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一幕《化け猫》終

「ふぅ、とりあえず、出来る限りの処置は致しました。後は、この男の体力次第でしょうな」

「よかった。本当に、夜分遅くにありがとうございました。なんとお礼申し上げればよいか」

「よいですよ。だけども番頭さん、ここ最近は少し問題が多いようですな。皆さん、くれぐれもお体には気をつけなさいよ」

 医師の老人は穏やかな口調で諭した。

「面目無いです。どうも、本日はありがとうございました」

 番頭は恐縮しながら、深々と頭を下げた。


 医師が去ってから、番頭はその場にいた狂士たちに向き直り、深いため息を吐く。

「はぁ……夜光に狂士くん。何があったのか、説明してくれる?」

 呆れた顔で腕を組む番頭に、狂士は口ごもる。


「えーっと……」

「わ、私がっ、このお侍さんに斬りつけられそうになったところを、狂士が助けてくれたんです!」

 夜光は前のめりになりながら、必死に事情を説明する。


「……その足を見れば、斬りつけられたのは、本当なんだろう。しかしな……」

 包帯を巻かれた夜光の足を見て、番頭は痛ましそうに顔を歪めた。

「この男、どうやったらこんな全身傷だらけになるんだ? 前に何度か同じ事が起きたけど、結局原因はわからず仕舞い。それに、いつもその場にいたのは、夜光。お前だけなんだよ?」

「そ、それは」

 

 番頭の問いに、夜光は押し黙ってしまう。

 化け猫の仕業だなんて、いくら口で説明しても納得出来るものではないだろう。

 沈黙が流れる部屋の中、ようやく狂士が口を開いた。


「あ、あの! ちょっとだけ、待ってて貰っていいですか?」

「え? あ、あぁ。いいけど」

 そう言って、狂士はガバッと立ち上がると、襖を開けて走っていった。

 呆気にとられる夜光と番頭だが、数分も経たないうちに、またドタバタと騒がしい足音が近づいてくる。


 バンっと勢いよく襖を開けた狂士の手には、バタバタともがく一匹の白猫が捕まえられていた。

「きょ、狂士くん、そ、その猫は?」

「はぁ、はぁ……こ、コイツです! 犯人!」

 息を切らしながら白猫を突き出す狂士に、夜光は笑顔のまま目をパチクリとしていた。


「あ、あのねぇ……こんな時に冗談言わないでくれるかい?」

「あー、いいから、見ててください!」

 狂士は白猫の体をユサユサと揺さぶり、苛立ったように小声で呼び掛ける。

「おいコラ猫又! 早く大きくなりやがれ!」

「や、止めんか小僧! なんのつもりじゃ!」

 目を回しながら混乱する猫又を、狂士はさらに揺さぶる。


「番頭さんに本当の事を教えんだよ! 口で言うより見た方が早いだろ?」

「わ、わかった! わかったから、その揺さぶりを止めてくれ! うっぷ……」

 猫又は込み上げるものを押さえながら、渋々と言ったように承諾する。

「よし。ほら、頼んだぞ」

 畳の上に下ろされた白猫を、番頭は不思議そうに見つめる。


 (全く……猫使いの悪い小僧じゃ。う、うぇ……)


 猫又はフラフラとよたつくが、スッと目を閉じ、意識を集中させる。

 すると部屋の中は瞬く間に、モヤモヤと黒い瘴気に覆われる。

「な、なんだこれは!?」

 番頭は口を押さえ、初めて目にする光景に慌てふためく。


 やがて黒いモヤの中に、うっすらと大きな影が姿を見せる。

 それは虎よりも遥かに大きく、頭が天井に付く程の規格外の大猫であった。


「わぁぁぁ! な、なんだ、この化け物は!!」

 化け猫の姿を見た番頭は、あまりの事に腰を抜かす。

「化け物とは失礼な。我は由緒ある猫又であるぞ?」

「ひぃ! しゃ、喋ったぁ!」

 番頭は理解が追い付かないほどに混乱しているようだ。


「偉そうにすんな。ほら、他に言うことがあるだろ?」

 冷めた態度で割って入った狂士に、化け猫はムスっとした顔で返事をする。

 

「む、わかっておる……あー、ゴホン。一連の奇妙な出来事、それはすべて我がやったことだ。この娘は関係ない」

「こ、この、化け物が?」

「猫又だと言っておろうが!」

「ひぃぃ!」

 猫又の迫力に、番頭は怯えて頭を隠して尻を付き出した。

 

「こら! ビビらせてんじゃねぇ」

 狂士は猫又の背中に軽く蹴りを入れる。

「す、すまない。とにかく、もうこのような出来事は起きぬ。安心せい」

「わ、わかりました」

 番頭は声を震わせながら、おずおずと顔を上げる。

「だが……また礼を欠いた粗暴な輩を、客として迎え入れるなら、我は娘たちを守るため、再び牙を向くかもしれぬぞ? それだけは、肝に命じておれ」

「は、はいぃ!」


 猫又の迫力に、番頭は畳に頭を擦り付ける。

 とりあえず場が収まったようで、狂士と夜光はホッと胸を撫で下ろし、お互いに顔を見合わせて笑うのであった。


――――椿楼 ある一室


 事が一段落し、周三郎を待たせていた部屋を訪れた狂士は、襖を開けたままその場で固まっていた。


「わぁぁー、待て待てぇー」

「あははは、周ちゃんったら、どこ行ってるのぉ? あたしはこっちだよぉー」

「スンスン、こっちからお京殿の匂いがするぞ!」

「きゃっ、もう周ちゃん! そんなとこ触っちゃダメよぉ」

「い、いやはや、これは失礼した」


 周三郎は目隠しをして、お京という遊女にデレデレと鼻の下を伸ばしていた。

 しばらく固まっていた狂士だが、ドシドシと部屋に入るなり、周三郎の目隠しをむしり取る。


「何呑気に遊んでんだコラァ!」

「きょ、狂士! 心配しておったぞ! 話しは上手く行ったのか?」

「何が心配してただ。鼻の下伸ばして女追っかけ回して遊んでたくせに」

 白々しい物言いの周三郎を、狂士は呆れた顔で睨み付けていた。


「な、何も最初から遊んでいた訳ではないぞ? やることがなくて退屈していたところ、お京殿が相手をしてくれていたのだ! ねぇー、お京殿?」

「ねぇー」

 呑気な二人のやり取りに、狂士は深いため息を吐いた。

 

「はぁー、まいいや。とにかくほら、あの部屋の片付けするから、お前も手伝え」

「お、そういうことならお任せあれじゃ! さ、早く行くぞ狂士!」

 シュタっと立ち上がり、周三郎は勝手に部屋を飛び出していく。

「なんでお前が仕切るんだよ……おい、待て周三郎!」

 狂士は文句を言いながらも、後を追いかけていった。

 

「周ちゃん、狂ちゃん、またねぇー!」

 残されたお京は、のんびりと大手を振って、二人の後ろ姿を見送るのだった。


――――明け方


 部屋の片付けも終わり帰り際、椿楼の門を出ようとする狂士たちを夜光が呼び止めた。


「狂士、周三郎さん!」

 夜光は息を切らしながら、パタパタと駆け寄ってくる。

「はぁ、間に合った……」

「どうしたんだ? そんなに慌てて」

 息を整える夜光の腕には、白猫姿の猫又が抱きかかえられている。


「どうしても、お礼が言いたくて……今日は、本当にありがとう!」

 直角に曲がるほど深々と頭を下げる夜光に、狂士たちはオロオロと狼狽える。

「やめろって、別に大したことはしてねぇし」

「そ、そうだぞ夜光殿、顔を上げてくだされ」

 二人の言葉に、夜光は頭を下げたまま、ふるふると顔を振る。


「ううん……狂士たちのお陰で、私、これからも華世ちゃんと一緒にいれるんだもん。本当に、なんてお礼を言えばいいか……」

 夜光は微かに声を震わせながら話していた。

 すると、夜光に抱かれていた猫又が、ふと優しく声をかける。

『夜光、泣かないで顔を上げなきゃ』

「華世ちゃん……」

 

 華世の魂を宿した猫又はスルリと抜け出し、夜光の肩に飛び乗った。

『狂士さんたち、私からもお礼を言うわ。夜光を救ってくれて、本当にありがとう』

 猫の姿で、しおらしく頭を下げた華世は、夜光の頬に顔を擦り寄せる。

 それを見た狂士と周三郎は、顔を見合わせて朗らかに笑った。


「あ、そうだ」

 狂士はふと何かを思い出したように、懐に手を入れてゴソゴソと探る。

「あった、ほら」

 狂士は懐から取り出した小さな何かを夜光に手渡す。

 

「これ……あの時の!」

「一緒に買い出しに行った時、お釣りで買ったんだ。色々あって、すっかり忘れちゃってたけど」

 夜光は小さな小花柄のつげ櫛を、嬉しそうに色んな角度で見つめていた。

「……でも、こんなの貰っていいの?」

「はは、俺が持っててもしょーがないだろ?」

「ぷぷっ、狂士が頭に付けてたら、気色が悪くてかなわんな!」

「……お前は黙ってろよ」

「あはは、本当だ」

「あー、もう。夜光まで笑うなよ」


 夜光は櫛を大事に握りしめ、去っていく狂士たちに、いつまでも手を振り続けた。

 遊廓で働き続けることは、華やかに見えて辛く厳しいもの。

 それでも、夜光のそばには華世の存在がある。そして、大切な友人も。

 それだけで、夜光の心は明るく、希望に満ちていた。

 

 櫛は、別れを意味する贈り物。

 そして、愛や絆の結び付きを意味する、あたたかい贈り物でもある。

 

 

 


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