87.嫌な予感
憂いの減ったクレアは満足そうにスコップを持って土を見つめ、頷いた。準備万端という様子である。
柔らかそうな土を見ながらリヒトも「シャルロッテに分けて欲しいのだがいいか?」とクレアに問いかける。「構わないよ」とクレアもまた頷いた。
今頃から育てるのが適切な薬草。それは冬場に流行りやすい病の症状を抑える効果があり、またクレアが作りたい魔法薬の材料でもあるので多目に栽培されることになった。
畑の中央にある装置は魔力を注ぐと回転して自動で水を撒くようになっている。便利だと瞳を輝かせた庭師の男は、けれどすぐに実用を諦めた。ある程度の実力がなければ、離れた位置の魔石に魔力を注ぐのは難しいのである。
「まぁ、私のこれは道楽のようなものだからな」
「益を齎している以上、それに収まるかは微妙だけどな」
「そんなもの副産物に過ぎない。いや、せっかく基本的に穏やかな暮らしをさせてもらっているんだ。不利益を起こすことは避けたいが」
クレアは果物を甘くしたり、飢えるのが嫌なのでその原因に対してある程度対応ができるようにしたりと割と自分の好きに研究をしている。並行して便利魔導具なんかも作っているが、それは自分自身の生活を楽にするという点に特化している。引退暮らしとしてはそこそこ上手くやっていると彼女自身はそう思っている。
その成果が役に立つと国に認められて「爵位与えたいなぁ」とか思われているのはまた別の話である。
「そういえば、東のゼーン皇国の動きが怪しいようだが、話は聞いているか?」
「いや、知らないな。個人的にあの国は好きではないが……」
「クレアがそう言うのは珍しいな」
そう言うリヒトに対してクレアは苦々しいといった表情で「面倒な魔導師が二人ほど居てな」とだけ答えた。
「旅をしていれば好ましい者との出会いもあれば、嫌なやつと出会うこともあるさ。そして、それによって国への好感度が決まることだってないわけじゃない」
それほどにクレアが嫌がるなんて、といっそどんな人物か少し気にかかるリヒト。クレアが嫌がる人間など、あの勇者一行と名乗っていた者たちくらいなのだろうと思っていたからなおさらだ。面倒ごとを避けたいと思うのなら尚のこと、調べておいた方がいい気がした。
「他にも何か情報はあるか?」
「私から聞いてもあまり良いことは言えない。私のような人間から聞くよりも、もっと平等な者を探したほうがいいと思う」
肩を竦めてそう言う彼女にリヒトは苦笑して頷いた。
今になって旅した頃に良い感情を抱けなかった国の話題が出るなんて、とクレアは少し難しい顔をする。
「何も起こらなければいいが」
そう呟いた後、それでも彼女は顔を上げた。
(師がいるのだから、面倒にはなっても最悪にはならないだろう)
クレアはマーリンのことを厄介な人だとは思っていたけれど、それでも彼女にとってマーリンとは幼い時より自分を守ってくれる保護者の一人だった。そして、何かあれば速やかにどうにかする相談ができるのも今となってはありがたくも思う。
なので旅をしている時のかつてのクレアよりもだいぶ楽観的であるのは仕方のない話である。




