解析度 50 %―日常のノイズ収集と悪い癖
脳内の情報量が多すぎて猫に埋もれたい安上がり探偵。
『私は目に入るすべての情報が解析できる』
この悪癖は厄介だ。気になることがあると何でも見て、解析し、予測してしまう。
経験として分かっているのは〝予測は大体事実になるという事〟
過去に悪い予測して、気にせずに何も行動しなかったら
本当にひどい目にあった……あれは苦い思い出だ。
周りから「考えすぎだよ」と言われ続けてきたが
もう私は『考える事を辞める』のを放棄した。
――だから今日も考える
たとえば今、目の前にあるコーヒーカップ
その縁についてる乾いたリップクリームの跡は
目の前の彼女が最近承認欲求という名の病に
侵されていることを示している。
朝、慌てて塗ったのではなく、あえて跡が残るよう
意識的に深くカップに口をつけた。
SNSで拡散されやすい「#意識高い系」のような
タグをつけ、この写真をアップロードするまで
未来がすべてが透けて見える。
さっき写真を撮った彼女の瞳の奥や、顔には昨日寝不足だったという
単純な事実加えネット上の誰かから受けた、目に見えない言葉の刃物による
傷の跡がまだ生々しく残るように浮かんでいる。
そしてその傷は自らが望んで受け入れたものだという事実も。
私は、コーヒーカップの縁のリップクリームの跡を静かに見つめていた。
私は『ただの女子高生』だ、喫茶店にいるのは放課後の暇つぶしのため
そして、目の前に映る人物の情報を読み込むのは
呼吸するのと同じくらい自然な、単なる癖だった。
彼女のバッグからぶら下がる定期券入れのプラスチックの窓が見える
そこに挟まれた、記名式ICカードの印字を
目に入ると同時に脳が勝手に解析する。
漢字で「絢香」と書かれてる。
アヤカという女性が偽りの充実感を演出するために
SNSアカウントを運用していること、そして今朝そのうちの一つで
心無いコメントに深く傷ついたことを把握している。
沈黙に耐えられなかったのは、アヤカの方だった。
「あの……何か、私に用ですか?」
彼女は少し緊張した面持ちで尋ねた
目線はスマートフォンと私との間を彷徨い落ち着きがない。
「い、いいえ…特に用はありません」
と、目線を『彼女から』そらしつつ事実だけを淡々と述べた。
逸らした視線の先にある情報を勝手に解析し始める自分にイライラする。
彼女が肘でテーブルを撫でながら居心地悪そうに座り直す
その仕草で彼女がこのカフェの硬い椅子に座るのが二回目だという事
一度目ならもっと店内を見渡すし三回目ならそもそも居心地悪いと
分かっててこの店を選ばない。
だからこそ私にとっては…知り合いと会わない確率が大きい穴場の喫茶店だ。
「じゃあ、なんでそんなにずっと……」
アヤカが言葉を探すように言う。
「ずっとこっちの事を見てくるんですか?」
さぐるように言ってくる。
「い、いえ、ただ〝観察〟してただけです」
「観察? 何の観察を…? 私とあなたとは初対面ですよね?」
先ほどの苛立ちに引っ張られ、自分のテリトリーに入ってこられた
事を拒絶する様にもう八つ当たりと言ってもいいぐらいの口調で
うながされたとおり、結論を話すことにした。
『あなたのカップの縁に残るリップクリームの跡は、SNSで演出するために
わざと深く口紅をつけた痕跡です。今朝コメントで受けた傷を隠すために
この『穴場』になるカフェで、偽りの安心感を求めてそこに座っている』
決定的な失言だった。
驚きを隠せない彼女の目の瞳孔が微かに開いた
それは彼女が「真実」を隠し持っている時に見せる、典型的な反応だ。
私が一息で告げた内容に、アヤカの顔に明らかな動揺が走った。
スマホを握った指先に、わずかに力が入った
彼女は〝怒ったときほど目を合わせられない癖〟がある。
「……そんなに変ですか?」
震えた声は自分を強く見せようとする時の、特有の震え方だった。
彼女はスマホの画面を睨みつける私から目をそらし俯いた
SNSのタイムラインを開き自分を攻撃したコメント投稿者の
過去の投稿を掘り起こす作業に入ろうとしている
それは彼女が傷ついた時、自己防衛のために必ず取る行動だ。
(またやってしまった…)
この悪癖は場所を選ばない、慌てて取り繕うように私は言う。
「い、いえ、変ではありません、ただ…非効率的というだけです
あなたの自己防衛のサイクルは現状のストレスを軽減しない」
私はテイクアウトのコーヒーを持ち、逃げるように喫茶店から退店した。
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コーヒーカップを片手に、雑踏の中を歩いていく
制服姿で放課後の街を彷徨うのは観察を行う目的ではなく
ただ情報という名のデータが自動的に流れ込んでくる。
それは私にとって、単なる観測でありいつも通りのルーティンだ
滅入る様な気分がある事を除けばだが。
視界に、一人のサラリーマンが入った。年齢は40代半ば
彼の右肩のジャケットにわずかなシワが寄っている
彼の体型に完璧には合っていないことを示している
既製品ではない、色合いがいいジャケットであるのにだ
これは仕立てた時の採寸より体重が変化があった事を暗に示している。
彼は最近『昇進』して、それに伴うストレスによる体調に変化の可能性。
左手薬指の結婚指輪は少し緩んでおり、薬指と指輪の間にわずかな隙間が見える
これは体重の減少、もしくはつけ外すことによる皮膚が擦れた痕跡の可能性が高い
指輪を外す頻度が増え、それに伴い指輪と薬指の擦れが目立つようになっている。
これは夫婦関係に何らかの不調があり外で独身を装う必要がある、もしくは
〝何らかの原因があり〟家で指輪を外す時間が増えていることを暗示している。
彼の顔色の悪さは…昨夜の深酒が原因であると同時に彼が抱える家庭と
職場の人間関係のストレスが根深いことを物語っている。
彼の〝変わった〟足取りのパターン、呼吸の深さ、視線の動き、に至るまで
あらゆる情報を読み取った。
――なるほど。
「どうかしましたか?」
サラリーマンは、視線に気づいたのか心持ち優しい声で私に話しかけた
その表情には、微かな高揚感が読み取れる
彼は、自分が女子高生に見惚れられていると誤解をしている
口角がわずかに上がり、瞳には自信の色が宿っている
普段の彼の表情には見られない、わずかな優越感がそこにはあった。
「…いいえ」
淡々と答える。誤解を解くきっかけはまだ渡していない
彼自身をポジティブな方向に錯覚している
という事実を認識するのみだ。
サラリーマンは、さらに顔をほころばせた。
「もしかして、どこかで会いましたかな?君みたいな
若い子に見つめられるとつい、ね」
彼は、私に見られていることを完全にポジティブなシグナルとして
受け取っている。普段の彼の人生には、このような甘い誤解が
少ないこともその喜び様から見て取れる。
視線が私の目線から徐々に下に降りている、男性にはよくあると分かりつつ
生理的な嫌悪感が増す、不愉快な情報だ。
私は彼の内心の解析を終えた。立ち止まって情報を読み取る時間は終了だ。
「いいえ」
今度は自分の意思できっぱりと答えた。
『あなたのネクタイは今朝、奥さんとの口論で自分で結び直した際に失敗した
緩み方をしています、昇進したばかりで周囲に気を使い体調が優れないのに昨夜も無理して付き合い、そのストレスで今…指輪を外したい衝動に駆られていますね』
コーヒーを片手に、顔色一つ変えずに続けた。
私の言葉を聞いたサラリーマンの顔から一瞬で血の気が引く
上がっていた口角と自信から来る笑みは凍りつき
まるで街灯の下で剥製にされたかのように固まった。
「……それでは」
私はそれ以上何も言わず、彼の脇を通り過ぎた。




