第7話(3)
「葵。入っていいか?」
凛は、部屋の中にいる葵に向かってそう言った。
葵は凛に目を向けた。そして、彼の後に立っている美森にも目を向ける。
「・・・勝手にしろ」
葵は呟くようにそう言うと、ソファで眠っているそらに目線を戻した。
美森は、凛に続いて恐る恐る部屋に入る。
この部屋は、居間のようだ。
部屋の中央には小さなこたつがあり、向いにはテレビ、そして、そらが眠っている二、三人掛けのソファが窓際に置いてある。
葵らしい、シンプルな部屋だと美森は思った。
凛は、葵の傍らに立つと、そらのことを見下ろした。
「よかったな・・・。こんなかたちでだけど、妹が戻ってきてくれて」
「・・・・」
葵は、凛の言葉に顔色を曇らせた。
「そらをあの塔に閉じ込めたのは、冬の民だ。・・・私を含めてな。
私は、そらに何もしてやることが出来なかった。・・・そらが戻ってくる前に、私が無理をしてでも、私が会いに行くべきだったんだ。
そうすれば、そらがこうなることもなかった」
葵は、震えた声でそう呟くと、そらの汗ばんだ額に掌をそっと乗せた。
すると、葵の手全体が薄い氷に覆われ始める。
どうやら、その氷でそらの熱を冷ましているようだ。
「・・・・それで、そらの様子はどうなんだ?」
「体力と、冬の魔力の消耗がはげしい。・・・しかし、安静にしていれば大丈夫だろう」
「そうか。・・・よかったな」
葵は、凛の言葉に黙って頷く。
美森も、葵の言葉を聞いて安心した。
すると突然、凛が美森の方に振り向いた。そして、こっちに来るよう手招きした。
「・・・・・」
美森は、躊躇いながらも凛と葵に近づいた。
そして、ソファで眠っているそらの顔を覗き込んだ。
そらの顔色は、さっき見たよりもだいぶ良くなっているようだ。
(よかった・・・)
「美森が、そらがここに来るのを手伝ったんだぞ」
「!」
凛は微笑みながら、美森の顔を見た。
美森は、凛の突然の言葉に戸惑いを隠せずにいた。
(・・・でも、それは勇君のお陰でもあって・・・)
「ありがとな。美森」
「!」
美森が葵の顔を見ると、彼女は恥ずかしそうに、顔を伏せていた。
「あっ・・・どういたしまして・・・」
美森は、初めて葵が自分のことを認めてくれた気がして嬉しかった。
そして、初めて葵の口から発せられた自分の名前を聞くことができ、感動した。
そして夜・・・
──・・・美森と凛は、葵の家に泊めてもらうことにした。
美森は、居間の電気を消した。
そして、こたつの横のスペースにひいてある布団に潜り込んだ。
凛は、ソファに横になっている。
「お休み・・・凛君・・・」
美森は、暗い天井を見ながら言った。
「美森は、“この世界で一番大切なもの”見つかりそうなのか?」
「えっ・・・」
美森は凛の突然の言葉に、口をつぐんだ。
美森が凛のほうに振り向くと、彼は天井を見つめたままだ。
美森も、天井に目を向けた。
「凛君は?」
美森は、凛の言葉に答えることができなかった。
・・・前よりは、不安な気持ちは薄らいだ気がする。しかし、見つかるかどうかなんて、まだ分からない。
凛は、少しの沈黙の後口を開いた。
「俺は・・・まだだよ。後は、あれにかけることにした・・・」
凛は、低い声でそう言う。
美森は、凛の言葉にどきりとした。そして凛が昔、美森に言った言葉を思い出した。
《俺は、組織がつくる世界の中に“この世界で一番大切なもの”があると思った》
凛のかけは、間違いなくそれだ。
(・・・何で凛君は、そう思うんだろう・・)
美森は、絶対にそうは思わなかった。
組織がつくる世界は、間違いなく不吉な感じがする。今まで出会った人が、幸せじゃなくなる気がする。
(それに・・・)
その世界は、トワとノワが消えた後の世界だ。
トワとノワは、その世界には絶対にいない。その世界になった瞬間、二人は消えてしまうから。
しかし、美森には凛の言葉を否定することができなかった。
きっと凛は、自分なりにたくさん苦しんで、たくさん考えてその答えをだした。
その答えを否定する権利なんて、美森にはない。
しかし、美森にはどうしても気になることがあった。
それは・・・・
「凛君は・・・ノワさんが消えちゃうのが嫌じゃないの・・?」
「・・・別に嫌じゃない」
「!」
凛の言葉に、美森の心がズキリと痛む。
「・・・何でっ?」
美森は、トワとノワが消えてしまうなんて嫌だった。
どうして凛は、そんなことが言えるのだろう?
「っ・・・私は・・嫌だよ・・・」
沈黙・・・
そして凛が、口を開いた。
「なんで美森は、そんなことが言えるんだ?トワは、美森のことを無理やりにエターナルに連れてきた。
美森はトワのことを憎んでないのか・・・?」
「憎んでないよ・・・。トワは私に、優しくしてくれたし、励ましてくれた。
たしかに最初は、トワのことが凄く憎かったけど・・・」
「・・・・そうか・・」
凛の声は、悲しげだった。
まるで、すべてを諦めてしまっているような声だった。
「でもっ・・・ノワさんは・・」
「ノワは、俺のことを殺そうとしたのにな・・・」
「違うよ・・・。ノワさんは、凛君のことを助けようとしてたよ・・」
美森はあの時、ノワに頼まれた『神山 凛を助けてあげて』と。
しかし、美森はノワの頼みに答えることができなかった。
美森が始めて凛と会ったとき、彼は何の変哲のなく、普通だった。
だから、美森は助ける必要なんてないと思った。
しかし、ノワの口からでた言葉は『助けることが出来なかったようね』だった。
・・・そうか。そうだったんだ。
美森が助けるのは、“凛の心”だったんだ。
憎しみに歪んでしまった凛の心。人を信じられなくなってしまった凛の心。そして、この世界には“この世界で一番大切なもの”はない、と思ってしまった凛の心だ。
だからノワは、あの時、凛のことを消そうとした。
凛のことを消さなければ、自分たちは消滅してしまうと思ったから。
きっとノワはあのとき、既に凛が組織に協力していることを知っていたんだ。
凛はそれっきり何も言ってこない。
寝てしまったのだろうか、それとも、美森の言葉を聴きたくないのだろうか。
「・・・・・」
美森は固く目を閉じた。そして思った。自分は無力だと。
美森は、人の動く気配で目を覚ました。
「!・・・」
暗闇の中、その方に目を向けると、丁度、凛がソファからおりるところだった。
「・・・?」
そして凛は、美森の視界から消え、部屋から出て行ったようだ。
「・・・・」
美森は、布団から体を起こした。
(凛君・・・どこ行ったんだろ・・)
凛は、そっと部屋のドアを開けた。
その広くはない部屋の隅にあるベッドには、空が眠っている。そして、そのベッドに右頬と腕をつけて、眠っている人は葵だ。
おそらく、空の看病をしている間に眠ってしまったんだろう。
凛は、余計な物音をださないためにドアを開けっ放しにして、室内に一歩一歩慎重に足を踏み入れる。
その時、葵の瞼が微かに動いた。そして彼女は、ゆっくりと目を開く。
「・・・凛!」
葵は、凛が部屋にいたことに驚いたらしい。
「・・・・」
葵は立ち上がると、口を開いた。
「どうした?・・・何か用か」
「・・・・」
凛は黙って顔を伏せる。
「今晩は!」
「!!」
凛が横に振り向くと、そこには微笑みを浮かべている勇の姿があった。
葵は、大きく目を見開いて勇のことを見た。
「誰っ・・・!?」
勇は、葵が大声を出す前に、彼女の口を掌で押さえつける。
「大声だすな!パーツが起きるからな」
「んーっんー」
凛は、その光景を唇を固く結んで見ていた。
「星夜でも・・・こういうことするんだな・・・」
勇は凛のことを見据えて、呟くように言った。
「・・・」
凛は、そんな勇から目線を逸らす。
「っ・・・放せ!!」
葵は両手で勇の掌を、口から引き離した。
葵はその後、休む間もなく勇の首を両手で掴む。
「おっ。女の子なのに力強いな」
「お前は・・・そらのことを“パーツ”と呼んだ。
レストの民だな・・・。空のことを連れ去りにきたのだろう?」
「ああ、そうだよ!でも、正確には、俺じゃないけどな・・・」
葵の掌からあらわれた氷が、勇の首にまとわりつく。
勇はその瞬間、葵の腹に勢いよく拳を入れた。
「くっ・・・!!」
葵は床にうずくまる。
勇はそんなことは気にする様子なく、葵の頭を両手で掴むと、その顔を上に向かせた。
そして勇は、葵の苦しみに歪んだ瞳をしっかりと捉える。つぎの瞬間、葵はドサリと床に倒れ、動かなくなった。
勇は、そんな葵を見届けてから、凛に向きなおった。そして、彼は、首にまとわりついた氷を、手で払い落しながらぼそりと言った。
「これでいいんだろ?」
「・・・」
凛は黙って頷く。
「何してるの?」
「!!」
凛と勇は、声のほうに同時に振り向く。
そこには、ベッドから起き上がったそらが、こちらを見ている姿があった。