第十八話「零れゆく命」⑥
半壊した病院の影に身を潜めた九垓は、アーキグスタフから人間の姿へ戻るなり、同じく変身を解いたイネッサのもとへ駆け寄った。
彼女が眉根を不安に寄せ、弱ったその目で見つめるのは、病院の外装に寄りかかって尻をつくマシューの機体である。それ以上いかんともしがたい彼女に代わり、
「俺に任せろ」
と、九垓は機体のコクピットがある腹部へと駆け上がった。
剛三郎と同様、勝手わからぬ機体ゆえ、外部からコクピット・ハッチを開ける方法は手探りするほかない。
やがて、へそのあたりの盛り上がった装甲の側面にそれを見つけた九垓は、取っ手を押し、ねじった。
コクピット正面の板状の装甲がお辞儀をするように開く。
すかさず、
「兄貴、大丈夫か!」
と、暗いなかを覗き込めば、苦しげに左脇腹を押さえて悶えるマシューがいた。
彼の状態はあえて訊くまでもない。
「すぐに治療します」
イネッサは、様子を窺う九垓の背にそう声をかける。が、
「いや、俺よりも……ゴウザブロウがさきだ」
マシューは忍びがたい苦痛に垂れていた頭を持ち上げ、九垓に炯眼を射った。その額には脂汗が浮かび、よく見れば、抑えた脇腹のあたりが赤黒く染まっている。遊んでいる時間はなさそうだ。
九垓はただちにその場から飛び降りるや、機体を迂回し、半壊した病院の裏手にまわった。
尻目に見る白壁の建造物は、熱線が裂いた部分から爆散しており、内側に向かっていまにも崩落しようとしている。時折崩れ落ちる瓦礫はその予兆か。こちらも時間の問題だ。
「おい、ゴウザブロウ!」
駆けながら声を張り上げるが、応答はない。
やはり一度、屋上を確認すべきか。昇りやすそうな壁を探し、白い外壁に視線を走らせた矢先、
(ん――)
その身に痺れがよみがえった。鍾馗から受けたクナイの毒である。
(やっぱ、生身に戻ると駄目か……)
右手を何度か握り、感触を確かめる。グスタフになったところで、そう都合よく毒が抜けるわけもない。
わずかに消沈させた顔で、視線を己の手から持ち上げる。と、屋上の手すり壁を突き砕き、だらりと放り出されたグスタフの片腕を見つけた。
(ゴウザブロウ!)
垂直にそそり立つ壁を蹴り上がるなど造作もない。九垓は瞬く間に壁を伝い昇り、崩壊寸前の屋上に躍り出る。
そこには、おそらく衝撃に弾き飛ばされたであろう日本軍のグスタフが、屋上の際に追いやられる形で、仰向けで倒れていた。九垓が下で見たのは、その左腕である。
見たところコクピットまわりは無事のようだが、内部でひき肉になっていないとも限らない。九垓は急ぎ駆け寄ると、さきほどと同じ手順を踏んでハッチを解放する。
そして開ききる間もなくなかへ首を突っ込み、焦燥に駆られた顔を安堵へ変えた。
その頃、マシュー機の横で膝を抱いていたイネッサは、ややあって戻ってきた九垓に気づき、疲弊しきった顔を上げる。いくら覚悟が固まっているとはいえ、彼女は軍人ではない。命のやり取りをするという極限の状況に耐え続けられるはずはなかった。
そんな彼女に、
「無茶しやがる。お前のおかげだな」
と、九垓はどこか誇らしげに、背負った少年の寝姿を見せる。
幸いにして怪我ひとつないのは、九垓の言うとおり、イネッサが氷塊によって熱線の軌道を逸らしたためである。けれどもこの修道女は、他人からの賛辞を素直に受け止められるほうではない。
「でも、少し遅かったら」
こう、すぐにうしろ向きな思考に陥りがちである。されど、彼女がそう返すのは織り込み済みだ。
「ハ。あんま気負い過ぎんな。上出来だっつったろ? それでいいじゃねえか」
九垓は心のままを述べた。
その言にイネッサは、人知れず小さく息を呑み、俯く。緊張の糸が緩んでいるからか。自分に対し、時に辛辣なこの男にそう評されるのは、悪い気がしない。
その気の緩みが、
「――あの、クガイさん」
と、マシューのところへ行こうとする彼の背中を呼び止めさせた。
九垓は「ああ?」と、剛三郎を背負ったまま振り返る。しかし、視線を交わしてしまった途端、
「あ、いえ……。なんでも」
彼女はしおれるように口をつぐんだ。
訊いたところで意味がないと気づいたのだ。この戦いが終わったあとどうするかは、各々が決めること。この男ならきっと、それくらい自分で考えろと言うに違いない。
ひとりで行くしかないのである。もう頼れる存在もない。いまこうしてともにいる者たちも、いずれそれぞれの道を歩みだすのだから。
そこに至り、彼女はある想いに行き当たった。
(そっか……私)
なにとはなく感じ取り、見ないふりをしてきたが、もはや認めるしかない。
(この場所、気に入ってたんだ……)
そんな胸の内など露知らず、九垓は急に黙り込んだイネッサを怪訝に見た。
そこで、一同の窮地を救った小さき英雄が目を覚ます。
「アニキ……?」
いつの間にコクピットから降ろされたのか。それとも、機体の脇を駆け抜けた赤い熱線も、それによって爆散した屋上も、もしや夢だったのか。そんな顔をする剛三郎に、
「お互い悪運つええな」
と、九垓はしようもなさそうに笑いかけ、背中から降ろした。
その言はつまり、自分が死にかけたのは現実だという証明である。しかし、はなはだ実感が湧かぬ少年は、確かに肝を冷やした感覚はあれど、それ以上戦慄を覚えることはなかった。
となれば、次に剛三郎が気にするのは、いまこの場に見えないマシューの安否である。
「あんちゃんは?」
悪い想像からくるしかめ面を向けられた九垓は、すぐそばで擱座する日本軍のグスタフを見やる。
その視線を追うなり剛三郎はたっと駆け出し、腰の装甲を伝ってへそのあたりまでよじ登った。
「あんちゃん!」
切迫した顔で覗き込めば、座席にぐったりと体を預けるマシューがいる。
「助かったぞ、ゴウザブロウ……」
そうは言うがしかし、様子は芳しくない。薄青い患者衣のままであるマシューの左脇腹には、血痕が徐々に大きくなってきている。
「アニキ! あんちゃんが!」
そううしろに叫べば、九垓とイネッサは並んでこちらを見上げていた。その顔つきがどこか諦めを含んだように思え、剛三郎はよもやという嫌な予感に、マシューへと首を戻す。
すると、
「逃げろ、ゴウザブロウ」
マシューは脂汗がにじむその顔でまっすぐに少年を見据え、そう告げた。
どうしたものかわからず、剛三郎は再びうしろのふたりに振り返る。しかし彼らはなにも答えてはくれない。ただ優しいまなざしを少年に向けるだけだ。
「オレに見捨てろって言うのか、あんちゃんたちを」
剛三郎は自分の足元に視線を落とした。
すると、今度は九垓が口を開いた。
「そうじゃねえ。お前は充分やった。だからあとは待ってろってこった」
「でも」
「だいたいな、お前が来たとこで戦力になんねえだろ。それよか、俺らが戻る場所探しといてくれよ。ただでさえはぐれモンなんだぜ?」
と、九垓はコクピットに座すマシューへ目を向ける。その視線をなぞって剛三郎が首を振り向ければ、マシューはまんざらでもない様子で微笑を湛えていた。
それが、いまの自分にできる唯一のことか。己がいかに無力かということは、もうすでに、自覚している。
「……わかった」
少年は力なく言ったそばから、
「でも、ちゃんと帰ってきてくれよ」
と、不安げに三人を見回した。
死はいつ何時、訪れるかわからない。さきほどの自分がそうであったように、気づかぬままそれを迎えることもあるはずだ。
こと、戦場においては。
「ハ。死んだら終わりだっつったろ」
少年の憂える想いを汲み、九垓はそう切り返す。その横で、
「ゴウザブロウ」
と、イネッサは子を迎える母のようなたおやかさで両腕を広げた。
身寄りもない少年が、この戦地をたったひとりで行く心細さは推し量るまでもない。苦渋をにじませてその胸に飛び込んだ剛三郎の頭を、イネッサは慈しみを込めてなでた。
「大丈夫。ゴウザブロウはここぞって時に動けるから。だからきっと、大丈夫」
そして少年の両肩に手を置き、その身体を静かに離して目線を合わせ、
「そのまままっすぐ、いきなさい」
イネッサは諭すような調子で少年に言った。
「なんだ、シスターみてえじゃねえか」
まさに門出の時だというのに、九垓は横でにたにたと笑う。あまり悲観するなと、この男なりの気遣いのつもりであったのだが、今回ばかりは余計なひと言だ。
しかしイネッサは、にこりと剛三郎に微笑みかけるだけである。その絶対零度の笑みに、正面に立つ剛三郎よりも横顔しか見えない九垓のほうが、ただただ戦慄に顔を引きつらせた。
そんないつもの調子が、剛三郎にとってはなによりも救いだった。少年の顔がほころぶのを見た九垓は、
「頼むぜ」
と笑いかける。
その横でイネッサが立ち上がった。
剛三郎は三人の顔をいま一度見回すと、遠巻きに聞こえる戦闘音から離れるべく、暗闇へと駆け出した。
「いいアジト見つけといてやっからな!」
それが自分を行かせる方便だと知りつつも、剛三郎はそれきり決して振り返ることなく、突き進む。己の不甲斐なさだけを噛み締めて、ただひたすらに駆け続ける。
小さい背中が夜に紛れ、どんどんと遠くなった。
すると、
「それでいい。生きろ、ゴウザブロウ。どんなに無様だろうが、生きていれば勝ちだ」
隣で静かにそうつぶやいた九垓に、
「本心、ですか?」
とイネッサは訊く。
「……さあな」
九垓は鼻で笑うが、その横顔は遠い過去を懐かしむようで、満足げだ。
そう。自分の少年時代がこんな形で救われていたなら。
自分には叶わなかった生き方だけれども、いま走り出したあの少年には確かにある。それが、この男にそんな顔をさせた。
選ぶ選ばないにかかわらず、振り返れば、いまに続く自分の道がある。九垓はそれだけで、よかったのだ。そこに後悔はない。ないけれども、やはり、あの少年がありふれた人生を歩めるよう願わずにはいられない。
まさかこの男がそんな顔をするとは。イネッサは驚きを悟られないよう呑み込んで、マシューのもとへと踵を返す。
そして、
「必ず――」
と、宣誓の言を口にしはじめた。
その間もずっと、見えなくなった少年の背中を見つめていた九垓は、はたと振り返る。
「必ず、勝って帰ります」
座るマシュー機へたどたどしい足取りで近づきながら、イネッサはそう頑として続けた。
それにコクピットのなかでマシューが答えた。
「無論だ……。さきを生きる者として、見せつけてやらねば」
意気軒高なふたりを九垓は鼻で笑うが、そこに嘲りはない。
「死に損ないばっかが元気でもなあ」
と、すぐにイネッサの横に駆け寄り、肩を貸して歩き出した。
「ま、あの神父には借りがあるからな」
九垓はイネッサと信頼に満ちた視線を交わし、
「一泡吹かしてやろうぜ」
と呼びかける。
それに、
「はい!」
と、イネッサは威勢よく応じた。




