表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/66

21.おまえの心の隅を盗まれたんだ

シェルフォードの目の前に、居るはずの無い人がいた。姉のマーシャと手をつなぐ、幼さの残る儚い微笑みを浮かべた母親がいた。父、アメール公爵が領地の視察に出た時に見染めた時には、母親はまだ十四の誕生日を迎えたばかりの年だった。三十を過ぎた父親の恋は、幼い母を第四番目の妻に仕立てて、田舎から王都へ、一介の村娘から公爵夫人へと変貌させた。


そして、きらびやかな王都の暮らしは、三人の年上の公爵夫人に小突かれる日々になり、子供達と母親は、逃げるように、人目を避けて、館の奥の離へと移って行った。そこでも、批判的な使用人から隠れるように暮らし、美しい緑の迷路の庭で日々を過ごし、ある日の昼下がり、庭師と戯れていたと言う讒言を受けて、その場で父に切り捨てられた。


はにかんだ顔で笑う母親が、目の前に居た。恐怖で固まった顔で、剣を見上げていたあの顔が、今は柔らかく緩み、いたずらっぽく唇の端を噛んでいる。笑いをこらえて、シェルフォードが気づくのを待っている顔で、そっと後ろに一歩下がる。シェルフォードは慌てて追った。


姉に良く似た顔は、もっと儚げで、今捕まえなければ、全てが消え失せてしまうような気がして、片手を伸ばし、そして、三歩踏み出して、耳の奥を轟音が襲った。上から煉瓦が落ちてくる。目の前のいたずらっぽい顔が、驚きに目を見開いて、口に手を当てて上を見る。剣を見ている。


シェルフォードはさらに手を伸ばして、庇おうと足を踏み出すのだが、肩に、腕に煉瓦が当たる。「幻だ」と呟きながら。目の前の母親も同じように幻だ、と思いながらも、恐怖に青ざめる母親に両手を差し伸ばして、後少し、と言うところで、額に大きな煉瓦があたり、目を閉じる。肩から背中に衝撃が走る。雪崩れるように石段がくずれだし、その下で足が崩れて膝をつく。腰を押さえて立ち上がろうとするのだが、痛さと重さに意識が遠のく。


もう少し。あと少しで。と思ったところで、ふっと目の前が再び月夜の街に様変わりする。シェルフォードは高い街壁を見上げていた。大きく白い月を見ながら、あの宙に、昼間は妖精が舞っていたんだ、と、埒もない事を考えていた。そう考えながら、これが全ての始まりだ、と漠然とした思いが告げる。何の? と問いかける前に、視界の端をショールが舞った。


ぱっと視線をショールに向ける。肩に巻きつけた姿が駆けて行くのが見えた。が、シェルフォードは、その姿が母親だと知っていた。さっきよりも早く気づけたと思いながら、今度こそ、と足を速め駆けだした。そして、振り向いた母親の顔に安堵して、両手を伸ばし、

「待って、危ない!」

と何が危ないのか分からない顔で首をかしげる母親に、

「壁が崩れるから、早く、逃げて」

と言いながら近づいて行き、壁ではなく、剣だ、と心の中で呟く。そして、耳の奥で轟音を聞いた。


シェルフォードは、今度こそ手が届く。今度こそ、母親を、母さんをこの手で守れる。とショールに手が届く、と思ったところで、目の縁に煉瓦が見えた。壁が落ち始めていた。さっきは届くはずだったのに、さっきよりは前に進んでいるはずなのに、肩に当たる煉瓦は同じ重さの煉瓦で、背中にも腰にも当たり、さっきよりも前に進んでいるのに、母親と自分の間の煉瓦が同じように埋まって行く。


膝をつき、額を押さえながら、次こそは、と思いながら、意識が遠のくのを待った。次には必ず、母親に手が届くから、だから。次こそは護るのだ、と思ったところで、ぐっと腕を掴まれた。母親かと顔を上げると、そこには冷静な紫色の瞳があった。

「おまえが、このイメージを造り出しているんだぞ!」

冷静な声は苛立ちを含んでいるように聞こえた。

「母が、そこにいるんだ。母さんが」

と低く声にならない声を出す。すると、冷静な声は、

「おまえの心の中にいるだけだ。そこにはいない」

「いいや、いる! すぐそこに。壁の陰に。あのショールは母のだ! だから母が」

と言い、ショールを探す。あれがあれば、あれさえ掴めば。と思った瞬間、視線の先にショールが躍った。そのショールに手を伸ばすと指が触れて、夢中で掴んだ。掴めたと思った途端に場所が変わっていた。


シェルフォードは、一人ぼっちになって、森でしゃがみこんでいた。幼いころ母と過ごした庭園ではない。人の手の入らない、襲いかかってきそうなほどの巨木の下で。木々の匂いの森の中で、人の背ほどもある木の根の上でしゃがみこんでいた。


じっと宙に浮かぶ光を見つめる。さっき掴んだショールを手に握りしめ、胸に抱きしめ泣いていた。光虫か? とシェルフォードは考えていた。幼い泣き声が聞こえてくる。自分の口からこぼれている。でも、これは自分じゃない、と感じていた。なのに、喉から嗚咽がこぼれて止まらない。戻りたい。帰って来てよ。戻って来てよ。戻りたい。胸が痛くて止まらない。シェルフォードは、イメージの世界に居る、と改めて自覚した。この悲しみは誰のものだ、とショールと共に自分の手を見る。小さな幼い子供の手だった。


シェルフォードは、どこかで見た事ある手だと思いつつ、目をしばたたいた。目の前には、静かな街壁が広がっていた。月が斜めに落ち始め、影が長く伸びている。通りの向こうで、あちこちから互いに確かめるように鎮静者達が声を掛け合っているのが聞こえた。


目の前で、表情の分からない白い面のアッフェル・フォルトが見下ろしていた。膝をつく自分の腕に手を掛け、片手で掴んで、目がゆっくりと焦点を結ぶのを見つめていた。

「ショールは無い。おまえの心の隅を盗まれたんだ」

そう言うと、憐みの籠った眼で、

「おまえの母親は二十年も前に他界している」

と低く告げた。シェルフォードはゆっくりと正面の顔を見る。目の前の憐れみの眼差しが頭にしみこんでいった。そして、膝に手を当て、アッフェル・フォルトの手を払うように、しかし、ゆっくりと腰を伸ばして立ち上がる。

「そうだった。母はいない」

低い冷静な声が出た。

「ショールがあった。それを見て、母だと思ったのだが」

アッフェル・フォルトは首を左右に振った。

「ショールが先か?」

その声に、シェルフォードは足元の石畳を見た。

 足早の者達を見付けた。追い掛けて検証者を見付けると、共に外壁沿いの道に出た。そして、並木の脇に人がいて、不審者だと思い追いかけた。そうだ。始めに見た時には、男だった。それが、追いかけているうちに、煉瓦が落ちだし、幻だ、と思った途端に、

「術に掛った」

「どんな術だ?」

「煉瓦が落ちた瞬間、危険だ、助けなければ、と思った時の自分のイメージにつかまった」

シェルフォードの声から感情が消えていた。

「昔の、絶対助けられないと思った時のイメージにつかまったようだ」

そう話した時のシェルフォードは、先ほどの上ずった声ではなく、動揺の気配もなかった。ただ、声が硬く冷たかった。


 アッフェル・フォルト達の傍へ、バッセルが近づいてきた。

「アッフェル・フォルト様、映像が止まっています」

繰り返えしが止まっていた。バッセルは、そう言いながらも、両手を握って手の中の汗を隠していた。シェルフォードの気配が氷りのようで、気押されまいと顔を上げる。


 しかし、アッフェル・フォルトは、シェルフォードが表情を消すと、気配は酷いものだったのに、逆に安心したような表情に変わった。

「術が置いてあるのか、ここに」

と呟き、周囲を見た。そして、ふと、

「始めのイメージにとらわれた人間が、何度もイメージを繰り返したくなるようにしてある、と言うことか? 火事や、家屋の倒壊で、恐怖を煽り、助けたい、助けなきゃ、と思わせ、繰り返しイメージを見続けさせる。イメージの中では、助けられないままで。そして、助けられない現実に、心がなえて、ありえない、と思った途端に消えるのか」

そう言うと、苦虫をかみつぶしたように頬を歪めた。そして、

「昼間の神もそうなのか。神と言うのをきっかけに光が生まれた。同じ仕掛けか…」

と言うと、

「声を聞いたか?」

とシェルフォードへ確かめた。シェルフォードは、

「声か」

と言ったきり、視線を宙に泳がせた。母親の声を聞いたような気がした。しかし、あれはイメージの中だった。始まりは、なんだったか。男の姿を見たと思ったが、その前に、何かがあった。シェルフォードが、思い出せずに宙をにらむ。

「声は、聞いていない。と思う」

とあやふやな言い方だった。しかし、ふいに目を開き、

「そうだ、声は聞いていない。月明かりと静けさに、あの昼の妖精が飛んでいそうだと思ったくらいだ」

そう言った。アッフェル・フォルトが空を見上げると、大きな月が、城壁に掛って欠け始めていた。

「確かに、幻想的な雰囲気の月だ」

と言うが、とても現実的な言い方だった。

「しかし、月と妖精で、ここまで人の心を掴むなら、三十件や四十件では、足らなくなるな」

とアッフェル・フォルトが言うと、シェルフォードが、今度はもっと正気に返ったような声で、

「三十? なんだ、その数は?」

「おまえの体験したような異変の数だ」

「異変? 街壁が崩れるようなイメージか?」

「まあ、いろいろだ」

「それが、三十? なんだそれは、初代の頃の数じゃないか」

とシェルフォードが何とも言えない、感動とも、呆れているとも、とれるような声を出すと、アッフェル・フォルトが空元気のような笑い声を響かせて、

「初代の記録を抜きそうさ。しかし、それでも、幻惑する月と妖精に反応して出ているんじゃ、もっと出る。三十じゃ、少なすぎる」

と言った。


バッセルは考えながら、

「人に月を見させて反応させる、と言うのは新種の力ですか? それとも、古の忘れられた力なのでしょうか?」

と囁くように聞いた。二人の邪魔をしないように、と言うよりも、恐ろしい古の力が出て来ないように、そっと話しているようだった。しかし、アッフェル・フォルトは肩をすくめて、

「そんな力は、あるもんか」

とさらりと言った。バッセルが、からかわれたのかと顔を上げて、アッフェル・フォルトを見上げると、アッフェル・フォルトは、顎に指をあてて考え込んで、

「そんな芸当ができるなら、歌どころの騒ぎじゃない。今の検証者の検証方法はもちろん、鎮静者達の防御の方法も一から造り直さなきゃならない。あら大変。空を見ました、イメージにつかまって、みんな一緒にへろへろですって事になる」

と最後はふざけたように言った。バッセルは、その最後のところは綺麗に無視して、

「なら、どうやって?」

「分からない。同時に数十の全く別のイメージを造り上げる技術が、今のことろこの国にはない」

「アッフェル・フォルト様にはある」

とバッセルが言うと、アッフェル・フォルトが、

「妖精にならある」

と意地悪く言い返した。自分にだったらできる、とは言わなかった。が、できないとも言わなかった。実際、イメージを塗り替える力はあった。


アッフェル・フォルトは首を振って、マントを軽くはたいて見せた。

「その技術をこれから探す。何をやっているのかわからないなら手が打てないが、かかった術が解けたんだ。とりあえず、全部解いて、それからじっくり考えよう。簡単さ」

と言って、生真面目な顔のバッセルの鼻を片手でちょんっとこづついた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ