浬、改めて決心する
嵐が過ぎ去り、俺は全身の力が抜けて地面に尻をつけた。そのまま失禁しそうであった。そんじょそこらの猛獣が可愛く思えるレベルだ。
「大丈夫か、浬。まったく、無茶が過ぎるぞ。千年妖狐はかの有名な酒吞童子や八咫烏並みの妖力を発揮することもあるという。人間を骨も残さず燃やし尽くすぐらいはやってのけるのじゃ」
「マジかよ。異世界転生したチート主人公じゃあるまいし」
冗談をかましたが、本当にやばかったんだな。命あるだけでも奇跡ってわけだ。
ずっと空中で拘束されていた美琴もどうにか地上へと帰還する。ボロボロになった上着を腕で隠し、未だ涙目であった。おそらく、最大の被害を受けたのは彼女であろう。
「まったく、ひどい目に遭った。っていうか、今日の私、こんな役回りばっかじゃない」
「美琴もまた色仕掛けを覚えたのか。隅に置けん奴じゃ」
「九割がたあんたのせいじゃないの」
吠え掛かってよーこさんとおにごっこを開始する。境内を全力疾走できるだけの体力が残っているなんて、どんだけ元気なんだよ。
やがて、よーこさんが俺を盾に籠城したことで、追いかけっこは一時中断となった。美琴は執拗に護符を投げ飛ばそうとしていたが、やがて諦めると札をポケットにしまった。
ひと段落したところで、俺はよーこさんへと話を切り出す。
「今回の件で分かったことがあるんだ。俺はよーこさんとの契りを解こうと焦り過ぎていたんだな。相手のことをよく知りもしないで上辺だけで『付き合っている』と言ってもなんら意味がない。よーこさんが俺たち人間のことについて知ろうとしていてまだよく分からないように、俺もよーこさんや美琴についてまだまだ分からないことばかりだ」
葛葉だって表面上はにこやかな好青年だが、まさか性悪の妖怪だったなんて誰が予想できるか。多分、よーこさんにしてみれば、そういうところが「人間というのは面白いのじゃ」ということだろう。
「だから、俺は決めたんだ。心の底から付き合いたいという相手と巡り会ってからよーこさんに紹介する。もう偽りの恋人ごっこは終わりだ」
俺が手を叩くとよーこさんはほほを緩めた。美琴は一瞬物欲しそうな顔をしたが、すぐに首肯するのであった。
「と、いうことで、当面の目標はやっぱ早山奈織だよな。彼女についてもっと知れば、俺にふさわしい嫁だって判明するだろうし」
「やはり根幹は変わっておらんの、浬は。会えるかどうか分からん相手よりもうちがおるじゃろ」
「冗談だろ。俺は妖怪と結婚するつもりなんて微塵もないからな」
「でも、案外お似合いだと思うわよ。浬とよーこさんって似た者同士だし」
「俺とよーこさんのどこが似てるっていうんだよ」
「どこの誰かも分からない相手を理想の相手だと妄信しているところとか、オタクなところとかそっくりじゃない」
ぐぬぬ、どや顔で痛いところを突きやがる。よーこさんは「そうか、お似合いか」と有頂天になっちゃってるし。共通点はあれど、俺はよーこさんほど変態じゃないからな。
「ところでぬしら、大事なことを忘れてはおらんかの」
よーこさんがほほを撫でながら疑問を投げかける。忘れていることなんてあったか。深夜アニメの録画は済ませたし、家に置き忘れているものなんてないぞ。他に忘れ物といえば……。
思考をめぐらせて、ある事実に行き着いた。美琴もまた同じ結論に至ったのか、二人して「あー」と叫ぶ始末だ。そうだ、俺たちの作戦に巻き込んでしまった彼女がいるではないか。時計を確認すると、約束の集合時間まであと数分に迫ろうとしている。
「よーこさん、目的の場所まで一瞬で行けるような扉とか持っていないか」
「縮地術のことかの。八咫烏の一族ならともかく、うちはあいにく使うことはできん」
「陰陽術に期待しても無駄よ。そんなドラえもんの道具みたいなことはできないから」
ならば、素直に走るしかないのか。もうやめて、俺の体力はゼロよ。なんて、冗談をかましている場合ではない。依然として元気な体力お化け二人組に負けじと俺は駆けだすのであった。
待ちぼうけさせてしまった当人は宇迦駅構内の柱時計にもたれかかって本の世界にダイブ中だった。俺たち三人の息切れでようやく現実世界に帰還する辺り、大した集中力だ。
「もう、みなさん遅いですよ。よーこさんが見つかったからいいですけど」
「すまない、瑞稀。合流するのに時間がかかったんだ」
瑞稀にはあらかじめ、「よーこさんが見つかった。約束の時間には遅れるけど一緒に向かう」と連絡しておいた。それでも、三十分近く待たせてしまったのは弁明が立たない。ずっと図書館に放置してしまったうえ、よーこさんを探すのを手伝わせてしまい、彼女には失礼なことを積み重ね過ぎた。ガクドルズの初回生産限定ブルーレイ並みのお詫びをしないと割に合わないな。
ぷんすかと拳を振り上げていた瑞稀だったが、やがて破顔するとよーこさんに向き直った。
「でも、見つかってよかったです。大変な事件に巻き込まれていたならどうしようかと思いました」
「うちは人間に誘拐されるほど軟弱じゃないわい」
的外れな自慢をしたので、俺はよーこさんの後頭部を小突いておいた。瑞稀に迷惑をかけた一件はお前にも責任があるんだからな。
「それに、あんな立派な図書館があると知ることができたのはめっけもんでした。またみんなでお出かけしたいです」
激怒するどころか、目を輝かせてお礼を述べる。女神か、この子は。俺と美琴による浅はかな作戦の一環だったなんてバラすのが申し訳なくなってくる。今後のためにも黙っておいた方がいいだろう。美琴も同意のようで、密かに右手を挙げている。
「もうカラスが鳴く時間じゃな。よいこはおうちに帰るのじゃ。どれ、今日はみんなでお出かけした記念でうちが本気の手料理を振る舞ってやろうかの」
「どうせ和食御膳でしょ。まあ、嫌いじゃないからいいけど」
「いいじゃないですか、美琴さん。私、よーこさんさんが作る料理好きですよ」
「ううむ。料理を褒められるのはうれしいが、よーこさんさんという呼び名はやめるのじゃ」
「冗談ですよ、冗談」
「よっしゃ、みんな帰ろうぜ。今日は走り回ってお腹ペコペコだ」
「どうしてあんたが音頭を取ってるのよ。あれだけパフェを食べたのによく入るわね」
「うちの料理は別腹というわけじゃな。浬よ、ぬしはやはり隅にはおけんの」
「勝手に都合よく解釈するなよ。とにかく、ご飯だ、ご飯。さあ、帰るぞ」
俺の音頭で女性陣は顔を見合わせながら引き続いていく。陽湖荘での賑やかな日々はまだ始まったばかりだ。
これにて第一章終了です。
次回から第二章「小説を書こうぜ!」編が始まります。
第一章はよーこさんと美琴がメインでしたが、二章はあの娘がメインです。誰かは読んでのお楽しみ。