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Act9.「出発は明日」

 夕方と夜しかない不思議の国は、日中が短い。大体9時頃に夕方になり、17時頃に夜になる。街で騒ぎが起きた時分はまだ夜が明けて間もなかったが、夢子が診察室を出るともう15時を回っていた。直に夜が訪れる。


 夢子達は今日は嘉月会に一泊し、明日の夜明けにタルジーの森へ出発することとなった。夢子はあのオウム面がいる場所に長居はしたくなかったが、呪いを受けた者を街に放つことは出来ないと言われてしまえば、どうしようもない。出来るだけ大人しくしていようと、モスと出会った広間で過ごしていた。


 ソファに座り、水槽の金魚をのんびり眺める。ギラギラの照明や派手な内装は、見慣れれば中々に趣があった。


 夢子の向かいの席では、常盤が永白の天候記録や街の巡回報告書に目を通している。この異変の予兆や原因を探っているようだ。その隣では、黄櫨が静かに本を読んでいた。


 ジャックは、外で待機している騎士達と明日の打ち合わせをするために席を外している。モスもまた、会長代理の務めがあるらしく、少し前に部下達に引き摺られて行ってしまった。

 

 今この場所にいるのは、夢子達三人の他に狸面と、更に二人のお面の男女。二人は狸面が連れて来た明日の同行人である。優しげな羊面の男と、獰猛な狼面の女だ。


 時折鼻歌を歌い、冗談を飛ばす狸面とは対照的に、その二人は一言も話さない。ここにいる理由は、友好を深めるためではなく夢子達の監視なのだろう。


「あの、どうしてお面を付けてるんですか?」

 夢子は金魚を眺めるのも飽きてきて、気になっていたことを訊いてみた。


「都合が良いからですよお。正体を知られない方が、恨みも買いませんからねえ」

(そっか。自警団なら、ならず者から恨みを買うこともあるんだろうな。……わたしみたいな冤罪者からも)


「顔は個性。僕らは無個性の群れ。姿を隠して心を殺す……闇に生きる者の悲しいサダメなんですよう。……なあんて、カッコつけ過ぎですかねえ! ははは」

 カラカラと笑う狸面。冗談なのか、冗談にしてしまいたい本音なのか判別がつかず、夢子は反応に困った。


「……無個性には、思えないですけどね」

 狸面も、先程のオウム面も、喋り方や笑い方にかなり特徴がある。彼らは本当に個性を隠す気があるのだろうか?


「そいつらの面に深い意味はない。単なる趣味だ」

 常盤が口を挟む。手元の書類に集中しているように見えたが、二人の会話をしっかり聞いていたのだろう。


「趣味、ですか」

「まあ、それが一番ですかねえ。僕らのボスは“こういうテイスト”がお好きなんですよう」

(ボス……モスさんのことじゃなくて、ヘイヤさんのことかな?)


 狸の言う“こういうテイスト”が、永白を彩るド派手で胡散臭い和を指しているのなら、ヘイヤは相当に癖の強い人物なのかもしれない。オウムと言いモスと言いこの狸と言い、嘉月会は変わり者の集まりのようだ。


 ――ヘイヤ。アリスネームは三月ウサギ。嘉月会の会長で、現在行方不明。

 夢子は、自分達が探そうとしているのがどういう人物なのか気になった。


 訊いてみようかな? と口を開きかけた時、狸面が愛想よく「お帰りなさあーい」と言った。ジャックが戻って来たのだ。夢子も「お帰りなさい」と言い、自分の隣にスペースを空けて座り直す。

 ジャックは軽く返事をしてそこに収まると、狸面に差し出された湯呑を受け取った。お茶を一口含み「渋い」と顔を顰める。


「はい、お水もあるよ。騎士の皆さんは大丈夫だった?」

「あいつらは問題ない。明日の出発まで、宿で休んでおくように言っておいた」

「すみませんねえ、本部にご招待できなくて。よその人をあんまり大勢招くと、監視が大変なもので」


 やはり狸面も、ここにいるのは監視目的だったらしい。

 言われなくても分かってる、という顔でジャックは聞き流した。


「ここへ戻る途中、街で暴動を起こした連中が意識を取り戻したっていうから、モスの取り調べに付き合って来たんだが……奴ら、何も覚えてなかったぜ。自分が何をしたのか、どうして拘束されているのか、さっぱり分かっていない顔だった」

「何も? ただの酔っ払い、って感じじゃ無かったよね」

「ああ。酒は入ってたみたいだが、あの様子は尋常じゃない。酔ってるというよりは狂ってたな」


 夢子の脳裏に暴漢達の姿が蘇る。自我も痛みも恐怖も手放し暴れ狂う彼らは、狂戦士であり生けるゾンビのようだった。


「どうしてあんな状態に? 元は普通の人達だったの?」

「あの酒場の常連で、素行もまともな一般人だったらしい。事件の前も特に目立った行動はしていなかったようだが……妙なんだよな」

「何が?」

「暴れた奴ら全員が、同じような供述をした。覚えている最後の記憶では、“誰か”と話をしていたって言うんだ」


 ジャックの話によると、狂暴化した男は五人。全員が夜明け前から酒場におり、各々酒を楽しんでいた。そして、ある人物と対話をしたという。


 その人物が誰かを問うと、五人はそれぞれ別の者を挙げた。


 ある者は友人を。ある者は妻を。ある者は亡き恋人を。その時の様子を思い出して話す彼らは『裏切られた』『馬鹿にしやがって』『殺される』と気が気ではなかったらしい。


「だが実際、店にその相手は来ていなかったそうだ」

「夢か幻覚を見たとか?」

「さあな。だが、他の客は奴らが誰かと話をしているのは見ていたらしい。その誰かについては、恐らく男だろう、ってくらいしか情報が無いがな」


「なるほどなるほど~。つまり目立たない“無個性”だったという訳ですねえ。はい、夢子さん! それはどんな男だったと思いますかあ?」


 突然狸に名指しされ、夢子は「え」と詰まる。


 誰の印象にも残っていない、目立たない人物。

 狸がわざとらしく、先程も口にした“無個性”という言葉を強調したことで、ピンときた。つまりその人物は狸達のように……


「顔を隠してたんですかね? でもお面だったら、酒場の人達は嘉月会の一員だって思う筈。じゃあ……フードを被っていた、とか?」

 知り合いの姿を偽る、正体の分からない人物。橙の姿で夢子の前に現れたフードの男と同じである。五人の男達の前にも心揺さぶる姿で現れて、何かを仕掛けたのだろうか。


「同一犯かは分からないが、可能性は高いだろうな。モスの見解では、あいつらも鏡の呪いを受けて気を狂わせたんじゃないかって話だぜ。弱い呪いなのか、サイレンは鳴らなかったみたいだけどな」


(つまり……わたしの呪いの方が強力だってことだよね)

 夢子は知れば知るほど、フードの男の目的は最初から自分であったようにしか思えなかった。弱い呪いで騒ぎを起こし、隙を作って仲間から引き離し、強力な呪いをかける。計画的な犯行だ。衝動的な愉快犯の方がいくらかマシである。自分もあの男達のように狂う可能性があるのか、と思うと恐ろしい。


「鏡の呪いって一体何なの? 鏡ってどんな存在なの?」

「あー……それな」

 夢子の問いに、ジャックは困ったように頭を掻いた。面倒なのか、説明が苦手なのか、曖昧にはぐらかそうとする。見かねた常盤が代わりに説明しようとした時、狸面がズバッと挙手して「ハイ! 鏡っていうのはですねえ、」と話し始めた。



 ――鏡とは時間と同じく、世界を世界たらしめる重要なファクター(因子)の一つ。混沌の世界で、可視世界と不可視世界の境界を生み、内と外を隔て区別するものである。しかしそこに映るものが現実とは限らない。


 鏡は時に現実を捻じ曲げる。人の感情を拡大、縮小する。人の内面や望みを映し出す。不可視世界と可視世界を入れ替える。


 人の意識エネルギーを受けて、作用するものが鏡なのだ。


 また、鏡は反射率が高い程にその力を増す。そのため、鏡の力を恐れた人々の暮らしから“よく見える”鏡は消え、表面に着色加工や傷を付けたものが使われるようになった。



「……とのことですよう」


「人の感情を拡大、縮小……? つまり、感情がコントロールできなくなるってことですか?」

「そういうことですねえ。思い当たることはありませんかあ?」

 狸面に問われ、夢子は直近の出来事を振り返ってみる。オウム面達に追われていた時は、恐怖で気が動転していたかもしれない。


「うーん……どうでしょう。それにしても、鏡って恐ろしいものなんですね」

「昔々は、大人しいただの道具だったらしいんですけどねえ。いつから狂ってしまったのやら。時間くんさんと違って、個の人格は無い筈なんですけどねえ」

(時間くんさん……)

 間抜けな呼び方に、夢子は少し気がほぐれる。狸面は説明を終えると、自慢げに「ふふん」と鼻を鳴らして、常盤の方を見た。


「常盤さん、僕の説明はどうでしたかあ? ちゃあんと勉強してるでしょう? 何点ですかあ?」

「……七十点」

「ええ? マイナス三十点はどこですかあ?」

「まず喋り方が気に入らない」

「ひどおっ!」

 狸面が胸に手を当てのけ反り、大袈裟にショックを受けたポーズをとる。夢子は小さく笑った。常盤の狸面に対する態度はモスの時と違って、どこか自然である。顔馴染みなのかもしれない。


「あとは、鏡への対策が入っていなかったところだな」

「対策、ですか?」

 夢子は説明を請うように首を傾げる。


「ああ。そいつの説明にあったように、鏡は人の意識を受けて作用するただの“触媒”だ。映すものが無ければ何もできない。だから一番の対策は、できるだけ感情を乱さず冷静でいることだ。それから、疑うこと。鏡は偽りの現実で惑わせてくる。少しでも違和感を覚えたら、目の前の物を疑うようにした方がいい」


 冷静でいること。疑うこと。夢子は自分のことを落ち着きのある方で、騙されやすいタイプではないと自負しているが、予測不能なこの世界ではどうなるか分からない。自信なさげに「善処します」と言った。


「黄櫨さあん。黄櫨さんは何点くれますかあ?」

 狸面は、今度は黄櫨に採点を求めている。黄櫨は本から顔を上げ、暫く無言でじっと彼を見つめると、


「……ところてん」


 とポツリと言った。

 

 狸面と夢子が吹き出すのは同時だった。夢子がそこまで笑うのが意外だったのか、常盤とジャックは目を丸くする。黄櫨は少し照れたようにマフラーに顔を埋めた。


 夢子は見られていることが恥ずかしく、急いで笑いを落ち着かせると、震えの残る声で尋ねる。


「ふふっ……常盤さんと黄櫨くん、この方とは以前からのお知り合いなんですか?」

「僕の事は“狸”でいいですよお。はい、お知り合いなんですう。この方々は以前、嘉月会の幹部だったんですもん。ねえ?」

「へぇ~……幹部?」

 夢子は真面目な常盤達が、まさかこの怪しげな組織の中枢にいたとは思ってもみなかった。二人が否定しないということは事実なのだろう。ジャックはどうやら知っていたらしい。


「じゃあモスさんとも親しかったんですか?」

「いや。私達がいた頃、まだモスはここにいなかった。どこにも定住せずふらふら放浪していたあいつが、何故副会長なんだ?」

「数年前にふら~っと永白にやって来ましてねえ。僕はヤバイ奴だなあと思ったんですが、ヘイヤさんとは気が合ったらしいんですよねえ」


 ヘイヤ。夢子はその名に、先ほど質問しそびれていたことを思い出した。


「あの、ヘイヤさんってどんな方なんですか?」


 夢子が言い終えるか終えない内に、カタ、と硬い音が響く。黄櫨がテーブルに湯呑を置いただけだが、夢子は何故か気になってそちらを見た。


 少年の顔は、恐ろしい程に無である。それもいつもの穏やかな無ではなく、張り詰めた無だ。

 夢子はここに来る馬車の中で、三月ウサギについて黄櫨に尋ねた時の事を思い出した。


(……黄櫨くんはきっと、ヘイヤさんと何かあったんだ)


 常盤は黄櫨に気遣うような目を向けている。狸はそんな彼らの様子に気付いているのかいないのか「ヘイヤさんは面白い人ですよう! 我が道を行く変わり者。誰も敵わない天才魔術師で、研究熱心で、とっても美人。……あ、男性ですけどねえ」とペラペラ捲し立てた。

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