君にしか言えない感情
振り返ると、僕の服の裾を右手できゅっと掴み、僕の方をじっと見つめている星斗がいた。
僕は案の定、驚いた。
それと同時に、疑問にも思った。
なぜ彼は突然、こんなにもあからさまに態度が変わったのか。
なぜ彼は今まで、あんな態度をとっていたのか。
なぜ彼は、しかも今、突然呼び止めてきたのか。
その答えは、あまりにも簡単すぎた。考えれば、すぐに分かった。
僕は予想を確証に変えるため、コンビニの側壁面を見た。
そこに人の気配はなかった。
…なるほどな。さすがは星斗だ。
じゃあさっきまでの態度は、演技だったのか…。
こいつにはなんだか、敵わないな…。
お前は僕の、想像以上の人だった。
ついさっきまで想像以下の人だと思ってしまっていた自分を許してほしい。
僕はつくづく、生き残るのが星斗でよかったと思った。
僕はできる限りの平静を装って、口を開いた。
「…ど、どうしたんだ?星斗。急に僕のことを止めてきて…」
慌てて前を向き、そう言った。
僕がそう言うと、彼はしばしの間口をつぐみ、影を落としていたが、少しすると、決心がついたかのように口を開いた。
「…さっきの…話の続き、です…」
「…」
僕は黙って聞いてみることにした。
僕には星斗の気持ちがわかるわけでもなければ、考えていることがわかるわけでもない。
結局のところ、本人の気持ちは伝えられるまで、本人以外の人にはわからない。
だから、人と人はこうやって、お互いにコミュニケーションを取り合うんだ。
「…あの、情さんは「あの行為をすると、精霊使いが存在や痕跡ごと消えてなくなってしまう」と知った時、まずはじめにどう思いましたか?」
「…」
僕はその質問に対して、あえて「黙秘」で答えた。
最初に知ったのは幼いころだったからか、その時は「ふーん…」で思考は止まっていた。
正直なところ、賛成はしていなかった。
ただ「もう決まってしまったものなのだから、仕方がない。いまさら、どうすることもできない」と思ってしまっていた。
それに「他人のことなんだから、どうでもいい」と思っていたころもあったのかもしれない。
「…僕は…少なくとも僕は…賛成なんてするわけがありません。全力で反対してみせます。…僕は、このままみんなが目の前で消えてしまうような結末が訪れてしまうのは嫌です。まんまと精華と言う人の思うつぼにされてしまうのは嫌です。
お願いしますっ。なんでも、どんなことでもいいんですっ。なにか…何か対抗策はないんですかっ?あるのなら僕に教えてください。
…どうか…どうか、お願いしますっ」
星斗の僕の裾をさっきよりもずっと強くつかむ手は、少しばかり湿っているように見えた。
よく見ると震えていて、その振動が僕の服の裾にも伝わってきている。
彼の心理状態を察した僕は、あえて彼の顔を見ずに言った。
「…すまん。分からない。何か対抗策があるのなら、逆に僕が知りたいし、事前に知っていたとすれば、もうとっくに手は打っている」
「…そう、です、か…」
本当に、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
彼が湿った手でつかんでいる僕の服の裾あたりが、じわっと湿っていくのを、僕は敏感にも感じ取ってしまう。
「ぐすんっ…ひっく…」という喘ぎ声には気づいていたくはなかったのだが、気づいてしまったものにはしょうがない。
僕はそうやって自分で自分をなだめつつ、自分の中に言い訳をつくって、やっとの思いでしっかりと彼の方を振り向いた。
背格好こそ同じくらいではあるが、本来の年齢では、僕と彼だとだいぶ違ってきてしまう。
それでも僕は、今だけは、彼の友人ではあろうと思った。
僕は彼にやさしく微笑みかけ、そっと頭を撫でてやった。
「よしよし、星斗くん。元気を出せーっなのだっ」
「なんですか、それ。なんだか気持ちが悪いです。冷やかしはやめてください」
僕は〝情くんバージョン〟で慰めてやったら、そう拗ねて悪態をつかれてしまった。
〝情くんバージョン〟での慰めを渋々あきらめた僕は、仕方ないから今度は〝ノーマルバージョン〟での僕で慰めてやることにした。
「冷やかしなんかじゃねーよ。もちろん本心からの言葉だ。…もう、お前も男なんだからさ、いい加減泣くなよ…な…」
気づけば、僕の目からも涙が溢れ落ちていた。
まさか、この僕が泣くなんて…と、明らかに僕の目から流れ落ちている生暖かい水滴を見て思ってしまった。
そのことに気づいてしまった星斗は、僕の様子を見るなり、泣きながらこう言った。
「…情けないですね、情さん。あなたは僕なんかよりもずっと年上なのでしょう?」
「…う、うるさい。僕はもう、年を取りすぎてしまったのだから、仕方がないだろう?」
「…クス…そうですね、おじいさん」
「…はは…おじいさんは反則だろ…」
二人で軽く笑いあった。
そして僕は、軽く両手を広げて、優しく言った。
「そんなおじいさんでいいなら…おいで…」
彼は少しばかり驚いているような表情を見せたが、その後、静かにゆっくりとうなずいてから、言った。
彼は年齢以上にしっかりとしているところはあるが、それでも彼はまだ一〇歳だ。
一〇歳ならば、まだまだ親に甘えてもいい時期だ。
でも、そんなに親に甘える時間を、僕たちは彼から奪ってしまっている。
そんな彼に、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
だから、こんなことしか僕はできないけれど、それでも彼の心の穴を少しでも埋めてやることができたらと僕は思う。
「そんなおじいさんですが、仕方がないので許します…」
彼が僕と同じように軽く両手を広げて、ゆっくりと僕の方に近づいてきたので、それに合わせるようにして僕も彼の方に近づいていく。
腕と腕が触れ合える距離のところまで来たとき、お互いがお互いを距離〇メートルのところまで抱き寄せた。
僕が優しく彼を抱きしめると、彼も優しく抱きしめてくれた。
とても暖かくて、どこか強さもある腕だった。
僕は大人げなく、その優しさに、少しの間だけ甘えることにした。
いつの間にか、ついさっきまでそこにいた、天候の悪化を伝えた黒雲が嘘のように、空は青く、どこまでも青く澄み切っている。
昼の太陽は、一〇五度の角度から僕と彼のことを優しく見守り、舞台上のスポットライトのように温かく照らし出してくれている。
どこか優しい温かさのある午後の空気は、僕の中の時間という概念を少しっずつ奪い取っていく。
ここは、僕と彼の、二人だけの世界。
そう錯覚してしまうほどの静けさだった。
いつまでも二人だけでこうしていたい。
そう望んでしまうほど、現実に目を覚まされたくなかった。
数百年生きてきた中で初めてできた唯一の、年の離れすぎた友人。
この腕の中にあるぬくもりを、いつまでも守ってゆきたい。
そう思ってしまうほどに彼のことが自分にとって特別で、何よりも大切だった。
そして、この出会いに感謝をした。
もし本当にこの世界に神様がいるのだとしたら、全力で手を合わせたい。
どこまでも静かで落ち着いていて、かつ温かいこの時間を突き破ることで無理やり終わらせてしまったのは、迂闊にも、僕の腹の虫の空腹を訴え続ける音だった。
その音の性で僕とほいとは現実に戻され、時間という概念を思い出し、同時におなかがすいていたことも思い出してしまった。
僕たちは一瞬で抱き合うのをやめ、思わず2人そろって僕のおなかに目を向けてしまった。
それにお互いが気付いたと知ると、僕たちは顔を見合わせ「ぷっ」と二人同時に吹き出してしまった。
その時の星斗はこう言った。
「情さ~ん、雰囲気ぶち壊しですよぉ。も~う」
その言葉に僕はこう返した。
「星斗くぅ~ん、ごぉめんなさいなぁのだ~ぁ」
彼ははぁ~…と大きくため息をつくと、先頭だって歩き出した。
そんな様子に僕は不思議そうにすると、星斗くんは仕方なさそうに、僕のためにわざわざ言ってくれた。
「お昼ご飯食べに行きましょう、情さんっ」
僕はそんな星斗くんの提案に賛成しつつ、感謝した。
「はーいなのだっ。恩に着させてもらうのだっ」
僕は上機嫌で星斗くんについて行くことにした。
ああ、星斗でよかった。
僕は心の底からそう思った。




