20.足早に歩くブーツの音が聞こえた
しんと静まり返っている石畳に、街路樹の月影が色濃く落ちる。遠く、足早に歩くブーツの音が聞こえた。視界がぶれたようだった。景色を見ている男が急に向きを変えたらしい。街路樹の端に人影が見え、走り始めた。と、唐突に耳をつんざくような甲高い声がした。危機を知らせる悲鳴のような声だった。と思ったら、男の視界の脇で、黒い塊が落ちる。男が跳ね避けて振り向くと、樹木が斜めになり、街壁の階段が崩れ、煉瓦や漆喰がガラガラと崩れおちて行った。その中で、誰かが崩れる煉瓦を縫って、逃げる男を追いかけるのが見えた。と、そこで再び声が聞こえた。
「待て!」
と。シェルフォードの声だった。崩れる煉瓦をかいくぐり、その先へ不審者を追う。その姿はシェルフォードの物だった。
「なるほど」
とアッフェル・フォルトは無表情に言った。そして、
「よく見れているな。さすがは、監察者の館の伝送者達だ」
と褒めた。褒められたせいか、手を開いていた男は思わず顔を跳ねあげ、そして、
「と、とんでもありません。この先を見なければいけなかったのに、なぜか全てが元に戻って、この先を見ることができないんです」
と言った。アッフェル・フォルトは平静な声で、
「そうだろう。この先の崩れた煉瓦と、侵食の危機のスタートを結びつけた者がいるからな」
と人がやったかのように呟いて、
「全く同じ繰り返しになっているのか?」
と再び始めの問いをした。先ほど緊張でしゃべれなかった男も、今度は、
「はい。崩れ方とかは、全くと言っていいほど同じです。ただ、中に入っている人間の動きは微妙に違っているようです」
「シェルフォードが『おい』と言わなかったり、か?」
「はい。それもありますが、振り返る瞬間が早くなったり、崩れる前に飛び込んでいったり」
「だんだん、不審者に近くなる?」
「ええ。そんな感じがします」
「そうか。シェルフォードは同じ事の繰り返しだと気づいているかもしれないな」
と呟いた。全員が顔を上げた。アッフェル・フォルトはその顔を見渡して、
「繰り返しだと分かっているのに、出れないのだろう。それほどきついイメージなのか。誰が作れば、これほどのイメージが生まれるのか」
と言ってから、
「場所は?」
と聞いた。今度は、門番のレフェルが大声で、
「西門の近くです。私がご案内いたします」
と言ったのだが、バッセルがその直後に、
「見れているって事は、ご存知でしたよね? さっき、侵食の危機のスタートと、煉瓦の崩壊とをくっつけた人間がいるっておっしゃっていましたよね? それって、アッフェル・フォルト様の事ですよね!」
とにじり寄るような勢いで叫んだ。アッフェル・フォルトが振り向くより早く、
「すぐに解いてください。もし、繰り返していると気づいていらっしゃるなら。シェルフォード様は、もう十回以上も崩れた煉瓦に頭をぶつけているんです。そして、煉瓦が崩れて頭にぶつかると分かっていながら、煉瓦の下へ駆け込もうとしてらっしゃるんです! そのたびに、石畳に頭をぶつけています。膝から崩れ落ちるんです。お願いです。解いてください!」
とアッフェル・フォルトの上着の裾をにぎりしめて言った。アッフェル・フォルトはその手を見下ろしながら、
「シェルフォードは、それが全部イメージにすぎないと知っているんだ。だからこそ、先へ進もうとしている」
「でも、痛さは本物のはずです。ここまで本物に近いイメージが作れるのなら、ダメージも本物なんじゃないですか? じゃなきゃ、誰も倒れません!」
「西門の近くだったな」
とアッフェル・フォルトはバッセルの言葉を無視して言った。
「知っていますよね? 場所くらい。見て分からないはずが無い。アッフェル・フォルト様なら、街の細部まで全部何度でも、何十通りでも同じであるかのように街のイメージを造り直せますよね?! アッフェル・フォルト様の力なら、今すぐ、不審者を捕まえるイメージを作って、シェルフォード様を現実へ戻せるはずです」
アッフェル・フォルトは、不愉快そうにバッセルの両手を自分の上着から引き離した。そして、
「街全部を見て知っているわけではない。そこを見知っている人間の目の中を再現させているだけだ。だいたい、シェルフォードがイメージの中に居続けるつもりなら、止めれる者は誰もいない。あれは、青銀の監察者だぞ。忘れたのか」
と言うと、バッセルは口を引き結んだ。嘘を見破ろうとでもしているように、アッフェル・フォルトを睨み上げる。この銀の監察者に、不可能があるとは思えなかった。アッフェル・フォルトは、バッセルから視線を外し、
「西門のどこだ? 場所を示してくれ」
と再び言った。言いながら手を差し出す。と、目の前に、男の手のひらの映像とは比べ物にならないほど精緻な街の立体図が浮かび上がった。明るく見せる為か、東の空らが白んできている。街全体に、建物の明るい影が伸びだしていた。草原の風が香りそうな朝の街の風景に、門番のレフォルはもちろん、映像を手のひらで出していた男まで、唾を飲んだ。
「どこだ?」
と言う短い問いに、映像を見せていた男が先に正気に戻った。自分の手の平の映像を消して、一か所を素早く指示した。アッフェル・フォルトは、
「そこか。第八派出所の横。濃度の濃さに惹かれたか、一つは見ておきたいと思ったか。自分で突っ込んで行ったのか」
細かい奴だと言いたかったのか、それで捕まって馬鹿な奴だ、と言いたかったのか分からないのだが、バッセルには、愚痴に聞こえて、こんな時にと怒りを感じた。しかし、アッフェル・フォルトが言った言葉は簡潔で、
「礼を言う。この先、何か見えたら教えてくれ」
「はっ! 光の前の封鎖についても、分かったらご報告します! 重要な事なんでしょうか?」
とレフォルが言う。最後の部分は、窺うように。余計な事をしているのか、それともちゃんと銀の監察者が関わるほどの事件の手伝いをしているのか、知りたかったようだ。アッフェル・フォルトは、軽く頷き、しかし、口では、
「分からない。そこが問題だ」
と言ってから、「頼む」と言うと、バッセルへ、
「行くぞ」
と短く言って、駆けだした。バッセルは、無言で同時に駆けだした。レフォルと映像を見せていた表現者は、二人の後ろ姿に、ぱっと姿勢を正して、
「お気を付けて!」
と声を張った。




