第十八話「零れゆく命」⑨
やがて静まり返った夜空から、麟寺はゆっくりと、精も根も尽き果てた顔を足元へ向けた。
あたりは火の手が残るが、いましがた天より注いだ砲撃によって、見晴らしは随分といい。地上の城は跡形もなく消え去り、この地下回廊は星光のもとにさらけ出されている。逃げることはできるはずだ。
しっかりと手をつなぎ、瓦礫の上で気を失った兄妹を見て、男は心底安心したように目を細めた。
と、そこへ。
瓦礫を踏みしめる、何者かの足音が響いた。
いまこの場に生きて立つ者がいるわけがない。麟寺は和らいでいた顔を修羅と変えるや、ぎろりと前方を睨み見た。
果たしてそこに立っていたのは、銀と黒に彩られたパワード・スーツの人物だった。
「ぎ、ざま……」
麟寺は口を開くたびに粘り気のあるどす黒い血を吐き出し、一層険を深くする。が、十メートルほどさきの相手は徒手空拳のまま立ち尽くすだけで、なんら反応を示さない。
「あの、時……」
そう絞り出す麟寺の脳裏には、灯弥と最後に会った墓所でのことが思い出されている。灯弥が去った直後のことだ。
「あぞごに、いよったな……貴様」
柳の陰に収まっていった青い閃光は、紛れもなく<アストラル・シフト>の残光だ。そしてその一瞬、確かにそこに、この者の気配がした。
(知っている)
その気配を知っている。
「貴様は……」
そう言葉を紡ごうとした矢先だった。
パワード・スーツのその者は瞬く間に間合いを詰め、大男の胸めがけ右腕を突き出した。
対する麟寺の反応は、間に合わない。
否――。
骨肉を露わにした右腕をだらしなく下ろし、気力だけで立つこの男は、すでに命の臨界にあった。
巨大な馬上槍のごとく変貌したパワード・スーツの右腕は、動くことすらままならない大男の心臓を、無慈悲にも抉り貫く。
異物が身を貫いた感触こそあったが、幸か不幸か、痛みはなかった。
「ご……ぁ」
逆流してくる血潮が口や鼻から溢れ出てくる。
しかし。
御剣麟寺はやにわに目を見開くと、その身から盛大なる闘気を発して姦物を弾き飛ばした。
甲冑のごときパワード・スーツは、最後の最後まで足掻いた大男をしばし見つめる。そして今度こそ絶命したと見るや、その足元で眠る兄妹へ視線を移した。
けれど、そこにいたはずの少年の姿が――ない。
同時に背後から疾風が駆け込み、甲冑はすぐさま身をひねってそれを躱した。
見れば、白い紋付袴の少年が冷たい眼光を放ち、装甲のない首元を狙って小太刀を薙いでいる。身のこなしもさることながら、その鋭さと正確さは、とても十かそこらの少年とは思えぬ冴えだ。よほど師がよかったのだろう。
だが、やはり、踏んだ場数の差までは埋めきれない。
「くっ……」
孤軍奮闘した少年であったが、手にした小太刀はあえなく弾き落とされ、
「シラン! 逃げ――」
と叫んだところで、突如背後に現れた甲冑にその首を斬り飛ばされた。
甲冑は、宙に舞った神皇泉白神の首の、流れる黒髪をむんずと掴み、その右腕を手提げ袋でも持つかのように垂れる。
次いで、いまだ目覚めぬ娘のほうへと首をねじ向けた。
その頃、翳祇鍾馗は操作盤の上に諸手をつき、目の前に広がる己の所業に言葉を失っていた。
巨大な画面に映るのは、戦火だけが灯る夜の京都だ。しかしそこに、自身が守ろうとしていた国の、その象徴たる城はない。あるのは直径五百メートルあまりの大穴だけである。
それが、鍾馗には不可解でならなかった。照準は確かに鞍馬山へ向けられていたはずなのだ。
荷電粒子の光線は大気や地磁気などの影響を受けやすい。そのため狙いは多少逸れると、あの帽子の男から聞かされてはいた。されど、目標が鞍馬山ならば、人口が密集する市街地にまでは及ばないだろう。そう考えたからこそ、鍾馗は引き金を引くに至った。
だが、これでは、はなから城を狙ったようなものではないか。
「よもや……こんな」
鍾馗は愕然と頭を垂れた。
するとそこに、
「――こんなものを作っていたとは。いやはや、レジデンスも侮れない」
と、聞き覚えのあるあの帽子の男の声がした。
「貴様ッ!」
鍾馗が怒号とともに自身の左手首を睨めば、そこに巻かれた時計型の端末から、
「ミョルニル。さすが、神の雷と名づけられただけはある」
男は心底感心した様子で声だけを響かせる。
「貴様、謀りおったなッ!」
姿すら晒さぬその態度に、鍾馗は上体を戻しつつ嚇怒した。
けれど、男は飄々とした声色を崩さず続ける。
「おや、お気に召しませんでしたか? 繭を破壊できるだけの兵器――こちらとしては、ご希望に沿ったものをお渡ししたつもりなんですがね……」
そのとおり、繭を滅する力を望んだのは鍾馗自身だ。だから男は、レジデンスが過去の大戦時に建造途中で放棄した軌道兵器<ミョルニル>を密かに入手し、修復と改良を加えたうえで、今回の裏取引に応じた。間違いなく希望は叶えている。
だのに、
「話が違うであろうッ!」
となおも叱責する鍾馗に、男は、
「繭の討滅まではお約束していませんよ、ショウキ・カゲルギ?」
と、冷ややかに突き放した。
しかし、男に対し繭の打倒を標榜し続けていた鍾馗からすれば、ペテンにかけられたようなものである。その実、この<ミョルニル>は、自らの意に反した動きを取ったではないか。操作を誤ったのではない。はじめからこのような結果となるよう、仕組まれていたに違いないのだ。
ここに至り、鍾馗はこの男の魂胆を悟った。
男の属する<ヴォルファング社>は、地球連合を最大の顧客とする軍需企業だ。両者の関係は百年以上も前から続いている。そしていま、日本海側にはハウトマン率いる艦隊が展開し、国家の中枢をなしていた京都白城はなく、あまつさえ月の守護もない。この状況、国を盗るにはまたとない機会であろう。
「そうまでして我が国を呑ませたいか! 連合に!」
左の手首へ吠えるが、男はそんな鍾馗の熱とは対照的に、
「まさか」
と嗤いを口調に含ませる。
そして、
「それはただの通過点にすぎない。そこは特等席だ。ゆっくりご覧になるといい」
そう言い残し、通話を一方的に終わらせた。
「待てッ! ジンバルドー!」
鍾馗が鬼のごとき顔で放つその怒声が、男のもとに届くことはない。
爆炎立ち込める瓦礫の上、銀と黒のパワード・スーツに身を包んだその男は、右手に白神の生首を持ったまま、甲冑じみた冷血な面を足元へと下げ向ける。
そこに横たわる和装の娘――神皇泉紫蘭の姿を認めた男は、その小さき身を軽々と左肩に担ぎ上げ、青き閃光とともに姿を消した。




