第七話 人間の心
事件から数日――。
葵は、事件でのストレスや精神を癒すために友達と3人で休みを利用してちょっとした旅行に来ていた。旅行とは言っても日帰りで車で3時間ほどかかる地元では少し知れた海まで遊びに来ていただけなのだが。そこでおいしいものを食べて、遊んで、リフレッシュした葵は少し気分が楽になっていた。
それでもまだあの事件のことは思い出す。葵にとってあれほど恐怖を感じたのは正直初めてだったからだ。人間の狂気に触れたあの出来事は。
だが、それと同時に葵はあの事件以来少し考えるようになった。
人間の心について――。
人間の心は実に不思議だ。それは時になによりも優しく暖かいものにもなり、時になによりも怖く冷たいものにもなりうる。人それぞれ考え方も違えば言うことも違う。だから葵はハンスに言った言葉、そしてハンスに言われた言葉を思い出していた。
”人殺しは駄目”自分で言ったこの言葉に葵は少し疑問を感じていた。確かに人を殺すのは良くない。そんなことは誰もが分かっている。自分だって人を殺したいとは思わないし、殺されたくない。でもそれはそう思っているだけなんじゃないかと葵は思った。本当は殺したいほど憎い奴なんていままで何人か出くわしてきた。
機嫌が悪い時にはよくそんなことを思う。人に嫌なことを言われて機嫌が悪くなったときさらに追い討ちをかけるようになにかを言われると思わず声を張り上げて叫んでしまう。誰かと喧嘩して、そいつが目の前にいるだけで機嫌が悪くなって気分が害される。あいつなんていなければいいのに。そんなことを誰もが思っている。
でもそれは人間なんだから当たり前なんではないかと思う。誰だって気分良く過ごしたい。それを邪魔されれば機嫌が悪くなるし、八つ当たりしたり自分の闇の部分が露骨に見えてくる。人間は誰だってそうだ。光と闇。表と裏。表裏一体の二つの心を併せ持つ。裏の部分が強くなれば、人は犯罪を犯す。いわゆる欲望だ。いろいろな欲がある。誰だって楽したいし、人生を楽しみたい。楽して金銭を得ようと強盗なんかを働いたり、邪魔な人間をこの世から消し去りたいと自分の願いを叶えるために人を殺したり、好きな人を独占しようとしたりしてさまざまな犯罪に手を染める。
あの刑事もそう。ハンスを捕まえるという自分の目的に加え、自分がこれ以上惨めにならないように自分を守るためにああいった行動をとった。確かにやり過ぎだとは思うが、自分の欲に従えばそれは極めて自然なことだったのかもしれない。そうやって考えれば人を殺していけないとか、人のものを盗ってはいけないと言うのは人間のエゴのようにも聴こえる。人の物を盗りたい欲、自分のものを他の誰にも渡したくない欲。一体どっちが正しいのだろうか。確かに法律で決められ人のものを盗ると言う行為は犯罪になる。でもそれだけでその行為が間違っているなどとどうして言えるのだろうか。
ハンスはそんな人間の心が見えているのかも知れない。
表だって人に聴こえのいいように言う。普通の人間ならばその裏でどう思っているかなんて分からない。だから、その人の口から出たその言葉を信じるしかない。でもハンスはその裏が見えてしまう。だから言ってることと思っていることが違えばすぐに分かる。きっとハンスは今まで普通の人の何倍もの裏の心を見てきたのだろう。だからこそ人を嫌う。決して笑うことのないその表情は人を信じないその心から生まれたもの。
でも、もしそうだとしたら……ハンスが人の心の裏の部分ばかり見てきたのだとしたらきっとハンスは見えてはいない。そう考えた葵は再びハンスに会いたいと心で願っていた。ハンスに伝えたいことがある。葵はそんなことを考えながら家路についた。
家に帰ってきた葵はこんどは疲れた様子で家の居間にあるソファーに腰を下ろす。そして何気なくテレビをつけてニュースを見ていた。その時テレビ画面の上部にニューステロップが流れた。
”今度は駅を爆破。ハンスによる被害で重軽傷者多数――”
葵はそのテロップを見た瞬間立ち上がり自分の身体が疲れているなんてことを忘れているかのように急いで家を出た。テロップに出ていたのは近くの駅、今からいけばハンスに会えるかも知れない。そう思い葵は車へと再び乗り込み、家のガレージから出ようとした。
その瞬間、車は大きな衝撃を受け、ガレージの壁へと激突した。葵の乗っていた車は原型を止めないほどに破壊されている。葵の乗っている車は大型のトラックとぶつかり半壊したのだ。そして中にいた葵は頭から血を流し、意識を失っていた。
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