26:逃亡者
『Overdose』
無機質な声をベルトが静かに吐き出す。
肉を味わうような咀嚼音。吐き捨てられる頭骨。怪人の身体は震えながら膨張し、拘束を強引に破壊していく。
「離れろ善継! 魔物化するぞ!」
「くそったれが」
逃げられた。それも死に。絶対に捕まえられない、誰も罰せられない、ある意味一番安全かつ無責任な場所だ。悪態の一つでもつきたくなる。
だが今は口よりも足を動かさなければならない。
「・--・ ・・・ ・-、-・-・ -・-- ・・ -・--・」
魔物化したアディクショナーの特徴である顔いっぱいの歯茎丸出しの口。氷が膨らみ人型から別のものへと変化していく。氷が割れるのではない。滲み出た水が瞬時に凍結するように体積が増えていく。
太く逞しい獣脚、長く真っ直ぐとバランスをとるように伸びた尾。無数の牙が並ぶ大きな口。恐竜、カルノタウルスの氷像のような魔物が咆哮を上げ威嚇している。そして額に有る人間のような口からは呪詛のようにモールス信号で何かを語っていた。
でかい。ビジュアル通り巨大な肉食恐竜のような図体は圧巻だ。
「うわぁ。言い方は良くないですけど、あれが由紀さんの魔物ですか? 恐竜みたいで見た目は悪くないですけど」
「良かろうと悪かろうと、私からすればどっちも吐き気がするだけだよ」
あからさまに嫌悪する由紀。当たり前だ。これは由紀から作られた勇者ドラッグが引き起こした事。それだからか、この醜悪な怪物が自身と重なって見えてしまう。
こいつはお前自身だ、お前の内にある本性だと幻聴が聞こえる。
「で、八ツ木さん。もう魔物だから手加減しなくて良いですよね? 中にいた人間はそこで骨になってますし」
「……ああ」
ここまで冷めきった声を聞くのは久しぶりだろう。怒りと憎悪に満ちた由紀に背筋が凍るようだ。今の彼女を不用意に刺激してはならない。
「なら遠慮なくぶった斬ります。私一人で充分ですので、離れていてください」
感情の込もっていない無機質な声だ。だが解る。感情を抑えているのだ。
「ありゃ完全にキレてるな。善継、巻き込まれる前に離れよう」
「アミ、離脱するぞ。ユッキー、暴れるのは構わないが建物の被害は最小限にな」
「了解」
霞むような呟きと同時にゆっくりと歩み寄る。一歩、また一歩と歩きながら見上げる。
瞳は燃えていた。睨むなんて生ぬるい。勇者の力、それが全て殺意となって向けられている。
「--・-・ ・・ -・・- --・-・ ・・ -・・-」
大きく開放された顎、無数に並ぶ氷の牙は一斉に発射される。まるで氷柱の機関銃。鋭い氷の刺が雨のように由紀へと迫る。だが流石は勇者。両手に握られた刀を目にも止まらぬ速さで振り回し、氷柱を次々と弾いていく。
砕けた氷の破片が足下に散らばり溶ける。何が起きているのか常人では理解するのは不可能だろう。
「あームカつく」
歩きながらも氷柱をさばく速度が上がっていく。
「そりゃ私も勇者だから力は貰い物だよ。でもそれを更に又借り。冗談じゃないよ」
一歩踏み込み炎の斬撃を飛ばす。迫る氷柱を溶かしながら一直線、顔面に直撃し爆発する。溶けた表皮は水となり床へと滴り、左半分からは湯気が立ち上る。
怯み後退りながらも魔物は敵意を消さない。それは由紀も同じだ。
「小原君も馬鹿みたいな事やってくれたし、二号の部下に候補者のがいたし、SNSで私のアディクショナーが出たのを見る度にむしゃくしゃするのよ。私のせいじゃないかなって」
立ち上がり咆哮。大顎を開き噛み付こうと走り出す。
由紀の身体を丸飲みにしようとした瞬間、真上に跳び刀を逆手に持ちかえる。
「それだけじゃない!」
背中に飛び乗り刀を突き刺す。背から中をかき混ぜ抉る。血は出ない、そもそも有機物なのかも怪しい。炎の刃が氷の身体をじわじわと消滅させていった。
「自分勝手に暴れただけじゃなくて、最後は私で自殺? 責任から逃げて、罪から逃げて、逃げて逃げて逃げて。そんな馬鹿げた事に私を利用しないで!」
「!!!」
魔物は尾を振り暴れ回り由紀を振り落とそうと身を捩る。流石に体格差は歴然。十メートルはある巨体が暴れれば張り付くのは困難だ。刀を刺したまま飛び退き着地。両手に再び炎の刀を生み出す。
「誰もがお姉ちゃんみたいになれないのは解る。けど、関係のない人を巻き込まないでよ!」
『チャージ!』
ギアを叩き床を強く踏むと、足下から氷の道が延びる。氷の道は蛇のように魔物の周囲を取り巻き、逃げ道を塞ぎながら囲む。
由紀は道を走り上へ上へと駆け抜ける。氷の上から飛び降りると、待ってたとばかりに魔物は氷柱を由紀目掛け発射する。
しかし刀を投げつけると熱を増し、氷柱を飲み込みながら魔物の喉に深々と突き刺さる。
「消えろ!」
『必殺フィナーレ!』
攻撃が止まった一瞬。残った刀を両手で握ると炎がより勢いよく噴出する。巨大な刃を真上から一閃。一文字に両断する。
「フン!」
着地と同時に横薙ぎに追撃。自身の作り出した氷の道ごと真横に切り伏せる。
十文字に切られた魔物はそのまま静止。切り口から黒い塵となって消滅していった。




