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Act23-1.「眠りネズミと三月ウサギ(下)」

 目を瞑る度、悪夢が蘇る。借り物のトラウマが心を蝕んでいく。もしこれがミツキの抱えていたものなら、彼女は一人の夜をどう過ごしていたのだろう。黄櫨は起きているのが辛いが、寝ることもままならなかった。


「黄櫨!」

 黄櫨の部屋に常盤が飛び込んでくる。黄櫨が発病したと聞いて、慌てて戻って来たのだろう。黄櫨はすっかり変色した髪と目を見られるのが恥ずかしく、布団を被って隠れた。ベッドの傍に座っていたヘイヤは、幾らかホッとした様子で「おかえり」と顔を上げる。


「黄櫨は、大丈夫なのか?」

 常盤の問いに、布団の山がもごもご答えた。

 

「大丈夫だよ。まだ微熱。ヘイヤと髪の色がお揃いみたいで、嫌だけど」

 実際お揃いなのはミツキとなんだけどね。と心の中で続けたのは内緒だ。自分の見た悪夢が、恐らくミツキの過去に関係しているだろうということを、黄櫨は誰にも話していない。病を彼女の所為にしたくないという気持ちもあったが、彼女本人が語らないことを勝手に口にすることが憚られたのだ。


 ――発病から二日。まだ風邪程度の症状だ。しかし症例通りになるなら、やがて高熱に苦しみ、肌に火傷が生じ、八日が経つ頃には死に至る。黄櫨は自分の死が恐ろしくない訳ではなかったが、病に冒されたことをミツキに知られてしまわないか、そればかりを気にしていた。白火病と自身が関係していることを、恐らくミツキは察している。黄櫨が感染したと知れば、ミツキは罪悪感に押し潰されてしまうに違いなかった。


「ミツキには絶対に言わないでね、僕のこと」

「うん、分かってる。もう何百回も聞いた」

「ヘイヤに言ったんじゃないよ。常盤に言ったんだ」

「あ、そう」

 ヘイヤは肩を竦める。いつも通りのやり取りに、空気が和むことは無かった。黄櫨はベッドに近付いて来る気配に、そっと布団から目を覗かせる。心配そうに自分を見つめる常盤と目が合い、自分よりも重く受け止めている深刻なその目に、黄櫨は居た堪れなくなった。再度「大丈夫だよ」と言ったが、ただの強がりにしか聞こえなかったのだろう。常盤は辛そうに小さく頷くと、黄櫨の前髪をかき分け額に触れる。外から帰って来たばかりのその手はひんやり冷たく、黄櫨は心地良さに目を閉じた。


「……ヘイヤ。薬の開発を、急ごう」

「急いで間に合うなら、そうする。でもアレの開発には、まだ時間がかかる。分かってる筈だ」

 白火病の原因である悪夢を取り除く“目覚め薬”の開発は、増える感染者に追われかなり強引に進められていた。そして無理矢理形にしたその試作品は、生物実験の過程で最悪の結果を残したと、黄櫨は聞いている。


「永白にある素材の組み合わせじゃ、きっと作れない。国から出て探す必要がある。どこにそんな手と時間が?」

 ヘイヤが淡々と事実を述べる。非情な現実が、室内に重く立ち込めた。黄櫨は、ヘイヤの方が正論で抑え込むなんて珍しい、明日は雪が降るかもしれないと思った。暫しの沈黙の後、常盤が静かに口を開く。


「薬以外に、病を治せる可能性があるとしたら……」

 その言葉に、ヘイヤが弾かれたように立ち上がった。椅子がガタンと音を立てる。ヘイヤは常盤の胸倉を掴み、今にも彼を噛み殺すと言わんばかりの獣の目でに睨んだ。黄櫨は驚いて布団から出るも、緊迫した二人の間に割って入ることが出来ない。


「常盤、お前も、他の奴らのように、下らないことを言うのか」

(なに、何のこと?)

 ヘイヤの言葉の意味が分かっていないのは、自分だけみたいだ。黄櫨は恐る恐る口を挟む。


「……ヘイヤ、常盤、どういうこと? 何の話?」

 黄櫨の問いに、ヘイヤは吐き捨てた。


「一部の愚か者共が、病の原因を排除すべきだと宣ってる」

「病の原因? ……あっ」

 黄櫨は合点がいった。病の原因、それはつまりミツキの事だろう。白火病の対策として、ミツキを排除しようとしている者が複数居るという事だろうか。組織内に? 外に? 黄櫨もそのような動きは多少想像していたが、既に現実となっていたとは知らなかった。常盤に疑問に思っている様子が無いという事は、彼は知っていたのだろう。ミツキの世話役のラファルも知っているのかもしれない。

 ……自分だけ知らなかったのは、彼らが子供の自分に気を利かせたからだろうか? いつも対等なフリをしながら、こういう時だけ子ども扱いする。いや、いつだって結局、子ども扱いされていた。


「ヘイヤ、落ち着いてよ。常盤はそんなこと言ってないでしょ」

 黄櫨は場をとりなそうとしたが、恐らく常盤はそのつもりで言ったのだろうと気付いていた。彼の中で、自分やヘイヤと、ミツキの間には線引きがされている。ヘイヤは病人の声を聞いて少し落ち着いたのか、突き飛ばすように手を離すと、


「ミツキに、妙な真似はするな」

 と掠れる程低い声で牽制した。彼が“ミツキ”と、彼女の事を名前で呼ぶのを聞いたのは、黄櫨はその時が初めてだった。しかしそれは妙に慣れた響きに感じられる。もしかすると口に出さないだけで、ずっと呼んできたのかもしれない。


「ヘイヤ、大丈夫だよ。常盤はミツキに酷いことはしない」

「何故、そう言い切れる?」

「だってミツキが傷付いたら……僕とヘイヤが、傷付くから」

 黄櫨の言葉に、二人は居心地が悪そうに、互いから目を逸らした。


 ヘイヤと常盤は、黄櫨が二人と出会うより前から共に行動していた。何故一緒に居るようになったのかは、訊いても明らかに適当だと思われる答えしか返ってきた試しが無く、分からない。それでも、そこには深い絆があると知っている。二人が争うのは、見ていられなかった。


 ヘイヤは力なく椅子に戻り「はあ」と溜息を吐くと、しみじみ天井を見上げた。


「どうするのが、いいかな」

 それはまるで迷子の子供の声だった。問いではなく、独り言だったのだろう。答えられる者など居ないのだから。


「サンガツちゃんが、異世界人じゃなければ、良いのに」

「それは、そうだね」

 彼女が異世界人でなければ、何も問題は起こらなかっただろう。この世界で誰もが持つロールネームを持っていれば、消えることも呪いを撒き散らすこともなかった筈だ。


「ねえ、サンガツちゃんが三月ウサギだったら、どう?」

 黄櫨はヘイヤの言葉に、熱で怠い首を傾げた。どう、とはどういう意味か。

 ロールネームが人から人へ移ることは……稀にだが、あることにはある。元の持ち主より、その役に相応しい者が現れた時――世界の独自の判断により――それは移譲されるという。しかし仕組みが解明できる程、例がある訳でもない。特にアリスネームの移譲については、黄櫨が知るのはたった一例だけだ。それがトランプ王国の王である。彼は元居た気弱な王を、その非凡な才で退けたという。

 三月ウサギに世界が求める役割が何であるかは、国を治める役割の王と比べ遥かに分かりにくい。だが唯一無二の存在感を放ち、永白を動かしているヘイヤの代わりなど、誰に務まる筈もないのは確かだった。


「どうって……意味が分からないよ。何の話?」

「だから、俺の、」

「ヘイヤ!」

 何か言いかけたヘイヤを、常盤が止めた。ヘイヤは「ああ。秘密だったね。分かってる、分かってるよ」とどこか虚ろな声で言う。黄櫨は訳が分からず二人を代わる代わる見た。また自分にだけ何か隠しているのだろうか? 今回は、妙に気になった。どうしても知らなければいけないと思った。追求しようとしたが――込み上げる咳がそれを邪魔する。苦しそうに咽る黄櫨の背を、ヘイヤがぎこちなく擦った。


 咳に気力を奪われた黄櫨は、解熱剤を飲みベッドで目を閉じる。眠る気は無いが、視界がぐらついて目を開けている事に疲れたのだ。……少し休んだら、二人にちゃんと訊こう。


 目蓋の向こうで、ここには居ない少女の姿が、ちらついた。


(もう僕は、ミツキに会えないかもしれない)




 *




 黄櫨の発病から五日。嘉月会は可能な限りの人手を割き、治療薬開発に専念した。しかし迫り来るタイムリミットは無情である。高熱にうなされ、もう喋ることさえ辛そうな黄櫨は、それでも決して誰に弱音を吐くことはない。常盤は少年のいじらしい様子に心を痛めていたが、黄櫨の想いを汲み、治療薬とは別のもう一つの策を口にすることはもう無かった。

 

「ねえ、ミツキは、元気?」

「……ああ、変わりない。相変わらずだ」

 ミツキの透明化も、解決する手立てが無い問題のままである。それは黄櫨の病と違い、いつ爆発するか分からない爆弾だ。まだ暫くは大丈夫かもしれないし、今この瞬間にひっそり消えてしまっていてもおかしくない。


「そう」

 黄櫨は遠い目で天井を、その向こうに居るだろう彼女を見つめる。ミツキはあの部屋で、一人で何を考えているのだろう? 先日会ってから、少しも顔を見せなくなった自分の事を、どう思っているのだろう? また嫌われたと思っているだろうか。

 彼女の苦しみを垣間見た今なら、その背に負うものを、少し担うくらいは出来るかもしれない。……なのに、どうして僕はミツキの傍に行けないんだろう。


「邪魔するよ」

 ノックも無しにヘイヤが入って来た。彼の長い髪はほつれ、所々掻き乱したようにボサボサになっている。身なりを気にしている暇もないのだろう。荒れた姿と、妙に煌々とした瞳は、狂気じみて見えた。


 黄櫨は自分を見舞いに来たのかと思ったが、ヘイヤの用事は別だった。常盤を呼びに来たのだ。街外れのタルジーの森、ずっと進んだ国境付近に、新たなバグが発生したらしい。調査員の証言によると、バグは比較的大きな“空間の皹”であるという。そのまま放置しておけばどんどん広がり、皹から異空間に飲まれる犠牲者も出かねない。現在永白は、病の感染を防ぐため一時的に国交を封じている。国境を超える者が少ないことで、まだ被害が出ていないのが不幸中の幸いだった。


 常盤は「こんな時に、」とぼやく。だが彼が行かないことは無いだろう、と黄櫨には分かっていた。彼はこの世界の状態を“維持”することに、ある種の義務感を持っている――というよりは、執着、だろうか。いくら彼が真面目だと言っても、ただの正義心で世界に献身するタイプではない。きっともっと、個人的な理由で、世界を守っている。


「ほらほら、早く行っておいで。一人じゃ危ないから、モブくんを連れて行くといい」

 ヘイヤの言葉に、音も無くラファルが現れた。いつもなら“じゃじゃーん!”と愉快で大袈裟な登場をしただろう彼も、ここ数日はずっと大人しい。病に伏せる黄櫨を前にすっかり萎れていた。


「黄櫨とミツキのことは、俺に任せて。大丈夫だから」

「……おかしな真似はするなよ」

「ふふ。何それ、この間と逆だ。俺はちゃんと、二人を守るよ」

「そうじゃない。私が心配しているのは、」

「常盤」

 ヘイヤがその続きを遮る。そして、聞かずとも全てを理解したみたいな顔で「俺は、大丈夫」と仄かに微笑んだ。ヘイヤらしくない表情だった。


 常盤とヘイヤは暫く互いを見ていたが、何かを語り終えたように視線が外れる。常盤は最後に黄櫨を一度見てから、部屋を出ていった。元気のないラファルが、トボトボとその後に付いて行く。黄櫨は何故か、胸の端が裂けたような痛みを覚えた。

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