31.街の平和の為に、楽しい祭りの為に
アッフェル・フォルトが繋いでいるイメージを切ったのか、それとも、向こうで伝送者が伝送を止めたのか、バッセルには分からなかったのだが、司令所のざわめきも、気配も消えた。目の前には昼の光の筋が躍り、その中に小さな埃が見えるだけだ。まるで、今の今まで、目の前に人がいたかのような気がしていたのだが、三人とも、この、誰も居ない空間に向かって話し続けていたのだった。
バッセルは周囲を覆う枠のようなものがふわっと外れるのを感じた。濃度のような物で、この空間が覆われていたのだと気が付いた。声が外に漏れないように、この部屋が空っぽであるかのようなイメージを重ね続けていたのだった。それがふるっと消えたのだ。
バッセルはごくりと唾を飲み込んだ。まるで、そこに人がいるかのように話していたが、向こうには聞き耳の者がいて伝え、また、伝送者がいて、司令所のバイラム・フォッドの声を伝え続けていたはずだ。あまりに自然にアッフェル・フォルトがやっていたので、気づかなかったが、二人の人間が間にいて、始めて成り立つ伝達のはずだった。
そしてさらに、その話しあいの間、空間の音が広がらないように別のイメージを作って覆い続けていたなんて、いったいどこまで何ができるのだろう、とバッセルは横に立つアッフェル・フォルトを無言で見上げた。
「何見ているんだ? バッセル。行くぞ」
「あ、はい」
と言って姿勢を伸ばす。
たぶん、アッフェル・フォルトにとってはごく自然な事だったんだ、と思った。普段のずぼらなアッフェル・フォルトからは想像できないような、緻密さや冷静さがある、のかもしれない。そのくらい丁寧に能力を使っているのかもしれない、と想像したのだった。
バッセルは、そこで、ようやく、外に目が行った。日が、思った以上に高く上がり始めている。そして、ようやく、かなり眠っていたんだと気がついた。徹夜で情報収集にあたっていた検証者や鎮静者達がいると言うのに、なんて事をしたのだろうと青ざめた。侵食の危機のさなかじゃないかと自分を責めた。しかし、バッセルが何かを始める前に、ばたばたっと足音がして、待っていました、とでも言うように、
「ああ、良かった、まだいらっしゃった。ねえ、ちゃんと、アッフェル・フォルト様に、銀の監察者に、お話して下さいよ。あたしのお嬢さんの経過期間を短くしてくれってお願いして欲しいんですってば」
と女性が、受付の男の腕を掴んでしゃべりながら戻って来たのだった。
王弟殿下が出ると一緒に廊下を出ていった一行だった。豪華な一行を見ようと玄関の方へ行っていた商家の女が、同じくお客様との会話のネタにと見に行っていた食堂の男と共に、慌てて戻って来たらしい。
静まり返っていた部屋のお陰で、もう、誰も居なくなっていたと思ったのだろう。受付の男は、王弟殿下を見送る為に同じように玄関へ出て、腕を掴まれ同じように戻って来た。戻って来ると、アッフェル・フォルト達を見付け、驚いたように会釈をする。
しかし、その脇で、わざわざ監察者の詰め所まで苦情を言いに来た人間が遠慮などするはずもなく、女が顔を突き出すように、受付の男の脇から顔を出した。また、食堂の男も黒い前掛けの端を握って、受付の男の背後から背伸びをして中を覗き込んでいたのだが、くっと口の端を閉めると、強引に脇から顔をねじ込むように前に出て、素晴らしい早口で、
「お忙しい中、失礼いたします。私、バセフォン通りの宿屋に勤めるアルと言う者でございます。昨夜の侵食の危機では大変のお世話になり、なんともお礼の申し上げようがございません。そのお礼を申し上げに参った、と申せれば嬉しいのですが。昨夜の危機のせいで、宿屋の近くに紐を張られてしまって、お客が入らなくなっております。どうかどけて頂けないでしょうか。もちろん、昨日の危機に、あれほど素早く丁寧なご対応をしてくださいました、監察者の館の方々にはお礼の申し上げようもないのですが、主は春の大祭の準備をし終えています。今日、明日にでも、長期滞在のお客様を掴まないと、新調したシーツも、新しく張り替えたルーフも、建具からなおしたカウンターも。何もかもが無駄となり、もし、このまま冬を迎えれば、借金を抱え続ける事になり、気の弱い主の事です。儚く川に飛び込む事になるかもしれません。どうかどうか、あの紐をどけるように、ご指示をお願いいたします」
と大げさな文句を言いながら、しかし、丁寧に深々と頭を下げたのだった。
「あれ嫌だ。あたしの方が先だよ。お嬢様の経過期間を見てくださいよ。宿屋なんて遠いでしょうが、うちの館はすぐそこですし。すぐ見て頂けますから」
と言って、反対側から、受付の男を押しのけるようにして商家の女が言った。そして、言っているうちに廊下には人が増え、白いエプロンと頭にレースの帽子を付けた売り子が、
「あの派出所はここでございますか? マドレーヌのお店のマーレと言いますが、お店の鏡に通りが映らなくて、昨日の侵食の危機の影響かもしれないからと、店長がご連絡しておきなさいと言うものですから」
と言って、受付の男に声を掛けるのだった。そして、その後ろにさらに、墨のついたベレー帽を頭から抜き取るようにして手に握りなおした少年がいて、こちらも、負けじと、後ろから、
「靴磨きのシッて言います。広場の裏の金物通りで仕事をしています。うちも脇の溝の水が減らないっていうか、下水が流れていないんじゃないかと思って。もしかしたら、侵食の危機の影響かもしれないからこっちへ連絡してこいって、通り長のセンさんが…」
と言いつつも、途中で黙り込んでしまった。これは、通り長の仕事だったかもしれない、と今さらながらに思ったようだ。掃除一つで済む事だ。そして、その後ろに新たに髭の紳士がやってきた。そして、杖を振りながら、
「なんだ、ここは! 受付もままならないのか、この監察者の派出所は!」
と苛立ったような声を上げた。奥に事務所を借りている男で、廊下の人だかりにイライラをぶつけるような視線を向ける。すると、入口をせき止めていた受付の男は慌てて中に入ってデスクに着くと、
「すいません。みなさん中へ。そして、一列に並んでください! 廊下に沿って!」
と言って、ノートを開いてペンを握った。
アッフェル・フォルトは、あわただしい一行の前に立ち立ち止まると、考えるような目で彼らを眺めた。彼らの苦情は、巡回中の検証者が立ちよって処理をする。区長へ連絡する場合もあれば、イメージを覗き込んで状況を見て簡単に指示を出す場合もある。もちろん、医師への追加の指示を出す場合もあり、そして、その全てを検証者達が取りまとめ、地域の情勢として区長へ報告する事になるのだが。つまりは、監察者が口を出すような事ではないのだが、アッフェル・フォルトはためらった。と、バッセルが、
「アッフェル・フォルト様、さあ、参りましょう」
と背を押しながら歩き出す。すると、受付の男がぱっと立ち上がって、
「あまり静かにできなくて、申しわけありませんでした」
と恐縮したように謝罪をする。アッフェル・フォルトは背中を押されながら、
「いや、こちらこそ邪魔をしたな」
と言うと、受付で名前と住所を言っていた女性が、ぱっと顔を上げて、
「まって下さいよ。うちのお嬢様の様子を見て頂くまでは、帰れません!」
と言って、アッフェル・フォルトの腕を掴もうと手を伸ばす。が、その手をシェルフォードに剣の柄で止められると、女性はひっと細く息を飲んで動きを止めた。その女性に、バッセルが、アッフェル・フォルトを押し出しながら、申し訳なさそうな顔をして、
「すぐに確認したいのでしたら、近所の医師に、往診をお願いしてください。そうすれば、きっと、時期が今かどうかが分かりますから」
ときっぱり言う。女性は「医師ですか」と言う諦めたような、不貞腐れたような声を出す。バッセルは、その声を背に聞きながら玄関へと、アッフェル・フォルトを押して出た。バッセルのきっぱりした態度のお陰か、背後からは、落胆のため息が漏れただけで、それ以上の苦情や文句は出なかった。監察者の仕事を知らない人間はこの街にはいなかった。彼らはしょうがないとあきらめ半分で見送った。
アッフェル・フォルトは広く立派な玄関で、真鍮枠のガラス扉を片手で押した。すると、素早く、バッセルが飛び出して、両手で押さえて押し開く。ほおっておくと、突っ立ったまま立ち止まってしまったせいで、扉が額にぶつかりそうになったのだった。
アッフェル・フォルトは、中央広場を眺めると明るい日差しに目を細めた。背後からは、細く、受付に苦情を話す声が聞こえた。
「春祭り、か」
とアッフェル・フォルトは呟いた。そして、
「歌姫を陛下へ差し出す、と言うのは、本気かもしれないな」
と王弟の言葉を思い出したのか、アッフェル・フォルトは言い足した。
広場の真ん中で、ポールを立てる男達がいた。ポールの上には、無数に旗を付けた紐が繋がり、たわんだ紐は四方の屋根へ伸びている。赤や黄色の三角の旗がはためいて、広場は華やかな雰囲気にかわり始めていた。
窓と言う窓には、花飾りの籠を取り付ける作業が進み、建物の壁には紐を腰につけてぶら下がりながら、祭り用の、花びらのような街灯の傘をランプに乗せる男達がいた。広場は、祭りの間、馬車も荷車も通行止めになるのだが、徐々に馬車道が塞がれはじめていく。明日からは、三日も続く前夜祭が始まるはずだ。
色どりあざやかなテントの布が石畳に転がり、汗臭いシャツの男達が腕を組んで話し合いをしながら、場所指差す。場所取りの相談をしているようだ。商家から出て来た身なりの良い男が、広場を見て驚いたように見渡している。そろそろ、為替や証券の交易場所も春祭りの為に閉じるはずだ。
中央のポールがまっすぐに立つと、旗が勢いよく翻り始め、祭りの始まりを感じたのか、歓声が上がった。
「春祭り、か」
アッフェル・フォルトが再び言うと、街の向こうに見える王宮でも、美しい旗が翻り始めた。幾つもの三角の旗が繋がっている。こちらは王侯貴族の紋章が縫い取られているはずで、王城の尖塔から城壁へ、勢いよく風に吹かれてはためき始めた。アッフェル・フォルトは後ろを見ると、
「見に行こう!」
と声を上げた。脇で同じように旗が翻るのを見ていたバッセルは、
「え? 王城へですか?」
と聞くと、
「まさか。旗ならここから見えるだろう。そうじゃなくて、まずは靴屋だ。そこが一番近いだろう」
と言ったかと思うと、奥へ、
「全部見て回ろう! さっさと済ませて祭りの準備だ! 今年も楽しい祭りになるぞ!」
と言った。
バッセルが、
「え? 祭り、ですか? どうしてです? みんな侵食の危機に怯えているんですよ。バセロン・オーンはどうするんですか? 小箱だってまだ見つかっていないんですよね?」
「祭りの手伝いをしながら探す。この騒ぎで怪しい人間がいれば、その人間が犯人だ」
と言われ、バッセルは呆れたようにアッフェル・フォルトを見上げた。いくらなんでもそんな適当な方法は無い、と思ったのだ。アッフェル・フォルトの目が楽しそうに外を見ている。どう見ても、探し物より、祭りの準備に燃えたがっているようにしか見えない。
しかし、奥の人達は受付をしていたはずなのに、ずっとこちらを見ていたのか、すぐに、わっと歓声を上げた。とはいえ、廊下から玄関へ、おっかなびっくりと言う顔で、アッフェル・フォルトを眺めている。
アッフェル・フォルトがにっとした顔をで頷くと、彼らは恥ずかしそうな顔をしながらも、受付から廊下へ、そして、玄関へと恐る恐るやってくる。ほっとした顔や、嬉しそうな顔が、暗がりから現れると、アッフェル・フォルトはにこっと笑って、
「街の平和の為に、楽しい祭りの為に、みなさまの暮らしの為に、我らが監察者は存在しています。どうぞ、この街の僕を、みなさまの下へご案内ください」
と言って片手を振って華々しく会釈をしてみせるのだった。仰々しく気取った言い方に、街の人々は面食らった顔をしたのだが、また、靴磨きのセンは怯えて後ろに下がって廊下の壁に頭をぶつけたのだが。アッフェル・フォルトはそれを見て、
「ほら。下水が詰まってちゃ、祭りの間じゅう酷い臭いになるぞ」
と言った。靴屋のシッは気まずそうに、
「すいません。やっぱりいいです。通り長へちゃんと話して」
「使いをさぼったて叱られるぞ」
と返すと、シッは「大丈夫です。ちゃんと言いますから」と言おうとしたのだろう。が、それより先に、アッフェル・フォルトが歩き出した。




