30.鈴を鳴らすような音が聞こえた
静まり返った中、ばたばたと両足であがいているような音がして、どっと床に腰を落とした音がした。バッセルだった。うっかりうたたねしてしまった、とその慌て方が言っていた。バッセルは、窓を背にぱっと立ち上がると、考え込む二人の上司を見付けた。いつになく真剣な顔に怪訝になる。バッセルは、窓から差し込む日を背に受けて、
「何があったんですか?」
と聞いて、上着の裾を引っ張って皺を伸ばして立ちあがる。
「王弟殿下が来てたんだ」
とアッフェル・フォルトが言うと、バッセルの顔が輝いた。
「本当ですか? 本当に? 王室始まって以来のキレ者と言われる、王国の叡智と言われる王弟殿下が?」
とバッセルは、興奮混じりに声を上げた。男性が好きなんだ、と老師に言われた話しの部分をすぱっと記憶から拭い去っているようだった。
アッフェル・フォルトはつくづくと、羨ましそうな視線をバッセルに向けた。知らないとは幸せだ、とその目が言っていたのだが。アッフェル・フォルトはただ、
「そうだな。誰にもその行動が読めない、と言われるキレ者の王弟殿下だ」
とだけ言った。立ち上がったバッセルは、廊下へ目を向けて、今の今までいたのだろうか? と言うような興奮した顔をしながらも、生真面目に、
「それで、何をしにいらしたんですか?」
「私に、陛下の嫁になれ、と言いに」
「また、お使者が立ったんですか? 陛下は何か悪いものでも食べたのでしょうか?」
と怪訝な顔になって聞きかえした。
それを聞いて、アッフェル・フォルトは声の無い笑いを上げた。シェルフォードも苦みのある笑いを口に浮かべ、バッセルはまたからかわれたのかとむっとする。しかし、アッフェル・フォルトが、
「確かに何か悪い物でも食べているのかもしれないな。コックに苦情を告げようか」
と言うと、バッセルは、
「言葉のあやじゃないですか」
と言って剥れた。しかしすぐに、
「あれ。それじゃあ、殿下の御屋敷に行く必要がなくなりましたよね。歌姫をお返し下さるってお話しになったんですよね? って、歌姫がいたんですか?」
と首をかしげた。
「歌姫がいて、バセロン・オーンの妻だった。お返しにはならないそうだ」
と答えると、
「殿下が歌姫を? 本当に、本当ですか?」
と疑わしげに言った後、声をしぼませて、
「歌うのでしょうか? 歌姫は、歌って、捕まって、幽閉されて、一生出てこれなくなるのでしょうか」
とかぼそい声で言い足した。バッセルは、自分だって犯罪をした、神を見せてしまったのだと思いだすと、大声で、犯罪は取り締まらなければならないんです、と言えなくなってしまっていた。俯いて、自分の罪の重さを思い出す。
とそこに、どこかからか、鈴を鳴らすような音が聞こえた。宙から聞こえる小さな音は、離れたところからの伝送者達の合図だった。アッフェル・フォルトに直接連絡を取っても良い、と言われた誰かが、遠慮がちに音にして呼びかけている。上品な合図だった。アッフェル・フォルトが面を上げて宙を見た。見ながら、
「レフォル君かもしれないぞ」
と呟いた。バッセルには、それが誰だかすぐには思いだせなかったのだが、シェルフォードは分かったようで、
「あの門番か。まさか、何か発見したとか」
と言った。
アッフェル・フォルトの視線が宙を見て揺らいで止まった。その先で、一瞬ぐっと空間が歪んだように見えた。しかし、バッセルの目には、ただ、派出所の部屋が見えているだけで、剥げかけた白塗りの壁と、日の光と埃が見えるだけだ。しかし、アッフェル・フォルトは、
「なんだ。バイラム・フォッドか」
と呟いていた。見えている。司令所からの連絡だった。
アッフェル・フォルトが、言った途端に、何か言い返されたらしい。顔を右に傾けて避けるようにして聞き、
「すまなかった。確かに言った。そうだ、門にいたオレンジのに頼んで回った。悪かった。本当にすまなかったと」
と言い始め、途中で視線を窓の方へ向けてひたすらに聞き続けていたようだった。
「なんだ」と言った一言に、バイラム・フォッドが切れたらしい。一晩中、侵食の危機の始末に追われ、その後、被害者を助け、老師の下で解放させて、バセロン・オーンの調査を続けていたらしい。館総出の作業だったはずだった。
その結果、「なんだ」の一言で迎えられたのだから、怒りだしても仕方が無い。バッセルは、横を向いたまま、窓を見て、明るい青空を見るアッフェル・フォルトを眺め続けた。随分長い文句のようだ。静かな部屋の中、アッフェル・フォルトが辛抱強く横を向きながらも耳を傾けている。
バッセルは、自分達は、ひと眠りしたのだからと、後ろめたく感じ、もしかしたら、さすがのアッフェル・フォルト様も後ろめたくて文句を黙って聞いているのだろう、と思ったり、言い返して文句が長引くのを恐れいてるだけかもしれないと思ったり。静かな朝の街の音に耳を傾けていた。廊下は静かで、誰もいない。まるで、この部屋だけが世界から切り取られたような静けさだった。
それがふと気が付くと、アッフェル・フォルトは、逃げるように窓を見ていたのに、途中から視線が壁へ戻りだし、考え込む様な顔になったかと思うと、
「本当か? 入国許可書を、誰が出したか分からない? バセロン・オーンの許可書は、偽の許可書だったのか?」
と聞き返していた。バッセルが、なんだろう、と思った途端に、声がわぁんっと響きだした。
「偽の許可書なんかない! あの門は、偽物では通れないんだぞ!」
バイラム・フォッドの声だった。腹に響く怒り声が響いていた。アッフェル・フォルトが全員に聞こえるように切り替えていた。
「しかし、バセロン・オーンは手にしていた。誰かに申請書を出して、通してもらっていたんだ」
「奴と交流のあったものも調べている。手紙は来たが、返事はほとんど書いていない。小説家じゃ、下手に交流を持てば、後々どんな事が起こるか分からんからな。監察者達に記憶を調べられたら何もかも明るみだ。下手な返事は書けまいよ」
「幼馴染がいるはずだ。妻と奴との共通の。かなり仲の良い人間がいるんじゃないかと思う」
「潜伏先として真っ先に探したが、白だな。いない。結構有名な男で、東の外壁近くの区で育ったようだ。幼馴染はいたにはいたが、今は、ちりぢりだな。建物の管理をしている老婦が覚えていたが、少年が書いた文章を少女が歌うように読んで、何度かイメージのトラブルを起こしたらしい。いつしか書かなくなって、少女も読まなくなったようだが、その後、二人で出国している。大人になってからな。その頃には、友人との交流もほとんどなくなっていたようだ」
「ほとんど返事を書いていない、と言うことは書いた奴もいるんだな?」
「親族達だ。バセロン・オーンの父親と祖母だな」
「親戚か? 奴は、いないと言ったんだぞ。いったい、なんて返事を書いたんだ?」
「二度と手紙を書いてよこすなと書いている」
と言って、黙り込んだ。
侵食の危機を起こした場合の、親族への罪の重さを思えば、仕方が無いことなのかもしれない。とバッセルは思った。しかし、そう思って悲しくなった。バイラム・フォッドが先を続けた。
「で、このバセロン・オーンが犯人なのか? 侵食の危機の犯人かもしれない、と言ったな。まだ、かもしれない、のままなのか?!」
「被害者達から、話は聞けたか?」
とアッフェル・フォルトが質問で返すと、唸り声のような声が聞こえた。「これだから、銀の帯は。自分のことばかりか」と言うような事を言っていたのかもしれない。が、口に出したのは、
「とりとめない話しをしているだけだ。昼の仕事の事を思っている最中にイメージに捕まった奴もいれば、水に映る月に目を奪われてイメージに嵌まった奴もいる。侵食の数が増えはじめた時には、妖精の仕業かと思った奴らもいる。多くは妖精のせいかと思ったようだが、全く関係ない者もいた」
「関係ない、か。なぜそう言える? あの昼の妖精を見た夜だぞ」
「光の後始末に明けくれていて、思いだすのも忘れていた、と言う奴が三人いた。だいたい、妖精がきっかけなら、監察者の館がイメージの渦で崩壊してるぞ。ここはもともと、妖精との戦いの第一線だったんだからな。三十、四十の異変程度じゃ済まなくなるぞ」
と言うと、アッフェル・フォルトは考え込んだ。そして、
「歌姫はバセロン・オーンの妻だった。王弟殿下に招かれて祖国へ戻って来ている。つまり、王弟殿下の下にいる歌姫は、バセロン・オーン・アイファーレ。バセロン・オーンの妻だった。奴は妻が国に戻っている事を知っている。そして、知っている事を知らせないように記憶を調整してから、国に戻って来ている。妖精を空に飛ばしたのは国に戻ってからで、そこから全てが始まっている。いいや、そこで書かないように自分で自分を戒めている。そうだ、奴は自分の書く力を私に封じさせている。まるで、その為に妖精を描いたかのようだ。または、封じられても全ての事が起こるはずだと踏んでいる。そうかもしれない。奴は捕まっても、宣誓をさせられても大丈夫だと信じていたんだ。ただ一つ、監察者の館への拘留は嫌っていたが。つまりは自由でいたいと思っていたんだ。そうして逃げた」
と一息で言った。それから、再び、
「奴の友人は、本当に誰も返事を書かなかったのか? 彼らの心は覗いて見たか? まさか区が制約を設けて来たんじゃないだろうな」
と聞くと、
「この侵食の危機で協力しない区長はいない。また、関係者も、手紙を受けた人々も、昔近所に暮らしていたと言うだけの者達も、全員そろって記憶を見せたさ。疑われたくはないからな。押し並べて、もらったのは手紙で、手紙を読んだ。と言うだけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「どんな手紙だ? 読んだのか?」
「もちろん読んだ。記憶から読んだ物もあるが、ほとんどの者が紙を見せてくれたさ。小説じゃない、と言う証明にはちょうどいいしな。だいたいが、『妻の身体が弱っています。もしも昔のよしみを思いだしてくれるのならば、この手紙を読み、帰還の為の御助力をしていただきたく』と書いてあった」
「それだけか」
「それだけだ。何を探している?」
「小説だ。四十話にも上る小説を奴はどこかで、誰かに読ませているのではと疑っている。それが侵食の危機のきっかけになっているのでは、と考えている。奴の力は小説だ。言葉の力かもしれないが。そこからイメージを生みだしていた。なのに、妖精、光の柱、侵食の危機、と。どれもが、イメージを作る場所とは別のところに濃度が生まれる。この濃度の出し方は未だかつて見たことが無い、と思う。イメージの中に濃度がある。出した人間の中には無いんだ。イメージを作っているのは物語を書いている人間である筈なのに、バセロン・オーンに濃度は無かった。読み上げていても濃度はない。だいたい、光の柱は、奴が一言呟いた後に落ちているのに、王都全土に濃度があって、奴の場所には欠片も無かった。妖精は文章を読んで聞かせて大空に広がっていた。読んだ場所には濃度はなかった。妖精の密度は高かったようだがな。侵食の危機は、被害にあった場所に濃度が散って、どこで物語が読まれたかさえもわからない。イメージを書いた人間とは関係なく、イメージを生む物語の場所とも関係が無く、濃度が広がって行ったんだ」
バイラム・フォッドは黙って聞いていた。アッフェル・フォルトはさらに続けた。
「老師に過去の記録を照合してもらって欲しい。こんな力がこれまでにあったかどうか。確かめてもらい対策を聞いてくれ。どこかで小説を手にして読みふけった途端に、街中に異変が広がって行くなんて、悪夢以外の何物でもない」
「濃度の発生場所が不明で、現場がどこか分からない、と言うことか」
とバイラム・フォッドも硬い声で言う。
「そうだ。こう言った事象がこれまであったか確認をしてほしい。頼む」
と最後にははっきりとした声で依頼をした。
「分かった、長老達に確認する。それから。残念だが、バセロン・オーンの居場所は未だに不明だ。この騒ぎの中だから逃げだせたのか、この騒ぎの中だから出て来なかったのか、どちらかだろう」
と言って、伺うように、
「それで、そっちは、奴の目的はなんだったのか、検討が付いたのか?」
と聞いてきた。アッフェル・フォルトは首を左右に振ってから、ふと、思いついたように、
「妻を永久帰国させたくて奔走している、のかもしれない」
「永久帰国、と言うのはなんだ?」
バイラム・フォッドの問いかけに、
「あの妻は、歌姫だし、ルフェンに戻らなければならないからな。祭りが終わったら、帰国だろう。そうしたら、また、うつ病との戦いが始まるのかもしれない。やつはその為に、手紙を書き続けていたはずだ。だから、ここに残る方法を画策しているのだとしたら」
「王に願い出て、残らせてくれといえばいいだろう。王でなくても、王弟殿下に招かれたのなら、そのまま、願い出ればいいだけだ。妻自身が頼めば良い。何を画策する必要がある」
と言うと、アッフェル・フォルトは難しい顔で考え込んで、ついっと、軽く肩をすくめてから、
「妻が言うと、王の后にされそうで危なさすぎると思ったのかもしれない」
と言った。バイラム・フォッドはその話を聞きながら、別の事をしていたらしい。
「ああ。そっちへも人を割く? 人数は? それはちょっと、待ってくれ」
と司令所の中の会話が聞こえた、かと思うと、
「えっと、なんだった? 誰の妻にするって?」
と言ったかと思うと、唐突に、きびきびした声で、
「紫からの伝言だ。王弟殿下へ警護を付ける、との事だ。バセロン・オーンの妻がいる殿下の下へ、バセロン・オーンが現れる可能性が非常に高い。もしも万が一、殿下へ急襲を仕掛けるようなら監察者の館の面目は丸つぶれ、と言うことだ。もとい、襲ってくれたら捕らえやすい。今すぐ、王宮へ申請の使者を出すと言っている。殿下じゃのらりくらりと断られる事間違いなしだしな。バセロン・オーンは侵食の危機の重要な参考人だ。探している、と言って、王弟の館に人を入れる」
と言うと、アッフェル・フォルトが身をのりだして、
「その時には知らせてくれ。私達が乗り込もう」
と言うと、
「一番近い人間に行かせる。警護だぞ? 銀の人間にそんな神経質な仕事ができるものか。監察者は、監察者としての仕事をしてくれ。例えば、バセロン・オーンの小説を誰かが読んだ時には、読んだ瞬間を察知をしてくれ。危険を避けるためにな。王都中に目を光らせて、我らに連絡をしてほしい、と思う」
とバイラム・フォッドが言うと、アッフェル・フォルトが口の中で何かを汚くののしった。
ほぼずっと恒常的に都中に目を広げ続けるなんて事は普通はできない。とバッセルは思った。でも、アッフェル・フォルト様ならできる、と言うか、やったのを見た。光の柱の時がそれだった。バイラム・フォッドは、それをずっとさせ続けたい、と言ったのだが、つまりは、それ以外の事はさせずにどこかで邪魔をしないでのんびりしていろ、と言っているような感じがあった。
自分達に任せろ、と言いたかったのかもしれないのだが、アッフェル・フォルトの気に障ったようだ。だからか、
「せいぜい年寄りを行かせるんだな。殿下より年上か、ユルレシカか、紫にいる女達を行かせるんだな」
と憮然として言うと、バイラム・フォッドは思いのほか真剣な声で、
「そうさせよう」
と答えたのだった。そして、慌ただしくなったのか、
「銀の小箱は不明のままだ。バセロン・オーンと共にある、と言うのだろうな」
と言ったかと思うと、
「また、連絡する。そっちも何か分かったら教えてくれ」
と言った後、ふつっと音が消えた。




