12. 約束
「ソフィア!」
ナターシャ様がキース様を振り解いて駆け寄ってくる。そばにいた兵士が私の代わりに男を取り押さえた。
ナターシャ様が治癒術を施すが、いつものように身体が軽くなることはなく、座っていることができない。私はナターシャ様に寄りかかるように倒れ込み、そのまま地面に仰向けになった。ナターシャ様の目には涙が溢れている。
キース様が兵士に指示を出し、私に駆け寄ってきてそばにしゃがみこんだ。
「ソフィア、横を向け」
キース様は掠れた声で呟くと、私の身体を横にした。口の中に溜まった血液が流れ出る。騎士団に見習いとして入団した頃、吐血や嘔吐の際は窒息を防ぐために身体を仰向けにしてはならないと習ったのに忘れてしまっていた。
キース様が私の手を握る。その手は震えている。心配をかけないように握り返してあげたいが、力が入らない。
力は入らないが痛みはなく、ただ寒気はする。少しずつ意識が薄れる。厄災の爪に貫かれた時も不思議なほど痛みはなかった。
また私は死ぬのだろうか。
ナターシャ様を守り切り、好いた男に名前を呼ばれながら目を瞑るのは一度めの生と同じ状況なのに、私は少しも満ち足りた気持ちではなかった。
厄災を討伐して、やるべきことも目標もなくなった身ではあるが、終わりを受け入れたくない。ナターシャ様と友人らしいこともできていないし、キース様に自分の気持ちを伝えていない。
(まだやり残したことがあるんだ。目を瞑りたくない)
眠気に抗うことができず、私は意識を手放した。
*
どくん、と心臓が脈打った。目を開けると見たことのない豪華絢爛な天井が見えた。
「ここはどこだ。……うっ」
起きあがろうとしたら身体が硬直して動けなかった。まるで床に縛り付けられているように全身が動くことを拒否している。
しばらく深呼吸したり足首や手首をゆっくりと回して血を巡らせ、状況を探るために首を横に向けた。
「キース様……?」
喉が掠れて声がほとんど音にならない。キース様は腕を組んだまま椅子の上で眠っていた。非常に身体に悪そうな寝方をしており、顔色が悪い。
部屋は見覚えのない場所だが、高い天井と華やかな壁紙、調度品を見ると王城かそれに準ずる宮殿ではないだろうか。
自分の手を持ち上げて眺めてみると、見慣れた手であった。どうやら私は死を免れたようだ。そして、過去にも戻っていない。死んで過去に戻るなどという奇妙な現象が二度も起きる保証はないが、もし本当に死んでいたならば、今回こそ過去に戻してほしい状況であった。
動くことに慣れてきたので一度身体を横にして、ゆっくりと上半身を起こす。部屋には使用人がいない。寝台の脇には水差しとグラスが置かれていた。喉が渇いて仕方ないので、水差しに手を伸ばした。
「おっと……しまった」
コップに注ごうとすると思ったより重く、水差しを落としそうになる。なんとかテーブルに戻したが勢いよくグラスに水を注いだために少しこぼれてしまった。慎重にグラスを持ち上げ、膜を張ってなんとかグラスに留まってくれている水を一口口に含んだ。乾いた口内が潤い、生きていることを実感した。
「さて、なにか拭くものをもらってこなくては」
「……ソフィア」
「あ」
キース様が目を覚ました。
「申し訳ありません。起こしてしまいま……」
キース様に腕を引かれ、そのまま胸に押しつけられるように抱きしめられた。まだたくさん水が入っていたグラスが揺れ、キース様の肩にかかった。
「キース様、水が」
返事の代わりにますます強く、痛いほど力を込めて抱きしめられる。私はキース様の背を撫でた。
「……心配をおかけして申し訳ありません」
固い胸に顔を預け、目を瞑る。心臓の鼓動と体温を感じて安心した。
しばらくそのまま背中を撫で続けていると、私の足が痛くなってきた頃ようやく解放された。キース様の目がうっすらと涙で潤んでいるように見えて、動揺して心臓が跳ねた。
「ナターシャ様はご無事ですか」
動揺を誤魔化すようにナターシャ様の名前を出すと、キース様の目にいつもの冷静さが戻った。それから呆れたように目元を緩ませた。
「貴女は人のことばかりだな」
「それは、その……」
もう護衛でもないくせにでしゃばって死にかけた点は反省すべきではあるが、私にはあの行動以外選択肢はなかった。同じようなことが起きたら、また自分の身を呈して彼女を守る自信がある。
「ナターシャはなんともない」
「良かった」
「話すから座ってくれ」
キース様に促され、私は寝台に腰掛けた。
「城内の黒竜教会残党に関しては騎士団長が直々に指揮をとって片付けた。結果そこにいた実行犯たちが最後だったそうだ」
既に実行犯が捕らえられ解決済みであっても、王族の身辺を守る兵に間者が紛れていたのは事実だ。騎士団が国王の信頼を取り戻すのは難しいだろう。
しかし予想に反して、騎士団長の辞任は国王が止めたという。騎士団長の血縁上の息子であるレイも次期国王として残り、ナターシャ様との婚姻もそのままになるということだった。近日中に黒竜教会を討ち取った祝賀会と二人の婚姻を祝う場が設けられるということだ。
「私は何日ほど寝ていたのですか」
随分と状況が変わってしまっているので、1日や2日ではなさそうだ。
「今日で20日だ」
「……は?」
人間が20日も眠っていられるとは知らなかった。
「20日も?」
「ああ。毒が回らないようにホムラが魔法で眠らせていた」
「その間キース様は…」
「ここにいた」
「なんと……申し訳ありません。私のせいで領地にも戻れず公務が止まってしまったのでは。屋敷のものも困ったでしょう」
「そんなことはどうでもいい」
叱責するような厳しい声に思わず身体が震えた。キース様ははっとして、小さく息を吐いた。
「……すまない。だが本当に、そんなことはどうでもいいんだ。貴女にナターシャを守るなと言うのは無駄だと分かってる。分かっているが、送り出したことは後悔した」
「!」
キース様は、迷わず窓から飛び降りようとした私を呼び止めて、剣とホムラの魔法付与で助けてくれたのだった。あの場で反対されてもなんらかの手段で無理して駆けつけたには違いないが、背中を押したという行動でキース様は責任を感じてしまっているのだ。
「私は自分の行動を悔やんでおりませんし、キース様が私の意志を尊重してくださったことに心から感謝しているんです。どうかご自分のことは責めないでください。怪我については、実力不足で私の責任です」
「このまま目を覚まさないのではないかと思った」
「本当に申し訳ありません。今後は毒も警戒します」
「……何も分かっていないな。本当に貴女は、ひどい」
キース様は泣くのを堪えるように微笑んだ。その表情に胸が締め付けられるような気持ちになって、二度としないと口走りそうになる。しかし、自分が同じことをしないと保証はできない。
キース様は椅子から立ち上がった。その手が私の頬に触れる。存在を確かめるように親指がゆっくり頬を撫でた。その手つきの優しさに身を委ねるように目を閉じかけたが、キース様は手を離した。
「外に貴女が起きたと知らせてくる。ナターシャも呼ぶから少し待っていてくれ」
「……はい。ありがとうございます」
しばらく待っているとノック音がした。ナターシャ様かと緊張して扉が開くのを待っていると、ホムラが入ってきた。いつものカバンにいつもと同じ態度を見て日常に戻ってきたことを実感して安心した。
「おう。調子はどうだ」
「元気だ」
「元気なわけあるかよ。身体の動かないところはあるか?」
「いや、今のところ……」
そうは言っても寝台から上半身を起こすくらいしかしていない。寝台から降りて素振りするように身体を動かす。少しだるいが違和感はない。
「おい、やめろやめろ!馬鹿!分かったら寝てろ」
「もう20日も寝ていたらしいから十分だ」
「あのな」
ホムラは私を指差した。
「あんたは寝てたんじゃなくて仮死状態にしてたんだ。古代魔法の状態硬化……これは普通生き物にはかけないけどほかに方法がなくて一か八かでやった。それで体内の毒を少しずつ外に出して、最後にナターシャが浄化して、やっと回復魔法をかけられる状態になった。つまり死にかけだ。悪化させたら俺が国王とナターシャに殺される。大人しくしろ」
「なんだかよく分からないが流石だな!ありがとう」
「よく分からなくていいから大人しくしろ。いいな?あと3日はそこから動くな」
「分かった。3日だな」
ホムラは私のことを疑い深く睨んでいる。
「お前にもキース様にも迷惑をかけて悪かったな」
「おれは別に。キースは大丈夫そうだったか?」
「ああ。心配をかけてしまったが……私を止めなかったことを悔やんでいると言わせてしまった。力不足で不甲斐ないよ」
「そうかよ。……少しキースに同情するな」
「ん?すまない、キース様がなんだって」
「なんでもない。そうだ」
ホムラはカバンの中から髪飾りを取り出した。キース様が私に贈ってくれたものだ。
「これの抗毒効果がなかったら本当に死んでたかもしれないぜ。まあ、役には立ったが腕がいまいちだから俺がかけなおしといた。ついでにナターシャに浄化の効力をつけてもらった。大事に持ってろよ」
「そうなのか……。ありがとう、心強い」
ホムラから髪飾りを受け取った。光を反射して以前と変わらず美しく輝いている。
しばらくするとナターシャ様とレイが部屋に入ってきた。その後国王陛下と騎士団長までもがやってきて、息子であるレイと義理の娘であるナターシャ様を守ったことに対しての礼をしたいと申し出を頂いた。礼などとんでもなく、私は越権行為にお咎めがないことに感謝をした。
20日も眠って元気になっていたつもりだったが、久しぶりに様々な人と顔を合わせたせいか夕方になると疲れてしまった。部屋で早めに軽い夕飯を済ませ、身体を清潔にして寝台に入った。
暗い部屋で目を瞑っていると、扉が開く音がした。
(誰だ)
息を吐く音とその後の足音でキース様だと分かる。警戒を解くとすぐに眠気が襲ってきて、声をかけることもできずまた目を瞑った。
うっすらとした意識の中で、キース様が静かに寝台まで近づいて来るのが分かる。私が20日も眠っていた間、キース様は毎日ほとんどの時間をこの部屋にあった椅子の上で過ごしていたとホムラに聞いた。まさか今日も椅子で寝るつもりではないだろう。私が目を覚ましたいま、しっかり寝台で休んで休息をとってほしい。
ふと私の手首になにかが触れた。多分指だ。脈を確認するようにそっと指が添えられているのだ。私がもう片方の手でその指に触れると、キース様の手がぴくりと反応した。
「……キース様」
「すまない。起こしたか」
「いえ、起きておりました」
私はゆっくり身体をおこした。私が眠っている間、毎日こうして脈を確かめていたのかもしれない。
私が目を覚ました時の、涙の膜が張った瞳を思い出した。私は自分の命を粗末に扱ったことはないが、優先すべきことがあれば危険に晒すのも構わずにいたことも確かだ。それがどれだけ周りの人間に影響があるかと考えたことはなかった。
私はキース様の手を引いた。キース様は抵抗せず寝台に片膝をついてくれたので、私は自分の手が届くほど低くなった頭を抱き締めるように腕を回した。
「キース様、これから先何が……死を覚悟することがあっても、大人しく目を瞑ることはしません。貴方の元へ戻るために足掻くと約束します。貴方を悲しませないように力を尽くします。だから、これからも私を見送ってください」
危険な場所にいかず、無闇に問題ごとに手を出さず、大人しく屋敷の中に留まることは約束できない。私はキース様を含め、自分の大切な人が危険な目に遭いそうであればまた向こうみずに飛び込んでいくに違いない。だからこれが私ができる最大限の約束だ。
腕に力を込めてから、そっと身体を離した。
「俺はただ戻る場所として大人しくしているつもりはない。必ず隣に呼んでくれ」
「約束します」
私が頷くと、キース様は幼子にするように私の頭を撫でた。
「今はそれで十分だ。休息を邪魔してすまない。ゆっくり休んでくれ」
キース様はそのまま立ち去ろうとするので、腕をとって引き留めた。
「お待ちください」
「なんだ」
「もう一つ、お伝えしたいことが」
本当はしっかり目を見て伝えたかったが、部屋は暗く、シルエットでそこにいることが分かる程度だ。目を合わせることはできない。
「貴方をお慕いしています」
キース様は私に触れるつもりはないと言った。キース様が私に抱いている気持ちと私の気持ちが違うとしても、それで構わない。男女の情愛でなくとも、この人が私を愛してくれていることは十分伝わってくる。
気持ちを伝えたことによる満足感と同時に、どっと心臓が脈打ち顔が熱くなった。見返りはいらないと思っていたのにどこかへ消えていた照れや不安が急に戻ってきて、お互いの表情が読めない状況をありがたく思う。
「それは……」
「気持ちが変わるのが早いと軽蔑されても良い。伝えぬまま死んでは死に切れないと思いました。いつからと自覚はありませんが、偽りはないと誓います。同じ気持ちを返して欲しいとは言いませんから、知っていて欲しい」
「……」
今の今までありがたかった暗闇が、今は不安を誘う。キース様は返答をせず、しばらく沈黙が続いた。
「……俺は、貴方に想われて良い人間ではない。まだ伝えていないことがあるんだ。本当は婚姻を結ぶ前に話すつもりだったが、ずっと言えずにいることがある」
「それは、どういう……?」
「いつか話さねばと思っていた。領地に戻ったら、本邸で話をする。それまで待ってくれ。本当にすまない」
キース様は謝罪を口にすると、そのまま部屋を出て行った。
公爵家に嫁いだものの、私は公爵様と奥様の居住する本邸ではなく、キース様と共に別邸に部屋を頂戴している。挙式の場で挨拶して以来、公爵様に御目通りは叶っていない。二人とも公務で忙しいと聞いていたが、それ以外にもなにか本邸に立ち寄るべきではない理由があるのかもしれない。
疲れて意識を失いかけていたはずなのに、今や目が冴え、目を瞑っても眠気よりも先程のキース様の苦しそうな声が思い出されるだけだった。眠れなくても朝は来る。眠らずに朝を迎えた反動か、翌日も翌々日も私はほとんどを眠って過ごすことになり、キース様と会話をする機会はなかった。
最終日に私はホムラに全身状態の回復具合を確認してもらい、グラニエル領に戻ることとなった。




