シャバダバダ
ポケットに添えられたクロの手にきゅっと力が籠る。
なになに? ちょっと狭いんですけど。
「クローヴェルからも言ってやってよぉ。僕の研究に協力することがいかに魔術の発展に役立つかってさぁ」
間延びした男性の声が発した聞き覚えのある単語に首を捻る。
クローヴェル……?
——そうだ、クローヴェル! 『クローヴェル』はクロの名前だ!
あの日聞き漏らした名前の続きがようやくわかった! 助かったー!
こんなにもお世話になっておきながら、名前すらちゃんと把握していないことがバレたらどうしようかとヒヤヒヤしていたのだ。
「……ミディルアード、またケイゼンを困らせていたのか」
「相変わらず人聞きが悪いなぁ。ただ研究への協力を要請してただけだよ。ねぇ?」
ミディルアードと呼ばれた男性が飄々と答える。
「——リュリア火山に巣食うサラマンダーを殲滅してくれと言って聞かないのです」
いかにも軍人然とした硬い声が伝える状況を聞いて、クロは疲れたようにため息をついた。
「はぁ……、なぜそんなことをする必要がある」
「巣の調査のためさぁ。『サラマンダーの巣の奥を散歩中に妖精を見た』って目撃情報があったんだぁ。だからこうして遠征部隊長サマに協力を仰いでたってわけ」
「散歩で『火口の奥』を訪れる人間がいてたまるか。目撃情報はガセだ、ガセ。——ケイゼン、持ち場に戻っていい。俺も少々場所を借りるぞ」
「はっ、承知しました。失礼いたします!」
ザッザッザッザと規則正しい駆け足の音が遠ざかっていく。
残されたのは、ミディルアードとクロの二人。
「ガセかどうかなんて行ってみなくちゃわからないじゃないかぁ」
「わかるものもある。そもそも、おまえのそれは個人的な趣味だろう。そんなことに一々騎士団を使おうとするな」
開いたポケットの口を見上げれば、ちらちらと緑色の後頭部が見える。……いや、あれは顔か。長い前髪に全面を覆われた顔。
それでよく前が見えるものだ。
「えぇ~失礼しちゃうなぁ。趣味なんてそんな軽い気持ちじゃないさ。妖精を想うこの気持ちはねぇ、愛だよ。愛」
「……趣味と何か違うのか?」
「全然違うよぉ。相手のすべてを受け入れて、己のすべてを捧げたいと思うのが『愛』さ。僕は妖精になら殺されたって嬉しいと思うなぁ」
ポケットに添えられたクロの手に、またぎゅっと力が籠る。
狭い狭い、狭いってば! えい、パンチっ!
「…………なぜそこまで妖精に執心するんだ。——やはり可愛さか?」
「可愛さ? あっはは、面白いことを言うねぇ! 自然界の霊力を帯びて無から生じた生命、神の愛し子。人間の理解の範疇を超えた存在そのものの神秘性に惹かれるのさ。きっと一生かかっても理解しきれないよぉ……なんて得難く尊い存在だろう」
「…………」
「でもさぁ、クローヴェルが僕の妖精話に興味を持つなんて、一体どういう心境の変化ぁ?」
「……俺の心境に興味などないだろう」
「まあねぇ。あぁでも、禁書庫の閲覧権限と引き換えになら聞いてあげなくもないよぉ?」
「遠慮しておく。おまえもさっさと研究室に戻れ」
「釣れないなぁ~」
てっくてっくとのんびりした足音が離れると、クロも一つため息をついて、また目的地へと歩を進めた。
訓練場の奥まった一角。
先ほどたくさんの人が見えた場所からは木を隔てて死角になっている、小規模なスペース。
「シャバだーーーーっ!」
ベンチの上に立ち全身に眩しい日差しを浴びながら、私はこのうえない解放感に大きく伸びをした。
ポケットは狭かった! 外側からぎゅうぎゅうに押さえられて狭かった! とっても!!
「思わぬ足止めを食ってしまってすまなかった」
「大丈夫ですよ!」
晴れ晴れとした大空の下にいると、自分の心までも大きくなったような気がしてくるというもの。
今なら『そのケーキ一口ちょうだい』と言いながら半分近く食べられても笑顔で赦せてしまいそうな…………いや、それはどうかな?
「さっき剣士っぽい人が大勢いましたね。クロのお家って道場か何かやってるんですか?」
「いいや、道場は経営していないな。あれは騎士団の者たちだ」
「へぇー」
やはり豪邸住まいともなると警備には相当力を入れるものなのだろう。
庭に飾られていたオブジェ一つとっても、ものすごく高そうだったので納得だ。
「俺も少々体を動かす。ここは向こうから死角になっているので大丈夫だと思うが、ヒナもあまり離れないように気をつけてくれ」
「はーい。——あ、さっきから飛んでるあの怪鳥は襲ってきませんか?」
「あれは果物しか食べないから大丈夫だ。他にも、もし何かあればすぐに大声で呼ぶんだぞ」
「はーい」
「その辺の木の実や得体の知れないキノコは食べないように」
「はーい」
「知らない人に声をかけられてもついていかないように」
「はーい」
「地面には小石もあるから転ばな——」
「わかりました! わかりましたから、ほらっ! 運動してきてどーぞっ!」
クロは上着を脱いでベンチに置くと、訓練場から持ってきた木剣を手に、目と鼻の先で運動を始めた。
この距離を離れるだけで、よくあそこまで心配できたものである。
軽いストレッチを終えたクロは、木剣を構えると風切り音を立てながら素振りしたり、地面に垂直に立てられた丸太に打ち込んだり。
ベンチに座ってしばし興味深くクロを眺めていた私も、思い立ってするするとベンチを下りた。
押し固められた土の地面は、日の温かさを移しながらもひんやりと素足の熱を奪って心地良い。
ぺたぺたとベンチの周囲を歩き回って適当なサイズの小枝を拾い上げると、クロを眺めつつ見よう見まねで素振りを始めた。
ちらちらとこちらを気にかけていたクロが口元を押さえてうち震えているけれど、気にしたら負けだ。
お手本なのだからちゃんと素振りしていていただきたい。
そうしてしばらくの間、各々自由に過ごしていた——のだけれど。
「んぎゃーっ! ミミズ!! クロっ! クロ抱っこ! 早く早く!!」
小枝を投げ捨て猛ダッシュでクロの元まで駆け寄った私は、両腕を上げてぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「ヒナは走るのが速いんだな」
「いいから抱っこ!」
屈んだクロが差し出してくれた手のひらにわたわたと乗り上げる。
まさか土の中にあんな伏兵が潜んでいようとは……!
警戒すべきは空だけではなかったのだ!
「ヒナは虫が苦手なのか?」
その言葉に、今しがた対峙した私の背丈ほどもある長さの巨大ミミズを思い浮かべ——
「あの大きさは無理っ!!」
ひしと自分を抱きしめて背筋を震わせた。
シャバダバダ~♪₍₍ (ง ˘ω˘ )ว ⁾⁾
次回更新は~、また明日の夜!٩( ᐛ )و




