生きてっ
それからの時間が過ぎるのは、とてつもなくあっという間だった。
でも僕はそんなあっという間な時間を大切に過ごした。
そして大事に大事に記憶の中へとしまうことにした。
こんなにも暖かくて儚い記憶なんか、ふとした瞬間に忘れてしまいそうだから。
僕はこの記憶は忘れたくないと思ったから。
初めて知った。
こんなにも何気ない、何の変哲もない、ただのいつもの一般的な日々が、時間が、こんなにも大切だったなんて。
今までの日々も、もっと大切に生きておけばよかった。
そんな後悔の念がないというわけではないんだけど、でもなぜだか、それでよかった…と思えてしまう自分もいた。
やっぱりなんだか不思議だな、こういうところって。
…なんで人って、こんなにも弱く、脆く、儚い存在なんだろうな。
「星斗っ」
コンビニ横を通りかかったとき、水樹にそう言って呼び止められてしまった。
だいぶ日が傾いてきて、あんなにも青かった空は今ではもうきれいなオレンジ色に染まっている。
家と家の間から見えるおぼろげな大きな夕日は、僕と水樹の周りの空気を温かく、優しく包み込んでくれていた。
そんな今日の夕日を、じっくりと堪能しているときだった。
僕は慌てているのを隠しつつ、できるだけ平静を装って言う。
「どしたの?水樹」
「えへへっ。ちょっとね…。なんだか星斗とお話ししたくなっちゃって。…今、ダメだった?」
水樹がそうやってはにかみ笑いでそんなことを言うから、ちょっと焦っちゃったじゃんか。…バカ。
「べっ、別にっ…いい、け…ど」
「そっかっ。だったらよかった」
「…で、お話って、なに?水樹」
僕はなかば無理やり本題へと入らせることにする。
「そういえばさ、私、昨日星斗のことを何で助けたのか、言ってなかったよね?」
「ん?うん。そういえば聞いてなかったね」
「…んふふっ。…聞きたい?」
「…まあ。そりゃ…」
「…じゃあ。教えてあげよう。星斗には特別に…」
「…?うん」
水樹は少し恥ずかしそうに微笑みながら、彼女にしては珍しく大きめの声で、僕に向かって真っすぐに言った。
僕をじいっと見つめてくる彼女の目からは、まっすぐな意志が感じられた。
「私は星斗に、元気に笑っていてほしかったから。けがをさせたくなかったから。ずっと元気に生きてほしかったからっ」
いつの間にか彼女の眼は湿っていた。
それでも彼女は、自分の意志を僕に伝えてきた。
「私なんかより星斗の方が、存在する価値があるから。星斗にはもっと、この世界を楽しんでもらいたいから。私を大切に思っている人より星斗を大切に思っている人の方が多いから。それに…それになにより、私が星斗に生きてほしかったからっ」
「そっ、そんなことっ…」
僕は何とか反論しようとしたが、彼女にさえぎられてしまった。
「だって私はっ…私は星斗のことが何よりも、この世界よりも大切だからっ。…だから私は、自分の意志で、星斗のことを助けたいから助けたんだよ。守りたいから守ったんだよ」
だ、だからって自分を犠牲にしてでも僕のことを…。
「だからさ、星斗。…生きてっ」
生きる。
僕は、彼女のためにも、助けてくれたことを無駄にしないためにも、生きて生きて生き続けなければならないのか?
例え、どんなことがあっても…か?
「どんな時でも、踏み出した先に光はあるから。生きていなきゃ、その光にはたどり着けないから。死んだら、すべてが終わりなんだから…。
…だから、何があってもあきらめないで、前を向いて歩き続けてよ、星斗」
でもそれは、水樹にだって言えることなんじゃないか?
やっと発言の自由をあたえられたらしい僕は、思い切って口を開く。
「それは…水樹に対しての僕の思いも同じだっ」
「…?星、斗…」
「僕も、水樹に元気に笑っていてほしいし、けがをさせたくないし、元気に笑って生きてほしいっ。僕なんかよりも水樹の方が存在する価値あるし、水樹にももっとこの世界を楽しんでもらいたいし、僕を大切に思っている人より水樹を大切に思っている人の方が多いし。それに…それに何より、僕も水樹に生きてほしかったんだからっ」
「…っ」
「だって僕はっ、僕は水樹のことが何よりも、この世界よりも大切だからっ。…だから僕は、自分の意志で水樹のことを助けたいし、守りたいんだよ」
「まっ…星、斗…」
「だからさ、水樹。…生きてっ」
「ほっ…星、斗…っ」
「どんなときでも、踏み出した先に光はあるから。生きていなきゃ、その先にはたどり着けないから。死んだら、すべてが終わりなんだから…。
…だから、何があってもあきらめないで、前を向いて歩き続けてよ、水樹」
「ほっ、星斗っ。ちょ、ちょっと待ってよっ」
「み、水樹…。どうした?」
「わっ、私のセリフ、そっくりそのまま言わないでよ、恥ずかしいから」
「…ごめん、冗談のつもりで言ったんじゃないんだ」
「…じゃ、じゃあ、本気…なの?」
「…そうだ。僕も水樹と同じ気持ちなんだよ。こういう風に思っているのは水樹だけじゃないんだよっ。少しはわかってよ…」
「…ごめ、ん…なさ、い…。
…っていうか、人の言葉を無許可で使用するなんてありえないんだからぁっ」
「っ。…それはほんと、ごめん。でも僕は水樹に知ってほしかったんだよ、二人ともが同じ気持ちなんだってことを」
「…そっ、か…。なんだか星斗にそういう風に思ってもらえているなんて、嬉しいな」
まぶしくなるほどの満面の笑みだった。
その笑顔の裏では、本当に、純粋に、嬉しいというような気持ちしかなくて、明日、自分の人生が終わるなんてことは想像なんかしていないんだろうな。
あまりのまぶしさに、僕はできるだけ自然な感じになるように目を閉じて、言った。
「ありがと、水樹。僕も水樹にあんな風に思えてもらえているなんて、嬉しいよ」
生暖かい夕方の風が僕たちの間を通り抜け、僕たちの髪の毛や服の裾を少しだけ弄んだら通り過ぎて行った。
まるで「これは人生の中ではほんの一瞬の出来事だ」とでも言うかのように。
そこに残った面影からは、謎の喪失感と失望感を感じさせた。
僕はさっきまでの一瞬の出来事は、心のカメラのフィルムに焼き付けて「思い出」という名のアルバムの中の一ページに張り付けた。
なんだか、幻想的で、今にも消えてしまいそうだったから。
絶対に忘れたくなんか、ない。そう強く思ったから。
「星斗っ」
「?なに?」
「夕日がきれいね」
見ると夕日が、ちょうど沈んでいく最中だった。
まだまだ、まだまだ、と最後まで全力で光り輝こうとしているかのように、その夕日は強い光を放っていた。
最後の最後まで、余すことなく、輝き続ける。
それはまるで、この世界に生を受けた生物たちの命のようだ。
もうすぐ死ぬと分かっている死に間際のとき、その命は最大限に輝くのだろうか。
そんな命を、僕は不覚にも「儚い。でも、美しい」と思ってしまった自分がいた。
「生」と「死」。それは、この世界の絶対的なルールだ。
「生」があるから「死」がある。「死」があるから「生」がある。
このルールは、絶対に覆すことはできない。
なんか嫌だな…。
不覚にも、そう思ってしまっている自分がいる。
でも、なぜだろう。
それでもこんな世界が、愛おしくて愛おしくてしょうがないと思ってしまうのは。
…その答えが、きっと、この世に生物が誕生した理由…なんだろうな。
僕は、もう沈んでしまった夕陽を見て言った。
「…うん。そうだね、水樹」
隣から、なんだかほのかにうれしそうな声が聞こえてきた。




