27 さようならをあなたに(セイランドゥルエスとフィオリーアンデ)
爽やかな太陽の光を受けて佇む、そんな彼女の姿がとても眩しくて、カロンは目を細めて見直した。
くるりと振り向いたものだから、日光を背にして表情が陰になる。運んできた食事をそこに置き、カロンはサーライナに近づいた。
「何を出歩いてるんですか。ちゃんと休んでいてくださいって言ったでしょう」
「そうなんだがな。今日はとても気分がいいんだ。まるで自分の心が太陽に届くかの気持ちにすらなった。・・・なあ、カロン。久しぶりに裏庭も歩きたい。食事をしたら行ってもいいだろう?」
「・・・程々に、ですよ」
考えてみれば、ずっと寝ていたら体もきついだろう。少しは動かした方がいいのかもしれない。そう思い、カロンはあくまで暖かい格好をしておくこと、そして少しでも疲れたと思ったら切り上げることを約束させて、食事の後にサーライナを裏庭へと連れ出した。
エルセットは寝ているし、ヨイネが付き添っていてくれる。最近は、無理矢理にサーライナに遊ばれることも減り、すやすやと眠るようになったエルセットだ。
「やっぱり、ここの泉はいいよな。大きさはさほどではないが、それでいて潤沢だ。これが気に入ってこの屋敷にしたんだ」
嬉しそうに、サーライナが岩に座って足先だけ川に浸ける。
「そうなんですか?」
「ああ。肩書きに相応しい屋敷を構えろとか言われて、幾つか見せてもらったんだが、その中の一つがここで、・・・それこそ誰とも会わずに引きこもれそうだなと思って、ここにしたんだ。水は常に湧き出ているし、その気になれば畑も作れるし、自給自足出来るなと」
「あの年で、誰とも会わずに引きこもりって・・・。どんな偏屈老人ですか、あなたは」
「そうなんだよなあ。まさかお前を引き取るとは思わず、あの時は自分でも驚いた。フィオナは、ご主人に先立たれて、それこそ生活苦のあまり身を投げようとしていたんだ。そこを、うちで家政婦してもらうことにしただけだから、・・・この家に私以外の人が住むだなんて、本当に人生って分からないもんだと思ったものさ」
くすくすと、サーライナは笑った。ちょっとの時間だけならともかく、長く岩に座っていると体も冷えるだろうと思い、カロンはサーライナの近くに座り、その体を自分の膝の上に乗せた。サーライナの濡れた足を手巾で拭い、彼女に掛けていた布で足先まで覆う。
「人生なんて、誰だって分からないもんですよ」
「そうだな。・・・この屋敷は、今やお前とエルセットにとっても帰る家だ。私が落ち着く為に買った家だが、・・・カロン、お前とエルセットにとっても安らげるものになってくれれば、それでいい」
「・・・家と聞いて、他の場所なんて思いつきませんよ、俺は」
家と言われて思い浮かぶのはこの屋敷だけだ。帰る場所と言われたら、自分はここに戻る。
カロンがそう言うと、ふふっとサーライナが笑う。
「もしも何か一つ願いが叶うなら、・・・お前は何を願う、カロン?」
「あなたといる日々を」
カロンは即答した。目を丸くして、サーライナが、
「そうきたか。さすがにそれは思い浮かばなかった。・・・私は、お前が一人じゃなければいいなと思ってしまったが、そういう考え方もあったんだな」
と、困ったような顔になる。
「ライナ?」
「ああ。・・・いや。・・・なあ、カロン。結構、お前にはひどいことをしていたな、私は」
「何のことですか?」
ぽりぽりと頬を掻きながら、サーライナは上目遣いでカロンを見上げてくる。
「昔、お前に私を殺せと要求したことがあっただろう。今にして思えば、あれはお前に言うべきじゃなかったよな。悪かった」
「今更ですかっ!? いや、その時に気づいてくださいよっ。鬼かと思いましたよ、俺はっ」
「あの時は分からなかったんだ・・・」
カロンは脱力した。そうだ、そういう人だ。
出来れば、あの時点で気づいてほしかった。誰がどう見てもあれは悪魔の所業だ。
「今になって分かったというか・・・。なあ、カロン。あの時、私よりもお前の方がちゃんと物事の本質を分かっていたんだな。死ぬのはいつでも出来る、お前がそう言ったんだ。その通りだと、私も思う」
カロンは黙ってサーライナを抱え直した。彼女の体を包んでいた掛布を、もう一度、風が入り込まないように包み直す。
(そんな風に、卑屈な言葉を言わないでください、ライナ。いつだって、あなたは傲岸不遜でいてくれればいいんです)
他の誰でもなく、彼女にだけは、その人生を悔やんでなどほしくなかった。カロンは、どうしたものかと思い、聞かなかったフリをして彼女の頬に口づける。
けれども、今日の彼女はそこで終わらせる気がないようだった。
「だから生きてくれ。お前がそれを望まないのだとしても、・・・私はお前にそれを望む」
「風が出てきましたね、・・・もう、部屋に戻りましょうか」
けれどもサーライナは、掛けられた布ごとカロンの服を掴んだ。
まるで、今、言わないと二度と言うチャンスがないかのように。
「カロン。・・・お前は私が救った命だと言う。なら、その命を繋いでくれ。・・・少なくとも、死ぬのはいつだっていいじゃないか」
「ライナ。・・・そんなに力をこめないでください。ほら、手が赤くなってしまいますよ」
けれどもサーライナの視線と手の力は緩まず、カロンは降参の溜め息をついた。
「分かりました。・・・分かりましたから、ライナ」
「本当だろうな。お前、適当な嘘、言ってないよな」
「言いません、あなたにだけは」
カロンがそう言うと、サーライナはそっと体を寄せてきた。
「なあ、カロン。いつか死んだら私に教えてくれるんだろう? お前が一人で知った全てを。世界は醜いが、時に美しいものもある。私がまだ見ていなかったことを、・・・いつかお前が教えてくれるのだと信じてるからな」
「信じてると言いながら、それは脅しですか、ライナ」
今度はくすっとカロンが笑った。甘えるかのようにサーライナの頬がカロンの胸に寄せられる。
「大丈夫。今のお前は無力な少年じゃない。ちゃんと人を、物を、世界を、愛していける。・・・そしてエルセットも、お前が守ってやれるだろう。そうして、命は未来へと続いていくんだ。どれ程に血が流されても、人は血脈を未来へと繋ぐ・・・」
ぱさぱさと音がして、その辺りの木々に鳥達が舞い降りてきた。
「今になって、お前に私の力が効かないのが残念だよ。だからお前には頭を下げて頼むしかない。カロン。生きて、ちゃんと私以外にも愛せる存在を作ってくれ。お前にだけは、お願いするしかないんだ。・・・これって怖いことなんだな。今になって普通の人がどんなに確実なことのない日々を、勇気をもって生きているのかが分かる」
「あなたより勇気のある人なんていないと思いますけど・・・」
ついでに、この人よりぶっ飛んだ人間もいないだろう。大体、どうして最愛の妻から、他に好きな人を作れと言われなくてはならないのか。
「それでもせめてお前の周りに、・・・全ての祝福が今日の風に乗ってお前を包むだろう。カロン、・・・お前がいてくれて、私は幸せだったんだ」
気づけば、周囲には山から下りてきたらしいリスやキツネ達、そしてカワウソまでがちょこんと座っていた。砂利を踏む音が響き、エルセットを抱いたヨイネと、毎日通ってきてくれていた医師が屋敷から出てきたのが分かる。
更に、空を飛んでいた鳥が次々に、カロンの肩や頭へと舞い降りてくる。さすがに鴨は重いので、出来れば鳩程度までにしてほしかったと、カロンは思った。彼女はいつだってやることが極端なのだ。
二人を取り巻くように、二人を想うかのように、様々な生き物が集まってくる。
(呼んでいるのか、この人が。・・・生き物も人もお構いなしに)
そっとヨイネが、エルセットの小さな指を、サーライナの頬へと伸ばさせる。ヨイネの顔はぼうっとしている。きっと自分がどうしてここに来ているのかも、あまり自覚してはいまい。
いつものようにエルセットは母の顔に触ろうとした。
(・・・!!)
抱いていた体から、何かが消えたような気がして、カロンの視界が白く染まった。彼女の体が力を失ってゆっくりとカロンの腕にその身を深く預けてくる。
それでもカロンはエルセットを受け取って、サーライナの腕に抱かせた。彼女が望んでいたであろう通りに。
彼女の顔は安らいでいた。まるで眠っているかのように。
(もしも何か一つ願いが叶うなら、・・・今、この場で空が落ちてくることを俺は願うでしょう、ライナ)
バササッと一斉に羽ばたき、全ての鳥達が去って行く。周囲に集まっていた獣達も、裏にある山や、そして小川の流れへと身を翻して姿を消していった。
まだ温もりが残る妻の体をその岩に横たえ、その髪や瞼を整えてから、カロンはその胸にエルセットを抱かせた。
(あなたの最後の願いは、俺が寂しくないように、だったんですか、ライナ? だから、あんなにも・・・)
本当に優しい、そして何も分かっていない人だった。世界中の生き物を集めてくれても、カロンにとっては意味がないというのに。
カロンは、その額と頬と、そして唇に優しく別れのキスを贈る。
近くにいたヨイネですら反応できない速さで、カロンは彼女を前に跪いたまま、腰に挿した小剣を抜いて、己の首へとその刃を光らせた。
それは近くにいたヨイネや医師ですら、反応できない速さだった。気づいた時には、その剣が閃いていたからだ。
ガッキーンと、凄まじい音が響き渡る。
「って、即行かよっ! 冗談じゃねえっ、ぎりぎりじゃねえかっ」
ぜえはあと、息を乱して王都騎士団の将軍代行ロメス・フォンゲルドが、それだけを言う。
カロンが自分に突き立てようとした小剣は、彼の剣により弾き飛ばされていた。邪魔に入ったロメスを、カロンが睨みつける。
「誰も頼んでない。さっさと帰れ。邪魔だ」
「邪魔はねえだろうっ。てめえっ、ケリスエ前将軍がいなけりゃそれかよっ」
カロンは何も答えなかった。その目つきは、本気でロメスを邪魔だとみなしているのだろう。友ではなく排除すべき敵として看做す、そういうものだった。
元より、カロンが結婚する前、ケリスエ将軍の目が行き届かない場所で繰り広げた、彼の暴れっぷりは有名だ。サーライナ・ケリスエという望みの者を手に入れたからこそ温和になっていた彼も、その彼女が亡くなった今、狼とまで呼ばれた凶悪さを隠す必要はなくなったということなのだろう。
ロメスもそれと察し、言い訳のように説明した。
「俺だって好きで邪魔したわけじゃねえ。カロン、お前が本気で望むなら、それをさせてやりてえよ。だが、・・・これがケリスエ前将軍の俺に対する願いだったからな」
カロンがそこでピクリと反応する。
(わざわざここまで来た俺に対しては「邪魔だ」で、彼女が絡んでいると知ったら話を聞くのかよ。だからイカレた奴ってのは・・・)
けれども、気持ちが分からないわけではない。誰だってそうだ。最愛の者を失って、平然としていられるわけがない。それこそロメスとて、本当はエルセットがいなければ、・・・・・・一緒に逝かせてやりたかった。絶対に、そんなことを口には出来ないが。
ロメスは、何と言ったものかと気まずく思いながらも、言葉を続ける。
「その方が俺に望んだのは、一つだ。死ぬまでお前の友でいてほしい、と。そして俺は約束した。一生お前を一人にはしない、と」
カロンが驚いたようにロメスを見上げた。いつの間に、そんな約束をしたのかと思ったのだろう。
「何だか、ここに来なきゃいけないような気がしたんだ。虫の知らせって奴か? だから来た。・・・本当にぎりぎりだったな。カロン、・・・俺はその方に約束したんだ。俺を嘘つきにさせないでくれ」
ロメスは、自分が弾き飛ばした小剣を拾い上げた。そしてそれをカロンに返す。
「なら、見届けてくれればいいだけだ。ロメス、・・・俺は、もう、生きていたくない」
ロメスは、黙って見下ろした。いつものように、敬称などつけたりはしない。何故なら、彼らは全ての虚飾を取り払って、気の置けぬ友として会話していたからだ。大柄なカロンが妻の亡骸を前に、膝をついて下を向いている。その膝に、ぽとぽとと落ちているものがあった。
ロメスも地面に膝をつき、友の肩を左手で抱く。いつだって困った顔でロメスの主張を聞いてくれていた友人の背が、今はこらえきれぬ嗚咽に震えていた。
その顔を今は直視できず、結果としてサーライナとエルセットを見ることになりながら、それでもロメスは、この友人に自分が何を出来るのかも分からぬままに言葉を繋ぐ。
「やめてくれ。・・・なら、その方が産んだこの坊やはどうなる。たった一人の子供だろう。それこそ、前代未聞の女将軍の子供として、競りに掛けられるのがオチだぞ。お前は、自分の子供がどんな運命をたどっても平気なのか」
ロメスは、動かない母を不思議そうに触るエルセットに、切なげな視線を向けた。
男の涙なんて見ようとは思わない。・・・けれども今は、カロンを一人にはしたくなかった。
「女で、しかもあの若さで一つの騎士団を率いていたケリスエ前将軍を妬んでいた男は多い。そいつらが、無力な子供にその腹いせを向けたらどうする。・・・我が子をそんな目に遭わせる為に、その方は出産なさったわけではあるまい」
「・・・彼女の子だ。それこそ、喜んで育てる人はいるだろう。普通の孤児とは違う。奴隷市に出されるようなことにはならん」
「だが、逆恨みする奴ってのは、碌でもない方法で子供を攫いもする。お前はそれを良く知ってる筈だ」
「・・・・・・」
ロメスはエルセットを抱き上げると、「おー、よしよし。いい子だな」と、語りかけながらカロンに渡した。さすが二人の息子がいるだけあって、手慣れたものだ。
エルセットは父に、母がおかしいことを伝えようとするかのように、「まー、あー」と、顔をのけぞらせて何かを主張してくる。
彼女によく似た、そして彼女が産んでくれたカロンのたった一人の息子。
(俺に様々な人を残して、あなたは・・・・・・。けれど俺は、あなたと共に逝きたかった・・・)
ロメスは、横たわるサーライナの前に跪いてその頭を下げた。
生きている間は苦手な存在だった。けれども一人の人間として、そして一人の男として、彼女の成し遂げた様々なことを否定する気はない。それどころか不世出の逸材だったと、今なら素直に讃えることも出来るだろう。
何故なら、もう、張り合えることもないからだ。
彼女は、自分がその戦功を追い抜くことも許さぬまま、彼岸へと旅立った。ならば一人の剣を持つ者として、先達に敬意を表するばかりだ。
「その早すぎる死を、心から残念に思う。せめて安らかな眠りであらんことを」
神を信じていないロメスは祈りの動作を持たない。だが、それはとても心のこもった哀悼だった。
ひっそりと見送りたいと言ったカロンの意見は無視され、ケリスエ前将軍の葬儀はローム国騎士団が執り行う盛大なものとなった。
教会の建てられている近くには、その地下洞窟の中に死者を葬る、いわゆるカタコームもあったのだが、サーライナにしてもカロンにしても教会の教えを信じてはいない。違う神を信仰していたからと伝え、墓地に葬ってもらうことにした。
棺桶に横たわる彼女を、様々な花や美しい布が包んでいく。宝飾品や剣は入れない。墓盗人が荒らすからだ。
近寄らせてもらえない母の所に行こうとして、エルセットが泣き喚く。母の死が分からない赤子の姿に、そっと目頭を拭う者もいた。
「無理はすんな。・・・お前は馬に乗ってるだけでいい」
クネライ将軍がそうカロンに声を掛けてくる。
屋敷から墓場までの沿道は、ローム国騎士団の兵士と騎士が整列しただけで、途切れる場所はない有り様だ。それだけ大きな騎士団だからである。
霊柩馬車に美しい布に包まれた棺桶が固定され、クネライ将軍の先導により、ゆっくりと進みだす。その脇を守る部隊長達は、誰もが沈痛な面持ちだった。
赤ん坊に葬儀の雰囲気は怖いだけだろうと、エルセットを抱いたヨイネは少し遅れてついてきている。カロンは、そっと目の前の馬車に向かって語りかけた。
(それでもライナ・・・。あなただって一人じゃなかった。俺だけじゃない。あなただってちゃんと必要とされてたんです)
けれども、そんな言葉も思いも、もう彼女には届かない。
サーライナの墓は、急遽、墓場の一番奥の真ん中に大きく用意された。予め掘られていた地面に棺桶が降ろされる。
「最後の別れを」
幾つかの花が棺桶の外へも入れられたが、全員が花を捧げていたらそれだけで地面へとはみ出してしまう。それだけ騎士団の人数は多いからだ。従って、騎士団のほとんどには花は遠慮するようにと伝えられていた。次々と参列者が最後の別れと祈りを捧げていく。
後ろで待つ人の為、手早く済ませる人が多かったが、それでも様々に思い入れのある人はいる。ルーナにしても、花とオリーブの枝を組み合わせて大きなリースを作り、それを投げ込んでいった。けれどもその動作すら、ロシータ達に支えられてのもので、ほとんど泣き崩れているばかりだったのだが。
朝から始まった葬送だったが、終わる時には夕方になっていた。
やがて、棺桶に土がかぶせられていく。
「カロン。・・・辛いのは分かる。だが、剥きだしのままで置いておくわけにはいかん」
「分かってます、ソチエト第五部隊長」
土を掛けようとした男を反射的に止めようとしたカロンだったが、指を握りしめてそれに耐えた。誰が愛する妻を冷たい地面に埋めたいと思うだろう。・・・けれど、理性では分かっている。ソチエトの慰めに、カロンは俯いて答えた。
(ならば一緒に、・・・俺も一緒に。それこそライナ、あなたと共に逝けたなら、俺はそれで良かったのに・・・)
どうして今も自分はここにいるのだろう。あなたと共に死ねたなら、それで幸せだったのに・・・。
「気持ちは分かるが、まずは帰って休め。お前には、まだ息子がいる。お前がしっかりしないでどうするんだ」
太陽が沈み、皆が去っても立ち尽くすカロンを、無理矢理にクネライ将軍が屋敷へと連れ帰って部屋に放り込む。
「お帰りなさいませ、カロン様。クネライ様、ありがとうございます」
ヨイネはエルセットを連れて、既に帰宅していた。ちゃんと盥にお湯を入れてエルセットの体を洗ってやり、ご飯も食べさせたらしい。今日は怖い顔をした人が多く、エルセットは怯えて疲れきっていたのだとか。その為、慣れ親しんだ屋敷に戻ってやっと安心したように寝てしまったらしい。
「お食事です。ちゃんと食べてくださいね」
「今日はいい」
「駄目です。・・・一口だけでもいいですから」
カロンの様子に、エルセットを任せるのは不安だと思ったのだろう。その晩、ヨイネはエルセットを自分の部屋へと連れて行った。
けれど本当に食欲はないのだ。空腹感が全くない。
カロンは、置いていかれた食事を眺めた。
そう言えば、彼女はこの刻んだリンゴを入れて焼いたものが好きだった。そして、少しクセのあるこのチーズも。香草を入れて爽やかに仕立てたそのスープも。
(ああ、そうか。彼女の好きだったものだ、これは全部)
カロンは、ゆっくりとそれらを口に運んだ。
好物を口にした時に少し頬を緩ませる姿が可愛くて、つい笑ってしまったこともあった。
彼女が好きな香草を沢山植えたものだから、「お前なあ、誰がこんなに食べるんだ」と、思った以上に繁殖したそれに、呆れられたこともある。
彼女が買ってきたチーズの量が多すぎて、「言っときますが、明後日には留守にするんですよ。それまでにこれを全部食べなきゃいけないんですからね。いくら好きでも限度があるでしょうっ」「ほっといてくれ。安かったんだ」と、大人げない口喧嘩をしたこともある。
涙を流しながら全てを思い出と共に食べ終えると、カロンは食器を台所に運び、・・・そして再び墓場へと向かった。
フクロウの鳴き声が、ホォーッ、ホォーッと、夜空に響いている。ガサガサと小さな動物が草むらを走っていく。人が寝静まる夜は、夜行性の獣達が主役の世界だ。
どこか現実感のないまま、無人の墓場の奥へと足を進めていたカロンは、人の気配に気づいた。
(この時間、・・・墓荒らしかっ)
一気にカロンの怒りが燃え上がる。今日、葬送があったのはサーライナだけだ。しかも、彼らがいるのは一番奥の真ん中、・・・つまり、彼女の墓だ。
(そうですね。・・・あなたの後をすぐに追っていたら、こいつらを殺せなかった)
カロンは、気配を消して近づく。灯りに照らされた墓荒らしは、男三人に女が二人の組み合わせだった。誰もが頭からすっぽりとマントをかぶっている。
五人は、棺桶から出されたサーライナを囲んでいた。・・・墓荒らしに狙われぬように豪華な副葬品はつけなかったというのに、何という浅ましい真似をする人間がいるのか。
『おや、お客人のようだ。・・・深夜に墓場とは、一体どんな用なのか』
一人の男がそんなことを呟く。だが、その言葉は、カロンにとって理解できない言語だった。
ざざっと、一気に墓荒らしの面々がカロンに対して振り返った。呟いた男は動かなかったが、残りの男女四人が剣を構えた為、カロンも剣を抜いた。
(墓荒らしの割には手練れだな。・・・隙がない)
カロンと同じことをあちらも思ったのか、一人の男がからかうような声を掛けてくる。
「墓荒らしにしちゃ、堂にいった構えじゃないか。その腕なら転職した方がいいと、勧めてやるぜ?」
「それこそ墓荒らしはお前らだろうが。・・・よりによってその墓に手を出したんだ。生きて帰れると思うな」
そのカロンの返事に、男は構えこそ崩さなかったものの、困ったような声音で今度は他の人間に問いかける。
「・・・ちっ。どうする? こいつ、なんか、サーラの関係者っぽいぜ?」
「困ったわね。そうしたら、とりあえず気絶させちゃいましょ。一晩ぐらいなら放置しておいても死なないわよ」
「ちょっとちょっと。まずはどんな関係者なのか、確かめましょうよ。もしかしたらお話し合いでどうにかなるかもしれないでしょ。・・・ならないかもしれないけど」
「無理だろ。不審者はこっちだ。なかなか強そうだが、四対一だ。どうにでもなる」
剣を構えた四人がそれぞれに喋る言葉に、カロンは片方の眉を上げた。女二人すら、かなりの使い手であると分かる。だが・・・。
「生憎、妻の墓を荒らした相手を生かして帰す気はない。俺を殺さねば、お前達の死体が転がるだけだと思え」
そこで四人が驚いたように、彼らの背後に佇んでいた男を振り向く。四人の内、一人の男が、
『こいつ、サーラの夫って言ってますが、どういうことでしょう?』
と、やはり、カロンには理解出来ぬ言葉で問う。
『そんな筈はない。サーライナの屋敷にいた者は全て眠っている筈・・・』
最初に、カロンの存在に気づいて呟いた男が、戸惑った声音になる。
「じゃあ、偽物ね。サーラの伴侶はカロン・ケイスって弟子なんでしょ。・・・いいわ、私が確かめてあげる。あの子の育てた弟子かどうかなど、その剣で分かるもの」
先程、カロンを気絶させればいいと主張した女が、そこで進み出る。どこか妖艶さを感じさせる足さばきだった。
「いらっしゃい、坊や。騙りなら容赦しなくてよ。こっちも機嫌は最悪に悪いの」
言い終わると同時に、その女がカロンに襲い掛かる。いらっしゃいと言いつつ、自分から殺る気満々な女だった。
次々と早く打ち込まれる剣に、カロンはそれらを防戦一方で撥ね返しつつ、叫んだ。自分も攻勢に転じたいが、この男女が彼女を「サーラ」と呼ぶことが引っかかっていたのだ。
「お前達は何者だっ。なぜ彼女をその名で呼ぶっ? 彼女をその名で呼ぶ者はもういない筈だっ」
「あなたは知らなくていいのよ、坊や」
カロンに比べ、その女の剣は軽い。しかし、それを補う速さを持っているだけではなく・・・。
「あら、頑張ったじゃない。褒めてあ・げ・る」
着ていたマントを大きく空へと投げ広げ、視界を奪うそれをカロンが打ち落とそうとする隙を狙って剣を突き刺してきたのだ。以前、サーライナがやったことを覚えていたから、わざと打ち落とさずに後ろに大きく下がったのだが、それで正解だったらしい。少し下がった程度なら斬られていただろう。
何という、勝てばそれでいいという剣を使う女なのか。
「・・・俺の剣を確かめると言ったが、お前の剣こそ、その結果さえ良けりゃどうでもいいってのが、ムカつくことにある人を思い出させるよ」
マントを一つ犠牲にしてカロンを突き殺そうとしてきた女は、外したと見るや否や、隠し持っていたもう一つの剣で斜めに、それこそ袈裟懸けに斬り込んできていたのだ。どうやら、彼女は両腕で剣を使えるらしい。
二段構えのそれを外した為、褒めてくれたのだろうが、・・・うふっと媚びるように笑いながら言ってくれていても、やることはかなり容赦のない女だ。
そう、・・・真面目な顔をして、えげつないことも時々やらかしていた誰かを思い出させる。その誰かに、この女のような色っぽさはなかったが。
「あら、そぅお? 後学の為に、その私に似てる人の名前を聞いてもいいかしら?」
「・・・ライナって言うんだがな」
試そうと思ったわけではない。しかし、カロンはいつもの彼女に対する呼び方を使って答えた。
そこで、二つの剣をそれぞれに動かしていた女の動きが鈍る。更に一度、剣を打ち合わせてから、女は後ろへ跳んで下がった。
「あらやだ。この男、自分から打ち込んでこないから確かめにくかったんだけど、・・・もしかしてかなり関係者、かも?」
「いやいや、可愛く言っても駄目だろ。かなり本物の可能性大じゃねえか。・・・だが、あえて訊いておこうか。何故、お前こそサーラをライナと呼ぶ?」
最初に、からかうような声を掛けてきた男が、後半はカロンに向かって問いかけた。ライナと言えば、それだけで名前にもなる。しかし、打ち合っていた女も、そして今、口を挟んできた男も、それがサーライナのことだとすぐに察したようだった。
「彼女が俺にそう呼べと言ったからだ。次は、俺が質問する番だ。お前達は何者だ? どうして彼女の眠りを妨げようとする? そして、ケリスエ前将軍の名を呼ぶのは何故だ。彼女は他人に、ケリスエの名でしか、呼ぶことを許さない」
「何者かと問われたら、サーラの仲間だ、としか言いようがないな。彼女の眠りを妨げるのではなく、きちんと眠らせる為に来ている。そして、・・・ケリスエなんて名で呼べるか、バカバカしい」
男は、そう言って剣を鞘に入れた。微妙に焦点をずらしながらも、互いに今の会話で、サーライナにとって無関係な人間でないのだと、証明したようなものだからだ。
「初めまして、サーラの伴侶殿。ジールフェイルだ。俺のことはジールと呼んでくれ。ついでにお前と剣を合わせたのがリスエルな。・・・お兄様、お姉様と呼んでくれてもいいんだぜ?」
「カロンだ。・・・ライナにはリスエルードという姉弟子しかいなかった筈だ。そして彼女の家系は女の子が産まれやすいとも。兄などいない」
「兄みたいなもんさ。だからサーラの弟子であるお前は甥みたいなもんか。・・・こんなでかい甥ってのを持つとは思わなかったが。ところで、疑うわけじゃないが、灯りの所に行ってもらっていいかい? カロン・ケイスの顔なら知っている。確認させてくれ」
カロンも剣を引く。
「ならば、そちらもそのリスエルという女を灯りの傍へ。顔は知らんが、特徴は聞いている」
墓の近くにある地面に置かれていた灯りに、双方が近づく。
「なるほど。確かにカロン・ケイスだ。エルード、ルース、・・・お前さん達のサーラが弟子として育て、伴侶にした男だよ」
カロンも、自分と剣を交えた女の黒髪と緑の瞳を確認する。道理で、将軍職から退いて以降、サーライナが使うようになったのと似た剣を使うわけである。筋力では敵わない男に対し、女の劣る腕力でも立ち向かえるように考慮した戦い方だった。
カロンに教えた剣技は、第一の師匠ケリスロードのものだったと聞いている。だが、筋力が落ちてから使い始めたそれは、第二の師匠リスエルードのものだとも。
そう、いみじくも先程リスエルードが言った通り、その剣で分かることはあるのだ。
「本物のようだな。ライナの姉弟子、リスエル」
そこで、もう一人の女がカロンに近寄ってくる。警戒心もなくかなり傍に寄り、カロンを見上げてきた。サーライナと似たり寄ったりの背の高さだが、愛されて育った者特有のあどけなさがある。
「あなたがカロン・ケイスなのね。ルースよ、よろしく。・・・正直、あなただけが最後までサーラと一緒にいたのは口惜しいだけなんだけど、それでもサーラを一人にしないでくれてありがとう。そしてサーラを誰よりも愛してくれてありがとう」
ルースと名乗った女は、小麦色の髪に薄茶色の瞳をしていた。だが、ルーナよりも優しい顔立ちをしていて、気が弱そうで大人しい感じだと、カロンは思う。そして、柔らかく笑う印象があった。
「カロンだ。・・・昔、隣に住んでいたルースレイルという女の子と、そしてリスエルードという姉弟子を、彼女はずっと探していた。様々な情報を集め、自分でも様々な地域に足を運び、・・・・・・どうして、どうして今まで彼女に会いに来なかったっ!?」
サーライナの部族の者だと知れば、カロンにもこみ上げる思いがある。ルースレイルではなく、リスエルードに向かって、きつく問いただした。
ルースレイルのことは分からないが、リスエルードとは剣と会話を交わした。少なくともその程度の実行力を持たぬ人間である筈がない。
「色々と事情があったからだ。そこは責めないでやってくれ、カロン。会いたくても会いに行けない辛さを、彼女達だって抱えていた。・・・お前は最後までサーラと共にいられたが、彼女達は最後まで会いに行けずにサーラを思って泣いていた。そこでお前に責められちゃ、二人にだって殺意が芽生えるってもんだぜ」
ジールフェイルがそう言って、カロンを制する。言われてみれば、リスエルードもルースレイルも目の周りが赤かった。
「そこまでサーラから事情を聞いているなら話は早い。我らが信仰する神はこの国のものではない。・・・彼女を正式に弔う為に我々はやってきた。こっそりと彼女の体だけ連れて帰るつもりだったんだ。悪いが、サーラを連れ帰らせてもらいたい。彼女の体を神にお返しし、そして安らかな眠りにつかせる為に」
「・・・俺も同行していいのならば」
カロンの出した条件に、それまで剣を構えることもなく、ただ一番奥に立っていた男が口を開いた。
『それは出来ない。我らが妹サーライナは、彼女に相応しく神の御許へと送られる。それに立ち会えるのは我ら神官のみ。・・・カロン・ケイス。彼女こそ、本来は神殿から出ることもなく生を終える定めだった。けれども、これもまた神の御心なのだろう。彼女の生きた意味は、あなたにも密接に係わっている筈だ』
その男の言葉を、グリスファンドと名乗った男が通訳してくる。同じく、カロン達が話している言葉を、グリスファンドは先程から彼に伝えていた。
そうして、神官と称する男は柔らかく微笑んだ。
『サーライナは、最後まで心のままに生きたのだろう? 我らと共に在り続けてほしかったが、彼女のその思いに意味がなかった筈がない。・・・そして、彼女に悟られぬよう、ただ遠くから見守り続けるしかなかった我らの苦悩も察してもらいたい。やっと彼女は帰ってくるのだ、我らの元に。・・・彼女を返してくれ、我らの地に。そして我らが神の御許に』
だからと言って、そこで是と言えるわけがない。けれども、カロンは先程から、彼らがサーライナのことを把握していながら会えない理由があったと言い続けていることにも気づいていた。
(何より、彼女は最後まで、部族の神を信じていた)
長い時間がたって、小さくカロンは頷いた。それは、五人が決してカロンの前では無理に事を運ぼうとしないことも影響していただろう。
「悪いがカロン、手伝ってくれ。サーラを、この布の上に」
そっとカロンがサーライナの体を抱き上げると、ジールフェイルが持参してきていた布を広げる。それはとても美しい刺繍がほどこされたものだった。墓を荒らすのが目的ならば、こんなにも美しい布は持ってこない。
ジールフェイルは、その布でサーライナの体を丁寧に包んでいった。
「待って。ジール。・・・少しだけなら大丈夫でしょう?」
ルースレイルがそう言うと、サーライナの髪を何筋か手早く梳いて編み始める。そして、糸で縛ってから切り取ると、カロンに手渡してきた。
「はい、これ。・・・あのね、カロン。私達はこういうお墓を作らないの。魂は風に溶け、神の光を浴びて天に昇っていくから。だけど、あなたは違うでしょ。これ、持ってて。もう、お墓の中にサーラはいないけど、それでも・・・・・・」
「ありがとう、ルース。・・・・・・ライナはずっとあなたを懐かしく思い出していた。あなたと同じ髪と瞳の色をしているというだけで、違う女性にあなたを重ねる程に」
「そうらしいわね。・・・けれど私、伝聞だけだけど、そんな変な性格してないと思うわ。似てるのなんて、色だけらしいじゃない。サーラって、ちょっと抜けてるのよ」
手早く棺の上に土を掛けて墓を元通りにしていく男達をよそに、リスエルードとルースレイルはカロンに興味津々だったらしく、あれこれと尋ねてきた。
特に気になったのが、サーライナのどこにカロンが惚れたのか、だったらしい。
「やっぱり抜けてるところよね。サーラってそういう可愛いところがあったもの。騙されやすいのよ。リスエルなんて、サーラをいいように転がしてたんだから」
「ちょっとルース。人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。・・・カロン、あなた、サーラの弟子ってことは、私の孫弟子よね。だって私はあなたの師匠の更にお師匠様。さ、正直に言ってごらんなさい。これでもあなたがサーラに執着して結婚に持ち込んだってのは聞いているのよ。どんな言質を取って脅して結婚に持ち込んだの? 全く、弟子にいいようにされてるんじゃどうしようもないわねって思ったものよ」
布の重なった部分からサーライナの顔だけを覗かせて、ルースレイルが愛しそうにその頬を撫でながら尋ねてくる。リスエルードも、そっとサーライナの頭を撫でていた。
カロンは黙り込んだ。・・・一体、誰の話をしているんだろう、と。
「俺の知っている彼女は、全てを計算尽くで動かし、優しさはあるが滅多に見せず、そして人との交流を最小限にしたいと思う人だった。なのに、お人好しで結果としてそうなってはいなかったものだが。・・・結婚に持ち込めたのは、俺がいつまでもあの人を諦めなかったから根負けしてくれただけだ。俺は彼女の、全てを拒絶し、そして冷たく全てを切り捨てながらも垣間見せる・・・・・・」
互いに二度と会うこともないと分かっていたからだろう。誤解がないようにと言葉を交わせば交わす程、お互いのサーライナに対する認識のズレが如実に表れてくる。その違いこそ、お互いが聞きたいものでもあった。
けれど、カロンの言葉はそこから続かなくなる。
(ああ、そうだ。自分は知っていた。・・・どれ程、冷たく俺に接していても、それでもあの人が俺を大事にしていることを。だから期待して、だから裏切られたと思って泣いて・・・。恨みながら、悲しみながら、・・・それでも俺は、あなたを・・・・・・)
二人の女性に抱かれたサーライナに、カロンは近づく。その妻の顔は、今も眠っているかのようだ。
「人がいると眠れないって全ての人間を拒絶していたくせに、俺に慣れてからは、平気で俺の前では意地汚く眠り続けるし、本当に無神経で、自分勝手で、・・・なのに、切り捨てられない優しさを後生大事に抱えてて・・・」
カロンの涙が、ぽたりぽたりと、彼女の瞼や頬に落ちる。けれど、それまでの時点で、とっくに彼女の顔は濡れていた。
「そうなの? サーラはいつでも優しかったわよ。根負けどころか、ちょっと頼んだら絶対に断れない人なの。あーあ、サーラがずっといてくれたら、私、サーラを伴侶にしてみせたのに」
「何言ってるの、ルース。そこにいるグリスに、後で怒られても知らないわよ。未だにチェンジもしないでベタベタしてる割に、ルースったら薄情ね」
「だってファンドは私にベタ惚れなんだもん。だからいいのっ」
そんな会話をしつつも、二人の目からも涙が零れていたからだ。リスエルードもルースレイルも、話し続けることで、号泣するのを堪えているかのようだった。
立場は違えど、三人ともサーライナを深く愛していた人間であることに変わりはない。
「やだ、サーラったら、私のこと、そんな風に話してたの? じゃあ感謝してもらわなきゃね。言っとくけど、あのずれっぷりでそのまま行ってたら、あの子、今頃、無敗の将軍どころか、居眠り将軍とか呼ばれてたわよ。少なくとも、カッコつけることは覚えさせといて良かったわ」
「いや。・・・しかし、あの極端な考え方と行動はどうかと思うんだが。存在自体が異例だったから見過ごされていたが、かなり常識を無視した思考パターンと行動力だった。育てた師匠の顔が見たいと、何度思ったことか」
カロンにしてみれば、サーライナの考え方に多大な影響を与えた姉弟子兼第二の師匠には思うこともあったのだ。
「そうよね。リスエルって意地悪なんだもの。サーラってばリスエルを信頼し過ぎて疑いもしなかったのが悪かったと思うわ。リスエルを疑うことを、まずはサーラに教えるべきだったのよ、リスエル」
「ほざきなさいな、ルース。羨ましいくせに。所詮、サーラの全てに影響を与えていたのは、わ・た・し。ま、当然ね」
「だが、ライナが何かと懐かしんでいたのは、ルースの方だろう。ルースが育っていたらこんな感じじゃなかったのかと、フィツエリ男爵令嬢に肩入れしていたぐらいなんだから。別に黒髪に緑の瞳をした女官だって王宮にはいたが、ライナがだからといって特別扱いしていたことはない」
フィツエリ男爵令嬢ルーナ姫と違い、ルースレイルは素直な感じの女性で、ガーンとショックを受けている様子に、ついカロンもそんなことを言ってしまう。だが、それは本当のことだ。
「そうよねっ。ふふっ、やっぱりサーラにとって特別なのは私よ、リスエル。何てったって私」
「・・・そんなっ。ちょっとカロン、あなた、ルースにいい所見せようとして、適当なこと言ってない?」
そんなことはないと、カロンは思う。ただ、父が異なるとはいえ、サーライナの妹だと思えば、しかもフィツエリ男爵令嬢ルーナ姫と違って可愛らしい感じの女性となれば、つい、ルースレイルに肩入れはしてしまったかもしれない。
けれども、リスエルードはサーライナが誰よりも信頼していた姉弟子である。
「え? ・・・そんなことは。そりゃ、何かあった時に、リスエルならどうしただろうと、困った時にはいつでも思い浮かべていたとは聞いたが」
「そうでしょうとも。やはりサーラにとって特別なのは私ね」
「いや、別にそこで張り合わなくても。どっちもそれぞれ、ライナにとっては特別だったと・・・」
人を弔う時、生前の思い出を語ることは多い。それは、生きていた時を思い出して語り合うことで、その思いを吐き出し、悲しさに浸ることで救われる何かがあるからなのだろう。
だから、人は人の死を嘆き、悼むのかもしれない。
そんな三人を、他の男達三人は、少し離れた場所から黙って見守っていた。
しかし、暗い中にも鶏の声が響く。
「エルード。もう、そろそろ出なくてはまずい。・・・カロン、すまないが、こちらも見咎められずに彼女を運びたい。・・・行かなくては」
カロンは、ジールフェイルに抱きかかえられて去ろうとするサーライナに、とっさに手を伸ばそうとした。カロンのそんな手を、神官だと称した男が優しく押し留める。
『サーライナは丁寧に運びます。そして我ら神官、全員が揃って彼女の為に祈るでしょう。こんな異郷の地ではなく、彼女に相応しい地で、サーライナの魂を送り出すと約束します』
「・・・よろしく、お願い、します」
その声には誠実さがあった。通訳してくれるグリスファンドはサーライナとは交流が無かったそうで、しかしルースレイルと伴侶になった為、今回、同行したのだとか。
カロンはそっと体を引く。
「さようなら。サーラの弟子だから力になってあげたいのは山々なんだけど、・・・私達にも色々と事情があるのよ。だけどいつか、小さなサーラの息子には会いにくるわね」
「カロン、さようなら。サーラが私以外の弟子をとるなんてって、最初は凄く嫌だったの。だけど、・・・あなたで良かったわ。会えて本当に良かったと思ったの。いつか私も、エルセットに会いに来るわね」
リスエルードとルースレイルがそう言ってカロンを振り返る。
『すみませんが、我らの行く方向も何もかも、見られたくはないのです。どうか、ここで見送っていただきたい』
神官と名乗る男の要望を受け入れ、カロンは一行が、立ち並ぶ墓の向こうへと姿を消していくのを見送った。
亡骸を持ち去られるのは嫌だった。けれども彼女のことを思えば、受け入れるしかなかった。
(ライナ。あなたがずっと会いたがっていた人達が、迎えに来てくれたのだから・・・)
これで良かったのだろう。彼女は、ずっと自分の部族を探していた。だから彼女の亡骸だけでも、部族のところへ帰してやれれば・・・・・・。
それでも、ルースレイルが編んでくれたサーライナの髪がその手に残る。
カロンはサーライナの墓を振り返った。彼女が埋められた時には、共に埋めてもらいたいと思った場所なのに、今では何の感慨もカロンに呼び起こさせない。
彼女がいないこの場所に、二度と自分が来ることはないだろう。
(ライナ。あなたの残した全てが、俺に生きろと語りかけてくる。だけど、俺は・・・)
これ以上この場にいる意味もないと、墓地の出入り口までカロンが歩いていくと、そこには二人の人間が座り込んでいた。
「よお。・・・懲りずに自殺でもしてんじゃねえのかって思っちまったぜ。そう言って、セイランド殿が一晩中、様子を見に行け見に行けって、うるせえの何の」
「あっ、俺のせいにする気かっ? 冗談じゃない、ロメス殿こそ、『なあ、やっぱり見に行った方がよくねえか? 手遅れになったらどうすんだよ』ってうるさかったじゃねえかっ」
カロンは呆気にとられて尋ねた。
「セイランド殿、ロメス殿。一体、どうしてここに・・・」
「決まってんだろ。カロン殿のことだ、どうせ夜中もふらふらと墓地に行きかねねえって思って、セイランド殿と見張ってたら案の定だ。やれやれ、すっかり体も冷えちまった」
「ロメス殿の言葉なんて気にしないでくれ、カロン殿。単に俺達は、・・・そう、夜も長いし、やはりここはかつてのケリスエ前将軍の様々なエピソードをカロン殿に聞きたいと思ってだな、それでお邪魔しようとしたら、ちょうどカロン殿が家から出てきたので、気になってついてきただけなんだ」
カロンは、もう何も言えなかった。
ずっと墓地の入り口で、このローム国の将軍と将軍代行が門番よろしく夜明かししたと言うのか。
それもこれも、カロンを心配して・・・・・・。
「だが・・・。誰か出てこなかったか?」
「いや、誰も? というか、夜中に墓地に来るようなもの好きはカロン殿だけだろ」
ロメスがばっさりと否定する。セイランドも鳥の声に空を見上げて、片眉を上げてみせた。
「全くだ。・・・やれやれ、明け烏まで、俺達を嗤っていやがる。今、帰ったら浮気を疑われるどころじゃない。責任をとって、俺とロメス殿を屋敷に泊めてくれるぐらいのことはしてくれるんだろうな」
サーライナを連れた五人が墓地を出て行ったのを二人は目撃していないらしい。出入り口はここだけなのにと、カロンは首をひねった。
しかし、サーライナはかつて言ったことがある。神官とは、異能の持ち主だと。ならば、そういうこともあるのだろう。
何より、今、カロンの目の前にいるのは、適当な理由をつけてでも、カロンを一人にさせまいとする友人二人だ。墓場の前で待っていたのは、おそらくサーライナの墓前で泣いているであろうカロンを、心ゆくまで二人きりにさせてやりたいと思ったからなのだろう。
男なら、男が泣く姿を見ていいものじゃない。
―――カロン、既にお前は様々なものを手にしているよ。お前と知り合い、お前と交流し、そして絆を深めた人達が、今、お前の為にこうしてやって来てくれている。それは他の誰でもなく、お前自身の人柄が築き上げたものだ。
下を向くカロンの、頬を伝うものに気づかなかったフリをして、二人が両側からカロンの肩を抱いてくる。
「勝ち逃げされちまったんだ。この際、あの強さについて語り合おうぜ。てか、どうやったらあんな戦い方が出来るんだろうな。真似してみたがうまくいかなかった」
「そうだな。やはり色々と教えていただきたい方だった。カロン殿が屋敷に閉じ込めなければ、色々と教わることが出来たかもしれんのに」
二人の恨みがましい台詞すら、カロンへの慰めだ。
彼女が亡くなっても、彼女が生きてその場にいるかのように語り合うことは出来る。
そして、この喪失感と絶望すら、分かち合おうとしてくれる友がいる。
万感の思いをもって、カロンは二人の肩を抱く腕に力を込めた。抱き返してくる二人の力が、何よりもの応えだった。
エルセットは常に髪を、首を隠す程度までしか伸ばさない。
「お父さん。今日、王女様が、『あなた、護衛の騎士なんだから髪を伸ばしてちょうだい。その方が似合うと思うの』って俺に言い出したんだ。だけど、他の人には言ってないみたいなんだよね。・・・どうすればいいと思う?」
「・・・女性の言葉を一度聞いて言いなりになると、その後も無茶がエスカレートするぞ。適当に、出来ません、で押し通せ。他の人もそうならともかく、お前だけというのはまずい。しかし、未だにお前、王女の護衛をやってたのか」
カロンは、息子の相談に呆れながらも答えた。近衛騎士団に所属しているエルセットが相談すべきは、上司にあたる騎士なのだろうが、ルイージア王女に関してはどこも神経過敏になっている。エルセットは変な権力争いに巻き込まれるなというカロンやトレストの意見に従って、なるべく目立たぬようふるまっているらしく、上司に相談して注目されてはまずいと判断し、父親に相談したのだった。
実際、エルセットはなるべく王女の近くよりも離れた場所での護衛をいつも請け負うように、立ち回っているとか。
「それが良かったのか悪かったのか・・・。何でも、王女に好かれようと媚びはしないけど、仕事はやるっていうんで、どうも信頼されちゃったらしいんだよね。一応、王族の護衛なんて気が重いんでと、配属変更はお願いしたんだけど、それも一度は受理されて王宮警備の方にまわされたんだけど、・・・王女の希望で元通りになっちゃったんだ」
「他にも、王女に取り入ろうとせず仕事に邁進するだけの奴はいるだろう。そいつらはどうなんだ」
「ん・・・。そっちも一緒に配属変更をお願いしたんだけど、やっぱり戻された。どうも王女様って、自分に笑顔で近づいてくる男の全てが嫌いって感じなんだよね。あんだけ可愛いんだから、にっこり笑っていればいいと思うんだけど」
別にエルセットもルイージア王女を嫌っているわけではない。ただ、面倒なことに巻き込まれたくないだけだ。王女の婿になればローム王国が手に入るかもしれない、・・・そんな思惑が、今、王宮では渦巻いている。
王妃の産んだルイージア王女、側室が産んだ妹王女。側室とその妹王女は控えめにしているが、側室とて王妃になっていてもおかしくない出自である。王女達が年頃に差し掛かっている今、貴族の間では何かと王女達に接触をはかろうとしている人間が増えていた。
「笑っただけで面倒なことになると分かってるんだろう。王女にも王女の苦悩がある」
「そうなんだろうね。人がいなくなると、よくクッションをバカスカ殴ってるもん。あまりにも殴り過ぎてへたってたもんだから、僕、この間、中身を補充しちゃったよ。だけど、そこで縫い直してるのを見つけられて、『何してるのよ、あなた』とか言われたもんだから、正直に『殴っても痛くない程度に詰め直しておきました』とか言ったら、『馬鹿じゃないの』って言われて・・・。馬鹿って言ったぐらいなんだから、僕のことなんてそのまま放っておいてくれると思ったんだけど」
せっかく詰め物を詰めて縫い直してあげたのに馬鹿はないだろうと思ったものの、王女様なんてそんなものなのかもしれないと、貴族よりも偉い王族は我が儘なんだろうなと、考え直したエルセットだった。だから、そのことはそのまま忘れていたのだが、その後、何かと王女に絡まれるようになったのだとか。
カロンは思った。・・・エルセットは分かっていないようだが、それはまずいのではなかろうかと。ルイージア王女は、きっかけがそれだったのか、他にもあったのかは分からないが、エルセット個人に興味を持ってしまったのだ。
「しかし、・・・髪を伸ばせ、か。エルセット、女が男に要求するそれは、かなりまずいぞ」
「え? そうなの? 女の人って男に髪を伸ばさせるのが好きなだけじゃなくて?」
エルセットが不思議そうに問い返す。
というのも。
いつだったか、ルーナがエルセットの髪を伸ばそうとしたことがあったのだ。まだ騎士団に入ってもいない、少年の頃のことである。
元々、ストレートなエルセットの髪は、伸ばしていても見苦しくならない。だが、さすがのエルセットにも限度というものがある。
「肩ぐらいまでならともかく、どこまで伸ばさせるつもりなのさっ。お母さん、いい加減にしてよっ」
「だって、髪が長いエルセットは格好良さそうだなって思ったんだもの。いいじゃない、一度ぐらい」
だが、カロンには分かっていた。ルーナは、母親似のエルセットに、サーライナと似たような格好をさせてみたかっただけなのだろうと。
自分もちょっと見てみたかったのは否定しないが、しかし男が伸ばす髪にも限度がある。さすがに肩甲骨を覆うまで伸ばさせた時点で酷ではないか。
しかしルーナは、「大丈夫。何なら、髪を梳くのは毎日私がやってあげるから。ねっ、ねっ」と、エルセットにごり押しして腰に届くまで伸ばさせたのだ。
「いやーん。何てカッコイイの、エルセット。そうしてると凛々しくて素敵」
「え? そう? そうかなぁ・・・」
サーライナは異例の男装だったが、エルセットは男なのだから問題ない。うっとりとして褒めまくる母に、エルセットも照れくさそうな顔になる。勝手にカロンの剣帯やらマントやらを流用して縫い縮め、かつてのサーライナそっくりの格好をエルセットにさせたルーナはとてもご機嫌だった。しかも、ちゃっかり装身具まで持ち出している。まさに小型ながらも、在りし日のサーライナそのままだ。
ロシータも、「まあ。・・・本当に」と、涙ぐむ。
だが、女性のサーライナがそういった格好をすれば凛々しくもなるが、男であるエルセットが髪を伸ばしてまで騎士の格好をしても、・・・・・・可愛いだけである。
カロンにしても、サーライナそっくりの姿は懐かしくて嬉しかったのだが、これを外でさせてはまずいことも分かっていた。特にかつてを知る騎士団の人間には見せられない。きっとエルセットに、サーライナのことを口にしてしまう人間が出るだろう。
「お父さん。どう思う?」
「男なら髪はせいぜい肩甲骨程度までにしておけ。あまり伸ばし過ぎると、男に襲われるぞ」
ぴきーんと、その場の空気が凍った。特にルーナの方から、ブリザードが吹き寄せてくる。
ガーンとしつつも、両親の顔を見比べ、・・・真面目なエルセットは黙って部屋を出て行った。
「ちょっと、何てこと言ってくれるのよっ。見なさいっ、エルセットったら傷ついて出てっちゃったじゃないのっ。折角、人があそこまで再現したってのにっ。あんたはあれを見て涙を流して感動した挙句、私に土下座して感謝申し上げる立場じゃないのよっ。このすかぽんたんっ」
「すかぽんたんはお前だ。あれだけそっくりだからまずいんだろう」
そしてブーブーと文句を垂れるルーナに、懇々とエルセットの置かれている立場を教え諭し、最初はサーライナそっくりのエルセットに感無量だったロシータもカロンの味方になり、どうにかこうにかルーナに納得させた頃、エルセットが戻ってくる。
「いやあぁぁっ、エルセット、何てことをっ」
ルーナの悲鳴が屋敷に響き渡る。エルセットが、横は耳に掛けられる程度、後ろは首を隠す程度に髪を切って帰ってきたからだ。
「トルおじいちゃんの所に行ってきたんだけど、やっぱり男の髪は短い方がいいんだって。長いと、騎士団でも王宮でも変な男に目をつけられるって教えてもらったんだ」
肝心のエルセットはさばさばした様子である。やはり長い髪は鬱陶しかったらしい。
だが、さすがは元ソチエト第五部隊長。ケリスエ将軍そっくりの姿はまずいと思い、エルセットの為に全く違う髪型を提案してくれたのだろう。
カロンはそう思い、心の中で感謝した。元第五部隊長トル・ソチエトは、エルセットにとって頼りになる相談役なのである。きっと両親それぞれの意見があまりに違う様子を見て、エルセットは中立である「トルおじいちゃん」のアドバイスを聞きに行ったのだろう。
ルーナはあまりにも儚い再現時間に、うっうっと泣き濡れていたが、エルセットは短い髪が気に入ったらしく、二度と伸ばすことはなかった。
そのことを思い出していたらしく、エルセットが呟く。
「ルーナお母さんも、僕に伸ばせ伸ばせってしつこかったからさ。女の人って、男にそれを要求する生き物なんだと思ってた」
「ルーナのは、単なるケリスエ将軍の再現をやっていただけだ。それこそ、お前が髪を伸ばしていたままなら、ケリスエ将軍のモノマネとか、同じ言葉を言わせて余計にうっとりしていたのがオチだっただろう。あれは考えなくていい」
「げっ。何それ。・・・そんなに僕ってサーラお母さんに似てるの?」
「ああ。あの頃は少年だったから余計に生き写しだったな。今もそうだが」
「ふーん」
エルセットとしては喜んでいいのか悪いのか、悩ましいところらしく、複雑そうな顔をしている。
「だが、問題は、そこじゃない。男の身なりに女が口を出してくるっていうのは、よほど見るに堪えないぐらいの問題があるか、・・・もしくは個人的にかなり大きな興味を持っているか、だ。単なるオモチャっていうこともあるが、どちらにしても関心が大きく向けられているのは間違いない。・・・これが、王女が口を出したくなるぐらいにみっともない格好だというのであれば、問題なかっただろうが」
しかし、エルセットはルーナが男爵令嬢だっただけあって、誰から見られても恥ずかしくないように身なりを整えるよう躾けられている。貴族社会では、格好だけで様々なことを判断されるからだ。
エルセットの立場を考えて、上司や同僚よりも派手だったり高価だったりしないよう、あくまで地味でシンプルなものしか身につけていないが、しかしエルセットの持ち物はかなり厳選されている。
髪の毛にしても、艶の出る香油が欠かされたことはない。だから、エルセットが見苦しかったというのは考えにくい。
「ど、どうしよう、お父さん・・・」
「近衛騎士団から逃げるか?」
貴族出身者が多い近衛騎士団は、王女の動向に興味を抱いている人間が多くいる。貴族にとって、最大の関心事と言ってもいいいからだ。エルセットは真っ青になった。
カロンにしても、元々、さほど職場に対する執着心はない人間だ。何といっても、かつてはサーライナに「いざとなったら他国に名前を変えて逃げましょう」とまで言っていた男である。
「何なら俺の所に異動してくればいいだろう。トレストも喜ぶ」
「そ、そうしよっかな。・・・うん、親の七光りって言われてもいいや。トレスト兄だっているんだし」
が、何がどうしてそうなったのか。
エルセットが異動願いを出したまでは良かった。だが、近衛騎士団を率いるセイランド・リストリ将軍が直々に、エルセットを王宮の廊下で呼びとめて理由を問いただし、そこを王都騎士団のロメス・フォンゲルド将軍が通り掛かり・・・・・・。
「で、何で父上の所なんだよ、エルセット?」
「言わないで、トレスト兄。・・・何でこんなことになっちゃったんだろう」
相も変わらず、泣きたい気分になったらトレストの部屋に行って、寝台で足をバタバタさせて落ち込むエルセットだ。そんな弟分に対し、トレストは呆れたような声で尋ねた。
報告を受けたカロンが、一言、「アホか」と、呟いたのもあっただろう。カロンも、もう何も言う気にはならないというものである。
(まあ、あのロメス殿相手では仕方ないか。少なくとも将軍に向かって、なったばかりの騎士程度が何を言えるものでもない。とはいえ、・・・ロメス殿がエルセットを、ねえ)
カロンは、エルセットにそこまでの技を教えてはいない。だからエルセットの剣技など、トレストよりもはるかに劣る、それこそ一般の騎士程度のものである。そんなエルセットにロメスが興味を抱く価値は無い。
(ロメス殿は、その場にいる人間の強さを常に考え続ける男だ。エルセットなど、何の魅力もない筈なんだが・・・)
そんなロメスは、トレストそっくりの顔で、エルセットを言いくるめたらしい。普段から仲の良いトレストが年を重ねたらこうなるのかというロメスの顔は、エルセットが無意識に信頼してしまうものだった。
(あれ程トレストに、『うちの父上だけは信用するな』と言われてたのに、エルセットはアホだな)
だが、これも人生勉強かと、カロンは目を閉じた。ロメスがエルセットに飽きたら、いずれ自分の所に戻されるだけのことだ。どうせあの男は、弱い人間に興味など無い。ロメスが望むのは、いつだって自分の心を掻き立ててくれるスリルだけだ。
そしてエルセットは、王都騎士団へ異動となった。
ローム国王には、花のように美しい王女が二人いる。
王妃が産んだ長女のルイージア王女。侯爵家出身の側室が産んだ次女のアディーネ王女。
けれども、同じ王女といえども、そこには歴然とした差があった。
「私は側室として国王様にお仕えしておりますが、同時に王妃様にもお仕えしております」
と、側室自身があくまで遜る立場を貫いていたからである。王妃がルイージア王女を産んだ時点で、
「では、私はもう必要ございませんので」
と、実家に戻ろうとした側室だったが、さすがに
「ちょっと待ってちょうだい。いくら何でも、それはあなた、悲しすぎるじゃないの」
とレイリアーネ王妃自身が側室を引き留めたとも言われている。その後、側室が王女を産んだ時も、
「この子は、いずれ妹としてルイージア様を支えることになりましょう。ですから、王妃様のお名前を一部頂戴したく存じます」
と、レイリアーネ王妃の名前の一部を使って、名付けたとか。
あくまで王妃を立てる側室と、そんな側室を思いやる王妃は、他の王室では考えられない程に仲が良いと言われている。姉妹の王女達にしても、活発なルイージア王女と、そんな姉に引っぱりまわされるアディーネ王女は、正反対の性格ながらも仲が良いと評判なのである。
そう、表向きは。
「聞いてちょうだい、アディーネッ。ひどすぎるのっ、あなたもそう思うでしょっ」
「まあ、お姉様。どうなさいましたの」
今日も廊下で後ろからルイージア王女にタックルされて抱きつかれたアディーネ王女は、怒りもせずに微笑んだ。あくまで姉にいいようにされている妹王女は、常に微笑を浮かべて控えめに生きる少女だ。
「お部屋で聞かせていただきますわ、お姉様。どうぞいらして」
アディーネ王女は、そう言いながらルイージア王女の手をとって自分の部屋へ連れて行く。そこには、活発な姉に振り回される妹といったものしか感じられない。
しかし、扉を閉めると、微笑はそのままに、アディーネは豹変した。
「あれっほど言ってますのにっ。お姉様っ、廊下で人にいきなり抱きついてくるとは何事ですかっ。あなたはお子様ですが、クソガキですかっ。あなたは王女であって、そこらの男の子じゃないんですよっ。もう少し慎みってものを、その何度言っても分からない頭に叩き込んでくださいましっ。あなたは王女っ。いずれこのローム王国を統べる女王になるって自覚を持ってくださいっ」
「それを言うなら、その猫かぶりって言う称号をアディーネは自覚するべきだと思うのよ、ええ。知られてないと思ってても、知ってる人は知ってるものよ、アディーネ」
「だっれっのっせいですかっ」
さすがに妹に怒られるのも慣れたルイージア王女だ。平然と妹の怒りを受け流す。
「まあまあ、苦しゅうない。果実水でも持って参るが良い。語って進ぜよう」
「どこの年寄りの真似ですか。また変なことを覚えてきて。全く、こんなのがローム王国の後継者だなんて、もう、本気で泣きたくなりますわ、私」
アディーネ王女にしてみれば、そんな姉を自分が支えていくと思うだけで胃が痛い。これは、よほど有能な宰相になり得る男を見つけて、自分が嫁ぎ、姉に忠誠を誓わせるしかないだろう。
薄い金髪に青い瞳のアディーネもまた、誰もが認める綺麗な少女だ。明るく可愛いルイージア王女が大輪のガーベラならば、物静かで控えめなアディーネはひっそりと咲く鈴蘭である。
しかし、文句を言いつつもアディーネは果実水を用意し、ひそひそと二人きりで話し始めた。
「で、何がありましたの、お姉様?」
「それがね、ほら、新しく配属された護衛騎士で、フィツエリの君の息子がいるって話をしたじゃない」
「ああ、ケイス将軍の長男ですわね。ですが、そのフィツエリの君と、血は繋がってないそうですわよ、お姉様」
過日、アディーネ王女も、姉の護衛騎士だったリーフォゲン侯爵の弟が、何かと口説いてくるという悩みは聞いていた。だからどうにかしようと思っていた矢先、ブチ切れたルイージア王女が、父王に
「お父様。暗いのが怖いけど、一緒にお星様を見たいの。だから夜のお散歩を一緒にして?」
とねだり、夜の庭で待ち合わせする段取りを組んだのだ。
そして、夕食に出ていた酒に少し酔ったフリをしたルイージア王女が、
「嫌よ、どこに連れていく気なの」
と抵抗しているのに、
「部屋には侍女達がいる。おとなしくしなさい、王女」
と、リーフォゲン侯爵の弟は繁みに連れ込もうとしたのである。そう、ルイージア王女が父王と待ち合わせている近くの茂みに。
勿論、それはローム国王の怒りを買うものであったことは言うまでもない。即座に近衛騎士団のリストリ将軍が呼び出され、どんな人選をしているのかと、国王と王妃から叱責を受けた。
恥をかかされたリストリ将軍は、そのリーフォゲン侯爵の弟の振る舞いを全く報告していなかった護衛騎士達を叱り飛ばし、彼らを即座に閑職へまわし、違う護衛騎士達を揃えたのである。
さすがのアディーネ王女も、自分の対応が遅かったばかりに姉王女にそんなことをさせてしまったことを悔やみ、今度の護衛騎士達については、アディーネの母方の祖父にあたる侯爵に頼んで、素性などを教えてもらっていた。というのも、王や王妃、そして側室である母に行われる報告よりも、時にただの貴族である侯爵の方が現実的な情報を握っていることがあるからだ。
「そんなことぐらい、知ってるわ。以前、将軍になったことのある女の人との間に作った子供なんでしょ。・・・だけど、見た目、そんな筋骨隆々って感じじゃないわよ。だから気に入ってたのに」
「護衛に求めるのは、お姉様を守れ、それだけですわ。そもそも、あなたは『お気に入り』など作ってはならない立場ですのよ、お姉様。・・・で、その護衛騎士が、今度はどうしましたの?」
アディーネ王女は、そんなルイージア王女を窘める。
「それがね、それがね・・・。王宮警備に行ったのを連れ戻したと思ったら、今度は王都騎士団に異動しちゃったのよぉぉぉっ」
「・・・それはまた」
クッションをぼかすかと叩いて、うわーんと訴えるルイージア王女には気の毒だが、何とまあ、すがすがしい程に分かりやすい行動である。アディーネ王女は感心した。言うならば、「面倒なことに、自分を巻き込まないでください」なのだろう。
「信じられるっ? 私はっ、このロームの王女なのよっ。誰もが笑顔で近づいてくる王女なのよっ。なのにっ、なのにまるで迷惑と言わんばかりに、私から逃げ出したのよっ。私のどこがそんなに気に入らないって言うのよぉっ」
「言わんばかりじゃなく、本気で迷惑だったのですわよ、お姉様」
ここではっきり現実というものを教えておくべきだと思ったアディーネ王女は、断言した。
エルセット・ケイス。ローム国騎士団を率いるケイス将軍の長男は、その亡くなった母親もまたかつてはローム国騎士団を率いていた将軍であることから、様々な人が注目していた新人である。
だが本人は、両親の武勇をさほど受け継がなかったらしく、かなりがっかりしていた人間も多いとか。一時は王宮の文官を目指していただけあって、頭は良いらしい。そして、素直な性格をしている為、周囲には可愛がられるタイプと聞いた。
(異動は、そりゃ異動願いを出せば出来るでしょうけど、お姉様の護衛をしている時点でエリート扱いになる筈。そう簡単に、異動なんて出来るのかしら。ましてや、一昨日の時点では普通に働いていたわけよね。一日か二日で即座に異動・・・。引継ぎもなく?)
やはりケイス将軍の息子ともなれば、そんな特別扱いもしてもらえるのか。
さすがに騎士団については不案内なアディーネ王女である。そう思って自分を納得させる。
まさか、近衛騎士団と王都騎士団のトップによる廊下の立ち話だけで、それこそ、「いいじゃねえか、なら、うちに寄越せよ」「それは構わんが。・・・だが、ちゃんとカロン殿には言っとけよ」「大丈夫。あいつ、結構気にしない奴だから」で、あっさり決まったのだとは、見通せる筈もなかった。
「失礼ね。これでも私はローム王国の王女。誰もが私に取り入ろうと、それこそ特別扱いしてもらおうとする人間が周囲に溢れる存在なのよっ。それを迷惑だなんて、アディーネのあほんだらーっ」
「アホンダラなのはお姉様ですわ。そんな言葉をどこでまた覚えてきましたの。・・・所詮、私達に笑顔で近づいてくるのは、甘い汁を吸いたい人間だけって、未だに理解していないお馬鹿さんが私のお姉様ってことの方が、よほどの大事件でしてよ」
「じゃあ、あのエルセット・ケイスはどうなるのよ」
「お姉様についてくる甘い汁に、興味など無かったんでしょう」
言ってみて、それが全てかもしれないと、アディーネ王女は思った。
自分で仕掛けておきながら、リーフォゲン侯爵の弟に、強い力で茂みに連れ込まれそうになったのが、かなり怖かったらしいルイージア王女は、しばらく誰に対しても警戒心を剥き出しにしていたからだ。
そんな彼女が、護衛騎士達のメンバーも一新され、安心した様子をみせるようになってアディーネ王女も安堵していた。
けれどもある日、ルイージア王女が戸惑ったように話してきたのだ。
「ねえ。・・・男のくせにお裁縫が得意っておかしいわよね? それに、私と同い年なのに、玩具を作るのが得意って変よね」
「別に、・・・人によりけりですわ。お父様だったりしたら、天地がひっくり返るお話ですわね。だけど、庶民なら珍しくもありませんわよ、お姉様」
「うん・・・」
その場は、踏ん切りのつかないあやふやな態度だったルイージア王女だったが、やがて新しい護衛騎士達数人の話がよく出るようになる。
「口説いてこない護衛騎士って楽しいわよね。今日はね、お勉強で分からない所があったんだけど、一緒に講義を聞いていたからって、教えてくれたのよ」
と、楽しそうに話してきたりもしたからだ。
通常、王女に恥をかかすまいと何も言わないか、もしくは自分を大きく見せる為に偉そうに教えてくるかのどっちかなのだろうが、彼らはあくまで親切心から、うんうんと唸っている王女を見かねたらしい。数人がかりで教えてくれて、なるほどと、その分かりやすさに感心してお礼を言うと、彼らもまた
「私共も勉強になりました。ありがとうございます、王女様」
と、にっこり笑ってくれて、おかげで仲良くなったらしい。
「人間関係が恵まれているって素晴らしいわ。なんて頼りになる人達なのかしら」
と、ルイージア王女はご機嫌だったが、アディーネ王女は、(それ、もう、敬愛する王女殿下じゃなく出来の悪い子に対する優しさになってましてよ、お姉様)という言葉を、あえて飲み込んだ。
どうやら、今度の護衛騎士達は下位の貴族子弟から見繕ったらしく、ルイージア王女に対して最初から恋愛対象外の気分だったらしい。その上で、勉強についていけずに困っている様子が、彼らの同情を誘ったのだろう。
何とも有能なリストリ将軍である。たしかに問題は起こらない。
(しかもお姉様が個人的に気に入った様子が芽生えただけで、即座に異動・・・。全くもって二度と不祥事は起こさないという決意が表れているわ。この場合、それはリストリ将軍じゃなく、エルセット・ケイスの考えらしいけど)
不甲斐ないと看做すべきか、身の程をわきまえていると看做すべきか。・・・本人の考えか、それともいずれかの将軍の意向なのかは分からないが、この名前は覚えておくべきかもしれない。
アディーネ王女は、姉王女を見遣った。
「ま、諦めなさいまし、お姉様。あなたは、ご自分にとって益になる夫を選び、この国の頂点に立つ人間なのですから。純真な護衛騎士を相手に火遊びなどしてはなりませんのよ」
「火遊びなんてふしだらなことはしないわよっ。単にちょっと一緒に遊びたかっただけじゃない。どうしてそんなひどいことを言うの」
そんなことは決まっている。若さだけで突っ走る恋などをされては困るからだ。王族に恋は必要ない。必要なのは国を背負う覚悟と、冷徹な人を見る目、そして臣下を動かす手腕だけでいい。
姉王女にそれらが足りないというのであれば、自分が代わりにそれらを背負うだけのこと。そしてルイージアを女王としたローム王国を発展させるのだ。
アディーネ王女はいつものように微笑んだ。
「遊びなら、侍女達がおりますわ。・・・お姉様。あなたにとって特別な男など、・・・この国だけで良いのです」
「国は人間じゃないっ」
そんなルイージア王女の遠吠えを聞きながら、アディーネ王女は優雅に果実水を口に運んだ。
仲の良い姉妹の王女。だが、その外に見せている面と、中にある面が違い過ぎるぐらいに違っていることを知る人間は沈黙し続ける、・・・そんな二人だった。
【セイランドゥルエスとフィオリーアンデ】
時の糸車を女神が廻していく。
時は流れていくの。未来へと、そして過去へと・・・。
「セイランドゥルエス、何をやってるのよ。本当にもうっ。また足を踏み外して溺れちゃったんですってっ!?」
「うわっ、どんな地獄耳だよ。ほっといてくれ、僕が何をしようが、・・・それこそ川に落ちようが、山に行こうが、僕の勝手だろう。そういうフィオリーアンデこそ、どこまで口うるさく人のことにブツブツ言えば気が済むのさっ」
さすがに濡れた格好では風邪をひく。その為、部屋に戻って着替えていたセイランドゥルエスは、チャイムも押さずに飛び込んできた幼馴染のフィオリーアンデに向かって反論した。
それは、着替えているのを見られた恥ずかしさも手伝って、いつもなら言われるがままのセイランドゥルエスにしては珍しく、かなり反抗的でもあった。
「なっまいきーっ。そんなこと言うんだったら、今度、授業でやるレジスト・プログラム、本気でやっちゃうからねっ。セイランドゥルエスなんて、こてんぱんにされちゃえばいいのよっ」
いつもセイランドゥルエスは自分が守ってあげなくてはならないと自認しているフィオリーアンデである。自分が男の着替え中に入っていったという事実など全く意識せず、口答えをしてきたという一点に腹を立てて、そう言いきった。
(げっ、やばい。本気で怒ってる、フィオリーアンデ・・・)
とは言うものの、セイランドゥルエスとて引くに引けない。あまり体格に自信はないのに、よりによって彼女に見られただなんて、それだけでいたたまれなかったのだ。これは絶対、自分は悪くないと思う。
「知るもんか。好きにすればいいだろう」
売り言葉に買い言葉である。そんなセイランドゥルエスの態度に、更にむかっ腹を立てたフィオリーアンデは、「分かったわよっ。好きにするからねっ。もう許してなんかやらないっ」と、捨て台詞を吐いて出て行った。
人工都市グリンデ。そこは、文字通り人工都市の一つである。完全にコントロールされたドームの中に作られたグリンデは、計算され尽くした建物が規則正しく建ち並び、道路も全て同じ幅、同じ長さで碁盤の目のように整備されている。太陽光も人工のものなので、毎日の天気ですら決まっているのだ。
(だから、僕みたいな人間でも生きられるんだけどね)
セイランドゥルエスは、遺伝子的な問題から様々なものに弱い体質である。アルビノではないが、それに似た状態だと言ってもいい。人に説明する時は、面倒なのでアルビノだと言っているぐらいである。
枯れたススキの穂が更に薄くなったような色合いの髪、白い肌、そして黄土色の瞳。彼のイメージは常に淡い消えそうな色合いで統一されている。体もあまり強くなく、長く運動も出来ない。
そんなセイランドゥルエスが家族と離れ、人工都市グリンデで生活しているのは、この人工都市ならではの環境が理由だった。人工照明で管理されたグリンデなら、彼のような弱い体にも負担がかからずに生活できるのだ。
地球では無理だった散歩も、通学も、ここなら問題なく出来る。人工都市グリンデはあまりにも自然がなくて人の住む場所じゃないと、あまり人が居つかない都市なのだが、セイランドゥルエスにとって、ここは天国のような場所だった。
(まあ、僕も悪かったかもしれないな。ロックを掛けておけばよかっただけだ。・・・グリンデでは強盗とかあり得ないから油断してた)
グリンデでは、引っ越してきた時点で、その家族構成により、住居は無料で提供される。ただし、グレードアップしたい時は有料である。
セイランドゥルエスも、フィオリーアンデも、スタンダードな「一人暮らし用」を提供されていたが、無料なのにかなり居心地はいい。キッチン、浴室、トイレ、私室、寝室で構成されているのだ。一人暮らしで2DKなのだから十分だろう。
食事もスタンダードなら無料だ。勿論、自分で材料など購入して作ったり買ったり、もしくは特別食の提供を申し込むなら有料である。だが、かなり便利だと言えるだろう。学生でも家族に心配されることなく暮らしていけるのは、そこがあった。
「セイランドゥルエス、ご飯、一緒に食べましょーっ」
トレイを持って、フィオリーアンデが入ってくる。またもや、チャイムなど無視である。着替え終わってはいたセイランドゥルエスだが、やはりまだロックはしていなかった。
「あ? もう夕食の時刻だっけ」
「当たり前でしょ。ちゃんとキッチン見なさいよ。もう届いてるわよ」
さっき、彼女が捨て台詞を吐いて出て行ってから、五分とたっていないのだが・・・・・・。
「あのさ、フィオリーアンデ。さっきは、・・・ごめん。心配してくれたのに」
「ううん。ごめんね。私も悪かったわ。考えてみればセイランドゥルエスがとろいのなんて当たり前なんだもの。それを責めちゃいけなかったのよ」
「・・・・・・・・・」
何故だろう、この湧きあがる怒りはと、セイランドゥルエスは思った。
こっちは先に謝ったのだ。だから、男の部屋にチャイムも鳴らさずに入ってくること、でもって着替えている姿を見ておいて全く悪いと思っていないことを反省してもらいたい。
なのに、フィオリーアンデは、謝りながら人を思いっきり貶してきたのだ。そりゃ、土手の上でデータを見ながら立ち上がったおかげで、道方向と川方向を間違えて、川に落ちた自分はとろいのかもしれない。だが、言い方というものがあるだろう。
(いや、こういう我が儘なところがフィオリーアンデだよな)
諦めてセイランドゥルエスは、キッチンにトレイを取りに行った。それらは自動で各部屋に届くのだ。食べ終わったら所定の位置に置いておけば回収される。
フィオリーアンデは、勝手に座ってスクリーンを見ていた。地球では統一国家が分裂するかもしれないと、ニュースが流れている。
「そう言えば、昔は国も数多くに分かれていた時代があったのよね。そうなるのかしら」
「どうなんだろう。だけど、そうなったら戦争があった時代に逆行するだけじゃないのかな。かえって混乱するだけのような気がする」
「まあ、統一国家が分裂してもしなくても、私とセイランドゥルエスは、同じ街の出身だから関係ないわよね」
「そうだね。そうなっても同じ国民だし、何かあっても一緒に行動してれば問題ないよ」
二人はそう言って微笑んだ。
喧嘩をしても、二人はすぐに仲直りをする。何故なら地球で幼馴染だった二人は、誰よりも仲が良かったからだ。セイランドゥルエスが、自分の体質の為にこの人工都市グリンデに行くと決めた時も、わざわざフィオリーアンデも同じ学校に行きたいからと、一緒についてきたぐらいである。
白い肌に薄い色の髪、黄土色の瞳をしたセイランドゥルエスに比べ、フィオリーアンデは、日に焼けた肌に黒い巻き毛、そして青い瞳をしていた。
そんな二人は、全てにおいて正反対である。性別も男と女だし、外見の色合いや印象も共通性など何一つない。中身の性格や考え方にしても、どちらかというと気の弱いセイランドゥルエスに比べて、フィオリーアンデは、いつだって強気だった。
ご飯を食べて、機嫌もよくなったフィオリーアンデの様子をみて、セイランドゥルエスは言った。
「だけどね、フィオリーアンデ。少なくとも僕の着替え中に入ってくるのはやめてくれる?」
「別にいいじゃない。私だって、着替え中にセイランドゥルエスが入ってきても怒らなかったでしょ」
「・・・十年前のことを言われても」
ああ言えばこう言うフィオリーアンデである。セイランドゥルエスは、疲れたように首を横に振った。
考えてみれば、フィオリーアンデが、セイランドゥルエスに対して素直に謝ったことなど一度もないのだ。
きっと、フィオリーアンデは、セイランドゥルエスのことを、自分の子分だと思っているに違いない。
生きるというのは、今、心を傾けられる何かを持っていることなのだと思う。
セイランドゥルエスにとって、生きるというのは、日々の生活そのものだ。外を自分の足で歩くこと、自分の目でスクリーンを見ること、それら全てが生きる喜びである。
「かなり今回の検査結果もいい。これなら、学校で行われるファイティング・ボールにも参加して構わないよ、セイランドゥルエス」
「本当ですか、ドクター。やった、一度やってみたかったんです」
「ここの環境が体に合っているようで何よりだ。・・・君のことを知って、他にもここへの移住を考えている人が出てきているそうだよ。こちらに問い合わせがあった」
「そうなんですか? だけど、僕と同じ病気の人ってかなり少ない筈ですよね」
「ああ。厳密には同じ病気ではないが、・・・しかし、その人にとっても地球の環境が酷なのには変わりない。君がここでうまくやれていることから、希望を持ったらしい」
「へえ。・・・その人にも、ここが合うといいんだけど」
「そうだな。・・・じゃあ、次回の検査は一週間後に。スクール・ゲームを楽しんでくれ、セイランドゥルエス」
「はい。それじゃ一週間後に。ドクターも良い週末を」
ホスピタルを出ると、足取りも軽くセイランドゥルエスは自室に戻った。こうして一人で診察に行くことも出来る。検査結果も怖がらなくて良くなった。何よりもファイティング・ボールにも参加できるのだ。
生きているというのは、なんて素晴らしいことなんだろう。
(あ、フィオリーアンデにもファイティング・ボールに出ることができるって言わなくちゃ)
きっとあの幼馴染は喜んでくれるだろう。
そう思い、セイランドゥルエスは隣の部屋へと向かった。チャイムを押そうとした時、扉のスライドがきちんと閉まっていないことに気づく。・・・つまりロックされていないのだ。
(全く、あれ程、女の子なんだから気をつけろって言ったのに)
セイランドゥルエスは、そのまま扉のスライドを開けて、部屋に入る。ここはきちんと叱っておかないといけないだろう。だが、そこで部屋の中から話し声がすることに気づいた。
「諦めろって言ってるだろう。お前がどんなにセイランドゥルエスに尽くしたところで、あいつはお前に応えられないって分かってるだろ。いいかげん、現実を見ろよっ」
「放っておいてちょうだい。私のことは私が決めるわ。ジラルファウンドに言われたくないわよっ」
「そんな馬鹿なことをし続けてどうなるっていうのさ。わざわざ地球からあいつを追いかけてきて、そして今も一緒にくっつきまわって、・・・で、何が残るって言うんだ。あいつはっ、・・・どうせ長くは生きられない奴なんだぞっ」
そこで大きく、バッチーンと平手の音が響く。やがて、「わ、悪かった。・・・泣かすつもりはなかったんだ」と、ジラルファウンドのうろたえるような声が聞こえてくる。
セイランドゥルエスは、黙って踵をかえした。その背後から、気が強い筈のフィオリーアンデの嗚咽が追いかけてくる。
この状況なら、自分がいたことには気づかれていないだろう。
自分の部屋に戻り、ロックを掛けてからセイランドゥルエスは座り込んだ。
(言われちゃった、な)
そんなことは分かってる。どんなに体に負担の少ない人工都市で暮らしていても、いずれ自分の体は健康な人よりもぼろぼろになりやすいがゆえに、その命を早目に終えることなど。
(けれど、・・・それでも生きている実感をこんなにも持てるって、素晴らしいことだと思うんだ)
フィオリーアンデの気持ちを知らなかったなんて言わない。言えない。
だけど、知らないフリをするしかなかった。
ジラルファウンドの言う通りだ。どうして自分の体が長く生きられないと分かっていて、無責任なことを言えるだろう。
(だけど、・・・嬉しかったんだ。フィオリーアンデ)
君が地球からついてきてくれて。
いつも一緒にご飯を食べてくれて。
他愛無いことで喧嘩したり謝ったりしてくれて。
そんな普通の人が当たり前に過ごす日々を、自分にこんなにも与えてくれて。
(なのにごめん、フィオリーアンデ。卑怯だと分かっていても、それでも僕は、・・・君を手放せない。君が泣いているって分かっているのに)
こんなに君を苦しめているのに、解放してあげなくちゃと思っているのに、それでも君が、・・・君が好きなんだ。
夢を見ていた。とても切ない夢だ。
自分を揺り起こす手に、セイランドゥルエスは、目覚めた。
「どうしたの、セイランドゥルエス。あなた、寝ながら泣いてたわよ」
「・・・どうして人の寝室に勝手に入って来てるのさ、フィオリーアンデ。男の寝てる所に入ってくるなんて、襲われても知らないからね」
「何言ってるのよ。ご飯の時間なのにロックしてるから、開けて入って来たんじゃない。倒れてるかと思って冷や冷やしたわ」
二人は、何かあった時の為に互いを扉に認証させてある。つまりロックされていても入ることができるのだ。だから、お互いに対してロックの意味はないが、しかしロックしてある時点でチャイムを押すのがマナーなのではないだろうか。
セイランドゥルエスのそんな思いは、やはりフィオリーアンデに却下された。
「何がマナーよ。セイランドゥルエスのくせに生意気」
「じゃあ、僕がロックされてるフィオリーアンデの部屋に勝手に入って、寝顔をのぞいてたら?」
「叩きのめすわ」
「・・・何、そのダブルスタンダード」
どこまで身勝手なのかと呆れつつ、それでもいつものように食事をし始めながら、セイランドゥルエスは言った。
「ねえ、フィオリーアンデ」
「何よ」
「多分、もう、長くないと思う。だから・・・」
「帰らないからね」
ふんと、フィオリーアンデは言いきった。何となく、そう言いそうだなとは思っていたものの、はいそうですか、とは言いにくい。やはり、幼馴染というだけで、自分の死を看取らせるのはどうかと思うからだ。
「・・・いや、そこは、ほら」
「何よ。セイランドゥルエスのくせに生意気なことを言うんじゃないわよ。私はねっ、私の決めた通りに生きるのっ」
「は、はい・・・」
「大体、そんなの、そのトレイを見りゃ分かるわよ。最近、チューブばかりじゃない。それで健康な人間だって言い張る方がおかしいわ」
「そりゃそうなんだけど・・・」
お互いに見ないことにして済ませていたことが多すぎる。だからいつかは言わなくてはならないと思いつつも、今まで引き延ばしてきた。
「だけどフィオリーアンデ。もう、そろそろお互いにけじめをつけるべきだと思うんだ。こういうずるずるっていうのは良くない。そりゃ、僕が一番悪いんだけど」
「当たり前でしょ。私が悪いことなんて、何一つあるわけないじゃない」
「・・・・・・」
どこまで強気な幼馴染なのか。セイランドゥルエスは二の句が継げなかった。
「だから結婚しましょう」
「・・・いや、ちょっと待って。何故、そうなる? そもそも、流れ的にそんなこと、話してないよね?」
「私が決めたから。セイランドゥルエスのくせに文句あるの?」
「文句あるもないも、そんなこと駄目に決まってるだろう」
大体、もう長くないという話をしているのに、どうして結婚とかいう話が出るのか。恋人ですらないのに。自分はただ、「今までありがとう。君はもう地球に戻って」と、お礼と別れの言葉を告げる筈だったのに。
「何言ってるのよ。私が決めたの。だからあなたは私と結婚するのよ、セイランドゥルエス」
「いや、だからそれはいけないって・・・」
「何よ、文句あるの?」
「いえ、ありません・・・」
そのままスクリーンに手続きを呼び出し、フィオリーアンデは、「はい、ここ、サインして」「そこ、指紋認証ね」「はい、虹彩認証」「で、室内サーチをオンにして、強要性の有無チェックにGOサインして」と、セイランドゥルエスとの婚姻届を出してしまう。
「さ、手続きも終わったわ。じゃ、セイランドゥルエス。プロポーズぐらいしてよね」
「・・・何か違うような気がするんですけど、フィオリーアンデさん」
「何よ、文句あるの?」
「いえ、ないです」
セイランドゥルエスはそう言いながら、片手で両方の瞼を押さえた。横に座っていたフィオリーアンデが、こつんと肩をぶつけてくる。
「普通、泣くのは花嫁の方なのよ、セイランドゥルエス」
「ごめん、フィオリーアンデ。僕は・・・」
どこまで自分は彼女の優しさに甘えるのだろう。何も自分は彼女にしてあげられないのに。
セイランドゥルエスは、いつものように彼女と頭をこつんと軽くぶつからせる。
「あのね、セイランドゥルエス。人なんて、色々な時があるの。今のあなたは体も弱いし、すぐ死んじゃうし、どうしようもないけど、次に生まれた時は、ちゃんと私を守ってくれればいいだけなのよ。それだけのことでしょ」
「・・・生憎、僕、ブッダの思想は信仰していないんだ」
「そんなことはどうでもいいのよ。私が決めたの。あなたは、次に生まれた時は、ちゃんと元気で体力自慢な人間になって、私を一生守って生きる下僕でいればいいの。分かった?」
「は、はい・・・」
どうしてこう、フィオリーアンデは、いつも強気な女性なのだろう。
セイランドゥルエスは、つい笑ってしまった。フィオリーアンデも笑い出す。
「ねえ、フィオリーアンデ」
「何よ」
「ずっと言いたかったことがあるんだ」
「言ってみなさいよ」
「・・・君、すごい我が儘だよ」
言いたくても言えなかった言葉を、セイランドゥルエスは、ついに言った。
「それがどうしたのよ。何か文句あるの?」
「・・・いえ、ありません」
しかし、一刀両断されて終わった。
「そうでしょ。大体、セイランドゥルエスのくせに私に逆らおうなんて思うんじゃないわよ」
「・・・ソウデスネ。だけど、フィオリーアンデ。そんな我が儘でも強気でも、君のそんなところが好きだ。君は僕の初恋だったし、君より好きになった子なんていなかった。・・・そしてきっと、最後まで君だけが好きだよ」
「・・・・・・」
いつもは何か言うフィオリーアンデなのに、返事はなかった。セイランドゥルエスは、続けて言った。
「僕と結婚してくれてありがとう。僕の人生で、一番の夢を叶えてくれて。・・・僕は、自分の足で空の下を歩きたかったし、普通の人みたいに学校にも通いたかったし、こうやって当たり前の生活もしてみたかった。だけど一番の願いは、君に恋人になってくれって告白したいってことだったんだ。・・・諦めていたけど」
「そんなの、勝手に諦めるんじゃないわよ」
「諦めるに決まってるじゃないか。・・・誰よりも好きな子なんだから」
なのに、告白どころか、世界で一番大好きな女の子と結婚してしまったのだ。
あまりに嬉しすぎて涙だけじゃなく、鼻水まで出てきてしまう。
二人は同時にティッシュを取って鼻をかんだ。
「・・・しまらない、あまりにもしまらないわ。どうしてプロポーズの前に鼻水なのっ」
「それは生理的にだね、感情の興奮が・・・」
「そんな屁理屈はどうでもいいのっ」
「はい、すみません」
セイランドゥルエスが謝ると、二人は同時にプッと噴き出した。だって、どんなに悩んだり苦しんだりしていても、自分達がお互いを好きなことなんて分かりきっていたことなのだから。
「フィオリーアンデ。僕は君を置いてさっさと死んでしまうけど、・・・もしも再び同じように君と生きられるなら、その時こそ君を守れる体力自慢な男に生まれてきたいよ。そうしたらまた、結婚してくれる?」
「あなた次第ね。ちゃんとお金持ちになって迎えに来なさいよ」
「・・・努力します」
そんなことを言ってくれるフィオリーアンデに、セイランドゥルエスは微笑んだ。
「残された日々、ずっと君を愛し続ける。約束するよ、フィオリーアンデ。君に捧げるのは、僕という人間が抱いた全ての愛だと」
夢を見ていた。とても幸せな夢を。
「ユリー。どうした、何を泣いてる?」
「え? あら、お帰りなさいませ、セイランド様。・・・私、・・・なんで泣いてるんでしょう?」
揺り起こされて、ユリアナは戸惑ってセイランドに問い返した。
「怖い夢でも見たのか? なんか俺の名前っぽいのを呟いて泣いてたんだが」
「・・・へ?」
だけど、怖い夢を見ていたような気はしない。どちらかというと・・・・・・。
ユリアナは、首を傾げながら、それでもセイランドに抱きついた。今日は帰れるかどうか分からないと言われていたので、いつもの時刻に眠っていたのだが、帰宅するならば起きていれば良かったと、そんなことを思う。
「忘れちゃいました。・・・だけど、怖い夢っていうより、なんか幸せな夢だったような気がします」
「・・・そうなのか?」
かなり懐疑的な顔でセイランドが訊いてくる。
「ええ。・・・あのね、セイランド様。人って嬉しい時にも涙は出るんですよ。私、セイランド様と一緒にいられてやっぱり良かったなって思うんです」
「まあ、それならいいんだが・・・。起こして悪かったな、ユリー。帰ってきたら、君が寝ながら泣いてるから、つい起こしてしまったんだ」
「はい、セイランド様。・・・ふふっ、もう一度見ることが出来るといいなあ。よく覚えてないんですけど、なんかセイランド様に好きって言ってもらえた夢だった気がするんです」
セイランドは赤くなった。
「それなら夢の中じゃなくて、今、この場で言えるよ、ユリー。おやすみ、僕の最愛の奥さん。今日も、そして明日も君を愛してる」
「私もです、セイランド様」
起きたといっても、それまで熟睡していたのだから、やはり眠かったのだろう。ユリアナはそのままくたりと寝てしまう。
そんな彼女の頬にキスしてから、セイランドは夜着に着替え、寝る前の雑用を済ませてからベッドに戻る。
「セイラ・・・ドゥル・・・エ・・・。ずっと・・・一緒・・・に・・・てね・・・」
「・・・・・・・・・」
自分の夢を見ていたという妻なのだが、微妙に名前を間違われているような気がしてならないセイランドだった、
時の糸車を女神が廻していく。
時が流れる。未来へと、そして過去へと・・・。
「だからきっとまた会えるわ、セイランドゥルエス。今は離れ離れになったとしても・・・」
夫を看取ったフィオリーアンデは、そう呟いた。
今の心も記憶も体も全ては失われるけれど、それでもきっと私達は再び出会うでしょう。
「だから私を見つけてね。そうして今度はちゃんとあなたの方からプロポーズして」
女神の巫女に、時代や記憶といったものは関係ない。永遠なる女神の僕である巫女が愛した人間は、常に巫女と巡り合う定めだ。
「ただ、・・・たまに家族で生まれてきたりしちゃうのよね。神様って結構アバウトだから」
そうなると、きっとセイランドゥルエスのことだ。口うるさいお兄ちゃんになるに違いない。それはちょっと嫌だ。
ここは口うるさくてもいいから他人で生まれてきてほしいと、願うばかりだ。だって、相手はセイランドゥルエス。自分はいつだって口で勝てる自信がある。
(泣かないわ。だって、また会えるもの。・・・これは、そう、鼻水よ)
今は二人で泣き笑いしながら一緒に取ったティッシュもないけれど・・・。
それでも瞳から流れるのは涙じゃないのだと、フィオリーアンデは空を見上げた。




