第十四話「生きて」⑩
闇に立ち込める砂塵のなかで、獲物を捕らえ損ねた鮫はゆらりと浮上する。側面に刻まれた、倒れかけのドミノのように三つずつ並んだ眼光が赤々と輝く。
そしてシーカーリウスは電子的なノイズを孕んだ声で言った。
「ニンゲンは忘れる。そのとおり、忘れるんだ。お前も忘れた。そうだろう? でも俺は忘れない。二十年前、その腕を食いちぎった時の苦痛は、いまでもここに、残ってる」
再浮上した鮫は、その禍々しい口をこれ見よがしに開いた。なかには銀河のような光と闇が渦を巻き、中央に向かって稲妻が走り続けている。
それを見せつけながら、鮫は砂塵にまみれて駆ける灯弥の姿を暗視と熱源にて探知すると、的を絞る間もなく胴の側面にある各砲座を稼働させ、発砲した。
放たれる砲弾は光条をなして対象を焼く熱線である。最先端の兵器が搭載されがちなグスタフでさえいまだ装備するに至っていない光学兵器、荷電粒子砲の一種だ。狙いなど定めなくとも、生身の人間ひとり、近くを通るだけで充分に殺傷できる。
「あの時からずっと疼いて仕方なかった。その憎たらしい炎が、俺のなかを延々と焼き続けるんだ。わかるかい?」
あえて無差別に乱射される熱線は、ふつふつと滾るシーカーリウスの狂気からくるものだ。すぐに止めを刺さずじっくりと、生物だけが感じ得る生の渇望と死の絶望を与えながら獲物を追い込んでいく、底意地の悪い攻め手である。
「勝手に食っておいてとんだ言い草だな」
灯弥は敵の視界から逃れるため砂丘の影に滑り落ちた。それを見届けたシーカーリウスは、
「でもまあ、おかげでひとつわかったんだ」
と、その巨大な鋼鉄の身を青く発光させる。そして次の瞬間、まばゆい閃光を放ったかと思えば、鮫の姿は、灯弥の頭上でも発生した同じ閃光のなかから唐突に現れた。もといた場所には、夜に舞う蛍のように光の残滓が散るのみである。
(やはり――)
鼻先を地面に向けて大きく口を開けた鮫を、灯弥は右拳をすでに腰溜めにした状態で睨み上げた。
<アストラル・シフト>――シーカーリウスの発光を伴う瞬間移動は、月の連中が使うそれと似通って見える。
「アービターの力は俺たちに害なすだけじゃない。むしろ、俺たちにこそ必要だってね」
「そんなに美味かったんなら、もう一発くれてやる!」
全身を紫電に包んだ灯弥は、地の底を震わせるような凄みの効いた声で叫ぶと、体長の五十倍以上ある鮫型軍艦に臆することなく地を踏みしめ、燃える右腕を突き上げた。
途端に彼を中心とした砂地は砂塵を上げて大きく沈み、次いで生じた衝撃波が周囲の地形を変える勢いで広がっていく。それが砕け散った岩石を舞い上げるなか、この世の終わりかと思わせる大爆音とともに拳から打ち出されたのは、さながら太陽のごとき熱と輝きをもった一発の気弾であった。
その大きさは、上空から垂直に迫りくるシーカーリウスに負けずとも劣らない。
意外だったのだろう。
あの禍々しい大口を開けて飲み込むことも、まして泳ぐように避けることもせぬまま、鮫は、気弾を突っ切らんとばかりに真正面からぶつかった。
接触の衝撃は拳を突き出す灯弥の身をわずかに退かせる。
されどそこまでだ。砂地という気ままな足場にもかかわらず、灯弥の踏ん張りようは大樹のごとく泰然としたものである。
彼らのせめぎ合いが発する燦爛たる輝きは、いまが夜であることを忘れさせる。
シーカーリウスが落下した衝撃に吹き飛ばされ、ヴェントゥスの昇降階段の足元で背中から倒れ込んでいた神楽夜は、それほどの光を受けてようやく意識を取り戻した。
「……あれは」
その熱、その輝き。見紛うことなき鳳鱗拳の究極奥義である。己も体得する技だが、養父が放つ闘気の塊は、本当に同じ技なのかと目を疑う大きさだった。
「大丈夫か」
背にした階上からの声に首をねじ向ければ、
「レジーナ……」
マシューを乗せた盾の端を下から支えた彼女が、階段で姿勢を低くしていた。そこから階段の上へとさらに視線を流せば、同様に身を低くして盾を引っ張る朔夜と剛三郎がいる。
そしてその上の段にはもうひとり、右手を開いて突き出し、苦しげに肩で息をするアルマの姿があった。
力なくへたり込む彼女にレジーナは、
「さっきのはお前か」
と顔を振り向けて訊くが、神楽夜はあの鮫が落ちてきたところまでしか覚えていない。
「さっきの?」
と訊けば、
「お前がここで伸びてる理由さ」
レジーナは神楽夜を一瞥するなり、首をアルマへ戻す。
アルマは胸元を握り締め、瞼を閉じて悶えていたが、ややあって決然とした眼光を遠くの戦闘に向けた。
直後、焦りを掻き立てる猛烈な爆音が轟いた。そして深海に響くくじらのような鳴き声がこだまする。アルマを除く一同は度肝を抜かれ、慌ててそちらを見やった。
夜空に浮かぶ巨大な魚影が、釣り上げられたように弧を描き、見事にひっくり返っている。
その真下、自らが起こした暴風のなかで牢として構える威武灯弥は、荒れ狂う紫の雷光も相まって、まるで鬼神のごとき様相で立っている。比較するのも馬鹿馬鹿しいほどの質量差をものともしない、もはや人間技を超越して余りある状況に、神楽夜たちは呆気に取られ、言葉を失うしかない。
「養父さん……」
神楽夜のそのつぶやきが聞こえるはずはないが、嵐のなかに立つ灯弥は一度、彼女を尻目に捉えてから背を向けて、傍らに発生した閃光のなかに歩いて行く。シーカーリウスが瞬間移動した際に発したものと同じ、あの閃光のなかにだ。
「待て、トウヤ!」
それを追いかけ、吹き荒ぶ旋風に踏み込んだ鍾馗に、
「繭を起こす」
と、灯弥は足を止める。
「なに!?」
「この世に選択してもらう。それが、俺の命を懸ける目的だ」
「ま――」
制止の言は間に合わず、灯弥は刹那の光に消え去った。
束の間の静寂に鍾馗は、友が残した言葉の真意を図りかね、立ち尽くす。そこに、空を唸らせる原動機の音を響かせて、体勢を整えた鮫のひと際暗い影が覆い被さった。
「ヴィクトリア・フォールズ」
頭上からした不吉で機械じみた声に、鍾馗は夜空を睨み上げる。そしてまたも襲ってきた胸を内側から焼くような激痛に、苦しみながら膝を着いた。
シーカーリウスは鋭利に出ていた鼻先が不細工にも潰れ、全身に時折漏電と思しき電流を走らせる。だが、
「繭を起こす、ねえ。そりゃあいい」
と、空を泳ぐさまは悠々として楽しげだ。
しかし、そのまま神楽夜たちの頭上をぐるりと旋回する鮫の複眼には、赤く、邪悪な輝きが宿る。
「なら――ここにいるやつらはいないほうがいいってワケだ」
妖しげに言い放ったシーカーリウスの巨大な船体に、潰れた鼻先から尾鰭にかけて、赤い光の線があみだ模様に流れだす。その発光の度合いは徐々に強まり、やがて鮫の全身を染め上げた。
鮫の顔に正面から十字の切れ目が入る。そこからつぼみが開くようにぱっくりと、腹のあたりまで身が広げられ、中央に埋め込まれた宝珠が露出した。紫の光が泳ぐ<ネビュラ・クォーツ>だ。
バツ字に広げられた身の内側には、宇宙が覗く。
一方、尾の側は十字を描いて切り分けられ、バツ字に開かれた前方部分と互い違いになるように展開される。
そして全体にぼうっとした赤光をまとえば、さながら密林に巣くう醜怪な深紅の花のようである。
おどろおどろしく夜に咲いた赤い花は、見る者の焦燥を煽るに充分な異様さだ。




