悲劇の始まり3
果たして、 二心はないのか。
エルンチェアにおけるヴァルバラスの立場とは、単に手切れするブレステリスの代わりにすぎないのか。
それとも、南方圏への領土的野心を遂げるための、軍事的橋頭堡なのであろうか。
ヴェールトの敵対を足がかりとして南方圏制圧を企画しているのではないか。
ダリアスライスにとっての重大事は、一点にかかってこの部分である。
「ヴァルバラスやツェノラがどう動こうと、それ自体はさほどの問題にはならん。
あくまでエルンチェアの動向が問題だ。
我らとしては、北に南方進出の野心を抱かせぬためにも、また当方の塩貿易における権益を保護するためにも、ヴェールトには先走ってもらいたくはない」
「先走るなというのは、ヴェールトがグライアスに鞍替えするのはいいのか」
問いに、ダディストリガは頷いた。
「構わん、いや推奨しても良い。
グライアスが産塩事業に乗り出してエルンチェアと覇を競ってくれれば、現在の一国独占状態よりずっと安価の塩が入手可能になる。歓迎できる話だ。
ただし、今すぐの話ではない」
「つまり、近い将来の事なんだな」
「ああ。
グライアス産の塩には、まだ商品価値が無い。知名度といい信頼性といい、エルンチェア産の塩には及びもつかぬ。
はっきり言ってしまえば、売り物にならんのだ。
よほど安くすれば話は別だが、それでは市場が値崩れを起こす。
先物買いの商人どもが暴動を起こしかねん。
ゆえに、グライアスの性急すぎる行動は、現状、当方にとっては迷惑でしかない。
段階的に動いてもらいたいのが当方の意向だ」
「軍人のくせに、よくそんな事まで気が回るな、ダディストリガ」
あきれ混じりの賞賛が、苦笑いとともに口をついて出た。ランスフリートは、つい怒りを忘れていた。
「軍務と商務が連動するとは、寡聞にして知らなかった」
「言ったはずだぞ。関わりの有る無しは単純には決められぬ、と。
他国は知らぬが、我がダリアスライスは事実上ティエトマール家支配、官僚の国だ。特に当一門の者は、軍人だから軍務に専念しておればよいとはゆかぬ」
「ご苦労な事だ」
まじめな従兄に対して、ランスフリートは冷めた口調で応じた。
「勤勉有能なティエトマール家一門のご苦労のおかげで、王冠の持ち主は毎朝神殿を参拝してさえいればいいわけだ。気楽だな」
「皮肉はよさんか。
とにかくだ。我らはヴァルバラスやツェノラの都合とは無関係に、ヴェールトへ交渉せねばならぬ」
「脅迫だろう。
南西三国に売る木材の流通路を抑えているのだから、そのあたりをつついて」
「言葉を慎め。
その南西三国のいずれかと、当方は手を結ばねばならんのだぞ」
ダディストリガは不機嫌に言った。ランスフリートは驚いて、発言者を凝視した。
「何だって。
連合するのか、あのしち面倒な国々と」
「したくはないが、この際は気分など二の次だ。
嵐による災害が多い南西三国では、建築資源としての木材が常に必要だ。ヴェールト産の木材は、多少値が張っても買わざるを得ぬ。
買うなと言ったところで、先方は聞くまい。ならば、ヴェールトから買えぬようにするしかない」
おぞましいまでに冷厳な政治の論理が、そこにはあった。
要するに、国益の名の許、王家から姫が嫁がされるのである。
ランスフリートの脳裏には、ある女性達の姿が描き出されていた。
異母妹である。三名いる。
「……フェレーラか」
王室女子の中で最年長にあたる妹の名を、彼はつぶやいた。ダディストリガは否定しなかった。
「もはや特定の一国とよしみを結ばぬ、などと原則論を振り回しておれる状況ではない。
まだ決定ではないが、だいたいは決まりと見ていいだろう」
「……どこへ、行かせるんだ」
「最も可能性が高いのは、エテュイエンヌだな。
ラフレシュアは知っての通りの有様で、縁談どころではあるまい。サナーギュアには、縁談を調えられる手頃な人材が無い」
縁談を商談に置き換えても何ら違和感のない口調で、ダディストリガは答えた。
ランスフリートは、表情を失った。
理性では、その必要性を理解できる。しかし、心の一部が割り切りを拒否するのである。
彼もまた、自分の希望に忠実な人生を送れない身の上であったから。
「当人の意思は、もちろん関係無いのだろうな」
「当たり前だ。
どこの国の王室が、いちいち当人の意思を確認するという」
ダディストリガは肩をすくめた。心底、意味が分からないと見える。
ランスフリートは言い募るのを控え、小さく吐息した。
「そうか、フェレーラが嫁くのか」
その代わり、感慨深げにつぶやいた。
立場、宮廷慣例、現況――諸般の事情とかいう、甚だ厄介な要素のせいで、兄妹らしい交流などほぼ無いに等しい。
とはいえ、血縁者に違いはないのだ。
不幸を願う、または無関心でいる、といった冷酷な心境にはなりにくかった。
「幸せになって欲しいものだが……どうなんだ。エテュイエンヌ王国は」
「鎖国志向が強い南西三国の一国だからな。
正直なところは不明、と言わざるを得んよ。
ただ、他の二国よりは物事が見えている様子だ。
さしあたりの縁組相手は、第四王子・ロベルティートどのが最有力だが、当方との接触に際しては、なかなかの好感触だったと聞いている。
万事、話が早いのだそうだ」
「そうなのか」
「人当たりも良いらしい。少々変わり者とも聞いたが、他の王子よりは良かろう。
それこそ、例のジークシルト・レオダインどのに比べればな」
ダディストリガは、相変わらず真顔で、少しも冗談を言った積もりはなさそうだった。が、ランスフリートは噴き出していた。
北方で発生した事件について、彼も知らないわけではなかったのだ。
「彼は比較にならないぞ。
伝え聞く気性の激しさが確かなら、彼に比べれば大概の男はまともな範疇に入るだろう」
「うむ、そうかもしれん」
物堅い様子で、ダディストリガは頷いた。
ランスフリートは、最初から見れば寛いだ表情になっていたが、しかし雑談を楽しむ心境にまではなれなかったらしい。
「縁談だけでは足りないだろう。木材の代替供給をどうする。
嫁をやるからヴェールトと手切れせよは、まさか通るはずがない。
新たな貿易先を斡旋しなくては、案として成立しないだろう」
肝心な点を鋭くついた。
当然の指摘で、ダディストリガは意味を理解し損なうような失態は犯さなかった。
「むろんだ。
ラインテリアを推薦する予定を組んでいる。
かの国の木材産出能力はヴェールトと競合し得るし、彼らも意欲に欠くところではない。
重要があれば喜んで応じる」
「応じると言い切ったな。既に接触済みなのか」
「外務庁を通じた正式な打診はまだだ。
何せ、現在の外務庁長官はバースエルム家閥だ、あてにはならん。
我がティエトマール家が独自に探りを入れている最中で、こちらも感触は悪くない」
「そうか……ではいずれ、ラインテリアとも縁を組む必要性が出てくるな」
「うむ。ラインテリアと南西三国、何としてでも彼らを当方に引き付けなければならぬ。
ダリアスライスの外交方針は、北方におけるエルンチェア優位を前提として成立させているのでな。
万が一にもエルンチェア優勢が覆されたら、これからヴェールトに強圧をかける我らはえらい事になる。
ヴェールトが峠封鎖の報復措置をとれば、貿易立国である我が国は日干しにされる。
緊急事態に備えて、念の為ラインテリアも抑えねばならん。
たとえ峠を失っても、まだ海路がある。陸路より条件は厳しくなるが、全くの閉塞状態は免れる。
そうならないのが最も良いのは言うまでもないが、こればかりは蓋を開けてみなくては何とも言えん。
おまえの読み通り、近い将来にはラインテリアとも絆を深める事になるかもしれんな」




