「それでは強くなれん」

「あんたを失ってまで手に入れたい強さなどないって、・・・どうして分かんねえんだよっ」


 ケリスエ将軍は大きな溜め息をついた。


「カロン。・・・どうしてそこで泣くんだ」

「あんたが悪いんでしょうが。なんでそうしつこく、俺に殺させようとするんです」

「頃合いだからだ」

「・・・頃合い?」


 そこでカロンは将軍の肩から顔を上げた。将軍の答えに、真面目な響きを感じた。

 聞いておくべきだ。

 そう、思った。


「そうだ。カロン、お前には縁談が出ている。相手はまだ決定していないが、それなりに有力な領主の姫君達、つまり貴族令嬢との縁談だ。それはセイランド・リストリ、ロメス・フォンゲルドも同様だが、たとえいつかお前が軍で失脚しようとも、貴族の後ろ盾があるなら滅多なことにはならん」

「・・・それと何が頃合いだって言うんです?」

「ロームは戦う王国だ。力で将軍になり貴族の姫を娶った男なら、どんな出自であろうと皆が認めざるを得ない。カロン。今、将軍になるのが一番いい」

「・・・・・・それだけの為に、俺に将軍になれ、と?」

「そうだ」

「・・・そんな理由で結婚しろ、と?」

「そうだ」

「俺がどちらも欲しくないというのに?」

「なぜだ?」

「・・・・・・・・・」

 

 カロンの涙は完全に引っ込んだ。


(というか、どこまでも俺の為ってのは分かったけど、分かったけどっ、・・・それはねえだろうっ!)


 どこまで物事を深く見通しているのかという意味では凄い人なのだろう。一つの物事に様々な事情を織り込んだ上で、一番いいと判断できる手を打っている。

 ただ、そこにカロンの心情というものを少しも、そう、ただの一滴すらも汲み取ってくれていないだけだ。

 全てはカロンの為だというのに。


(それならこの人にとっての人生って何なんだよ)


 カロンは唾を飲み込んで落ち着いて考え、意を決してから、改めてケリスエ将軍に向き直った。


「将軍」

「何だ?」

「あなただってまだ若い。まだやりたいこととか、したいことだってあるでしょう。俺のことより、まずそういうのはないんですか」

「別に・・・。とりあえずふらりと入ったこの国でも将軍になったし、・・・ただ、有名になり過ぎて、今更他の国に行って雇ってもらうわけにもいかんのがな。身元がバレないなら、力試しも兼ねてよその軍に入り直してもいいんだが」

「・・・・・・いや、そういうんじゃなくて。たとえばどこかに行ってみたいとか、何かしてみたいとか。大体、どうしてその若さで死のうとか考えられるんです」

「いつか自分より強い弟子を育てるつもりだったからお前を育ててみたんだが、・・・他には特にな。それに人を殺してきた人間は殺されるのが当然だ。ならばその相手は自分の育てた弟子でいい」


 何と言えばいいのだろう。教え込んではもらったが、育ててもらったというのはいささか語弊が・・・いや、いいんだけど。

カロンは考え込んだ。

この人って、戦うこと以外は本気で駄目人間なんじゃないだろうか。このクソ強さに誰もが騙されているが、人として欠陥品もいいところじゃないんだろうか。


「なら・・・。特に何もしたいことがないなら、俺にまだ付き合ってください」

「何を?」

「全てを。俺は別に好きでもない相手と結婚したいとも思わないし、別に失脚したならそれはそれでいいと思ってます。だけど、・・・だけどもし、俺が出身の問題で失脚したとしても、将軍と俺となら、そのまま他国に逃げ切り、更に名前を変えて新しい人生だってやり直せると思いませんか? それに、二人でこの国の包囲網を相手に抜け出すのなんて、最高に凄い腕試しになると思うんですけど」


 ケリスエ将軍は少し考え込んだようだった。

 カロンはそこで更に言葉を続けた。


「今度は全く違う国でどこまでやれるか試しても楽しいと思います。俺だって、あなたに拾われた時の少年じゃない。お互いにどちらが先にそこの軍で早く出世できるかを競ってもいいと思うんです。・・・それに、俺はまだあなたに教わりたいことが沢山ある。殺せというなら、それがまだ数十年先に延ばしたところで損はしないでしょう?」

「新しい国で腕試し、ね・・・」

「かなりここから離れた国にしてしまえば、身元なんてバレないと思いますけど」

「それも楽しいかもな」


 カロンは思った。

 この人を釣るならそっちなんだな、と。


「この国の出世だけが全てじゃないです。・・・この国のあちこちには一緒に行きましたけど、たとえば更にもっと国を越えて遠くに行ってもいいじゃないですか。俺一人じゃそれでも逃げ切れないとは思いますが、将軍がいてくれれば俺はどこまでも出来ると思います」

「・・・たしかもっと東に行けば違う戦闘集団もいるという噂があったな。南に行けば、全く違う文化の国があるらしいが」

「・・・・・・」


 さっきから言葉の裏に意味を込めてというより、かなりストレートに思いを伝えたつもりなのだが、ケリスエ将軍には通じていないことは、カロンでなくても分かる状況だった。

 カロンは小さく溜め息をついた。


(いいんだ、もう。とりあえず自分を殺せとか言わないでくれるなら、それだけで・・・)


 カロンは諦めることには慣れていた。

 そのまま将軍の上からどいて立ち上がる。


「屋敷に帰りましょう、将軍。その時になったらその時で考えればいい。・・・どんな時でも生き抜ける術を、俺に教えてくれるんでしょう?」

「そうだな。まあ、どれも美しい姫君だそうだし、お前も会ってみれば結婚したいと思えるかもしれんな。今回のこちらは保留しておこう」

「・・・・・・」


 まだ諦めてないのか。だが、どんな美しい姫君だろうが、自分の心を動かすことはないだろう。

 そう思ったが、カロンは何も言わなかった。


「ところで将軍」

「何だ」

「別に普段の俺の動きを見切ってくれようが、反射的に俺を殺そうが構わないので、俺を無視しないでください」

「・・・考えておこう」

「約束ですよ」

「考えておくだけだ」

「可愛い弟子のお願いくらい聞いてください」

「そんな図体のどこが可愛いんだ」

「・・・ひでえ」


 それでも、差し出した腕を取って、将軍が立ちあがってくれたことでカロンは満足した。本当は自分の腕などなくても立ち上がれる人だと分かっていたから。

 それだけで幸せだった。






 トレストとエルセットの表情には、完全なる同情が浮かんでいた。


「ごめんね、お父さん。今までルーナお母さんにお父さんが何も言わないのって単に気にしてないだけだと思ってたんだ。お父さんだって傷つくよね。今度から僕がお父さんを庇ってあげるからね」

「すみません、ケイス将軍。俺、本当に将軍は男の中の男だと実感しました。好きな女性に他の女性との縁談を仕組まれていたなんて、俺なら立ち直れません」

「・・・・・・・・・」


 言われてみれば、かなりひどいことをされていたのかもしれない。

あの時は、殺せだの何だのを言われていたこともあり、どうしてもそっちに意識が強く向いていたが、考えてみればあの人はカロンを他の女性と結婚させるべく動いていたのだった。

 カロンはコホンと咳払いした。


「それはともかくとして、ケリスエ将軍というのは、そういう戦闘系の人間だったんだ。・・・かなりの変人と言ってもいいだろう。だからエルセット、これからもお前が何かと根も葉もない噂を聞くことがないとは言えんが、・・・・・・それだけはあり得ないというのは、お前も理解したと思う」

「うん、よく分かった。お父さんを(たぶら)かすどころか、相手にもされてなかったんだね」

「お前は鬼かっ、エルセット。何てことをケイス将軍に言うんだっ」

「えっ? あっ、いやっ、そういう意味じゃなくてっ」


 カロンは軽く手を振った。


「いや、いい。たしかに相手にされていない以前に、全く意識すらされていなかったからな。あの人にとって、俺はまだ拾った時と同じ少年のままだったんだ」


 その事実も、今なら甘酸っぱい気持ちで思い出せる。


「それでも時が流れ、やがて縁談の一人であるフィツエリ男爵家のルーナ姫と出会い、ルーナ姫は俺ではなくケリスエ将軍を好きになり、ケリスエ将軍の傍にいたいと願った。・・・それでも女同士でそんなことが許される筈もなく、ケリスエ将軍も、俺とルーナ姫をくっつける気しかなかった」

「・・・なんかドロドロっぽい三角関係ですね、将軍」

「ちょっと待ってよ、それが僕のお父さんとお母さん達なんだよ、トレスト兄」


 ここで自分達が繰り広げた大人げない口喧嘩を子供達に教えるのは教育上かなりよろしくないだろう。あの頃、カロンとルーナは、顔を合わせる度に、お互い(ののし)り合っていた。

 カロンもその辺りは言わないことにした。


「やがて俺がどうにかこうにかケリスエ将軍に妥協してもらったというか、やっとの思いで口説き落として、そしてエルセットをあの人は産んでくれて、俺はとても幸せだった。・・・だが、エルセット。お前がまだ小さい時に将軍は病気にかかり、そのまま他界した」

「うちの父上から聞きました。かなり進行が早かったと」

「そうだな。本当にあっという間だった。ケリスエ将軍を看取り、俺はそのまま放心していた。そんな俺と二人きりだったなら小さなエルセットはそのまま弱って死んでいただろう。そこを強引に屋敷に居座り、エルセットの面倒をみてくれたのが、ルーナ姫達だった」


 そこでカロンは一度話を区切り、エルセットの黒い瞳を見つめた。


「エルセット。産まれてきたこの世界は嫌なものだったか?」

「ううん。俺は毎日、・・・そりゃ嫌なこともあるけど、だけど楽しいよ」

「・・・親が子供に望むのはそんなものだ。ケリスエ将軍が残していくお前に望んだのも、ただお前が幸せに笑って生きていけるようにと、そんな単純なことだった。だけどそれはどの親も同じだ。トレストのご両親だってトレストの幸せだけを祈ってるようにな。あれでフォンゲルド将軍も、お前の様子を聞くのを楽しみにされているように。・・・トレスト、分かりにくいが、フォンゲルド将軍もご自分の子供達をきちんと愛しておいでだ」

「はあ。・・・・・・母上よりはるかに低い位置ですけど」

「そこはまあ、・・・・・・仲の良いご両親だからな」


 そして少年達二人の頭をぽんぽんと叩く。


「さあ、もう眠る時間だ。この話はもうおしまいだ。二人ともちゃんと着替えて寝るんだぞ」

「はい。おやすみなさい、ケイス将軍」

「おやすみなさい、お父さん」


 二人が仲良く部屋から出て行くのを、カロンは優しい表情で見送った。

 そんな少年二人は、トレストの部屋に直行したわけだが。


「ねえ、トレスト兄。お父さん、あの後を僕達に教える気、ないよね?」

「思うに、俺達に聞かせられないアレコレがあるんだろ」

「それこそ聞きたかったのに」

「・・・・・・」


 こんな話を聞いてエルセットも自分の部屋に帰ろうなんて思えない。トレストの夜着を借りてベッドの奥側を占領する。トレストも着替えると、同じ寝台に潜り込んだ。

 トレストも、話の続きはかなり気になる。しかし、考えてみればかなり泥沼展開ではなかろうかと思えなくもないのだ。

 今までの話ですら、カロンにとっては恥ずかしい過去のオンパレードだっただろう。それでも赤裸々(せきらら)に話してくれたカロンが話せないだなんて、どんな内容なのか。


(そうして考えると、本当にケイス将軍って凄い人なんだよな。人生経験が豊富というのか・・・)


「だけどさ、エルセット。俺もあの父上の息子ってんで嫌な思いはさせられてるけど、なんかもう、それって小っちゃいことだなって思えるよ」

「僕も。・・・お父さんが耐えたことよりもはるかに小さなことだよね。きっとお父さん、もっとひどいこと言われてたよね」

「多分な。だって俺が聞いたことあるだけでも、かなり言われてたぜ」

「そうなんだ、やっぱり・・・」

「それでも俺はケイス将軍で良かったって思ってるけどな。俺はそんな噂よりも、母上の見る目を信じたし、やっぱり俺の判断は間違ってなかったって思ってる」

「トレスト兄のお父さんだって凄いと思うけど。だって誰もが避けるよね。あそこまで恐れられてるのって、まさに鬼神って感じじゃない? それにトレスト兄にそっくりなだけあって、カッコイイよね」


 見た目なら、ロメスとトレストは良く似た親子だ。

エルセットにしてみれば見慣れているトレストに、ロメスが似ているように感じるのだろう。間接的に自分の顔を褒めてくれたのは嬉しいが、あの父に似ているからだと思うと、複雑な心境のトレストだった。


「・・・なら父親同士交換してやろうか? 俺は全く構わないんだぜ?」

「ごめんなさい。僕が悪かったです」

「分かりゃいい」


 そうじゃれ合いながら、二人はカロンに聞かされた話をあれこれと思い出して語り合う。


「だけどさ、お父さんもあそこまで話したんだから、もう全部教えてくれてもいいと思わない?」

「そうだけどさぁ、・・・考えてもみろよ。ルーナ様こそ、ケリスエ将軍に惚れこんでたわけだろ? これでエルセットも、まさか自分の産みの母親と育ての母親のラブストーリーを父親から聞かされたりしたらどーすんのさ」

「・・・いや、ちょっと待ってよ、トレスト兄。だってサーラお母さんとルーナお母さんは女の人だよ? ラブストーリーなんてあり得ないよ?」

「うん、今の時点で見事に事実に背を向けてるエルセットじゃどうしようもないのはよく分かった」

「・・・・・・はっ。まさかっ、サーラお母さんとルーナお母さんとの間に僕が産まれたとかっ?」

「うん、もう寝ろ。エルセット」


そんな二人はどこまでもハイになっており、その夜はちょっぴり夜更かししたのだった。 


【寝言と魔法】


 父親とは、娘を奪っていく男を快く思わないものなのだそうだ。


(が、うちはどっちかというと、かなり仲良しな気がする)


 ちょうど近くまで行く用事があったので、セイランドはスクリッスまで足を延ばしていた。セイランドの妻であるユリアナの養父、ファンルケ医師に会う為だ。

 たまにそうやってふらりと立ち寄るセイランドを、舅は歓迎してくれる。どうも息子のようにも思ってくれているらしい。確かに義理の息子になるわけだが、少年の日のセイランドを知っているというのもあるからだろう、セイランドに向けられるその瞳には慈しみが常にあった。


「日記、ですか」

「そう。いずれセイランド殿には話さなくてはと思っていたことなのですが」


 せっかくだから泊まっていきなさいと勧めてくれたファンルケと、共にのんびりワインを傾けてチーズを摘まんでいたセイランドは、日記という自分とは無縁のシロモノに眉間の皺を寄せた。


「実はユリアナは、どうも巫女のような性質を持っているらしく、眠りの中で神々の世界を旅しているようなのです」

「はあ」

「それを寝言で呟くことがあります。たとえばいずれ起こることや、既に終わったことなど」

「・・・」

「ただ、その内容は、ユリアナにまつわる人間のこともあれば、全く関係ないこともあれば、時に過ぎ去った過去のこともあったりします。ただ、時にユリアナに親しい立場の人間についての予言が含まれるのです」


 そこでふと、セイランドは考えた。

 たしかにユリアナの寝言はおかしい。荒唐無稽な寝言など日常茶飯事だ。


「問題はユリアナ自身がそれを理解していないことです。眠りの中で託されたそれは、ユリアナの意識に残らないのです。だから、身近な人間が聞きとって役立たせる・・・・・・ようなこともなく、あまり役立つことはなかったんですがね」


 そこでファンルケも眉根を寄せる。


「ええ、正直、役立たないことの方が多いのですが、稀に、・・・そう、本当にごくごく僅かに、役立つことを話してくれることがあるのです」


 そこでファンルケは、棚から日記を取り出した。


「これらは、私が気づいた時に聞き取った内容だけを書き留めたものです。・・・ええ、役立ったことなど、これだけ書き留めて、幾つかしかありませんでしたが」


 見せてもらったそれをパラパラとセイランドはめくる。


「犬と猫が喧嘩する・・・、ですか。下の方に、キリルさん家と書いてありますが」

「キリルさんの庭先で犬と猫が喧嘩しましたな、確かに。・・・何の役に立つかと言えば、どうしようもない話でもありました」

「お誕生日には豆が。・・・・・・下に、二年後の誕生日に豆をおすそ分けでもらったと書かれてますが」

「その夢で呟いた二年先の誕生日で豆をいただいたのだったかと」

「二十年後、テリルールで敗退、その後、勝利。・・・・・・これは?」

「その夢の日付を書いてあるでしょう。それから二十年近くたって、テリルールでその通りの戦いが行われたならば、その夢は正しかったことになりますな」

「雨が降るからお休み。・・・これは?」

「分からないままです。どうやら、自分にまつわるものとも限らないらしく・・・」

「・・・・・・」


 苦笑するファンルケだったが、そこでセイランドは考え込んだ。


「セイランド殿。あなたはそれを知っても悪用はなさらぬ方です。だから打ち明けました。肝心のユリアナすら知らないことですが、私が思うに、こういう恐らく消えゆく神々に属する不思議な力は、ユリアナが欲を出したら消え去ってしまうものでもあるのでしょう」

「そうかもしれません。いえ、私もつい、どこまで利用できるか、考えてしまいました。お恥ずかしいことです」

「いえ。私も思いました。先を見ることができるなら、どれ程良いだろうかと。ですが駄目でした。・・・たとえば自分が知りたいことを先にユリアナに伝えておいても、その夢を見てくれるとは限らないのです。一晩中、無駄に待っただけでした」

「なるほど、そうでしたか」


 二人は、同じ動作でワインを傾ける。


「けれども興味深い記述がありましたね。俺は明日、家から叩き出されるんですか?」

「・・・さて。どうなんでしょうな」

「では、まず自分の身で試してみることにします」

「ええ、どうぞ」


 フッとファンルケが笑う。セイランドも面白そうに笑った。

 ぱらぱらめくった中に、明日の日付でセイランドが家から叩き出されるとあった。・・・自慢して言えることなのだが、夫婦仲はかなり良いし、ユリアナを怒らせたりもしていない。家に帰ったら抱きつかれることはあっても、叩き出される筈がないと言い切れる。

 ただの変わった寝言だっただけではないのかとも思いつつ、明日の帰宅を一つのお祭り気分で待つことにしたセイランドだった。






 スクリッスで一泊して戻ると、家から煙がモクモクと出ていた。


「ユリーッ!?」


 慌てて家の扉を開けて入ろうとしたら、そんなセイランドと扉の間に箒がばっと差しこまれた。


「ぶふっ」

「きゃーっ、セイランド様っ。近寄っちゃ駄目っ」


 箒は遠慮なくセイランドの体をぐいぐいと押してくる。セイランドが間違っても扉を開けられないようにと。


「ユリー。無事だったか」


 心配したユリアナが家の外に出ていてくれたことに安心しつつも、まさか箒で追い立てられるだなんて初めての体験である。

 セイランドは、愛しい妻に近寄ろうとした。が、しかし。


「駄目っ」


 そのまま箒で叩かれてしまった。


「セイランド様っ。今日はお城に泊まってください。家に帰ってきちゃ駄目ですっ。私にも近寄らないでっ」

「って、ユリーッ!?」


 ほらほらと、馬の方へセイランドは箒で追い立てられていく。いつもは笑顔でセイランドを迎えてくれるユリアナは、今は「私に近づくな」と、その手にした箒でもって語っていた。


「この辺りで変な虫が発生したようなんです。今、家の中を全部、(いぶ)しています。うちに入り込んでいたらこれで虫も死ぬ筈ですから。これから私自身も服のまま全身水に浸かる予定なんです。そうしたら虫がいても死にますし。セイランド様はよそに行ってたんだから虫は入り込んでいません。だからこちらが全て駆除し終えるまで帰ってこないでください。私っ、今、この辺りのおうち全部のそれを任されてるんですっ」


 そうして、早く行って行ってと、箒でぽすぽすされて、セイランドは妻に追い出されてしまった。

 愛する妻に家を追い出されたショックに、呆然としたまま城の近衛騎士団の棟に向かったセイランドである。が、しかし。


「・・・・・・・・・たしかに当たっていた」


 叩き出されたというか、箒ではたかれて追い出されたというか・・・。それでも凄い的中率である。何という能力なのか。


「けど、分かってても、対応策がないんじゃどうしようもない気もするな」


そう思うと、役立つようでいてあまり役立たない気もしてしまう。

なるほど、ファンルケがふんぎりのつかないような表情になっていた筈だ。

 セイランドは妻の寝言を聞くことがあった日には、記録までの必要はないが心に留めておこうと思うことにした。






 そんなある晩のこと。


「みんな、焼けてしまう・・・」


 物騒な寝言に、セイランドの頭が覚醒した。ばっと飛び起きる。

 隣で寝ていたユリアナは眠ったままだ。それでも唇が動く。


「火の、海が・・・、全てを焼き尽くす・・・」


 あまりにも聞き逃せない言葉だった。もしも王都であれ、どこであれ、そんな大きな火事が起こるとしたら・・・。

 セイランドは寝ている妻を起こさないよう、静かな声で尋ねた。


「それはいつのことかな? そして場所は?」


 ユリアナは「ん」と、言いながら顔の向きを左右に揺らす。


「場、所・・・は、レルン。そ、れは・・・三、・・・」


 レルンと言えば王都に近い都市だ。そこが火の海とは。

セイランドの体に緊張が走った。


「・・・百、年後・・・に」

「・・・・・・・・・」


 ・・・先すぎだっ。

あまりにも先すぎるだろうっ。

 別にユリアナが悪いわけではないのだが、がっくりとセイランドは肩を落とした。


(三百年後のレルンなんぞ、どうでもいい。かなりどうでもいい。本気でどうでもいい)


 その頃には自分もユリアナも死んでいる。

 それでも次の日に書き留めてしまうセイランドだった。


(ああ、舅殿のあの目を泳がせていた笑顔の意味がよく分かる)


 当たるという意味では凄いのだろうが、あまりにも内容が役に立たなさすぎるのだ。しかも当たると分かっているから、つい書き留めずにはいられなくなる。何という周囲を振りまわす恐ろしい能力なのか。


「・・・・・・」


 セイランドはちょくちょくと書き溜めていた紙片を引き出しから取り出した。


(百発百中なのはいい。・・・だけど、よその家の晩飯メニューを知ることにどれ程の意味があるというんだろう)


 それでも知ったら書き留めずにはいられない。

 セイランドだけの魔法使いは、どこまでもセイランドを縛りつける魔法を使えるらしかった。


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