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ガロア剣聖伝  作者: 北見りゅう
第八章
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悲劇の始まり5

 教会において、尼僧達に与えられている私室の扉が開かれ、恐らくは中年以上と思われる女性僧侶が立っていた。

 ティプテは作法通りに膝をついて祈りの姿勢をとってから


「お召し。

 あら、何でしょう」


 首を傾げた。自分より位が高い相手にも、いつもと同じ様子を崩さない。

 彼女と同居する若い尼僧が、信じられないような顔つきになり、それは扉の前に立つ女性も同感のようだった。


 時間が無いと見えて、表情に不快感を表すにとどまり


「何でもよろしい。

 支度なさい」


 外出の用意を言いつけた。ティプテは立ち上がり、衣服を改めにかかった。

 時刻は西刻の四課(午後九時)に近いはずで、若い娘、しかも僧侶の身が外に出る時間とはとても言い難い。


 せめて用件くらいは聞かせてくれても良さそうものだが、全くその気配は無かった。


(………いいわ、そのうち判るもの)


 ティプテは簡単に考えるのを止めてしまい、後は無言で指示に従った。どうせ断れないのだし、自分の要求が通る見込みもつかないのだから。


 一枚布製の僧服を頭からかぶり、簡単に手ぐしで頭髪を調えた時、支度が出来たと見て取ったらしい年配尼僧が扉から離れた。


 部屋の外は灯りも無い、牢獄とさまで変わらぬ暗い宿舎の廊下が続く。

 手持ちの燭台を持参している先導役は、平静な足取りで歩いているが、ティプテは苦労しながら付いて行く。


 やがて教会の裏手玄関へ着いた。


 教会の造作は、現代も帝国時代に定められたままである。正面玄関は神殿を訪れる礼拝者のためにあり、その裏で日常生活を営む僧侶は、この宿舎房に近い位置にある玄関から専ら出入りする。


 ティプテが連れて来られたのは尼僧専用の玄関で、通常はまず男性が姿を見せる事は無い。

 ところが、玄関には壮年男性がひとり立っていた。


 栗色の髪からして、大陸の平民階級ヘリム人であろう。御者姿をしている。

 ティプテは目をぱっちり見開いて、ひどく珍しげに彼を見つめた。


 初対面の相手を凝視するのは、どうやら彼女の癖であるらしい。御者の方が気後れしたようだった。

 彼は目のやり場に困ったように視線をおよがせ、やがて年配の尼僧を見やった。


「ワルド神僕女。あなたをお呼びの御方がいらっしゃいます。その者について行きなさい」


 尼僧は反駁を許さぬ強い口調で指示、いや命令してきた。

 ティプテは黙って頷き、靴を履き替えた。御者は無言で彼女を連れ出すと、教会の裏門につけてあった馬車へ招じ入れた。


「どちらへ行かれますの」


 乗る前に、ティプテはごく当然な質問をした。へリム人の御者は答えなかった。返事無用と申し付かっているらしい。


 随分な待遇というべきだが、抗議も抵抗も無駄だと、彼女もさすがに承知している。それ以上は何も言わず、馬車に乗り込んだ。


 十七年の人生において、二度めの乗車である。故郷イルビウクから、首都タステリクへの移動以来だった。


 木板を置いただけの粗末な固い座席に腰を下ろした時


(ランスフリートさまかしら)


 ふと、期待が胸にめばえたが、我ながらこれは夢がすぎる。それは無い、と思い返した。

 密会と朝帰りから十日ほどが経つが、ランスフリートとは会えない日々が続いている。


 礼賛の儀で顔を見、視線を交して微笑み合うのが精一杯だった。

 二回、手紙を貰った。一度は外出が出来なくなった旨を知らせる文面であり、次は機嫌伺いであった。


 どちらも短かったが、ティプテには宝石を届けられる以上の喜びをもたらして余りあった。

 個人的な家臣を持たないランスフリートにとっては、手紙を一通差し出す程度の事すらも難作業なのだった。


 この時代、手紙とは貴人が直筆するべきものではない、というのが大陸の常識なのである。手紙を書く時は、必ず代書人に文面を作成させ、本人は署名だけをする。


 かつての動乱時代、頻繁に直筆文書をやりとりしたばかりに、謀反の疑いをかけられて謀殺された者が多数いたため、いつしか代筆が習わしになっていった。その名残が現在も残っているのである。ランスフリー

トとティプテには、実に迷惑な習慣と言える。


 従者と称する監視の目を掻い潜って筆記用具を工面し、周囲を憚りつつ短い文面を書き、下働きの者を頼って、ようやく恋人の手許へ手紙を届けさせた――そうまでして手紙をくれた彼の真心が、ティプテにはたいそう嬉しいのである。


 またたく星の頼りない光にどうにか照らされている道を、馬車は静かに進んで行く。

 車窓には帳がかけられているが、もしそれが無く、外の様子を伺い知る事が出来たとしたら、さすがにそんな想いに浸っておれはしなかったであろう。


 一頭立ての地味な馬車は、城の裏門を出、まっすぐ貴族街へ向かい始めたのである。

 布施を集める時以外は城の敷地内に居て、しかもたまの外出も市民街にしか行かないティプテにとって、ランスフリートが暮らす豪勢な建物の街を訪れるのは、生まれて初めての椿事であった。


 しばらく車内で揺られ、眠気がさしてきた頃、目的地に着いたと告げられた。

 同時に馬車が停止し、扉が開かれた。降りるよう指示を受けて、ゆっくり外へ出たとき。


「まあ」


 彼女は、自分が異世界に紛れ込んだ事を、視覚で知らされた。

 城には及ばぬながらも、手の込んだ彫刻で壁を飾られた豪壮な邸宅が目の前にあった。


 やや小振りな門構えではあったが、清掃が行き届いており、周囲は常緑の植木で飾られ、玻璃囲いされたろうそくの灯に明るく照らされている。


 貴族の屋敷でなければ、考えられない贅沢である。

 よく見ると爵位を表す紋章が掲げられていない。屋敷の裏手であろう。

 これだけも、ティプテは充分に驚いたが、邸内に通されていっそう驚いた。


 玄関の中は、教会のそれとは違いすぎる明るい空間であった。天井から大きな玻璃の箱が吊るされており、ろうそくが何本も立てられていて、光を放っているのである。


 町家では相当な富豪の屋敷以外には、まず見られる事は無い、点燈篭という設備だった。

 降り注いでくる山吹色の光が、廊下を埋める高級な白輝石の表面を照らしつけている。つるつるとした光

沢が目に痛いほど美しい。


 まことに幻想的な虹色の廊下を通り抜けると、すぐ居間に到着した。

 広々とした空間を、やはり点燈篭が輝かしく照らしており、辺りを眺めるのに苦労は要らなかった。


 観葉植物が見た目良く配置され、美術品としても価値があろう豪華な調度品に埋められた、夢のような室内を見、ティプテは声もなくたちすくんだ。


 ぼう然としている少女の様子を、椅子に腰掛けて眺めている者がいた。

 屋敷の主人である。彼は頃合いと見たか、軽い笑声をたてた。


「来たかね、ティプテ。我が姪よ」

「姪」


 初めて耳にする呼びかけに、ティプテは目をみはった。それから声の主を探した。

 という程でもなかった。気づかぬほうがおかしいくらいの至近に、肉付きの豊かな壮年レオス人男性が座っていたのだから。


「あのう……どなたですの」

「わたしは、君の伯父だ」


 直接には名乗らずに、男は身分を明かした。

 言うまでもなくバースエルム剣爵、国王の舅にあたる上級貴族であった。


 剣爵は、姪である少女を差し招き、円卓を挟んで相対するように座らせた。

 伯父と姪の初めての対面である。もっとも、伯父の方は誰が見てもそうと分かる作り笑いを浮かべていたし、姪も姪で驚くばかりで、長く離れていた肉親同士の対面の割には、感動的には遠い雰囲気だったが。


 今一つ状況を把握しかねているらしい少女へ、剣爵はさらに笑いかけた。

 当人は温和な表情を作った積もりであろうが、はっきり強張っていて、あまり善良には見えない笑顔になっている。


「息災だったかね」

「……はい」


 言葉少なく、ティプテは答えた。人見知りとは天性無縁そうな彼女でも、警戒する事はあるのだった。

 いかにも不審そうな彼女とは対照的に、剣爵は軽いやりとりを経て緊張をほぐしたものか、先程よりは自然に見える笑顔になった。


「そういぶかしがらずともよい。

 わたしは君の肉親なのだよ。君の母上メルティエどのもよく知っている。佳人だった」

「まあ、お母さまを」


 メルティエ・ワルド。限りなく懐かしい優しい響きの名前を出されると、もうそれ以上警戒心を深める事は出来なくなった。


 やや安心した様子のティプテにつられたように、剣爵の顔つきも一層和らいだ。


「メルティエどのが亡くなられた事は判っていたが、どうにも出来なんだ。


 君の父である我が弟も、それはそれはひどく嘆き、何とか君を引き取れぬかと、わたしに詰め寄ってきたものだ。


 身分差のゆえ願いは叶わぬと、わたしも諭すのに苦労した。

 彼は、ならばと密かに手を回し、君の居を移させたのだ。


 娘を少しでも手元に近いところへ住まわせたい、との親心。これしか叶わぬと嘆きながらな。

 君が、急にイルビウクの教会からこの王城内にある寺院へと異動したのには、そういうわけがあったのだよ」


 剣爵はおごそかに語ってのけた。

 とんでもない架空の涙話で、そのような事実はかけらもないのである。


 教会を移させたというくだりが、精々事実に近いと言えるだろうが、それも誇張と言ってよい。

 実態は、盾爵が一方的にメルティエを見初め、一方的に関係を強要したうえ、一方的に捨てたのである。


 後日、落胤があるらしいと判明すると、盾爵は甚だ狼狽し


「もし、そのような者が本当にいるのなら、城内の教会に居を移させて監視しろ。

 何かやらかそうとしたら、すぐ知らせるのだ」


 家臣に命じた。

 これをもって口利きとは、厚かましいにも程があるというものである。


 その後、問題の庶子がじつは娘であり、出生の事情について無知である、と判明してからは、盾爵はすっかり安心して彼女を放置した。


 最近になって、その娘が国王子息と恋仲になっているとの噂を耳にするまで、薄情にも存在を忘れてすらいたのだった。


 もちろん、裏の事情はおくびにも出さないで


「ただ異動はさせたものの、やはり思うように君を訪ねるわけにはいかなくてな。

 影ながら見守るのが精一杯なのだ。会いに来ない父親を、どうか許してやってくれ」


 大真面目に、年若い少女をたぶらかしにかかっていた。


「決して会いたくないのではない、会えないのだよ」

「はい」


 ティプテは大きな瞳を潤ませて、伯父の話に聞き入っていた。


「お父さまは、近くにいらしてくださったのですね」

「うむ。そこで、だ。

 じつは、今夜わたしは君を彼に会わせる予定でな。そのために呼んだのだ」

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