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第十四話「生きて」⑨

 すべての拳が繰り出され、そしてそれらが打ち払われるまで秒とかからなかった。

 素手の打ち込みであることが疑わしいほどに火花が散り、毎度毎度、空気が炸裂する。

 しかし、ひと際大きい破裂音が轟いたのを最後に、あたりは急に静寂を取り戻した。

 レジーナをはじめ、その光景を目にした者らはいったいなにが起きたのか理解が及ばず、みな一様に動きを止める。

 それは、義娘(むすめ)の拳によって弾かれ、退けられた灯弥も同様であった。

 力の差は歴然なれど、養父が放った数多の拳を、神楽夜はレジーナに届かせることなく防ぎきった。

 しかし、それはレジーナに当たらなかったというだけの話である。

「……ん、ぐ」

「カグヤ!」

 レジーナは目の前に立った神楽夜の背中がぐらりと揺れるのを見て、血相を変えた。

 防ぐことには防げた。だが、一打払ううちに二打を打ち込まれ、三打止めれば六打ねじ込まれる。仕舞いには、拳のあまりの速さに皮膚が切れたか、額の脇や二の腕から血を垂れ流す、娘はそんなありさまである。

 それでも。

 それでも威武神楽夜は、養父(ちち)の前に立っていた。

 じっと見据える炯眼のさきに突き出された拳は、奇しくも、いつかのように灯弥の頭をめがけている。その先端には防がれた時に移ったのだろう、青白い炎の欠片が揺れていた。

「なぜ守る」

 灯弥には不思議でならなかった。レジーナは人類の最高戦力と謳われる<アービター>のひとりだ。多少心得があるだけの神楽夜が庇ってやる道理はない。

 されど、

「野暮でしょ、そんなの」

 神楽夜にはどうでもいい話だった。

 肩で息をしながら瞼を閉じ、彼女は続ける。

「私、わかったんだ」

 突き出した右拳を返して開く。指先は貫き手のごとくそろえ、肘を下げて腕を「く」の字に曲げる。右手は目線の少し下で突き出し、左手はなにかを抱くように右肩へ寄せる。

 それこそ、父から教わった唯一の鳳鱗拳(わざ)。この世は輪っかだと言った灯弥(おとこ)が極めし、鳳凰を守護する拳である。

「誰かに守られていながら、それでいて自分だけを守るようなやつには、なりたくない」

 構えた神楽夜のまなざしには、かつてのような曇りは微塵もない。ただ己のうしろに立つ者のため、彼女は父と対峙する。

 誰かの助けなど期待できない。それでもこの娘が退くことはあり得ない。神楽夜の性分を理解する灯弥は、ゆえに同じ構えを取ってそれに応えた。

 まだ立っているとはいえ、神楽夜はすでに満身創痍に等しい。

「くっ」

 鍾馗は全身にまるで亀裂が入るかのような痛みを覚えながらも、ふたりの間に割って入ろうと、おぼつかない足取りで立ち上がる。

 するとその時、遠巻きに爆発音が一度聞こえ、はるか彼方の夜空に赤い渦が立ち昇った。神楽夜たちは当然知る由もないが、イネッサと九垓がグラディアートルに瀕死の決定打を与えた、あの時の渦である。

 一同の注意がそちらに向けられるなか、灯弥がその隙を見逃すはずはない。男は無情にも義娘(むすめ)を排除すべく、間合いを詰めようと重心を落とした。

 しかし、

「あーあ、はじまちゃったねえ」

 頭上から唐突にした男の気だるい声に、踏み止まるほかなかった。

 その声を神楽夜は知っている。半ば確信を抱いて、声のしたヴェントゥスの甲板を仰ぎ見た。

「シーカー……!」

 甲板の縁を流れる手すりに背を預け、遠く赤い渦を眺めるくせ毛の男は、

「俺の艦、こんなにしちゃって、まあ」

 と、肩越しに眼下の神楽夜を睥睨する。その邪悪な眼光と片端を歪に吊り上げた嘲笑は、彼女の知るシーカーではなかった。

「貴様、なにが目的だ!」

 鍾馗は声を荒げた。並みの感性ならばその怒号に命の危機を感じ、すくみ上がるところであるが、そんな怒りもどこ吹く風。

「目的、ねえ」

 シーカーは夜天を仰いでだらけた返事をしてみせる。そして、

「アービターの捕獲、できなければ抹殺、だったんだが……。ハハ。いまは――」

 と、狂気に見開いた尻目で背後を睨みつけるや、

「その男を喰えればそれでいい。トウヤ・イヴ!」

 その身から閃光を放ち、周囲を廻る数字の羅列とともに天空へと打ち上がった。次いですぐさま炸裂したその光のなかに、背鰭や胸鰭が特徴的な鮫特有の影が浮かび上がる。

「あれは」

 ジックから聞かされていただけだった神楽夜は、またも夜空から飛来した巨大な機械の鮫に、顔を険しくした。

 だが意外なことに、なによりも驚きを見せたのは指名された灯弥自身であった。

 変貌を遂げたシーカーリウスは有無を言わさず、落下する彗星のごとく、彼がいる砂地に突撃する。

 身構えていた灯弥がそれを躱すのは容易い。しかし、艦一隻丸々落ちてくるようなものだ。その超大な質量は、彼が立っていた砂地を抉り取るのみならず、凄まじい衝撃波を伴って周囲に砂の津波を引き起こし、なんの備えもない神楽夜たちをいとも簡単に吹き飛ばした。

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