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おまけ《後日談》

「そう言えば、トヨさんよく遊廓行きを許してくれたな。あの様子だと、絶対無理だと思ったのに」

 家の近くまで帰ってきた頃、狂士はふと不思議に思って尋ねた。

「ふふふ、ある秘策を使ったのじゃ。母上なら、今ごろわしの創作熱に感心して……」

 意気揚々と先頭を歩いていた周三郎は、突如パタリと立ち止まり、ぶるぶると小刻みに震えだした。


「は、はわ、はわわわわ……」

「って、急に立ち止まるなって」

 狂士は立ち止まる周三郎の背中にぶつかり、背中越しにその目線の先を見る。

 そこには般若のような表情でこちらを睨み付け、玄関前で仁王立ちをしている、母トヨの姿があった。


「周三郎? あなた、朝まで徹夜で絵を描くと、申しておりませんでしたか?」

 トヨは表情を崩さず、抑揚のない声で冷静に問い詰める。

 すると周三郎は、ガタガタと面白いほどに激しく震えだした。


「おおお、思いの外、早く傑作が出来上がったのです……」

「ほぉ……ではその傑作とやら、母に見せてくださいまし」

 トヨは周三郎の首根っこを掴むと、女性とは思えぬ力でズリズリと引きずっていく。


「は、母上! 訳を、訳を聞いてください!」

「言い訳無用」

 周三郎の訴えも虚しく、彼はあっという間に家に引きずり込まれていった。

 地面に残された情けない2本の線を呆然と見つめ、狂士は母の恐ろしさというものを初めて知るのだった。


「親がいるってのも大変だな」

 狂士は呆れたように呟くと、引きずり跡を辿るように家に入っていった。


――――


「ほれ、早く口開けろ」

「な、狂士、急につっこむでない!」

「うるせぇ。面倒なんだよ、さっさと済ませろ」


 周三郎の顔は、たんこぶやら何やらで、元の顔がわからないほど大きく腫れていた。

 その上、全身縄でぐるぐる巻きにされ、部屋に放り込まれている始末。

 狂士はそんな彼に、握り飯をねじ込んでやっていたのだ。


「しかし見事にやられたな。しかも顔だけ」

「手を怪我しないように、母上なりの気遣いだな」

 周三郎は犬のように握り飯にかぶりつき、ぼこぼこの顔で笑っている。

「いや、顔でもやべぇだろ」


 餌やりをしながら、狂士は部屋の中をまじまじと見る。

 改めて見ると、筆やら小皿、小さな瓶に入った色とりどりの粉、そして下書きのような絵が描かれた紙が何枚も無数に散らばっていた。


「……なぁ、お前っていつから絵描いてんの?」

「むぐっ……そうじゃな、7つの頃に国芳(くによし)のおじちゃんとこに通ってからだな。あの頃は毎日が本当に楽しかった。色んな動物や景色を見て回って、何より国芳のおじちゃんが大好きでの……でも、すぐに辞めてしもうた」

「なんで?」

「うーん、わからん。父上に突然辞めさせられたのでな。けど、今は洞和(とうわ)先生の塾で絵を描いておるから、わしは満足じゃ」

 周三郎はあっけらかんとして話し、ギザギザの歯を見せてにっと笑っていた。


 そう言えば、周三郎の父の姿はまだ見たことがない。

「お前の父ちゃんって?」

「ん? そう言えば、まだ会っておらんかったな。今は火消し組の訓練で遠出しておる。またそのうち帰ってくるはずじゃ」

「ふーん、そっか」


 狂士はしばらく何かを考え込んだ後、ぐるぐる巻きにされた縄をほどきだす。

「な、狂士、母上からは夜までこのままだと言われたのだが!?」

「なんか、お前が絵描いてるとこ見たい。なんかちゃちゃっと描いてくれよ」

「えぇ!? し、しかたないのぉー」

 

 周三郎は腫れて赤い顔を更に赤らめ、恥ずかしそうに頭を掻く。

 そしてバチンと頬を叩き気合いを入れると、テキパキと紙や筆の準備をしだした。

 60センチ以上はありそうな大きめの紙を床に広げ、慣れたように墨をすっていく。


「お、おい、床で描くのかよ」

 部屋には低めの机もあったため、狂士は驚いて尋ねる。

「わしはこの方が描きやすいのじゃ」

「ほーん、そう言うもんか」


 周三郎は墨をすり終えると、特に悩む様子もなく、細い筆で思いきりよく何かを描いていく。

 するすると描かれる、まるでそういう機械のように迷いのない筆先。

 顔はぼこぼこなのに、眼光は鋭く、力むようにペロリと舌を出した姿は、妙に迫力を感じさせる。


 人間がこれほどまでに何かに熱中している姿を、狂士は初めて目の当たりにした。

 どんなものか、少し見てみたかっただけのはず。それなのに、周三郎の気迫溢れる姿に、いつの間にか目が離せなくなっていた。


 一体、どれ程の時間が経った頃だろう。

 食い入るように見続けたせいか、両目がバキバキになった狂士の耳元に、元気のいい叫び声が届く。

 

「出来たぁ!」

「おお! ついに!」

 

――――ある日の椿楼


「ふふ、やっぱ笑っちゃう。なんか可愛らしいよね、この絵」

「わかる。これ、化け猫? 大きな猫と、遊女の絵。すっごく上手いんだけど、見てるとなんか可笑しいんだよね」

 二人の遊女は、通りすがりに廊下に飾られた絵を見てクスクスと笑い会う。


「これ、周ちゃんが描いたんだよ」

 すると、話し声を聞いたお京が自慢気に割って入った。

「だあれ? 周ちゃんって」

「ふふん、将来有望な日本画家さんよー」

「えー、聞いたことない」

「うーん……それにしても、この二人の遊女、誰かに似てるような」

 化け猫のそばで仲睦まじく描かれた遊女の姿を見て、お京は喉に小骨がつっかえたような表情で首を傾げるのだった。


 それからというもの、椿楼は何故か客の評判が良くなり、粗暴な客は一切寄り付かなくなったという。

 しばらくして、質のいい客に恵まれるようになった椿楼は、吉原一の身請けと年期明けの多い妓楼として、遊女たちの間で噂になっていった。

 椿楼のある遊女は、化け猫の絵のおかげだと噂したが、真相は定かではない。

 ただ、椿楼にはある時から、2本の尾を持つ白猫が住み着き、一人の遊女にいつも寄り添っていた。

 そして皆はそれを大層可愛がり、まるで守り神のように大事にされたと言う。 


――――


「あの絵、やっぱり評判らしいぜ?」

「当たり前じゃ! なんせ、わしの傑作だからな」

「すげぇ自信。ま、ホントに凄いけど」

 

 狂士は晴れた空を見上げ、眩しそうに目を細める。

 現代から突然やってきた江戸の町。普通ならば、帰りたいと願う事態のはず。

 しかし狂士は、今まで生きてきた中で、今が一番楽しいと感じていた。


「ここ、変なやつばっかなのにな」

「あ? なんか言ったか、狂士?」

「別に、なーんも」


 

  

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