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第十八話「零れゆく命」⑦

 姿をくらました九垓らを追い南下を続けるグラディアートルを食い止めようと、日本軍のグスタフは果敢に飛び掛かる。しかし次元の違う攻撃に、なすすべなく駆逐されていた。

「脆い。脆すぎるぞ、ニンゲン」

 その時、グラディアートルの右側の彼方、そびえ立つ五重塔に雷が落ちる。

 その頂点に現れたるは、稲妻をまといて腕を組み、足をそろえて悠然と立つ<風雷>だった。

「……単騎か」

 訝しく視線を投げたグラディアートルに、

「勝負だ神父! いままでの借り、まとめて返してやるよ!」

 と、九垓は勇猛果敢に叫びあげる。

「フン。よかろう」

 異形はそのツノを分け開き、間を置かず赤き熱線を撃ち放つ。九垓の風雷は瞬く間に空へと跳び上がってそれをやり過ごし、宙で数度身を捻りながら着地するなり、

瞬靴(しゅんか)ッ!」

 と疾走を開始した。

 しかし速度こそあるが、猪突猛進に相手へまっすぐ向かっていくだけである。迎え撃つは容易だ。グラディアートルの周囲を無数の羽虫のように取り巻く眼球は、その身を荷電粒子をまとった赤き弾へと変化させ、常人では捉えきれぬ豪速をもって九垓に群がった。

 九垓はすかさず跳ぶ。

天鼓閃撃(てんこせんげき)ッ!」

 一時に繰り出される数多の拳は、もはや音速をも超越して光の領域に達する。

 そしてなにより九垓の目には見えている。四方八方、あらゆる方向から襲い来る熱球の動きが。

 瞬時に包囲網を突破した九垓の疾走は止まらない。

「アービター。やはりその身を変革させる力か――!」

 もう懐に飛び込まれたグラディアートルはそう叫ぶと、全身を覆い尽くす赤い旋風を解き放った。その烈風もまた、周囲に飛ぶあの眼球が引き起こす技だ。熱球となったまま、凄まじい勢いでグラディアートルの周囲を廻り、近づくものをまるでミキサーに放り込むかのごとく切り刻むのである。その激しさは一見して、赤い竜巻が異形の体を覆ったようにしか捉えられない。

 伸ばせば腕が届く距離。九垓の風雷にそれを防ぐすべはない。いくら神速の足だとて、逃げることは――。

 だが。

「ぬ」

 風雷の姿は霧が払われるようにかき消える。実体のない虚像。人の域を脱した俊足が可能とするその絡め手は、あの男の得意とするところ。とうに知れた手の内だ。グラディアートルに特段動揺は見られない。

 が、彼らにはそれでよかった。

「吐いた!」

 コクピットのなかでマシューが叫ぶや、グラディアートルが立つ三条駅付近から南東へおよそ七五〇メートル、八坂神社の西楼門の陰に身を潜めた<風雷>のなかで、様子見していた九垓が同じく声を荒げた。

「見立てどおりだ! イネッサ!」

 その呼び声に応じ、西楼門から真っすぐ続く市道のさき、四条大橋の上で跪いて時を待っていたイネッサの<ハイドランジア>が、ひっそりと立ち上がる。彼女は瞳を閉じたままであるが、視点はすでに空の上、夜天を泳ぐ水龍にあった。

 火の海と化した街並みを俯瞰するその視座からは、まるで水銀でできたロブスターのような敵の形状がよく見て取れる。その一帯を視界に収めた途端、イネッサはカッと目を見開き、

「リキッド・エア!」

 と、右手に持つ三叉の槍を高々と掲げた。

 すると、足を止めていたグラディアートルの周囲に突如、異変が起こる。

「ん」

 察知した矢先、視界がゆらゆらと歪み、まわりに浮遊していた熱球は、みな一様に凄まじい気泡をその表面から立ち上らせる。

 水だ。

 業火に燃える古都の街中に、異形を中心とした半径二百メートルを完全に飲み込んで出現した、巨大な水の柱。

 イネッサは、期せずして発現した千里眼とも呼べる技巧を駆使し、それを見事成立させていた。

 地上にいながら水中に叩き込まれたグラディアートルは、眼球たちを覆った荷電粒子の膜を解消し、続いていた水蒸気の発生を抑える。そして、

「似合ってんじゃねえか、その水槽」

 そう正面からしたくぐもった声に顔を向ければ、突き当りの交差点にアーキグスタフの熱源があった。

「おのれ」

 眼球を水柱の外へ出そうと移動させるが、やはり動きは緩慢だ。流線形であるのが幸いなところだが、機動力の低下は否めない。加えてこの状況では、眼球の主たる兵装である荷電粒子砲が使用できない。使えばその途端、砲口である瞳孔の部分から爆発四散することだろう。

 もはやただ動くだけの鉄球だ。水中を自在に泳ぎまわる水龍にとって、それは恰好の餌でしかない。天空より水柱へ突入した水龍は、波打つようにその身をくねらせ、逃げ惑う鉄球をたちまち噛み砕いていく。

 それを不満げに睨みつけるしかないグラディアートルは、せめて九垓だけでも仕留めようと、両腕の鋏を九垓へ差し向けるため視線を滑らせた。

 しかし、すでに九垓の姿はない。

 再び姿をくらました九垓を追うべく、巨躯を支えるおびただしい数の足が動かされはじめる。前から順に規則正しい動きを見せるそれは、やはりムカデのようだ。

 だが意味はない。術の中心はほかでもない、グラディアートルだ。水銀のその巨体が移動すると、同じく水柱も移動する。逃れるすべはない。

 あるとすれば、それは。

(来た――!)

 イネッサの視界の彼方、進路上にある建造物を根こそぎ蹴散らし、左手より猛然と、水柱に呑まれた水銀の異形が跳び出した。

 彼女はすぐに瞼を閉じる。対して、彼女の存在に気づいたグラディアートルは首をねじ向け、六つ目を赤く輝かせた。

 この煩わしい魔術を解く方法はただひとつ、術者を沈黙させるのみである。異形は鋏のようになった両腕を即座に分離するや、イネッサのもとへ転送する。

 しかし、ハイドランジアの死角より現れた鋏が、彼女の身を切り刻むことはない。

 そも、いまの彼女に死角など存在しない。

 機体の周囲に浮かぶ氷の粒子。そのひとつひとつを自身の「目」とした彼女には、敵の奇襲など手に取るように見えている。

 それは、グラディアートルが繰り出したあの眼球の真似事であった。

 差し向けられた一対の鋏は、内部より生じた氷塊によって瞬く間に膨れ上がり、弾け飛ぶ。

 もはやこの身をもって掃討するほかない。グラディアートルは物々しく地を踏み鳴らして体の向きを変えると、橋の上に立つ<ハイドランジア>めがけ一直線に突撃を敢行する。

 それにさきんじ、眼球をすべて駆逐した水龍が水柱のなかから飛び出し、主のもとへ翔けた。水龍はそのままイネッサをさらい、追手から遠ざかっていく。

 彼女を猛追するグラディアートルがついに四条大橋の上に至る。

 と、その時だった。

 異形を包み込んでいた水柱が突として弾け消えるや、

「いくぜえ、兄貴ッ!」

 と九垓の雄叫びが響き渡った。

 それに「応!」と返したマシューは、コクピットのなかで操縦桿のトリガーを引く。

 橋がまたぐ鴨川の上流より轟いたその声に、グラディアートルはそちらへがばと首をねじ向けた。見れば、川の中心には九垓駆る<風雷>が仁王立ちし、両の拳を胸の前で突き合わせ、全身に稲妻を滾らせている。それから距離を置いた斜め後方には、赤い武者のごときグスタフが片膝を立てていた。

 だが、彼らの姿を認めるや否や、異形は足元から生じた爆音と衝撃に一瞬にして飲み込まれる。

(な、に――)

 支柱を連鎖的に爆破され、支えを失った四条大橋は、そこに立つグラディアートルもろとも、ものの見事に崩落する。けれど、十メートル以上の巨躯を誇るあの異形には大した高さではない。さして痛手にはならないはずだ。

 狙いは、この一瞬の「間」を生むことにあった。一時的にではあるが足場を失った敵は、その大きさと重量のあまり、次の手への反応が遅れる。

 生じた隙に、九垓は腹の底から響く凄みの利いた気合いを発し、突き合わせていた両の拳を前方に向け突き出すように動かした。それに伴い、前腕のうしろに備えられているトンファーは連結され、一本の棒をなし、突き出された両手の前に出るように外れる。

 それを両手で掴み、左右に分ければ、一対の棒の間には雷撃がなす鎖が走った。

 ヌンチャクだ。形を変えた<九天棍(それ)>を、九垓は疾風怒濤の勢いで振り回す。周囲にほとばしる雷光はその勢いに比例し、加速度的に激しさを増していく。もはや直視することすらままならないほどだ。

 それと同じく、彼の全身は黄と緑が入り混じった闘気によって染め上げられ、その波動は足元を流れる鴨川をも引き裂きはじめる。

 暗い川中にあって光輝燦爛とするその威容、まさに武神と形容するに相応しい。

 ここに至り、はたで呆気に取られるマシューは心底思った。

 この男を味方につけてよかったと。

 それは、水龍に乗って夜天を行くイネッサも同じ思いである。

 と、彼女のその視界に、橋からもうもうと立ち昇る白煙を切り裂く、あの異形の姿が捉えられた。

「クガイさん!」

 すかさず叫び、下方めがけ左手をかざす。

 間髪入れずかっと目を見開いた九垓は、気を練り上げるべく振り回していたヌンチャクを前方へと放り、右拳を引いて腰に溜めた。

 ヌンチャクは周囲に蓄えた雷光を極致へと至らせ、まるでプロペラのごとく縦に回転しながら、炯眼を射向ける九垓の真正面に浮く。

 そこへ、

「――爆ぜろッ!」

 九垓は胴の激烈なひねりをきかせた、豪速なるその拳を突き出した。

 直後、その反動か周囲の川面は爆裂し、盛大な飛沫を高々とあげる。と同時に、立ち込めた稲光は凄絶なる閃光と化し、拳のさきへと走る極太の熱線に姿を変えた。一瞬にして川幅を覆い、直進した荷電粒子の光線は、体勢を整えようとまごつく異形をその横っ腹から、一切の容赦なく呑み込んだ。

 グラディアートルはひと言すら発する間もなく、流星のごときその光に全身を焼かれ、溶解するように消えていく。それは、そのうしろに広がる街並みも同様である。明かりのない京都の市中に走るひと筋の輝きは、そこにあるものを根こそぎ灰塵と変え、地面を抉り、突き進む。

 やがて一条の光は、京都国立博物館の脇に至ってようやく霧散した。

 光が過ぎ去った跡は、まるで大蛇が横たわるかのごとく黒々と、そしてまっすぐに四条大橋のあたりから伸びている。それを天空から見下ろすイネッサは、マシューから聞かされていた以上の威力に、

「やった……」

 と、ただ呆然とした。

 術の発生位置を固定できるイネッサの技を使い、九垓が発生させたプラズマを収束させ、それを撃ち出す――。マシューが捻出した荒唐無稽にも思える策が、よもやここまで効果を発揮するとは。

 確実性を高めるために、敵が繰り出すあの赤い旋風の種を見抜き、無力化したのも大きかった。

 すべてマシューの計略どおり。様々といって過言ではない首尾である。

(これで……)

 ようやく、胸を張って自分の道を歩み出せる。父母の墓前にも、堂々と立つことができるだろう。

 イネッサは安堵のあまり深々と息を吐き、安らかな面持ちで瞳を閉じる。

 だが。

「――なに?」

 彼女は背筋を駆けた悪寒にはっと目を開け、不安げに夜天を仰ぎ見た。

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