第3章 蟹とピーナッツ 第2話
そとの世界ではすこし前から様々なものが消えるようになっていた。いつの間にか気付かないうちに。姿形はもちろん、人々の記憶からも存在が消えるのだ。けれど、なぜか島で消滅は起きないようだった。
この現象に最初に気付いたのは、島と本土をむすぶフェリーの船員、そら豆たちだった。ある日いつものように島を出発したフェリーが本土に着くと、昨日までそこにあった港がきれいさっぱり消えているのだ。そら豆たちは、竜巻か地震かなにか自然災害が起きたのだと思った。街の人々は無事なのか?心配になった彼らは沖合で錨を下ろし小型ボートで陸に上がった。上陸してまず驚いたのは、どの建物にも屋根が無いことだった。島のクサガメじいさんのボロ屋ならいざ知らず、都会の立派な建物の屋根が無くなるなんて...。しかも、ざっと見渡すかぎりすべての建物が屋根を失っていた。よほど大きな竜巻か地震だったのだろう...。だが奇妙なことに街の人々はいつもと変わらぬ様子で平然と歩いていた。誰に聞いても竜巻も地震も起きていないと言う。そればかりか、ここに港があったことも誰も覚えていないのだ。
そら豆たちはだんだん怖くなってきていたが、かたまって少し街を調べてみることにした。それぞれが思い浮かべる好きなものを捜してみると、たくさんのものが消滅していることがわかった。コークハイ、おにぎり、ショートボブ、スポンジボブ、鏡、ポールトーマスアンダーソンのマグノリア、三角コーナー、桃、おねがい!ピーナッツの八巻、シナモンスティック、ピンクの恐竜、fayrayの最初で最後の恋、アイライナー、カレーライス。消えたものは他にもまだまだあった。サラリーマンはみなスーツ姿に中尾彬のねじねじを巻いていたしカレンダーからは木曜日が、車からはハンドルが、ヤクルトのイメージキャラクターからは宮澤エマが消えていた。どこか遠くのほうで爆発の音とサイレンが鳴り響き、何本も黒い煙が立ち上っている。変わり果てた世界と変わらない人々。そら豆たちは頭がおかしくなりそうでいちもくさんに島へと帰って来た。
そら豆たちは真っ先に長老おむつの下に向かった。報告をうけたおむつはただちに緊急老人会を開いた。消滅する前に外の世界から取ってくる物はないか?島に存在しない素晴らしく価値のある物である。難航した話し合いのすえそれは『ビッグマック』に決まった。最後まで意見が割れていたミスタードーナツは『穴』が消滅しサーターアンダギーと変わりない、という報告が敗因となった。
本土からビッグマックを持ち帰る。このミッションに、腕っぷしの強い若者たちが名乗りをあげた。危険な世界からビッグマックを持ち帰ればヒーローになれモテモテである。こうして『ビッグマック隣保班』は結成された。大急ぎでお金や武器・乗り物などの準備をして、次の日の夜明けには出発して行った。島をあげて盛大に見送られたビッグマック隣保班だったが、どれだけ待っても彼らが戻って来ることはなかった。島じゅうが悲しみと恐怖に包まれるなか、蟹の旅立ちの噂が広まった。ほとんどの者がそれを良しとしなかった。長老から浜辺に呼び出された蟹はみんなに取りかこまれ、その理由をたずねられた。蟹はもぞもぞと答えた。
「東京にいる珊瑚礁に、会いに行こうと思いまして」
「珊瑚礁?幼なじみの?」
長老はおどろいた。
「えぇ、えぇ。その珊瑚礁です」
蟹は照れながら答えた。
「なぜいま?!東京がどうなってるかお前知らんのか?」
鶏が飛び上がった。
「流行り病にかかれば消滅するって噂だろ?」
椎茸はしかめっつら。。
「メールがぱったり来なくなってしまったんですよ。それに...」
「それに?」
長老が聞き返すと蟹は全身を真っ赤にしてこう言った。
「メールにハートマークが沢山ついてるんです」
その場にいた全員が思った。蟹は、珊瑚礁に、惚れている。老人たちは呆れてもう何も言えなかったがちょっとだけ、そういうの良いなぁとも思った。
雲ひとつない青空のもとクサガメじいさんの運転で、蟹と自転車を乗せたボートは一路本土を目指している。振りかえるともう、島は蜃気楼になって水平線を揺らめいていた。桜ももう見えなくなっていた。
「クサガメさん。本当にありがとうございます。あなたがいなかったら本土に渡れませんでした」
蟹は深々と頭を下げた。
「気にするでない。お前さんとわしの仲じゃないか」
クサガメは笑った。
「みんなの前ではああ言ったけれど...たしかに、珊瑚礁のことは心配なんだけど、なんだか今すごくワクワクしてるんですよね...これって、変ですよね」
蟹はずっと島のみんなにも珊瑚礁にも悪いことをしている気持ちでいた。
「初めてのそとなんじゃ、無理もない。そのハサミがかならず、呪われた縁を断つじゃろう。広い世界を、思いっきり楽しむんじゃ」
クサガメは言った。
「はい」
大きくうなずいた蟹がふと足元を見ると、そこには桜の花びらが落ちていた。海辺の、あの桜の花びらだ。蟹は花びらをハサミでそっと拾い上げると目をつぶった。まぶたの裏の桜は月明かりに照らされ微笑んでいた。蟹は花びらをだいじに懐にしまうと顔を上げた。見つめる先に本土の姿があらわれはじめた。




