Act22-1.「眠りネズミと三月ウサギ(中)」
その日、嘉月会の空気は張りつめていた。ハートの女王の国の使者と、緊急会談を控えているためである。国家間の話し合いが王宮ではなく、嘉月会で行われることが、永白での嘉月会の立場を証明していた。ここが国の要、真の王の居場所なのだ。
永白と女王の国は、これまで貿易や観光を通じて良好な関係を築いてきたが、今回起きた問題は、それを揺るがしかねないものだった。
近頃永白では、ある薬物が急速に広まっている。酒とは比べものにならない程の耽溺性と依存性を持つその薬物は、深刻な社会問題となりつつあった。その薬の流通元が、ハートの女王の国なのだ。
観光客を装って永白に潜り込み、薬を売り捌く密売人。嘉月会はその内の数人の身柄を確保した。今回の会談では、女王の国に彼らを引き渡すと共に、今後の対策について話し合う予定である。
「捕まえた奴らは、死刑。女王の国との国交は、閉ざしてしまえばいい」
どうでも良さそうに極論を口にするヘイヤ。半分本気で、半分冗談といったところだろう。常盤はそれを窘め、女王の国との関係は維持すべきだと主張した。ただそれだけでは問題の解決にはならない。輸入品の制限や入国審査の強化が必要だというのが常盤の考えだ。
永白の王宮から遣わされた外務大臣は、常盤の意見を聞いてほっと胸を撫でおろす。黄櫨はといえば、特に意見を求められなかったため黙って聞いていた。
シュタッ。
黒装束のお面男が、ヘイヤの背後に降り立つ。狸を模した面は小声で「到着しました」と告げると、また屋根裏に消えていった。……ラファルは新しい制服が相当気に入ったらしい。活き活きとした彼に、黄櫨の心は少しだけ和らいだ。
――女王の国の使者として現れたのは、数人の外交官と護衛の騎士。一団の先頭にいるのは、黒髪の男だった。他とは一線を画す存在感を放つ彼を見て、黄櫨は自分達と同じ“キャラクター”であると悟る。
男は、ハートのジャックを名乗った。どこか胡散臭い見た目からは想像が付かない程、丁寧な挨拶だった。使者の中には場違いな子供の黄櫨を怪訝に見る者もいたが、ジャックは黄櫨が何者であるか分かったのか、鋭い視線で仲間を制する。
そして始まった会談。まず初めに行われたのは事実の確認だった。永白側の追及に対し、女王の国はすんなりと事実を認め、捕らえた密売人に厳しい処罰を約束し、永白側が言い出すまでもなく出入国検査の強化を申し出た。
滞りなく進む話し合い。しかし、途中で風向きが変わる。
「捕まえた奴らを罰して、いくら取り締まったところで、根本的な解決にはならない。根が残っていれば、また伸びる」
ヘイヤが、いつもより幾分真面目な顔でそう言った時、女王の国の者達の顔が見るからに強張った。
「うちとは比べ物にならない程、貴国の薬物問題は深刻な筈だ。供給元を突き止めていないとは、言わせない」
「……その件に関しては、我々に一任して欲しい」
先程ヘイヤに堅苦しいと言われ、敬語を解いたジャックが答える。常盤は眉を顰め、苦言を呈した。
「随分と曖昧な返答だな。我々が求めているのは、責任の所在ではない。同じことが繰り返されない確証だ」
「分かっている。俺達だって、事態を軽く見ている訳じゃない」
ジャックは苦しげに視線を逸らした。彼は、密売組織の裏にいる黒幕の正体を突き止めている。だが、その男は女王の庇護下におり容易に手出しできないのだ。
ヘイヤは「やっぱりね」と呟く。
「噂は聞いてるよ。大層、躾の難しいペットみたいだね。異世界人というのは」
ヘイヤの言葉に、ジャックを始め、女王の国の者達ははっと顔色を変えた。
ハートの女王は、異世界人の男を寵愛している。かつて名君と謳われた彼女は、その男にかまけ政治を疎かにするようになった。……というのが、密かに広まりつつある噂である。
「随分と耳が良いんだな」
「ウサギだからね。……で、どんな男?」
それは、軽い興味からの問いではなかった。ヘイヤは心から、異世界人の情報を求めている。異世界人の殆どが出現から間もなく消滅してしまうため、情報が少ないからだ。女王の国の異世界人は、少なくとも二年は生存している、貴重なサンプルだった。
「聞いてどうする?」
「別に。異世界人に、個人的に興味があるだけ。情報を提供するというなら、これ以上追及せずにいてもいい」
「物好きだな。話すことなんて無いぜ。噂通りの悪漢だ」
女王の国の者達は、異世界人への嫌悪と憎悪を語った。それを聞いた永白側に、重苦しい空気が流れる。ジャックはそれを察し、ニヤッと笑った。
「永白にも異世界人がいると聞いていたが、その様子じゃ本当らしいな」
ヘイヤの目の色が変わる。
「どこで聞いた?」
「物が流れるんだ、情報も流れるさ。人の口に戸は立てられないってことだな。で、そちらさんはどうなんだ?」
「……俺達が、それに答える義理はない」
ヘイヤは固く口を閉ざし、その後はずっと険しい表情を浮かべていた。
会談が終わり、息の詰まる空間から解放された黄櫨は、人気のない縁側に腰かけ伸びをしていた。思ったより退屈ではなかったが、それ以上に嫌な気分になる会談だった。
「へえ。本当に動物の耳が生えてるんだな」
先程聞いたばかりの声に、黄櫨は振り返る。そこにいたのは軽薄な笑みを浮かべたジャックだった。
女王の国の使者達は一泊し、明日の朝に永白を出ることになっている。彼がここにいるのは何らおかしなことではないが、一人で出歩いているのはおかしい。黄櫨は、流石に不用心過ぎるのではないかと思ったが、柱の陰に潜む面を見つけてほっとした。
「君は眠りネズミだよな? これから寝るところか?」
「そのつもりだったけど、今、寝れなくなった」
「はは、アイデンティティを奪って悪いな。まあ、少しくらいお喋りに付き合ってくれよ。数少ないキャラクター同士だろ?」
「なんで僕? ヘイヤか常盤のところに行けばいいのに」
「一番話しやすそうだからだ。ヘイヤといえば、なんであいつにはウサギの耳が無いんだ?」
「ちょっとだけ短いのがあったでしょ。切っちゃったんだよ、自分で」
「え」
恐らくジャックも、ヘイヤが変わり者だということは聞き及んでいたのだろうが、想像以上だったらしい。明らかに引いている様子である。「おっかないな」と呟き、了承を得ることも無く黄櫨の隣に座った。そして、石の敷き詰められた静かな庭を眺める。
「随分、様変わりしたな。前はもっと薔薇とか色々咲いてただろ?」
「前の庭を見たことがあるの?」
「ああ、一度だけな。君がまだここにいない頃、陛下と訪れたことがあるんだ」
「え? ヘイヤ達とも会ってたってこと?」
「……常盤とは会ったが、ヘイヤは国交に興味がないとかで、いなかったな。今日は真面目に参加していて驚いたぜ」
(女王を無視するなんて……ヘイヤなら、やりかねない)
黄櫨にはその様子がありありと浮かんだ。
カポン、と鹿威しの音が響く。
「俺は、前の庭の方が好きだったな」
「そう」
「……庭だけじゃなく街並みも、国名まで変わるなんて、何があったんだ?」
「ヘイヤの気まぐれだよ」
その気まぐれの裏に、異世界人の存在があるとは言えなかった。異世界人に対して悪感情を抱いている彼に、ミツキのことを話すべきではない。しかし話は嫌な方向に進んでいく。
「俺の国も、最近変わった。全部あの異世界人の所為だ」
黄櫨は何も答えない。動揺してはいけない、悟られてはいけないのだ。ポーカーフェイスには自信があった。
「あの男が来てから全てが狂いだした。なあ、もし君達が異世界人を匿っているんだとしたら、気を付けた方がいい」
「……気を付けるって?」
「奴らは呪われた存在だ。必ず何か悪い事を引き起こす。取り返しが付かなくなる前に手を打つべきだ」
「手を打つって」
その時、離れた場所で戸が小さな音を立てた。そこには、障子の隙間からこちらを覗いている赤い瞳。
(なんでミツキがここに?)
今日明日は部屋から極力出ないように伝えてあった筈だが――いや、彼女が言うことを聞かず人目を忍んで出てきた可能性は大いにあった。ヘイヤの影響なのか、彼女本来の気質なのか、ミツキは意外と好奇心旺盛なのである。
ミツキは会話を聞いてしまったのか、ただ知らない人物に人見知りしたのか、慌てた様子で逃げて行った。黄櫨は恐る恐るジャックを見上げる。彼は暗く冷たい目で、少しだけ開いたその戸を睨んでいた。
ジャックは少女の存在に気付いたのだろう。もしかすると、その正体にも勘付いているかもしれない。
黄櫨は彼がミツキに何かするのではないかと思い、焦ってその腕を掴む。
「待って、違うんだ。あの子は……」
否定すればする程、怪しくなる。言葉に詰まる黄櫨に、ジャックは困ったように眉を下げて「そうか」と小さな頭をぽんぽん撫でた。
翌日。ジャックは黄櫨に「気を付けろよ」と言い残し、仲間と共に国へ帰って行った。ミツキはと言えば、いつもと変わらない様子で、あの時の会話を聞いていたのかどうかは分からなかった。
*
女王の国の異世界人の悪評が広まっても、ミツキの立場が悪くなることはなかった。それは、彼女がヘイヤや常盤の庇護下に置かれていたことが一番の理由だが、それだけではない。ミツキが純粋でか弱い少女だからだ。誰もがつい世話を焼きたくなるような、放っておけないところがあった。
――しかしあることをきっかけに、人々はミツキに不信感を募らせるようになる。
それは、城下の鳥鳴街で発生した病だった。発症者は一晩で髪から色が抜け落ち、瞳が赤く染まる。十日ばかり熱で苦しんだ後、最後は全身に火傷が生じ死に至る。前代未聞のその恐ろしい病は、症状である白い髪と火傷から“白火病”と名付けられた。
嘉月会は病原体の究明、対策に努めるも、まだ具体的な手立てを見つけられずにいる。病は経口感染でも空気感染でもなく“夢”から感染するらしい、と分かっていた。発症者は必ず共通の夢――密室に閉じ込められ、生きたまま焼かれる恐ろしい悪夢を見ている。そして夢を見た次の日には、見た目が変わってしまっているのだ。
発症後の髪と瞳の色が、不幸にもミツキと似通っていたことで、病は異世界人の呪いではないかと言い出す者達が出始めた。最初の一人は、妻を白火病に奪われた大臣だ。ヘイヤは妄言だと一蹴し、彼らの口を封じたが、一度出た言葉が消えてなくなることは無い。ミツキを知る人々の中で、これまで漠然と抱えていた不安が、その時から言葉を得て形になってしまった。
異世界人は不幸を呼び込む、不吉な存在であると。
ミツキは周囲の空気を察し、殆ど自室から出なくなってしまった。ヘイヤも白火病の治療薬開発のため、研究室に籠りきりになっている。
ヘイヤを突き動かすものは、国民を救いたいなどという大層な正義感ではないだろう。未知の病への好奇心でもない。彼はただミツキを守りたいのだ。黄櫨はミツキのことは勿論、命を削るように研究に没頭するヘイヤも心配だった。
(ヘイヤ、大丈夫かな。入ってもいいかな?)
黄櫨は研究室の扉に、そっと耳を寄せる。丁度その時、扉が開いた。
「黄櫨……何か用か?」
出て来たのは常盤だった。普段から明るいとは言えない彼だが、普段より暗い。顔には疲れが滲んでいた。
今、永白で問題になっているのは白火病だけではない。病の出現とほぼ同時期から、バグの発生頻度も増えていた。常盤はその対応に追われながらも、時間を見つけてヘイヤを手伝っている。
「常盤、戻ってたんだね。おかえり。発症者の情報をまとめた資料、持って来たんだ。ヘイヤは?」
「今は話しかけない方がいい」
「そう、みたいだね」
部屋の奥、頭を掻きむしるヘイヤの後ろ姿を見て、黄櫨は声を潜めた。
黄櫨と常盤はそっとその場を離れ、どちらからともなく庭へと向かう。無人の庭には、真っ赤な野点傘が寂しそうに立っていた。二人は縁台に積もった埃を払い、座る。最後にお茶会をしたのが随分昔のことに思えた。
「薬は出来そう?」
「……まだ時間がかかりそうだ」
白火病は夢から感染する。夢は疑似現実である。通常は現実世界の比重が大きく、夢の出来事は現実に打ち消されてしまうが、感染者はそれが逆転しているのではないか、というのが常盤達の見立てだ。現実よりも鮮明で恐ろしい夢が、感染者の心を蝕み、体を焼く。嘉月会で開発中の薬は、“目覚め薬”。人を夢から切り離す薬である。
「そっか。……ミツキは大丈夫かな。ラファルに聞いたけど、あまり食事も摂らないんだって。何でこんなことになったんだろう。病気とミツキには、何の関係もないのに」
黄櫨の言葉に、常盤は肯定も否定もしなかった。黄櫨はそれに嫌な予感を覚える。常盤はミツキが原因だと思っているのだろうか? 何か、知っているのだろうか?
しかし、それに踏み込むことが出来ない。その躊躇いこそが、己の中にも疑念がある証だった。
「ヘイヤはあんなに頑張ってるのに、僕は……僕は、ミツキに何をしてあげられるかな」
「ミツキのことが心配なんだな」
それは心優しい少年を憐れみ、慰めるような声だった。そしてどこか他人事である。
「常盤はミツキが心配じゃないの?」
「勿論、心配している」
常盤のそれは、嘘ではないが本当でもないと、黄櫨は感じた。彼は今の状況に妙に落ち着いている。ヘイヤが耳を切った時や、もっと些細な事をしでかした時でさえ感情的になる彼が、ミツキの現状には平常心のまま。
常盤にとってミツキはどういう存在なのだろう?
自分達が驚くほど、大切に丁寧に接してはいなかっただろうか?
黄櫨は、これまで常盤がどんな目でミツキを見ていたのか思い出せなかった。目立つヘイヤの言動に気を取られて、見逃していたのかもしれない。
「心配なら、一緒にミツキの様子を見に行こうよ。常盤が行けばミツキも少しは元気になるかも」
黄櫨はそう言って、彼の翡翠の瞳を探る。「ああ、そうだな」と答える彼は、やはりどこか冷たく感じた。




