51.私に歌を歌わせて下さい
アッフェル・フォルトが聞きとれない、と言うような顔をした。歌姫は、腕の中からもがくように立ち上がり、しっかりとした声で、
「私に歌を歌わせて下さい。彼らは、歌を聞きたいんです。聞き終えたら、散っていくのではありませんか?」
歌姫は、アッフェル・フォルトの上着の裾をしっかりと握りしめたまま言った。アッフェル・フォルトはその手に手を添え、
「それでは、あなたが犯罪者になってしまう。歌を歌う者の罪は重い。流罪か、塔への生涯の幽閉か」
と言った。王は何も言わずに黙っていた。法を曲げるつもりはない、と言う事か。歌姫は、アッフェル・フォルトの服をさらに強く握り締めた。
「歌は素晴らしいんです。私は歌姫です。私が一番、その素晴らしさを知っています。歌を恐怖で染めたくない!」
と言った声に、アッフェル・フォルトの目が揺れる。王は黙ったままだった。
「それに、あの人は、もう犯罪者なんです。私は、あの人といたい。あの人が、生涯、塔へ幽閉されるのだったら、私も塔へ幽閉されたい」
「歌も歌えなくなる」
「良いんです」
「ルフェンでは、素晴らしい歌姫の舞台が見れる。そう待ち望んでいる人達が大勢いる。ルフェンが大使をよこして訴えて来るほどの歌姫だと聞く」
「あの人がいなければ、ルフェンでは歌えません」
「義理を欠くからと言って」
「義理ではないんです! 違うんです」
と言って、歌姫は泣きだしていた。
「あの人がいなければ、ルフェンは冷たい石だけの街です。丘を過る風もない、暖かい家族の声もないんです。煉瓦の箱の中で、毎日毎日、歌うだけ。褒め称えられても、喝采を浴びても、彼らは、私が見るものを見ることはないんです。私の故郷を見てくれるのは、私の歌を聞いて、私の景色を一緒に見てくれるのは、あの人だけ。私が故郷を見たくて見たくて、歌に悲哀が混じり、悲しみに喉が枯れるほどになっても。私が歌う、寂しい雨に濡れる王都を共に見てくれるのは、あの人だけなんです。一人では寂しすぎる。一緒に見る人がいなければ、私の歌は無いのと一緒。悲しみで声が出なくなるんです」
と言って、強引に自分のマントの縁で目を拭った。赤くはれ上がった目になった。しかし、はっきりとした声で、
「彼が塔へ幽閉されるなら、私も同じ罪を犯して幽閉されます」
すると、王が冷ややかな声で、
「同じ塔には決していれぬぞ」
と言うと、
「良いんです。どうせ、一緒に幽閉されたら、私が幽閉されるような事をしたと言って、あの人は生涯、私に不平不満を言い続けるでしょうから。離れててちょうど良いくらいです」
と言って、泣き笑いの顔を作って見せた。
「ならば、おまえを連れて行こう」
と王が言って手を伸ばす。貴婦人のように手を取るのだが、アッフェル・フォルトが、王と歌姫の間に入った。が、王は、軽く手を振り、離れよ、と動きだけで命じ、アッフェル・フォルトに向かって言った。
「広場へは近寄るな。また、バセロン・オーンが文章を読ませたらなんとする。おまえの記憶で起こった事を使われたら、この王都で太刀打ちできる者は誰もいない。おまえを止めれる者は、王国広しといえども誰もいないのだ」
と言った。それが、王が歌姫の手を取る理由だった。
アッフェル・フォルトが動けずにいると、王は歌姫の手を取ったまま歩き出した。いつの間にか、近衛達が遠巻きにしていた。王が動くと彼らが動いた。離されていた馬が、手綱を引いて王の下へと曳かれてくる。王は身軽に騎乗の人になると、片手を伸ばして軽々と歌姫を引き上げた。近衛がマントの裾を押さえて、手助けをする。王は、近衛が手を離すのを待たずに、
「アッフェル・フォルト、求婚の使者を退けるのは止めてくれ。おまえが誰かの手に落ちるかもしれないと思うと、おちおち城で眠っていられなくなる」
そう言って、馬首を王弟の館へ向けた。アッフェル・フォルトが、低く、
「化け物を娶る必要なぞありますまい」
と言うと、それが聞こえていたのか、肩越しに振りかえり、
「おまえは、その美しさと優しさで、私の心を掴んでいる。化け物だなどと、おまえの口からでも言うのを禁ずる」
「美しく優しい…」
と皮肉のように言おうとすると、王は馬に蹴りを入れ、
「そう思わない者はおまえのまわりには一人もいまい」
と声を上げ、言い捨てた形で駆けだした。影のように馬の近くにいたアルヘルストが会釈をして、騎乗すると、王の後を追って馬を駆った。と、近衛達が後を追う。アッフェル・フォルトは王を静かに見送った。バッセルは、王の背を見ながら頷き、アッフェル・フォルト様は優しい、と心の中で同意した。シェルフォードは肯定も否定もせず、王を見送りながら、
「本当に、懸想しておられるように見える」
と不思議そうな声で言った。
アッフェル・フォルトは髪を肩から払うように首を振ると、
「で、私達は、あそこから締めだされてしまったわけだ」
と暗く陰った建物群へ目をやった。
月も星もすっかり消えて、遠い窓枠にちらちら部屋の明かりが見えた。
「それで、どうするんでしょうか?」
とバッセルが、何かしますよね? と言うように聞くと、アッフェル・フォルトは、
「物語を止める」
と短く言った。バッセルが、ぱっと顔を明るくした、
「バセロン・オーンを捕まえるんですね! それで、人々を止めさせるんですよね。歌姫が歌わなくてもいいように。バセロン・オーン自身に止めさせるんですよね!」
と言う。が、アッフェル・フォルトは、
「捕まえる? もちろん、バセロン・オーンは捕まえるさ。でも、それよりも、物語だ。いったい物語はどこにあるんだ。人を集める物語があり、呪わせる物語があり、転んだり躓いたりする災厄を作る物語がある。それこそ何年かかって書いたんだ、と言うような数の物語を、この時とばかりに読み上げている者がいるんだ。それはどこだ? どこにいる? 次にどれを読み上げるつもりなのか、いったい誰に分かるんだ?」
バッセルは、口を閉じた。俯いた。箱の中に積み上げた物語を、車座になってみんなで読み上げている部屋を想像してみた。仲間が一緒に別々の物語を読む。声が重なり何が何だか分からなくなってしまう。
「数人で別々に読んだんでしょうか」
バッセルがいうと、アッフェル・フォルトが黙り込んだ。遠くを見る。




