小野塚、鬼軍曹になる
野生のオークが現れた。なんて表現をすると失礼だが、仁王立ちしていたのは、丸々と太った巨漢だったのだ。無精ひげを伸ばし、ポリポリと尻のあたりを掻いている。なんていうか、耳をすませばのバロンじゃない方の猫っぽい人であった。
モンスター、じゃなくて、巨漢の出現に絶句していると、いきなり大あくびをされる。
「お前ら。俺に用があって来たんだろ」
「ど、どうしてそう言い切れるんですか」
文句の一つでもぶつけようと思ったが、つい敬語になってしまった。相撲レスラーが相手なんて聞いてねえよ。
「あの女から電話と一緒にメールも来てたんだ。俺の話を聞いて勉強したい高校生がいるってな。参考にはできねえだろうが、話してやらんこともない。ここまで苦労して来たんだろ。無下に追い返すほど、俺は鬼じゃねえからな」
ぶっきらぼうな口調だが、極悪人というわけではなさそうだ。発話の節々から気遣っている素振りが垣間見える。
果たして、誘いに乗るべきだろうか。早山奈織について聞けるかもしれないのであれば、選択肢は一つだ。でも、威圧的な態度を取ってきた相手だ。おまけに、こちらの陣営は全員高校生。自分の身は自分で守れという年頃ではあるが、拠り所となる大人がいないのはかなりの痛手だ。相手に悪意があったら到底太刀打ちできない。
返答にこまねいていると、森野に肩を叩かれた。牟田先生の様子を探りながら耳打ちしてくる。
「いざというときのために、俺と小泉が入り口付近で待機しておいてやる。やばそうだったら、すぐに連絡を入れろ」
そう言って、携帯電話をちらつかせる。ディスプレイには既に「110」の番号が入力してあった。その気になれば、ワンタッチで通報できる。
「森野、お前」と、感謝の言葉を口にしようとしたら、サムズアップで封殺された。今日ほど、彼らを頼もしく思ったことはない。縮こまっている瑞稀と小野塚さんを守るように矢面に立ち、俺は堂々と胸を張った。
「俺たちはどうしてもあなたに聞きたいことがあるんだ。だから、話をさせてもらいます」
「いいだろう。まあ、入れや」
こうして、俺たちは魔境へと足を踏み入れることとなった。
外装はボロだが、内部は意外と広い。六畳が二間と一人で暮らしているのなら持て余しているぐらいだ。ただ、生活できる区画はそこまで多くは無かった。
結論から言おう。汚部屋だった。女子だったら可愛らしさがあるが、男の部屋だと自堕落なだけである。チリ紙やらカップ麺の容器やらが散乱しており、部屋の隅にはごみ袋が積み重ねられている。刺激臭が漂ってきて、思わず鼻を手で押さえた。
牟田先生は足でごみを払うと、「まあ座れや」と催促した。座布団の一つぐらい用意してもらいたいものだが、単身者に期待するのは野暮というものだ。あったとしても、埃まみれになっているのは想像に難くない。
立ち尽くしていると、牟田先生は眉を潜める。
「どうした。話が聞きたいのではないのか」
いや、埃まみれの中で腰を下ろせと強要するのか。女子高生二人がいる前で平然と腰をポリポリ掻いているし。俺は瑞稀とどうしたものかと顔を見合わせる。
「汚い」
ぽつりと呟かれた一言に、牟田先生の手が止まる。俺は心臓が止まりそうだった。咄嗟に小野塚さんの口をふさごうとしたが、後の祭りだった。
「汚い!」
大声ではっきりと宣告した。牟田先生の額にマンガでよく見る怒りマークが浮かんでいるようだった。
「部屋がどうだろうが、俺の勝手だろ」
「汚い、臭い、きもい!」
なんだその、妙に納得がいく3Kは。最後のきもいは個人的所感だろう。
「埃っぽくて息苦しい! こんなとこ、一秒たりとも耐えられない」
「なら、出ていけばいいだろ」
「いいや、掃除する」
へらへらと笑う牟田先生に、小野塚さんは宣告する。すると、先生は感心したように息を漏らした。
「じゃあ、やってもらおうじゃねえか」
えっと、どうしてこうなった。俺たちはめいめい、箒やはたきを装備し、マスク代わりにタオルを口に巻いている。タオル自体も衛生的とは言え無さそうだが、埃の巣窟で作業をするのだ。無いよりはマシというやつだろう。
早山奈織について話を聞きたいだけなのに、どうして縁もゆかりもない男の汚部屋を掃除する羽目になっているのでしょうね。瑞稀も露骨に嫌な顔をしていた。
唯一、小野塚さんだけが張り切っている。
「ズッキーは台所、カイカイは居間の担当だ。私は水回りを攻める」
「あの、小野塚さん。何もここまでしなくても」
「文句、ある?」
威嚇されて攻撃力が最低まで下がった。スライムにすらダメージを与えられなさそうな膂力で彼女に歯向かうのは無謀というものだ。持っている箒がはじゃのつるぎに見える。
ゴミだらけの部屋では落ち着いて話を聞けないだろうし、素直に掃除したほうが良さそうだ。俺はさっそく床を箒で掃く。出るわ、出るわのワタ埃。どのくらい掃除されていないのだろうか。ルンバがいたら、お腹いっぱいだって文句を言われそうだぞ。
ルンバは高望みだとしても、せめて掃除機が欲しかった。どうして、箒とちり取りという古典的な道具しか用意していないんだよ。
舞い上がる埃で咳き込みながらも掃除を続ける。一体、どのくらい手入れされていなかったのか。不衛生すぎて病気になりそうだ。俺も人のことは言えないけどな。実家にいたころは自室の部屋の掃除をさぼって母さんから叱られるなんてことはままあったし。オタクというのは身の回りのことに無頓着になりがちというのは、あながち嘘ではない。
腕まくりした腕で額の汗をぬぐっていると、ふいに肩を突かれる。振り返ると、瑞稀が箒を雄々しく構えていた。いたずらを思いついた子供のようにほくそ笑んでいる。
「どうしたんだ、瑞稀」
「見てください、浬さん」
バトントワリングの要領で箒を振り回す瑞稀。
「雪霞狼」
あ、うん。どや顔をしているけど、どう返せばいいんだ。とりあえず、彼女の肩に手を置いた。
「瑞稀でも冗談言うことあるんだな」
「棒読みで言わないでください」
空回りしたと悟ったのか、ぷくっとしたほっぺで、箒を持っていない腕を振り回している。ノリで「ここからは俺の戦争だ」と言ったら、「いいえ先輩、私たちの戦争です」って返してくれたのだろうか。
あの瑞稀がふざけるぐらいだ。予想以上にひどい現場にうんざりしていたのだろう。汚部屋の主は客人が来ているにも関わらず、床に寝そべって漫画を読んでいる。漫画家の勉強のためじゃないことは、時折鼻くそをほじくっていることから明らかだ。
「それにしても、全然終わりが見えませんね」
「専門の業者を呼んだ方がいいレベルだからな。できることなら、さっさと話を聞いて帰りたいぜ」
俺はストレッチ体操とばかりに箒を両手で掲げて腕を伸ばす。すると、背後におぞましい気配を察知した。
ゆっくりと箒を戻し、これまたゆっくりと回り右をする。既に戦慄している瑞稀に続き、俺の膝も爆笑した。
「カイカイ、ズッキー。サボってるんじゃない」
「いや、休憩してただけなんだ。ほら、ちゃんと掃除しているぞ」
レレレのおっさんの真似をしたが、疑惑の眼差しは晴れることがない。無言のまま小野塚さんは床を指でなぞる。そして、指先に付着した埃を突き付けてきた。
「まだこんなに汚れている」
「やっていることがうるさい小姑と変わらないのですが」
「さっさとやる」
びしりと指示され、俺はまた回れ右を余儀なくされた。
小野塚さんが持ち場である風呂場に戻っていったのを確認し、再び瑞稀と邂逅する。彼女もまた胸をなでおろしていた。
「小野塚さん、いつもと雰囲気が違いすぎないか。学校の先生より厳しいぞ」
「彼女は掃除のことになると性格が変わるんです。掃除の班が一緒なのですが、いつも鬼軍曹ぶりを発揮しています」
普段はだらけている印象だけど、案外潔癖症なのか。いや、案外というべきではないかもしれないな。ネコはきれい好きだと聞いたことがある。また無駄話をしていると折檻されそうなので、俺は黙って手を動かした。
小野塚さんは物足りなさそうだったが、永遠に掃除を続けているわけにはいかない。どうにか会話できるスペースが確保できたので、作業は取りやめとなった。ぶつくさと文句を垂らされたが、彼女が納得できるレベルまで仕上げるなら、業者を呼んで一日がかりじゃないと無理だぞ。




