10.あってほしい都の姿
アルヘルストが話し始めると、老師がテーブルの上に片手をかざした。
すると、テーブルに都のミニチュアが生まれ、中を人が行き交っているのが見えた。丘の上にある王宮の物見の塔から見た景色だ、とバッセルは思ったのだが、景色の中を行く人々が妙に細かくリアルに見えた。
よく見ると水溜りの水を避けて顔をしかめて通る文士がいたり、立ち話をしている母親のロングスカートに顔をうずめて眠りだした小さな少女がいた。物見の塔から、こんなに良く見えるのだろうか、と思いながら覗きこんでいると、
「バッセル。老師の妄想を真に受けるな。あってほしい都の姿を見せているだけだ」
とアッフェル・フォルトが意地悪く言う。
老師は、ふんっと鼻息を一つ吹いただけで何も言わない。これが、妄想?! と驚きながら見ていると、立体の映像の人達が、夕方の閉門の鐘を聞いたのか、あわただしく動き出したのだった。
心なしか街が、夕陽のオレンジ色に変わり始めているように見えた。中央脇の市場通りでは、荷車が布を被せて片づけられて、店主の男や女が、それぞれ家へ帰りだすと、星がまたたきだしたのか、ランプに灯を灯す灯官が、長い棒を持って街をめぐりだす。老師は、テーブルを見下ろしながら、
「たしか、ここでしたな。王弟殿下の御客人がご逗留されているのは」
と言う。すると、映像の端の方で、ぽっと白い光が灯った。この為に、夜の街に変えたらしい。バッセルは唾を飲みこみながら覗きこむ。
王都の中心にある中央広場を挟んで、監察者の屋敷の反対側にある場所が光っていた。その向こうにも広大な森が広がり、森と街との境にある、貴族の屋敷の一つに見えた。
「なぜ、この屋敷に?」
と聞いたのは、これまで全くしゃべっていなかった、シェルフォードだった。老師は、光を強くし、夜の街の中でひときわ明るく鮮明にさせた。
森にうずもれるように、中央にコの字型の回廊がある屋敷があった。森の境にあるが普通の屋敷だ。よく見ると、床がタイルじゃない。田舎で見るような煉瓦だった。バッセルは、昔の家なのだろうな、と思って見ていた。その横で、アルヘルストが、
「コーザス卿の屋敷だ。最近の王弟殿下のお気に入りで、殿下が、陛下にねだり倒して爵位をおあたえになっている」
「ああ、有名な話だな。それが、この古い屋敷をもらったのか」
これは、アッフェル・フォルトの声だった。
バッセルは、テーブルの光が明るく強くなるのを見つめていた。コの字型の回廊の真ん中に、一段高くなっている東屋が見えた。雨季に宴会を開く時に使われる建物で、東屋と回廊が、一体になって会場になる。初めて、こういった屋敷を見た時には、贅沢さに驚いたものだった。
宴会用の為だけに、こんな広いお屋敷を持っているだなんてと驚いていたら、ここは雨季用だ。複数持つのが普通だよ、と付き添いの検証者が教えてくれた。見習いになる前の能力査定の前の話だ。面倒見のいい検証者達に仕事を教わる為にと、手伝いを兼ねて連れまわされていた時の事だった。
バッセルはそんなことを考えながら、地図を覗きこんでいた。すると、東屋の台座が一際明るくなった。
「貴族らしさを出すために選んだ場所だ。誰も使っていない、使い勝手も悪い建物で、王宮からは遠く通いにくい場所だが、雨季用の屋敷があれば、それらしく見えるだろう、と事務官たちは思ったらしい。コーザス卿は、どうせ普段は中央通りにある広場を見下ろす殿下の屋敷で暮らすだろうから、文句も出ないと踏んだのだろう」
「で、人目が届きにくところで勝手をされて困り果ててここに来た、と言うことか」
アッフェル・フォルトが不機嫌そうに言う。
「別に好き勝手しているわけでもない。王宮の事務官達を呼んで、屋敷の造作の変更の許可をもらおうとしているだけだ」
「ほぉ。許可か。下げ渡したのに、なぜ許可がいる? だいたい、良くここを下げ渡したものだ。森の近くのここは、森への使者が住む屋敷だと聞いたがね。その昔。ここに母が幽閉されていた時に」
とアッフェル・フォルトが皮肉に言った。バッセルがはっと顔を上げたが、アッフェル・フォルトは、口にしたほど不機嫌になっているようではなかった。アルヘルストは眉一つ動かさず、その疑問はもっともだと言う風に頷いた。そして、
「王弟殿下に下げ渡されただけで、その後、コーザス卿への下げ渡しには難色が多くて、使用許可のみになっている。逆に言うと、ここなら、使用許可以上の許可を出そうとしたら、何年でもごねれると踏んだのだろう。森への使者の屋敷だからな。数十年たっても、王家からは爵位以外にびた一文出ないんだ、と言うことを伝える為にした処置だろう」
と軽く答えた。伝聞の割には詳しい。アルヘルストは、誰が中心になって画策したのかは言わない。ただ、続けて、
「そして、この中央の台座に御簾を掛けて歌姫を囲っている、らしい」
「らしい?」
「台座で女性が眠っていた、と言う話しだ」
「それだけで、密輸の歌姫になるのか? ひょっとして、コーザス卿を陥れる為の噂に振り回されていないか? 王弟殿下の寵愛を競っている誰かが、うわさを流しているんじゃないのか?」
「私もそれを思ったのだが。使用許可の話しが出て、何人も人を送り出して見た結果、みな同じことを言う。美しい女性が退屈そうに御簾の中にいる、と」
「なら、その通りなんじゃないのか? コーザス卿は実は女好きだったとか」
「王弟殿下の寵愛の真っ最中に、自分の思い人をどうどうと屋敷に引き込めるわけが無い。しかも、王弟殿下自身の屋敷だ」
と言った。老師が軽く咳払いした。それを見て、アッフェル・フォルトが笑った。意味が分からず眉間にしわを寄せていたバッセルが顔を上げると、アッフェル・フォルトが、
「王弟殿下は、年下の男を恋人に選ぶんだよ。バッセル、おまえは殿下に顔を見せるなよ? あの王弟を前にして、ノーと言える人間はそうそういない。ある意味、魅力的な男だからな」
と笑いながらいう。さらに、
「王弟殿下が、男たらしでよかったよ。じゃなきゃ、王家の系図は、複雑になりすぎていたことだろう」
と続けると、老師がいかめしい声で、
「アッフェル・フォルト」
ととがめるように言った。それから老師は、バッセルに言い聞かせるように、
「王弟殿下は、良識をお持ちのお方だ。偏見は持たずにな。それに、殿下の前に出ても萎縮したりする必要は無いのだぞ。だいたい、おまえは殿下のお好みにすれば少々若すぎる」
と最後は、安心させようとしたのか、噛みしめるように言った。バッセルは、どんな顔をしたらいいのだろう、と言う顔をして、周囲を見回したのだが、アルヘルストは慣れているのか、
「王弟殿下は、羽目を外すのもお好きなお方だ。御簾の中に退屈そうな美女がいると誰もが判で押したように答えたと言うことは、殿下が美女を隠すために、コーザス卿の屋敷を使っている可能性が高い」
と話しを続けた。
「なら、なぜその女性が、歌姫だと?」
とアッフェル・フォルトが問う。
「王弟殿下は、去年、外遊からお戻りの折に、歌姫をほめたたえておられた」
「それだけで、美女が歌姫になるのか? 屋敷に入った人間が、歌を聞いたとか、曲が流れたとか、そう言った事実があったんじゃないのか?」
「あれば、殿下と言えども陛下がお許しになるはずが無い。今頃、検証者達を館へ向かわせるように、正式に依頼をしているだろう」
「ならば、なぜ、歌姫だと言いきれる?」
アルヘルストは、テーブルから身体を起こすと、正面からアッフェル・フォルトを見た。
「歌姫が隣国ルフェンで誘拐された、と言う情報があるからだ」
「ルフェンで誘拐されて、なぜ、ルー王国にいるんだ。もっともありえない隠遁先だ。どこからの情報だ? ガセじゃないのか?」
「ガセじゃない。ルフェンの外交官のオト閣下が、正式書簡で訴えて来た」
とアッフェル・フォルトは本当に驚いたような顔をした。
「単なる言いがかりじゃないのか?」
「しかし、王弟殿下がルフェンの人間を国に招いている。陛下がその許可をお出しになった」
と言うと、アッフェル・フォルトは呟いた。
「これは、正式依頼では無いんだったな」
と言うと、笑いだした。
「ルフェンで誘拐された歌姫が、陛下への余興として歌いだしたら、歌どころじゃなく、外交問題になると言うことか。そうならないように、私達に調査をさせて、歌わせずに押さえたい。もしも本当に歌いだしたら、歌が歌われていないように歌姫ごとイメージで隠させたい。そんなところか。歌より、外交。」
そう言って大笑いして、
「この国で、歌以上に、外交の方が問題だからと言いに来たのか? 監察者の屋敷に。老師の部屋に。歌以上に、ルフェンの機嫌を損ねる方が危険だから、と言いに来たのか!」
と言った。アルヘルストはにこりともしなかった。不機嫌そうな顔もしなかった。ただ、淡々と、
「歌は監察者にとっては取り締まりの対象のはず。人々が歌を聞く前に取り締まり、かつ、歌を聞いたとしたら、聴いていないようにイメージを換えて、上書きするのが役目のはず」
「違うよ。イメージで書き換えるけど、聴いていなかったことになんかしない。そんなことは誰もしないさ。現実の経験を奪うのは、それ自体が罪なんだから」
「ルフェンは、先代からの友好国だ。我々の陛下の代替わりを擁護し、国内の混乱を最小限にしてくれた大事な国でもある」
「なら、陛下に、にいたずらは止めろと、王弟へ言わせたらいい。あの弟殿下は、陛下の言うことなら聴くそうだから」
「陛下は、王弟殿下が国の意志に反したことをなさるとはお思いにならない」
「つまりは、陛下が口にした途端、国に背く弟がいると言うことになってしまう、と言うわけか。面倒くさいな。言った途端に、弟は幽閉される。そこまで行かなくても、査問会が開かれて、謀反の意思あり、とかなんとか、罪が問われる事になるのか。罪があったと、王自身が認めるわけだからな」
「我が国に歌姫はいない。あの森の屋敷にいる女性が歌姫ではない、と確認をしてもらいたい」
「私が行けば、歌姫であっても、歌姫じゃないとごまかせると思っている、と言うことか」
「あなたなら、万が一コーザス卿が能力者を雇って、中に別人がいるようにごまかしていても見破れるだろう、と言う事だ」
「私じゃなくても、監察者なら分かる」
「絶対の保証が欲しい。銀の帯の保証が。だいたい、歌姫だったら捕縛して宣誓をさせて歌を封じる。それが監察者の仕事のはずだ。歌えない歌姫は歌姫とは言うまい」
「そんな理屈がルフェンの外交官に通るのか」
とアッフェル・フォルトが言うと、
「国外に出るまでは、と宣誓させてくれ。歌わなければ、なんとでもなる」
と簡単にまとめてしまった。アルヘルストは、さらに、
「我々は、ルフェンとも王弟殿下とも、円満に関係を積み上げて行く事が望みだ。陛下は平和を愛しておられる」
「弟を溺愛している、の間違いじゃないのか」
とアッフェル・フォルトは呟いて、テーブルの端ですっかり落ち着いて聞き役に回っている老師に向かって、
「監察者の屋敷は、この依頼を受けるのですか?」
と聞いた。老師は、
「銀の小箱をお持ちの方の依頼を断れる者は、この国にはおるまいよ」
と答え、それから、よっこいせと腰を上げた。そこで初めて、テーブルの上の映像が消えた。今の今まで、物体があったかのような存在感はかき消えて、茶器置きと散らかった空の菓子皿があらわれた。
「行って見てくればよいのじゃ。明日にでも、行って来なさい」
と言った。さらに、アルヘルストへ向かって軽く会釈をして、
「と言うことで、ご満足いただけましたかな?」
と聴くと、アルヘルストは礼儀正しく視線を下げながら会釈を返した。




