18.小さな異変は増え続けていた
侵食の危機の笛は、ここで、異変の数を数え続けているからこそ、吹かなければならなくなったと言う事だった。小さな異変は増え続けていた。
それから、アッフェル・フォルトが見ている前で、噴水近くの広場の脇で水が噴き出す異変が起こった。イメージのせいか本物か、水道管が破裂したのか確かめに行った早足の者が、ずぶぬれになって帰って来た。
「破裂したのはイメージですが、水は本物でした」
髪の水を絞りながら報告した。もともと銅管が腐食して破れていたらしい。水はそこから吹きだして、イメージとは別に辺りを水浸しにしているそうだ。
それを聞いた、紫の肩掛けの者が、先ほどユルレシカの変わりに記録係りとして司令所へ来ていたのだが、街の区長へ知らせて、工夫を呼ばなければと、自分の部下を呼びに駆けだして行った。
そして、テーブルの上の地図の上で火事が起こると、聴き耳の者が、
「そばに、一班がいて駆けつけました。始めはボヤだったようですが、視界の炎は建物を覆うばかりの勢いです」
と絞るような声で言う。バイラム・フォッドが、
「熱は?」
「あまり。ただ、近づくには恐怖を感じるほどだそうです」
「誰か、水のイメージを出せる者を中へ突入させろ。中を調べろ!」
横にいた伝送者が黙ったまま目を閉じた。と、テーブルの上の炎の中に、氷の塊が転がり始めるのが見えた。水のイメージの者はいなかったようだが、氷が解けて炎に迫り、業火が弱くなって行く。しばらく沈黙が落ちる。と、その間に、別の場所で城壁の一部が崩れはじめた。
ドトレームが、
「城壁の様子を報告させろ」
と聴き耳の者に言うと、
「何もないそうです。崩れた個所どころか、城壁自身が見当たりません」
と言った途端、街を囲む囲いが消えた。
アッフェル・フォルトが腰を上げ、ぐるりと街を囲んでいるはずの壁を見下ろし、
「街全体を写しだせ。王都全部だ!」
と言うのだが、テーブルの上の映像が歪み、大通りや森、広場を見下ろす重厚な建物がまたたくように映りだし、空や、人の手が重なるように見えては消える。
「無理です。街の全てに伝送者がいるわけじゃないんです。見ているだけでは、イメージが固定できません」
と言い、バイラム・フォッドが、
「外壁に立っていた物見たちはどうした?! 写せ!」
と声を上げると、聴き耳の者は、
「イメージが混濁して、見えません」
と答えた。バイラム・フォッドが、立ちあがって窓を開け放つと、窓の下で控えていた男達に、
「城壁へ向かえ。もっとも近い場所へ行け! 足早の者を数人連れて、まめに報告を入れろ! 手の空いている者は、王都全域へ散れ。何も起こって居ない場所にもだ!」
と声を荒げた。
と、そこで、
「き、消えました。気配が!」
聴き耳の者が言った途端、はっきり映っていた炎の建物がぱっと綺麗に消滅した。そこだけ、テーブルの木目が見えて、異様な感じに見える。部屋中が静かになった。仲間が消えた瞬間だった。アッフェル・フォルトが、立ち上がり、
「今、何人のオレンジが館にいる?」
と聞いた。バイラム・フォッドが苦々しい口調で、
「門とここにいる人間で、全員だ」
「各班は?」
「一名ずつだ。残りは伝令で、外に居るのが全てだ」
そう言った途端、テーブルの上では、運河を渡る橋が落ちた。灰色のローブの男達が駆けよるのが見えた。聴き耳の者が目を見開きながら、
「警告を与えますか?」
とバイラム・フォッドに聞くと、
「消えるかもしれないから近づくなと言ってどうする。助けが先だ!」
と言うと、聴き耳の者は青ざめた顔のまま黙り込んだ。聞いていた声がぷつりと消え、消滅をもっともリアルに感じていたのが彼だった。額に汗が流れ出していた。
アッフェル・フォルトが低い声で、
「街のイメージを元に戻す。全ての建物をあった通りに戻す。その後、異変が始まるのなら、どこから始まるのかよく見てくれ」
と言った。ローブの首に手を掛けて襟を緩めると息を吸って、目を宙に向けた。
テーブルのイメージが光り出し、強烈な光を放った。聴き耳の者が何か大声を放って狂ったように耳を押さえていた。テーブルにイメージを描き続けていた者は、目をつぶって俯いていたのだが、手が、がたがたと震えだし、足も身体も震えだして、足が床に打ちつける音がし出した。
悲鳴と、椅子と床のきしみ音とが響くなか、男達はテーブルの光と目の前のアッフェル・フォルトの超越したような、どこも見てない紫の目とを、息を飲むように見つめていた。
そして、アッフェル・フォルトがゆっくりと瞬きをした。視線を周囲へぐるりと向けると、誰ともなく息を吐きだし、彼らの肩の力が抜けた。賞賛と期待に満ちた目を、無言のまま、アッフェル・フォルトへ向けた。しかし、アッフェル・フォルトは彼らを見ながら、苦々しい声で、
「堂々巡りだ。全てが戻ると、ハーフェルドの森の獣が息を吹き返し、水が噴き出し、炎が上がる。街壁が消えたところから、元に戻すと、森の獣が現れる」
アッフェル・フォルトはそう言うと、ぐるりと見た。
「街にイメージを仕掛けた者がいる。細かい崩壊のイメージだ。どこかで、イメージがスタートするような仕掛けをしているはずだ。崩壊のイメージが消えた途端に再び同じことが始まるように細工をしている。つまり」
と言って彼らを見た。
「止める方法が私には分からない。今、全てが元に戻るように、始まりと終わりのイメージを繋いだ。誰かが書き変えなければ、今以上の異変は起こらないだろうが、今の異変を止める手立てにもならない。人が消えることはないが、止まる事もない」
と吐き捨てるように言った。
「異変に近づかないように警告を与える必要がある。そして、街壁は無いようなものだ。本物が崩れても、分かる者は誰も居ない。外部からの侵入に備えるように、城へ報告する必要がある」
アッフェル・フォルトは不愉快さを隠さず、手荒に自分のマントを跳ねあげた。自分の力で止まらないイメージと言うのが不愉快だったのか、城への無策の報告が不愉快だったのか、分からないのだが。
「昼、私が捕らえ損ねた者がいた。これは、その人間の仕業かもしれない」
と言って、顎を振った。その先に、男が立っていた。昼間のバセロン・オーンがそこにいた。そこに、本物の男がいるように見え、男達は一瞬身がまえた。しかし、男は手を差し出し、アッフェル・フォルトに宣誓の誓いをしている姿になった。彼らは怪訝な顔になる。
「この男を探してくれ。街の中に居る可能性が高い」
「誰だこれは?! なぜ、そう言い切れる? 奴が犯人だと? 街にまだいると? だいたい、何で宣誓を解いた! 何の力があったんだ!」
バイラム・フォッドが続けざまに聞くと、
「書く力。小説を書く力だ。昼、空を飛ぶ妖精のイメージを造った男だ。宣誓は解いていない。私自身は解いていない。が、解くだけの力があったのかもしれない」
と答えると、周囲はざわめき始めた。銀の監察者の宣誓を解ける人間がいるかもしれない、と言うと、俄かには信じられなかったのだ。が、アッフェル・フォルトが、
「光の柱を王都中に落した可能性がある。やつの力だった可能性だ。この男は、光を落した後、自分の所在を、自分が発した力を、見せなかった男だ。濃度が等しい。王都中に光を落として、なおかつ、濃度を均等にして見せる程の力があった。物語を書く力ではなく、言葉を口にする力かもしれない」
最後の部分は苦々しく、自分で自分を戒めるような声だった。
「それで、王都中に、妖精が空を飛んだように、異変のイメージを造り続けているのか?」
と螺旋階段の下にいた男が呟いた。暖炉の前の男の一人が、
「人の仕業か? 妖精が王都に来たみたいじゃないか」
と言って、隣の男にわき腹をつつかれた。
アッフェル・フォルトは、妖精王の娘、と言うのが通説で、まるで、アッフェル・フォルトを詰っているように見えたからだ。アッフェル・フォルトの声は動揺の欠片もなかった。
「妖精じゃない、人間だ。奴の仕業かどうかは分からないが、王都に居る事は確かだ。そして、監察者から逃げ出しているのも確かだ。また、大きな力がある事も確かだ」
と言って、なぜ、あの時、もっと追いかけなかったのかと、アッフェル・フォルトは声にしないで自問した。
あまりに、光の神のイメージが幸せで無邪気すぎたせいだ。そのせいで、必死に探す事をしなかったのだ。宣誓を破る程の力があると、目の前で見たはずなのに、バッセルの力が放たれただけだと考えたのだ。間抜けな自分に、アッフェル・フォルトは、怒りを感じた。しかし、出した声は冷静だった。
「この男は、先ほど、老師の部屋に忍び込み、銀の小箱を盗んでいる」
小箱と聞いて、腑に落ちない顔をした者もいた。しかし、ドトレームとバイラム・フォッドは、とっさに、王の親書の箱だと気づいたようだ。アッフェル・フォルトはさらに、
「バセロン・オーンと言う名の男だ。まるで、この騒ぎが持ち上がるのが分かっていたかのように待ち伏せをして、老師の部屋へ押し行っている。準備万端整えて、笛が鳴るのを待っていたように見えた」
そう言ってから、彼れらを見まわし、
「王都出身の男だが、ルフェン国からの入国者だ。王都へは許可を得ての帰国だが、向こうでは小説書きを生業としていた。書く力は封じてあるが、別の力があるのかもしれない。犯人で無いにしても、このタイミングで動いていると言う事は、この異変の理由を知っている可能性が高い。探してくれ」
と最後は依頼の言葉で結んだ。
「もう街の外へ逃げたのでは?」
ドトレームが言った。アッフェル・フォルトは頷きながら。
「もしかしたら。だが、さっきの今だ。王都中に検証者と鎮静者が散らばる中、どうやって逃げる? 怪しい奴なら、全て声を掛けているのではないか? 笛の音が、王都中に響いているはずだ。ここを拠点に、派出所で笛を鳴らして、広がっていく。その中で、どうして逃げられる? 戒厳令で、ほぼ、外を歩くのは不可能だ。いいや、歩けるが、どこかで誰かが見ているはずだ。隠れ家があるのか、どこかへ逃げ込んでいるか。まあ、街壁の外へ出ているなら、あの崩壊のイメージは言い隠れ蓑だな」
そう言いながら、
「歌姫が王都にいる」
とアッフェル・フォルトは先を告げた。オレンジの男達は色めきたった。アッフェル・フォルトは首を横に振って見せる。
「歌ではこれほどの事は起こせない。人の心を掴み、一度に同じ思いを造ることはできても、これほどバラバラに、歌が届かないほど広い範囲で、イメージを作り続けることはできない」
「なら、なぜ、今?」
「ルフェンの歌姫だ」
そう言った後、アッフェル・フォルトは、一息で、
「バセロン・オーンの妻は歌姫だった。妻は、王都の出身で、バセロン・オーンの幼馴染でもあった。今はルフェンにいるのでは、と思うのだが、分からない。そして、歌姫が誘拐されて、ルフェン大使からの捜索願いが王国へ出されている」
「妻を探しに来たのか」
と誰かが呟いた。アッフェル・フォルトはこれに対しても首を横に振った。
「分からない。ここでの歌姫は珍しい。しかし、ルフェンでは、多くの歌姫がいる。大使を動かすほどの歌姫が何人もいるかどうかは分からないが、大勢の歌姫が舞台に立って歌を歌う。それがルフェンの風習だ。だから、バセロン・オーンの妻と、大使の歌姫が知り合いだと言う可能性もある。友達の、ルフェンの歌姫を助けに来た、と言う事もある」
「助けるまでは王都を出ない」
とバイラム・フォッドが言い足した。
「かもしれない、と言うだけだ」
とアッフェル・フォルトは、最後は力を抜いていた。




