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49.無数の物語を自由自在に操り

アッフェル・フォルトは大きく息を吸った。悲壮なバセロン・オーンの顔がよみがえる。冷徹な罠を仕掛け続けていたはずの男の顔が、苦しみに泥酔する男の顔にすり変わる。この苦しみに満ちているはずの男が、幾つあるか分からない、無数の物語を自由自在に操り、人々を広場の中心に集め出している男だった。

「バセロン・オーン・アイファーレ。広場に人々が集まってくる物語を読んだことがあるか? どんな物語だったか言えるか? もし、無理なら、心を覗かせてもらおう」

「分からない。覚えていないんです。昔、本当に昔に、何か書いていたかもしれないけど、全部読んでいるわけでもないから」

と言って口を閉じる。アッフェル・フォルトが、歌姫の肩を掴んで、額に額をぶつけそうなほど近くにやって、

「見させてもらおう」

と呟くと、歌姫はごくりと唾を飲み込んだ。

 恐ろしく長い時間が流れたように見えた。側に立つシェルフォードは、身じろぎ一つせず、紫色の目を光らせて歌姫を覗き込む、表情の消えたアッフェル・フォルトの顔を見つめ続けた。ほんの数日の記憶を読むだけでも、数時間が掛る。数週間の記憶を数分で読みとってしまうアッフェル・フォルトは異常な力の遣い方をしていると言える。それを、今、数年分を一度に読みとろうとしている。数十年分を一気に読んでいるのかもしれない。シェルフォードは表情のない目で、アッフェル・フォルトを見つめ続けた。飛ぶように浮かぶ歌姫の記憶を追い掛け続ける。読み飛ばす中、小説ではイメージを端から拾い、紙を手にしたところからは文字から物語の映像へと切り替えて視覚を使って駆け抜ける。歌姫が途中、がたがたと膝を震わせだし、身体が上下に振れだすと、アッフェル・フォルトは舌なめずりする。その先の物語を、と本格的に追いかけるのだが、シェルフォードが、歌姫の肩をそっと押さえて、

「アッフェル・フォルト、ここまでだ」

と声を掛けた。アッフェル・フォルトが顔を上げると、何の表情もない紫色の目でまるで物でも見るかのような表情でシェルフォードを見た。シェルフォードは、

「人に戻れ」

と低く言った。アッフェル・フォルトはゆっくりと瞬きをする。シェルフォードが、

「人の領分を越えるな」

と今さらながらの事を言うと、アッフェル・フォルトは身体を起こして姿勢をただした。そして、首を左右に振って首の後ろに片手をあてると、

「何百の物語を書いているんだ。あの男は」

と呟いた。そして、その後、

「歌姫が広場で歌う物語は無い。歌姫を歌わせて、何かをしたかった、と言うことではない。古の歌姫と、その娘の邂逅の話はあるにはあったが、歌ったのは私のミスか」

最後の呟きでは、なんとも言えない声を出した。どんな物語を見たのかは、言わなかった。ただ、

「この数の物語を自在に操れるとなると、侵食の危機どころではなくなる。侵略の危機、崩壊の危機、とも言える」

と言い変えた。そして、すばやく、

「物語はどこにある? 書いたものはどうした? ルフェンか? この国にあるのか?」

アイファーレは首を左右に振り続けた。

アッフェル・フォルトは、息を大きく吸うと、半眼を閉じた。そして、どこか遠くへ聞かせるような響きかたをした声で、

「聞こえているか。アッフェル・フォルトだ。バセロン・オーンの旧知の者を探せ。バセフォン通りの食堂にいる、アルと言う男も仲間のはずだ。その店主の娘も幼馴染だ。そして、もう一人いる。バイン。そうだ、バインと言う名の男だった。能力者のはずだ。能力を隠している男がいる。その男が。いいや、その男と、食堂のアルと言う男と、もしかしたら、その店の娘が、物語を読み続けているはずだ。奴らが協力をして、この、膨大な量の物語を読み続けているはずだ」

アッフェル・フォルトはイライラっとした顔で、俯き加減に顎を指でさすった。そして、顔を上げて呟いた。

「そんなバカな」

その途端、ざわめきが辺りに響き始めた。シェルフォードと声を共有する為に、音を出したのだろう。司令所での声が聞こえる。すると、バイラム・フォッドの声が響き始めた。軽い仮眠しかとっていないのか、声がしわがれている。

「言っただろ。バセロン・オーンの申請書を調べた時に、奴らの幼馴染は調べている。アル・ヘルも、キャセロ・ハームも、バイン・フォトも、全員白だ」

「侵食の危機の直後には、何も読んでいないかもしれない。しかし、今日の午後、私が食堂へ行った後には読んでいた。私は地下でその映像を見せられている」

「読んでいない。午後中、外で、客の接待をしていたと言っている」

「客の接待」

「城壁の外から客が来ていたらしい。店はかなりの繁盛だったと言う話だ。何でも、城壁の外へ銀の監察者と出てくるのを見た人間がいて、好奇心で寄って来て、そのまま客を呼び込んだ、と言う話だぞ」

と言われ、アッフェル・フォルトは低い唸り声を上げた。火事の現場が近かったせいで、鎮静者が見張っていたようなものだ。アッフェル・フォルトは、苦々しい声で、

「バインはどうだ。まさか、こちらも、鎮静者が見張っていたとは言うまいな。ついさっき、半時ほど前に何かを読んでいるかもしれない」

と言うと、バイラム・フォットは、

「見張っていたさ。拘束していた」

「拘束? バセロン・オーンの物語を持っていたのか?」

と聞くと、バイラム・フォットは、

「持ってない。森の警邏の青年だ。彼が、バインだ。バセロン・オーンとの接触はおろか、物語も読んでいない。ここ数十年、読んでいないと保証できるぞ。老師の下、ついさっきまで、力の遣い方について宣誓させられているからな」

と言ったのだった。

 アッフェル・フォルトは一瞬意味を掴み損ねた。そして、すぐに理解した。森の赤い目の妖精を見た青年の事だった。アッフェル・フォルトは、ベンチで屈みこんで顔を覆っていた姿を思い出す。冷静な街の男だ。能力を隠し続けた青年が、バセロン・オーンの幼馴染だったのだ。息を大きく吸って吐いた。そして、一言、

「物語は、一体、誰が読んだんだ?」

と呟いたのだった。そして、口早にまくし立てた。

「四十人近くの協力者がいる。いなければ、これほど大量の物語は読めない。アルや食堂の娘が協力者だったとしたって、この二人だけであれだけの量の物語を読もうとしたら、何日かかるか分かったものじゃない。それを一瞬にして、四十件だ。四十人はどこだ?! なぜ、見つからない? どこにいる?」

と言ったところで、バイラム・フォットへ頼んだ。

「物語を探してくれ。四十どころではない数がある。数百件はあるはずだ。それを今、誰かが読み続けている可能性がある。手元に置いておくだけで疑われる紙だ。持ち続けているとは思えない。どこかに捨てるか、燃やすか何かしているはずだ。探してほしい。探さなければ、この先何が起こるのか分からない。声を出して読まさせないようにする為に。これ以上の被害を無くさせる為に」

と言うと、

「物語か。そうだな、読む人間が見つからないんだ。紙を探そう。紙を持つ者、紙がありそうな場所を探させる」

「音読だけはさせるなよ」

とアッフェル・フォルトが言うと、

「どんな馬鹿でもやらないさ」

とバイラム・フォットが請け負った。

アッフェル・フォルトは、そう言ってから、腰を伸ばした。遠くから小さい影が走ってくるのが見えた。跳ねているようにも見える。アッフェル・フォルトはその影を見ながら、

「バセロン・オーンは捕まえ損ねた。この人ごみにまぎれたら、検証者達でも捕まえられまい。やつは、歌を街に響かせた、と思っている。恐怖して逃げている。銀の小箱を使ってルフェンへ戻るか、王城へ行って帰国の許可をもらうか、何かするだろう。ただ、こう中央広場に人が押し寄せていたら検問もままならない。もしも、まだ、友人がいて、銀の小箱に王の言葉の紙を入れておけば、箱を見せ王の許可だと言えば、出入国の門を通れるかもしれない」

「それで、あの門が通れるものか! だが、確かに、あるかもしれないな。もともと、帰る準備をしていた、と言うことかもしれない。出入国の門か。そちらの様子も確認しよう」

としわがれ声は言った。アッフェル・フォルトは宙へ向かって頷いた。チラリと目を上げ、挨拶のような会釈を送った。と思ったら、そこで気配がぷつりと切れた。

歌姫は、青ざめた顔のまま遠くを見ていた。王宮のある方角を見てじっと目を凝らしている。すると、その時、

「アッフェル・フォルト様ぁ~!」

と言う声が聞こえて来た。遠くではねている影だった。ずっと声を上げていたらしい、少々枯れた声で、茶色の巻き毛の姿が見えてくると、

「アッフェル・フォルト様、大変です!」

と言って、そのまま駆け抜けそうな勢いで駆けよって来るのだった。

「バッセル。よく見付けたな」

と言うアッフェル・フォルトの関心したような声には、

「何言っているんですか、全ての監察者達に伝言しましたよね?! 私にだって聞こえてました! だいたい、今日なら、鎮静者も検証者も、聞き耳の者達に聞けばあなたがどこにいるかは、すぐ分かるんです」

と簡潔に言った。監察者の館の司令所では、ずっと追っていた銀の光が、街の中央広場で消えて大騒ぎをしていたのだが。そして、王弟の館を出て再び明滅しだすまで、多くの人間がやきもきしていたのだが。バッセルは、それをすべて無視して、それより、と肩で息をしながら話しだした。

「街中で、人々が歌姫を探しています。街路へ出て、騒ぎだす者達もいるくらいです。中央広場から出て来た人の中には、恍惚としながら歌姫の歌を聞いたと言う者もいるくらいで、お陰で、人が広場に向かい始めているんです」

「知っている」

「知っているんですか! ええ、知っているんですよね。そうですよね。アッフェル・フォルト様は、なんだって知ってらっしゃるんですから。王都中に、イメージが降りて歌は幸運を授けるってきらきら光って音が広がったんですよ」

「歌を礼賛しないと呪いを受ける、と言うバリエーションも、国のいたる所で歌をハミングする人間が出始めて、つられてみんな歌いだす、と言うものもある」

とアッフェル・フォルトが言うと、バッセルは怪訝そうな顔をした。

「いろんな物語があるんだ。歌を認めさせたかったのだろう」

と言ってから、ふと何か考え込んだ。

「なぜ、他ではなく、その物語だったのだろう?」

と呟いた。すると、バッセルは、何を言っているんですか? と言うような顔をして、

「その後、中央広場に集まるように、と言う国王陛下の声が響いたそうです。陛下の声を誰も聞いた事が無いのに、絶対、陛下の声だと言うんですよ! 直後、防御ができなかった一般人は、衛兵も警邏も、区長も、みんな、中央広場へ行かなければと思い始めたそうなんです!」

真剣な眼で訴えた。アッフェル・フォルトは低い声で、

「物語が重複している。陛下が中央広場に人を集める物語は、確か、隣国との戦の話だったはず。歌姫とは関係が無い。二つを同時に読んでいるのか? 重ねている?」

「王弟殿下が歌姫をルフェン国から呼んだから、だから、歌はすばらしいんだって納得して、だから、王陛下が招集を掛けたんだってまことしやかに言われています。しかも、言う事を聞かなかったら呪いが掛るとも言われているんです!」

「呪い?」

「呪いです。そう耳元で囁かれ続けたようなんです。イメージの声が響いたようなんです。何でも、その呪いに掛った者は、歌を聞くと解けるんだそうです。王弟殿下が歌姫を連れているって噂は、今日一日で随分広がっていたようです。広場での事をみんなで見ていたみたいにです。それで、陛下の命令もあって、我先に広場に集まりだしているんです」

アッフェル・フォルトは、

「呪いの物語も動いているのか」

と呟くと、くくっと喉の奥で笑った。そして、あっはっはと声を上げて笑いだした。

「笑い事じゃないんです! 大変なんです。イメージが細かく作られているから、実際に目に見えているものを見えないんですよ! だから、歩くと石につまづいて転ぶんです。でも、石が見えないから、見えない何かに足を引っ張られたように感じてしまって、呪いが掛ったって怖くなるんです。目の前のドアは閉まっているのに、開いていると思いこんで進むから、ドアにぶつかるんです。でも、ドアは見ない。何もないはずのところでぶつかって額から血が流れたら怖いですよね。見ている人も怖くなるんです。階段が終わったと思って踏み出したら、もう一段あって転んだり。じわじわ、呪いが広がって行くんです。くだらないいたずらみたいなイメージなのに! イメージのいたずらだって言っても、誰も信じなくなるくらい、広範囲に、大勢の人達が、細かいイメージに捕まって、危険なんです!」

アッフェル・フォルトは、笑いを治めて、真面目な顔で頷いて、

「街中に、鎮静者達がいるからな。侵食の危機のせいで、いつもの三倍は街に出ている。能力者だらけだ。おかげで、子供のいたずら風情の呪いのイメージが、恐怖の世界になったんだ」

と苦い声で言い足した。バッセルは口早に、

「恐怖のイメージが強いらしくて、人々を止められません。呪いのイメージは、出ている鎮静者達が区画ごとに見えるイメージに切り替えているんですが、今度は、普通の躓きも呪いだって言いだしちゃって、止めれません」

「区長達はどうしている?」

「ダメです。はじめは警邏達と一緒に、止めようとしてたんですが、だんだん、みんなが殺気だって来て、率先して、歌姫を探し始めています。暴動になる前に歌を聞かせようとしています。それで納得するなら、その方がいいとまで思っているみたいです。みんな歌を酷いと思っていないから、その程度ならと思っているようなんです。本当に暴動になるかもしれません。王宮へも軍の要請を出しましたが、間に合うかどうか。それに、警邏の中からも、同じように、広場に向かおうとする者がではじめた、と聞きました。一般の中にいるイメージ力の強い者が恐怖を増長していると言う話です。軍が出ても、同じようになるかもしれません。だいたい、軍では、どうにもならないかもしれないんです! 剣で切り伏せるわけにはいかないんですから。アッフェル・フォルト様、全員を正気に戻さないと!」

とバッセルが言った。冷静に喋ろうとしたのだが、最後は叫びに近かった。

 時戻しは効かない。どんなに戻しても、見てしまった呪いのイメージを無かった事にはできない。呪いに恐怖する人には、さらに恐ろしい、歌のイメージを被せれば、とアッフェル・フォルトは思った。あの、母親に群がった人々のように、歌を聞くと子を亡くすと言う恐怖の記憶を、都中の人の中によみがえらせれば、歌は怖いとなるはずだ、とアッフェル・フォルトは考えた。怖いなら、わざわざ歌姫がいる場所に行きたいとは思うまい、と。ひとまずは人々を止めて、本物の歌姫は、自分が護って、と思ったところで、苦さをかみ殺して、「昔はダメだが、今なら人一人くらいは守れるな」と誰にも聞こえない声で呟いた。

 アッフェル・フォルトは建物群を振り返る。


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