番外編4:マスターの休日、デート大作戦
『雨宿りと古時計』
1
「……本当にこれで合っているのかな」
日曜日の朝10時。
姿見の前で、薫は何度も襟元を整えては溜息をついていた。
普段の『古時計』でのシャツにエプロン姿ではなく、落ち着いたネイビーのアウターにノーカラーシャツ。20歳の葵と並んで歩いても「父親と娘」に見えないよう、それなりに気を配った私服スタイルである。
「う〜ん、悪くないけどぉ……ちょっとお堅いんじゃない? もっと胸元開けちゃいなさいよ!」
リビングのソファから缶チューハイを片手に凛子が茶化す。
「凛子さん、朝からからかわないでください。今日は……その、初めての本格的なデートなんですから」
「分かってるわよ〜。だから応援してんの! ほら、バイトちゃんが降りてきたわよ!」
階段から足音が響き、葵が姿を現した。
普段の大学通いの服とは違う、少し大人っぽい落ち着いた花柄のワンピース。髪も軽く巻いてあり、恥ずかしそうに裾をぎゅっと握りしめている。
「……薫さん、お待たせしました」
薫は一瞬、息を呑んで立ち尽くした。
(……可愛い。どうしよう、想像以上に可愛い……)
「……薫さん?」
葵が首をかしげると、薫はハッと我に返り、慌てて咳払いをした。
「あ、うん! すごく……すごく似合っているよ、葵ちゃん……あ、葵」
「……っ、ありがとうございます!」
二人の甘い雰囲気に、凛子が「ヒューヒュー! 砂糖吐きそう!」と大騒ぎし、奥からたまきが「いってらっしゃい、楽しんでくるのよ!」と手を振る。神保はなぜかどこからか取り出した紙吹雪をパッと散らした。
住人たちの温かい(?)見送りを受け、ふたりは秋晴れの街へと繰り出した。
2
「まずは、どこに行きましょうか!」
隣を歩く葵は、まるで遠足前の子供のように瞳を輝かせている。
薫は事前にスマートフォンで入念に調べておいた「若者に人気のデートスポットリスト」を頭の中で反芻した。
(よし、まずは駅前の映えるカフェでパンケーキを食べて、それから最新の商業施設に行って……)
「葵、あそこに新しくできたカフェがあるんだ。パンケーキが有名らしくてね、行ってみないか?」
薫が指さしたのは、ガラス張りで若者やカップルが長蛇の列を作っているポップなカフェだった。葵は列を見て少し目を見張ったが、「薫さんが調べてくれたなら!」と笑顔で頷いた。
しかし——
並び始めて10分。
周囲は10代〜20代前半の若者ばかり。派手なアパレルを着た若者たちの視線が、どことなく自分に注がれているような気がして、薫の背中に冷や汗が吹き出し始めた。
(……浮いている。明らかに僕だけ浮いている……!)
「薫さん、大丈夫ですか? 顔色が……」
「えっ!? あ、ああ、大丈夫だよ! 全然平気だからね!」
強がる薫だったが、店内から運ばれてくる巨大な生クリームたっぷりのパンケーキを目にした瞬間、彼の胃がキュッと鳴った。普段、和食と深煎り珈琲を愛飲する35歳には、なかなかの試練である。
「……薫さん」
葵が優しく手を引いた。
「列、抜けましょ」
「え? でも、葵が喜ぶと思って……」
葵はくすっと笑い、薫の顔をのぞき込んだ。
「薫さん、無理して『若い子のデート』に合わせようとしてくれてますよね? 嬉しいですけど……私は、薫さんが無理して浮いちゃう場所より、薫さんが一番かっこよくいられる場所に行きたいです」
「葵……」
「さ! 行きましょう!」
葵が薫の手をギュッと握り、歩き出した。
3
葵が連れてきたのは、商店街の裏手にある古着屋やアンティークショップが立ち並ぶ静かな路地だった。
「わあ、この時計かわいい! 『古時計』のカウンターに似合いそう」
「どれ? ああ、これはスイス製のアンティークだね。文字盤のフォントが綺麗だ」
専門分野に入った瞬間、薫の表情から緊張が消え、いつもの穏やかで知的な「マスター」の顔に戻った。お店のマスターと専門的な知識で楽しそうに会話する薫の横顔を、葵はうっとりと見つめる。
「やっぱり……薫さんは、こういう落ち着いた場所が一番似合いますね」
「……ごめんね。おしゃれなカフェとか、連れて行ってあげられなくて」
薫が申し訳なさそうに眉を下げると、葵は首を横に振った。
「ううん。私、今の薫さんが一番好きです。大人ぶって背伸びする薫さんも可愛いですけど、自分の好きなものを嬉しそうに話す薫さんが一番かっこいい」
葵はそう言うと、自分から薫の大きな手に自分の指を絡めた。
「恋人繋ぎ」だ。
「……っ」
薫の顔が一瞬で朱に染まる。
「葵……街中だよ?」
「関係ありません。だって、今日私たちは『デート』してるんですから」
葵が少し悪戯っぽく微笑むと、薫は降参したようにふっと目を細めた。そして、握られた葵の手を、今度は自分から力強く握り返した。
4
夕方、ふたりは公園のベンチに腰掛けていた。
沈みかける夕日が、紅葉した木々を赤く染め上げている。
温かい缶コーヒー(薫が自販機で買ったものだ)を両手で持ちながら、葵は薫の肩にぽんと頭を預けた。
「楽しかったですね、薫さん」
「うん。……なんだか、僕の方が楽しませてもらっちゃったな」
薫は自分の肩に伝わる葵の頭の重みと温もりを噛み締めるように、そっと目を閉じた。
「葵」
「はい?」
「僕はさ……君といると、自分がどれだけ歳の離れた男かを嫌でも思い知らされる。君の未来は広くて、眩しくて……時々、僕なんかでいいのかなって不安になるんだ」
薫の静かな告白。
葵は薫の肩から頭を上げ、彼の横顔を見つめた。
「でもね……今日、君と手をつないで歩いて、君の笑顔を見ていたら……歳の差なんて、どうでもよくなっちゃったんだ」
薫は葵の方を向き、まっすぐな瞳で彼女を見つめた。
「君の歩くスピードに、僕が合わせるよ。僕が遅れそうになったら、遠慮なく引っ張ってほしい。……だから、これからも一緒に歩いてくれるかい?」
「薫さん……」
葵の目から、じんわりと温かい涙が溢れた。
「大人の対応」でも「過去の影」でもない、一人の男性としての、不器用で誠実な言葉。
「はい……! どこまでも、引っ張っていきますからね!」
葵が泣き笑いの顔で頷くと、薫は愛おしそうに彼女の頬の涙を指で拭った。
夕暮れの公園。
ふたりの影が、ひとつに重なるように長く伸びていた。
『古時計』へ帰る道のりは、今までで一番、温かい時間に満ちていた。
(番外編5へつづく)




